花嫁の役割り
(まだワインの匂いするなぁ……)
セラに手伝って貰いながら体を拭き、部屋に置いてあったドレスに着替えた。
セラは手伝いながら。
「本当に面白いくらいの不運っぷりですわね」
などと無表情で言うので、キサラは苦笑いするしかなかった。
夫には初対面で首を締められ、義理の母との食事会ではワインをかぶり。
本当に面白いくらいの不運っぷり。
「ごめんなさいね。うちのメイドが失礼なことをして」
キサラの目の前に紅茶を起き、メルリナが謝った。
食後、場所を改めて話そうと言われメルリナの私室へと招待された。まさにお姫様の様な部屋――とはいっても、年齢に合うような落ち着いた色合いを使っている。
これがメルリナの趣味ならセンスが良いと、少ない知識の中で思った。
「いえ、慣れていますので」
気にしないで欲しいというつもりで言ったのだが、メルリナは目を潤ませキサラの手を掴んだ。
「本当にごめんなさい。私、貴女がそんな境遇になっているなんて思ってもいなかったの。ジュークから花嫁は村娘だと聞いて、あり得ないと気を失ったりして……」
(気を失ったんだ……。まあ、当然か)
キサラ自身でさえあり得ないと思ったのだ。
メルリナの様な貴婦人では、あまりのショックで気を失っても仕方が無い。
(って、そんなこと考えてる場合じゃない)
「あの、あまりあたしに近付かない方が……」
不運のとばっちりを受けてしまう。
そう言い終わる前に事は起きてしまった。
ガタリと、突然テーブルが傾く。
そしてテーブルの上に乗っていたティーカップとポットがキサラとメルリナに向かって来た。
さっきはワインだったが、今度は紅茶。紅茶は勿論、ポットには熱いお湯が入っている。
(危ない!)
とっさにメルリナを庇う様に抱き寄せた。
熱いお湯が降りかかるのを覚悟して目を閉じたが、なかなか時は来ない。
不思議に思って目を開けると、すぐ近くにセラが立っていた。
その手にはポットとティーカップ。
セラはキサラについて来てこの部屋には元々いた。
だが、ドアの近くにいたので少し離れた場所にいたはずだ。
いつの間にこんな近くに来たのだろうか。
「奥様、ご無事ですか?」
やはり無表情でセラは話す。
彼女の表情が変化する事などあるのだろうか。
「え? ええ」
状況が理解出来ていないのか、メルリナは疑問符を浮かべながらキサラから離れる。
そしてテーブルが倒れているのと、セラがポットとティーカップを持っているのを見て何があったのか理解したようだ。
「ああ、私を庇ってくれたのね。有難う、キサラ」
そう言って心からの優しい笑みを浮かべたメルリナに、キサラはドキッとした。
誰かにこんな微笑みを向けられたのは何年ぶりだろうか。
「セラも有難う。でもそんなに速く動けるなら、さっきキサラがワインを被ったときも助けられたでしょうに」
少し非難するようなメルリナの言葉に、キサラも確かにと思う。
あの時は今よりもっと近くにいたのだ。助けられなかった訳がない。
なのにセラは眉一つ変えず、しれっと言い放った。
「今のは奥様も危なかったからですわ。キサラ様だけならば絶対に助けません」
(酷い)
瞬間そう思ったが、続いた言葉に何か意味深いものを感じる。
「キサラ様を助けるのは、ジューク様の役目ですので」
「?」
意味深ではあるが、どういう事なのかキサラにはサッパリ分からない。
だがメルリナはハッとした顔をし、キサラに向き直る。
「そうね。ジュークの役目だわ」
怖いくらい真剣な眼差し。
先程の微笑みとは打って変わって、伯爵婦人の顔をしている。
「話すわ。ジュークの事、この家の事。そしてあなたの事を」
簡単にテーブルを直し、ポットなどは危ないからとセラが片付けた。
そうしてからキサラとメルリナは向かい合って座った。
ひと呼吸置いてからメルリナは口を開く。
「まずは、マクスウェルの……この家の事ね」
そう切り出し、彼女は昔話でも語る様に話し出した。
「この家の当主、代々のマクスウェル伯爵はみな吸血鬼なの」
「え? ジューク様だけではないのですか?」
驚いて早速口を挟んでしまった。
だが、メルリナは気を悪くした様子はなくクスクスと僅かに笑う。
「ええ、そうよ。ジュークの場合は……困った事に近くの街の娘達の血を吸ったりしているから変に噂が立ってしまっているけれど」
(ということは、先代までは今の様な噂は無かったって事?)
