第22話 逃げ出した25年前
閻魔王。それは冥界の王であり、死者を裁く十人の裁判官の長である。インドで生まれ中国に渡り、日本に定住した。一般的な閻魔王のイメージである赤い肌、蓄えられたひげ、大きな体は彼のものである。
その閻魔王は二十五年前、あの世のグローバル化に伴い設立された世界霊魂管理機関、通称WSAに引き抜かれた。後釜には補佐官である息子を指名し、閻魔の名を託した。
それが現在の閻魔王であり、今蓮たちの目の前にいる人物である。
閻魔は蓮の問いに、憂うように目を伏せる。先ほどまでのへらへらとした笑顔は鳴りを潜め、部屋の空気も張り詰めたものへと変わっていた。
「……僕の力を継いだのが、絶対に蓮きゅ……蓮くんだけとは言い切れない。僕が一緒に過ごしたのは彼女一人だけど、彼女が産んだ子が一人だったかは、確認できてないから」
「俺が生まれた病院に確認が必要か……。他に少しでも接触した人間はいるか? 触った拍子に力を与えてる可能性も考えたい」
「えっと……」
閻魔は両手の指を広げ、記憶を辿るように視線を上に向ける。
「お財布を落としたおばあちゃんでしょ。それから写真撮影を頼まれたカップルと、試食を配ってたお菓子屋さんのお姉さん。あと道を聞いてきたおじいさんと、迷子の子供と、その子のお父さんとお母さん。それと雑貨屋の店員さんと、ホテルの受付の……」
「多っ!!」
折りたたまれる指の数に、沙斗琉が耐えきれずツッコミを入れる。閻魔は指を折るのをやめ、得意げな顔を蓮に向けた。
「でも、意図的に力を与えたりはしてないよ。後で怒られるのが怖かったからね!」
閻魔は腰に手を当て、自慢げに腰を反らす。先ほどまでの張り詰めた空気は、どこかへ消えてしまっていた。
蓮は顔を覆い、深くため息をつく。
「あんたに情報を求めた俺が馬鹿だった……」
「えぇー!!? なんでなんで? 僕、蓮きゅんの質問に答えられてない??」
「多分、そういうことではないと……。というか、閻魔様って霊感のない人にも見えるんですか?」
「見せようと思えばね~」
閻魔が照れるように頭を掻く。「へぇ」と相槌をうつ沙斗琉の横で、蓮はうなだれた。
「閻魔に接触した人物を洗えば、見つかると思ったんだけどな……」
「たしかに蓮きゅんのいう通り、魂を縛る力を与えられるのは僕くらいだと思うんだよね。全然心当たりないけど」
「あの、知識不足で恐縮なんですが」
沙斗琉が閻魔に向かい、軽く片手を挙げる。
「閻魔様は二十五年前、現世に降りて蓮のお母様と出会ったんですよね? どうして現世に行かれたんですか?」
「それはね……」
閻魔は顔の前で指を組み、神妙な顔をする。得体のしれない何かが起こりそうな空気に、沙斗琉は生唾を飲み込んだ。
「……閻魔王になりたくなかったから」
「……え?」
沙斗琉が素っ頓狂な声で聞き返す。閻魔は立ち上がり、壮大な悲劇が起きたかのように泣きだした。
「父上の跡を継ぎたくなかったんだよぉぉぉ!!! 僕なんて、父上が親知らずから作った木偶の坊だよ!? 父上の力を受け継いだとはいえ、使いこなすこともできてないし、補佐官って言ってもただ罪状を読み上げてきただけだし! 裁判官の長とか霊魂管理局局長とか、勤まるわけないじゃん!? 現に今、裁判が終わらなくて定時に上がれないし!!」
「は、はぁ……」
沙斗琉は無意識に重心を後ろに動かす。閻魔の身に起きたことよりも、大の大人が大声で嘆いていることに引いていた。
閻魔は大きなため息をつき、垂直にすとんと腰を下ろした。
「もう本当に嫌で、地獄に落ちた方がマシじゃないかと……いや、地獄の方が辛いのはわかってるんだけど。でもどうしても逃げ出したくて……。規則を破ったら、父上も考えを変えると思ったんだ。実際には、浄玻璃の鏡を映す能力が僕にしかないから、僕が閻魔王になるしかなかったんだけど」
浄玻璃の鏡は、死者が生前に犯した罪を映す鏡だ。閻魔王が裁判に用いる道具の一つで、誰にでも扱えるものではない。
閻魔はうなだれて言葉を続ける。
「いつも鏡の向こうに映ってた世界は、思ったよりあったかくて、いいところだった。あわよくばこのまま此岸で生きようと思って、勉強のつもりでたくさんの人とお話したんだ。でも夜になって人が減って、一人でいるのは寂しいなと思ったの。そのとき出会ったのがまーちゃんだった」
「まーちゃん?」
「俺の母親」
沙斗琉の問いに、蓮が簡潔に答える。蓮は閻魔の話から興味を失っているようで、スマートフォンのメモ帳に考えをまとめていた。
閻魔は頬を紅く染めて、うっとりと微笑む。
「まーちゃんは一目惚れでね。ベンチに座って海を眺める横顔が本当に綺麗だったんだ。いきなり話しかけても嫌な顔しないし、笑顔も見せてくれて。帰る場所がないって言ったら、まーちゃんに誘われて、そのままホテルに……」
「入っちゃったんですね」
「うん。そのときは、本気でこのまままーちゃんと暮らそうと思った。でも夜中のうちに回収課の子に見つかって、まーちゃんにあいさつできないまま連れ戻されちゃった……」
「馬鹿だろ」
閻魔の話を一蹴し、蓮はスマートフォンを閉じる。蓮はすくっと立ち上がり、出入口の方へと歩き出した。
「閻魔、浄玻璃の鏡貸せ。罪を映すなら、あの日のお前の行動も映るだろ」
「あ、たしかに!! 蓮きゅん賢いね!」
閻魔は勢いよく立ち上がり、蓮の後に続く。その勢いのまま飛びつこうとした閻魔を、蓮はひらりと躱した。
「なんで避けちゃうの蓮きゅ~ん」
「普通避けるだろ」
わちゃわちゃとする二人の様子を眺めながら、沙斗琉は微笑んでソファから立ち上がる。蓮は終始眉間にしわを寄せていたが、実はいつもよりテンションが高いことに、沙斗琉はしっかりと気付いていた。




