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最悪な旦那様

 フカフカのベッドはとても気持ち良くて、キサラは夢も見ずに眠っていた。

 そんな安らかな眠りが突然妨げられる。

 何が起こったのかすぐには分からなかった。

 ただ苦しくて、急激に意識が浮上する。


 目を開けると、薄闇の中タンザナイトの瞳が自分を見ていた。

 青紫の瞳は切れ長、整った顔立ち。

 そして一つに纏めている金糸の髪。

 見た瞬間の感想は、綺麗……だった。


 でもその感想はすぐに逆転する。

 苦しいと思ったのは、その男が自分の首を締めているからだと気付いたから。


(殺される……!)


 そう思ったときには既に呼吸が出来なくなっていた。

 息が吸えない。

 朦朧《もうろう》としながらも、キサラは死にたく無い一心で暴れた。

 すると、以外とあっさり男は手を放す。

 キサラは急激に入ってきた酸素に咳き込みながらなんとか起き上がり、逃げる様に男から離れた。


(誰?)


 人の部屋に勝手に入って来て、いきなり首を締めるなど。

 何者なのか。

 考えても分かるわけが無い。

 当人に聞くしかなかった。


「貴方、誰?」

 キサラの質問に、男は無感情に答える。


「俺はジューク=マクスウェル。お前の夫になる男だ」

 その答えはキサラが驚くには十分なものだった。



「嘘……」


 目を見開き、驚愕という言葉そのままの様子で呟く。

 ジュークは当然の反応か、と冷たく少女を見下ろす。

 夫となる男にいきなり首を締められたのだ。

 しかもかなり強い力で。

 ショックを受け無いわけがない。

 だが、キサラはジュークが思っている様な娘ではなかった。


「嘘よ……何で黒髪じゃないの!?」


「……は?」


 思わぬ反応に無表情を崩し変な顔をするジューク。

 そんな彼を気にかける事なくキサラは続けた。


「吸血鬼って言ったら黒ずくめに黒髪でしょう!? でもって目は黒か赤!」

 失礼な事にジュークを指差し叫んでいた。


「……」


 最早ジュークは何も言えない。

 たっぷり呆れを含ませ冷たい目をキサラに向けるだけ。

 だがやはりキサラはそんな彼を気にすることは無い。


(なによこれ! 全くイメージと違うじゃない! 詐欺だわ!)


 言葉にはしなかったが、頭の中では散々な事を思っていた。

 互いにどうも出来ない状況。

 ただ変な沈黙が流れるだけ。

 そんな空気を壊したのは無機質なノックの音。


 コンコン


「あ、はい」


 キサラはほとんど反射的に返事をする。

 そうして入ってきたのはダンテ。その後ろからもう一人女性が現れた。


「失礼致します--と。ジューク様、いらしたのですか?」


 入室の挨拶の後、ジュークが居る事に気付いて軽く驚いていた。


「……」


 それに対してジュークは何も答えない。

 だがダンテは気にする事なくキサラに視線を向けた。


「キサラ様に紹介したい者が……」

 そう言ってもう一人の女性を促す。

 女性は軽く頭を下げてから名乗った。


「始めまして、キサラ様。私は貴女様付きのメイド、セラと申します。以後、お見知りおきを」


 そう言って、笑顔でも浮かべれば可愛いのだろうがセラはあくまで無表情だった。


(同じくらい……ううん。あたしより少し上かな?)


 肩の辺りで切り揃えられた銀の髪。

 紫水晶の様な薄紫の瞳。

 平凡とも、美しいとも取れる不思議な顔立ち。


(この人があたしの世話をしてくれるって事?)


 ミラに色々と世話をやかれていたキサラだが、基本的には自分のことは自分でやっていた。

 そういうのとはやはり違うのだろうと思うと、何だか奇妙な気分になる。


「それにしてもセラ、貴女どうして部屋の前で突っ立っていたのですか?」


 ダンテが何気なく聞いた。

 それに対してセラは全く表情を変えず淡々と答える。


「キサラ様とジューク様が何やらお取り込み中でしたので」


「……」


(いや、首締められてたんだけれど……)


「夫婦の情事を邪魔するのは野暮ですわ」


(いやいやいや! それじゃあ変な意味に聞こえるから!)


 突っ込むが言葉にはしていないので意味はなかった。

 そしてダンテは「おやおや」と言いながらキサラとジュークを何か言いたそうな目で交互に見る。


(ああ……、やっぱり変な意味で捉《とら》えられてる)


 当のジュークも何も言わない。

 彼は大きくため息をつくと、無言で部屋を出て行ってしまった。


「……」


 そういえば、どうして自分の首を締めていたのか理由を聞いていなかった。

 てっきり血を吸われるものだとばかり思っていたけれど……。


(アブノーマルな趣味でもあるのかしら?)