キサラの考えを肯定する様に、メルリナは微笑んだ。
「私の夫。前マクスウェル伯爵も勿論吸血鬼だったわ。でも、私の血をたまに少し飲む以外、普通の人間と変わりなかった」
そう言って遠い目をしたメルリナ。
優しい眼差し。
今は亡き夫とのことでも思い出しているのだろうか。
「どうして前マクスウェル伯爵とジュークがそれ程違うのか不思議に思うでしょうね」
ふと彼女は現実に戻り、再びキサラに向き直った。
「それを話すには、まずどうして代々のマクスウェル伯爵が吸血鬼なのかを話さなくては……」
ゴクリと、キサラは生唾を飲み込んでいた。
一番の疑問。
異国には魔術を扱える魔王もいると聞くし、吸血鬼が存在していたとしてもそれ程不思議はない。
だが、何故マクスウェル伯爵家なのか。
伯爵という地位の者が、何故闇の生き物とされる吸血鬼の一族になってしまっているのか。
勿体ぶっているわけでは無いだろうが、メルリナはゆっくりと話す。
「昔……。何代も前のことよ。この家はとても貧乏だった事があるの。地位だけ高くても、木の根を噛む様なこさえあったらしいわ」
キサラは今度は静かに聞いていた。
室内を灯すロウソクの火が揺らめく。
その揺らめきの中、メルリナは語る。
その当時、跡を継げる血筋の者は女しかいなかった。
当時はまだ差別が激しかったため女では当主になることは出来ず、マクスウェル伯爵家はもう潰れるしか無いという頃……そいつは現れた。
吸血鬼の男。
闇に属する恐ろしく美しき生き物。
その者は当主の娘にこう持ち掛けた。
『マクスウェル伯爵家の存続と繁栄を約束しよう。その代わり、お前は私のものとなれ』
と。
そこまで話すと、何故かメルリナはクスリと笑った。
「その吸血鬼、偉ぶってそんなことを言っていたけれど、結局のところは当主の娘に一目惚れしただけらしいわ」
「そうなんですか……」
キサラは相づちを打ちながらその様子を想像してみる。
確かにメルリナの様にクスリと笑ってしまう光景だ。
「とにかく。娘はそれを承諾し、マクスウェル伯爵家は存続することが出来たの」
メルリナは表情を改め、続きを話す。
吸血鬼と当主の娘の間に産まれた男子を次期当主とすることで伯爵家の存続が認められた。
吸血鬼の力で生活もすぐに良くなり、全ては順調に思えた。
だが、吸血鬼は闇の生き物。
その業は深く、消える事はない。
人の生き血を主食としてしまうのは、止めることの出来ない業だった。
その吸血鬼は出来る限り吸血衝動に耐えていたが、いつまでも耐えきれるものではない。
時折城を出て街に下りては血を吸ってくる。
せめて殺さない様にと、一度に何人もの娘の首に噛み付いた。
そんなことが何度も続くと、流石に街の人間達が黙ってはいない。
吸血鬼を殺せと囁かれ始めた。
そんな折、吸血鬼の前に魔女が現れた。
「魔女ぉ!?」
思わず叫んでしまったキサラは、慌てて掌で口を覆う。
まさかここで魔女とは。
吸血鬼だけかと思ったら魔女まで……。
(ここまで来ると、本当に物語でも聞いているみたいだわ)
メルリナは突然叫んだキサラを咎めはしなかった。
だが、少し恨めしそうに見つめる。話を遮られたことに少しムッとしたのかもしれない。
でもキサラが黙ると、また話を続けた。
その魔女は吸血鬼に救いの道を与えた。
深すぎる吸血鬼の業を、愛する者と分かち合うことが出来る様に呪いをかけたのだ。
生涯でただ一人の愛する者に業を半分背負わせる。
そうすれば吸血衝動は自然と抑えられ、人を殺さなくても済むようになる。
それでも抑えられないときは、愛する者の血を少し飲めばそれだけで満足出来る。
代わりに愛する者は幸運を無くすが、その分吸血鬼が守ってやれば良い、と。
「魔女に言われたとおり、吸血鬼は愛する者に業を半分背負わせたわ。するとそれまで必死に耐えていた吸血衝動がなくなり、しかも愛する者の血を飲むと朝日を浴びても平気になったの」
