吸血鬼伯爵
出迎えたのは、ダンテと名乗った執事ひとり。
優しそうな微笑みの老紳士だ。
「長旅お疲れ様でした。まずはお部屋にご案内致しましょう」
言われるままについて行き、キサラは豪華過ぎる内装に眩暈を覚えた。
大きなドアの向こうには、真っ赤な絨毯にいくらするのかも想像出来ないシャンデリア。
案内された部屋も、あり得ないほどの装飾がなされていて場違いにも程があるというものだ。
だから思わず聞いてしまっていた。
「あの、どうして私みたいなただの村娘が花嫁に選ばれたんでしょうか?」
「……」
優しい微笑みのまま沈黙され、首をもたげていた不安が勢いよく起き上がる。
(や、やっぱり私、吸血鬼伯爵のエサにされるために花嫁に選ばれたんじゃないの!?)
不安的中!
そう思ったがダンテは気まずそうに口を開いた。
「その、何と言いますか……。伯爵がご自分で選ばれたので、私からは何とも……」
初めて聞いた理由に、キサラは少なからず驚いた。
(そうだったんだ。でもいつ選んだんだろう? 会った覚えは無いけれど……)
「それにしても、普通の村娘だと聞いていたので不安でしたが、お会いして少し安心致しました」
「?」
「教養などはこれから覚えて頂けれは良いですが、容姿ばかりはどうにも出来ませんから。思っていたよりずっと愛らしい方で安心致しました」
「……」
怒ればいいのか、喜べばいいのか。
いや、これは怒るところだろう。
温和な顔をして結構酷いことを言う。
でも、実際に怒るまでにはいたらなかった。
“愛らしい方”というところに引っかかりを覚えたからだ。
ミラは素は良いんだからと良く言っていたが、キサラには判断が出来なかった。
自分でもそれほど悪い顔ではないと思うが、どの程度の良い部類に入るのかサッパリ分からない。
村でモテモテだった。
とかであれば判断しやすかったのだろうが、村の皆はキサラの不運のとばっちりを食うのを避けるためにほとんど近付いてはこなかった。
判断基準が分からない。
だが、ミラだけでなくこのダンテにも言われるくらいなのだからそこそこいい線をいっているのだろう。
ダンテの言葉では無いが、伯爵の嫁として少しは相応しいと言えるかもしれないと思い、ホッとした。
(……いいえ、それはそれで困る事が)
ホッとしたのも束の間。
忘れていた。
そのマクスウェル伯爵は吸血鬼の噂があるではないか。
「あの、もう一つ聞いても良いですか?」
質問ついでに、もう一つの疑問も解消しようと考えた。
「はい、何でございましょう?」
「マクスウェル伯爵が吸血鬼、なんて噂はただの噂ですよね?」
もはやそうであって欲しいという希望。
『当然です』という言葉を期待した。
なのに……。
「…………」
またもや優しい微笑みのまま沈黙された。
そして彼はその状態のままキサラから離れて行き、ついにはドアから出て行ってしまう。
「……」
(一言も答えないで立ち去られちゃった……)
まさかとは思っていた。
この手の噂はただの噂にすぎない事が多い。でも、自分の不運は筋金入り。噂が本当だという可能性も十分にあった。
そして今のダンテの反応。
(これ、やっぱり噂は本当ってことよね……)
泣きたい気分になりながら項垂れた。
そしてフラフラと目についた化粧台に座り鏡を見る。
村人が持つような簡素な物ではなく、綺麗に磨かれた鏡。
キサラは初めて自分の姿をハッキリと見た。
輪郭はニワトリの卵を逆さにした感じ。
その真ん中には高くはないが低過ぎもしない鼻。
今は紅をひいているため唇は程よい赤色。
二重まぶたの目は大きめで、グリーンの瞳も大きく見える。
ミラが結い上げてくれた灰色の髪は、いつもなら腰の辺りまである長い髪。
そして、透き通る様な白い肌。
一通り見て、キサラは顔を顰めた。
「やだ。白い肌なんて、まさしく吸血鬼に好まれそうじゃない」
村娘なら、本来畑仕事などしているので日に焼けているものだ。実際キサラ以外の村娘達は小麦色の肌をしていた。