 キサラは本当に図太い性格をしていた。


*****



 見たことの無い様な長いテーブルに、見たことの無い料理が運ばれてくる。

 恐る恐る口に運んで見ると、とろけそうなほど美味しかった。

 思い切り頬張りたいところだったが、がっつくのははしたないのだと本で読んだことがある。

 出来る限りゆっくり、上品に見えるように食べた。


「……村娘だと聞いていたから心配していたのだけれど、テーブルマナーは知っているのね」


 キサラの真向かいに座る初老の女性が本気で驚いているように言った。

 少し嫌味も混じっている様だったが、キサラは気にしなかった。

 村にいたときの村娘達の嫌味に比べたら可愛いものだ。


「あ、はい。本で読んだだけなので知識としてしか知りませんけれど」


 キサラはナイフとフォークを持つ手を下ろし、食事の前に紹介されたばかりの女性にニッコリ微笑んで答えた。

 彼女の名前はメルリナ=マクスウェル。

 ジュークの母親である。

 黒目黒髪なメルリナはとても美しく、実年齢より十歳は若く見えた。

 ジュークと顔立ちが似ているため、彼の髪や瞳の色は父親に似たのね、とキサラは思った。


 今テーブルについているのはメルリナとキサラだけ。

 他にもセラやメイド達は居るが、食事をしているのは二人だけだった。

 ジュークの父親は既に病で亡くなっている。

 そしてジューク当人は、別の場所で食事中なのだとか。


(血を吸いに行ってるのかしら? やっぱり吸血鬼の主食は人の生き血なのね……生き血なんて、本当に美味しいのかしら?)


 生き血など飲んだことがないキサラは味に関して思いを馳せた。

 そして白身魚のソテーを口にし、こっちの方が美味しいと結論付ける。


「本で読んだと言ったけれど……」


 突然、メルリナが話の続きを始めた。


「字が読めるのね? 誰かに教わったのかしら?」


 それは素朴な疑問としての言葉だった。先程よりは嫌味が取れている。

 メルリナは義理の娘となるキサラにどう接すれば良いのか戸惑っているだけの様だった。


「はい。村にはたまに神父様がいらっしゃるんです。あたしの境遇を知って哀れに思って下さって、本を読める様にと教えて下さいました」

 とは言え、自力で読めるようになったら本だけミラに預け本人は訪れなくなったが。


(当然よね。むしろあたしが字を覚えるまでの間、よく懲りずに来てくれたものだわ)


 自分に会いに来た日には、必ず帰り道でぬかるみに足を取られて転ぶし、酷いときには馬にかじられたとか。

 まあ、そのときは服を噛み裂かれた位で済んだらしいが。

 そんな思いまでして会いに来てくれた神父様には本当に感謝していた。

 家の中で自分の服の繕いものばかりしていたキサラ。

 時間が余りまくって退屈だった。

 その時間を読書に当てると良いと言ってくれた。

 本は心の栄養だからと。

 そのおかげでキサラは沢山の知識を得た。

 貴族のマナー本や彫刻の彫《ほ》り方など、役に立つとは思えないものもあったが……。


(まさか役に立つ日が来るとは思わなかったなぁ)


 人生何が起こるか分からないものだ。


「境遇って、貴女村ではどんな暮らしをしていたの?」


 その言葉に、キサラは平然と今までの不運人生を語った。

 自分ではもう諦めにも近い感情なのでどうとも思わなかったが、メルリナはどんどん表情を曇らせて行く。

 終いには目が潤んで来ていた。


「そんな思いをしていたのね……。ごめんなさい、ジュークの所為で……」


「え?」


(ジューク様の所為?)


 自分の不運はどうしようも無いもの。そう思っていた。

 誰かの所為などと思った事もない。

 なのにメルリナはジュークの所為だと言う。

 まさか、そんなはずはない。

 運が悪い事が誰かの所為になる事などないはずだ。

 キョトンと、驚いた顔をしたキサラにメルリナは優しく、申し訳なさそうな笑みを浮かべている。


「ちゃんと話さなくてはね。この家の事。そしてジュークのことも」


 意味深な言葉に、キサラはドキリとした。

 今の話の流れでは、自分の不運とジュークに何か関係がありそうだった。

 そしてそれは、ジュークが吸血鬼であることとも関係がある様な、そんな言い方。

 今後の為にもしっかり聞いておかなくては。

 そう思った瞬間。


バシャッ


「あ、も、申し訳ありません!」


 メイドの謝罪の声。

 そして頭から滴り落ちる赤い液体。

 アルコールの匂い。

 どうやらワインの追加を運んで来たメイドが、手を滑らせてキサラの頭にぶちまけてしまったらしい。

 昼寝で乱れた髪をセラが直してくれたが、これでまた乱れてしまった。


 それにしても。


(肝心なときにこうなんだから)


 キサラはいつもの様に自分の不運を呪い小さくため息をついた。

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