そうして、人間とあまり変わらない生活が送れるようになった。
そう締めくくり、メルリナは話し終える。
「とりあえず、これがこの家の秘密よ。突拍子もないことばかりだけれど、事実私も体験したことだから……。まあ、魔女だとかは何の確証も無いことだけれど。なにせ、何百年も前のことだから」
困った様に笑うメルリナに、キサラは「はあ……」と何とも言えない返事をした。
聞き終えた感想としては、何だか本当に物語でも聞いているかのようだった。現実味が無い。
だが、一つはっきりしたことがある。
「つまり……。あたしが花嫁に選ばれたということは、ジューク様の業を半分背負っているという事ですか?」
確認のためにキサラは質問した。
自分はジュークの愛する者に選ばれたのか、と。
(……でも、その“愛する者”の首を締めたのよね。何それ、やっぱりジューク様ってばアブノーマル!?)
少しショッキングな事を考えていると、メルリナが絶妙なタイミングで「ええ、そうよ」と答えた。
(ええ!? 本当にアブノーマル!? ……って、違う。そうじゃないわよね)
慌てて考え直したキサラだったが、もう少しで口に出してしまいそうだった。
それを誤魔化すように真面目な顔で呟く。
「って事は、あたしの不運はジューク様の花嫁に選ばれたから?」
口にしながら、いったいいつ選んだのだろうと考えていた。会った覚えなど無いというのに。
キサラの呟きに「その通りよ」と言ったメルリナは、眉間にシワを寄せ愚痴る様に話し出す。
「十年程前になるわね、ジュークが十四のとき。吸血衝動が強くなってくる前に花嫁を決めろと周囲から急かされて、ふらっと何処かへ行ったと思ったら一人で帰って来て『花嫁を決めて来た』って言ったのよ?」
(十年前……。父さんと母さんが亡くなったころ……)
メルリナの話を聞き流しながら思い出す。
思い出して、一つ疑惑が浮かぶ。
自分の不運は生まれつきだと思っていた。
知らずに他人にもおすそ分けをしてしまうような不運。
だから両親が亡くなったのも、自分の不運が原因なのかもしれないと思った事がある。
でもそうではなかった。
自分の不運はジュークに与えられたもの。
そして、与えられたのは両親が亡くなった十年前。
両親が亡くなったのは……ジュークが自分を“愛する者”に決めたから?
(自分の所為ではなくて、 ジューク様の所為だった……?)
そんな事を考えてしまった。
「本当にごめんなさい」
メルリナの言葉にハッとする。
(あたし、何考えてるの……。不運がジューク様の所為だとしても、父さんと母さんが死んだのまであの方の所為にするなんて……)
「本来なら花嫁を決めた時点でこの城に連れて来て不運から守るはずなのに……。ジュークってば連れて来ないし、守りもしないなんて」
深くため息をつき、メルリナは悲しい顔をした。
「でも、貴女に来てもらえて良かったわ。これでジュークが貴女の血を飲めば、人と同じ様に暮らせる様になる」
そう希望を口にするメルリナ。
だが、それが現実となるかは微妙だった。
メルリナ自身も気付いているのだろう。言葉にしているのは希望でも、その表情は悲しいままだ。
キサラはそんなメルリナの心も汲み取って、自分がやるべき事を考える。
色々思う事はある。
だが、やるべき事は決まっていた。
「あたしは、ジューク様に血を飲ませれば良いんですね?」
キサラの言葉にメルリナはホッとした表情を浮かべる。
キサラの血を飲むどころか、いつも通り街に下りて他の娘の血を飲んでいるジューク。
彼自身にキサラの血を飲むつもりはあるのかどうか。
それでも、ずっと不安を抱えていたメルリナは安堵した。
キサラがドキリとする微笑みを浮かべ、「ありがとう」と言った。