だが、キサラの場合は家の中で針仕事などをしていたので日に焼けるようなことはなかったのだ。
初めはキサラも自分の畑を持ち、作物を育てていた。
だが、自分の不運は植物にも影響を及ぼすのか、作物は植えた側から枯れていく。
それだけならまだしも、隣近所の畑まで枯れて行くのだ。
結局村人に作物はお裾分けするから、家に籠もっていてくれと頼み込まれてしまった。
そうして針仕事中心となったが、それはそれで指に針は刺すわ繕った服は血塗れになるわであまり役に立てない。
だから繕うのは自分の服だけ。
自分は村の皆の役に立つ事が全く出来なかった。
だから悪態をつかれるのは当然の事だし、村を追い出されないだけかなりいい待遇だったと今でも思っている。
それに、やっぱり申し訳ないとずっと思っていた。
だからこういう形で村を出れたことは本当に良かったと思う。
逃げられる自信が無いというのを差し引いても、本気で逃げようと思わなかったのはそのせいかも知れない。
とは言え、結婚相手が吸血鬼だと分かった以上大人しく血を吸われる訳にはいかない。
逃げるのが無理ならば、せめて殺されない方法は無いか。
うーん、と唸りながら考えていると、長旅の疲れか睡魔が襲って来た。
視線を巡らせると、気持ち良さそうなフカフカのベッド。
キサラは迷わずそこに移動し、着替えもせず布団の中に潜り込んだ。
逃げるならば早く対策を練っていた方がいいのだが、欲に弱いキサラは自分の睡眠欲を優先した。
キサラ=レイニス。
彼女は案外図太い性格をしていた。
止める者などいないため、キサラは本当にそのまま眠ってしまう。
安らかな寝息を立て、気持ちよさそうに……。
*****
来た。
あの娘が来た。
それを感じ、男は目を覚ます。
どんなに離れていてもあの娘の存在を感じ取ってしまう事にウンザリしながら彼は寝台から下りる。
どちらにしろそろそろ起きなければならない時間だったので、着替えて部屋を出た。
そのまま執務室へと向かおうとしたが、途中あの娘の部屋の前を通る。
(いる……)
それが分かると、無意識にドアを開けてしまっていた。
ノックもせずに入って来た男に何かしらの文句が返って来るものだと思った。
だが、部屋の中はシンとしている。
気配を辿ると寝台が目に入った。
そっと近付くと、静かな寝息が聞こえる。
「……」
今までと全く違う場所に来たはずなのに、ベッドの上で安らかに眠っているとは……。
この娘はかなり図太い性格をしているらしい。
珍しい灰色の髪。
そして今は目蓋で閉じられているが、男の記憶が確かならば瞳の色はグリーンだ。
新緑の様な、澄んだ緑。
何故、この娘はここにいるのだろう。
確かに選んだのは自分で、呼び寄せたのも自分だ。
だが、それは一族の者たちに急かされたからだ。
自分の意志などほとんど無い。
ずっと、遠くにいれば良かったのだ。
遠くにいた今までも癇に障る存在だったが、こうして近くで見ると更にイラついてしまう。
(いっそ、殺してしまえればいいのに……)
娘の白い首に手を掛ける。
温かく、脈打つ血管。
そこに牙を立て、流れ出る雫を飲めば自分は楽になれる。
分かっている。
だがそれはこの娘を花嫁と認める事にもなってしまう。
(誰が認めるものか)
どこか遠くに居るだけで良かった。自分とは何の関係も無いところに。
いっそ、今からでもそうしてはくれないだろうか。
自分の言葉では一族の者たちは納得しない。だが、この娘本人が花嫁になるのは嫌だと言ったのなら? そうすれば、この娘は自ら城を出て行くかも知れない。
わずか十六の小娘だ。
少し脅せば怯えて帰りたいと喚き出すだろう。
そう予測した男はキサラの首に掛けていた手に力を込めた。
殺すわけにはいかないから少し手加減をと思うが、無意識に力が強くなってしまう。
自分は人ならぬ身でもあるため、手加減をしないとすぐに殺してしまうというのに。
かなり苦しかったのだろう。
キサラは眉間にこれでもかというほどシワを寄せ、すぐに目蓋を開き新緑の瞳で男を見た。