『七夕の約束』
ご覧いただきありがとうございます。前回、蓮斗がやっとの思いで目を覚ましました。だが、記憶喪失という悲しい現実。これからどうなっていくのか—。5Episode『七夕の約束』どうぞお楽しみください。
もしも例えるなら、あなたは太陽で、「私」は月。あなたがいないと、私は輝けない。あなたがいないと「私」の周りは真っ暗で、寒くて、きっと前に進めない。いつもあなたが、私の道標だった。だから、ずっとずっと、傍にいてほしい。忘れないでほしい。もう一度、〝仲の良かった頃〟だけが戻りますように。
10月10日(日)
『消えるもの』
私は、昨日と同じ凍てついた空気の中にいた。病院というものは、いつ行っても体温を感じられない。白いコンクリートの壁は、触るとひんやりとした。
「佐々木星桜さん」
私は、名前を呼ばれると同時に勢いよく立ち上がり、受付へと急ぐ。
「面会の確認がとれました」
そう言って、〝面会者〟と書かれた名札を差し出された。
「ありがとうございます」
「202号室は3階になりますので、お間違えないよう。面会時間は、診察までの30分間となります」
てきぱきとした説明も、半分以上頭に入ってこない。ここに来るまでも、ずっと蓮斗の事ばかり考えてしまっている。会ったらどんな話をしよう。どうやって笑おう。どんな声で話そう。いつもどうり話せばいいのに、そんな事ばかり沢山考えてしまう。
「大丈夫ですか?何か、わからないことでも?」
ぼーとしていた私に、受付人が戸惑っている。私も焦って返事を返す。
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
そう言って、早足にその場を後にした。
受付から少し歩いた廊下の先にある、エレベーターへと真っ直ぐに進む。3階のボタンを押すと、すぐに扉が開いた。エレベーターに乗って、一分もしないくらいで3階に着いた。昨日も来たというのに、この緊張感は中々とれない。蓮斗のいる病室までは、本当にすぐ着いてしまった。ドアに手をかけると同時に、部屋を間違えていないか不安になり、もう一度番号を確認する。
202号室。
「ふぅー」
小さく吐いた息は、少し震えている。その息を掻き消すかのように、強くノックして、ドアを思いっきり横にスライドさせた。
ガラガラとスライド音が鳴り響く。
ベットの上に座っていた蓮斗が、一瞬驚いたように肩を動かした後、すぐにこちらを向いた。
「…こんにちは」
眉を下げた蓮斗は、今にも消えそうな弱々しい声で挨拶をしてくる。
「こんにちは。蓮斗」
私はそのまま部屋に入り、ベットの近くに置かれた一人用の小さな丸椅子に腰掛ける。
大丈夫。大丈夫。そう、心の中で何度も自分に言い聞かせながら、口を開いた。
「昨日は驚かせてごめんなさい。私は、佐々木星桜って言います。家が隣で、小中高と同じ学校に通っています」
私の自己紹介と、蓮斗との関係を軽く話す。私が話し終えると、蓮斗はゆっくりと口を開いた。
「…ごめんなさい。やっぱ思い出せない」
その言葉に、「私」の心がズキリと音をたてた。そんなのわかってて、ここに来たのに。辛いだなんて。昨日、我慢するって決めたでしょ。
「いいよ。全然、気にしないで」
必死に笑顔を張り付けて、平気なふりをする。
「これから、少しずつ思い出してくれればいいから」
そう。少しずつでいいから。少しずつで…。……本当は、今すぐにでも思い出してほしい。忘れたなんて冗談であってほしい。でも、そんな訳ないし、絶対に無理な話だから。我慢するしか方法がない。
「あの、」
俯いていた私の頭の上から、弱々しい声が降ってきた。
「俺、早く星桜、さんのこと思い出したい。なんだか忘れてはいけないような、そんな気がするから」
蓮斗はそう言って、にこりと笑った。その笑顔に、「私」の心がまたズキリと音をたてた。目頭が一気に熱くなる。一瞬にして、蓮斗がぼやけた。蓮斗が私に向けたその笑顔には、昔の幼さはもうなかった。目の前で笑っている蓮斗は、今までの蓮斗ではないと、思い知らされたのだ。大好きだった。何かすると歯を見せて笑う幼い笑顔が、昔から変わらない優しい笑顔が、大好きだった。もう、あの頃の蓮斗はいない。
私は、溢れそうな涙をぐっと堪えて、下手くそな、歪んだ笑顔を張り付ける。そして、なるべく沢山の、温もりいっぱいの声で言った。
「うん!」
10月10日。この日、「私」の瞳から、あなたの幼い笑顔が消えた。
10月11日(月)
『似ている』
昨日とは違った少し温かみのある学校は、なんだか私を安心させる。
「星桜、さん?」
下駄箱に着いたところで、後ろから声をかけられた。いつもなら嬉しい声。だが、慣れない〝さん〟づけ。ぎこちない声。全てが泣きたくなるほどに、心を締め付けられる。
「…蓮斗。おはよう」
私が挨拶をすると、蓮斗はぺこりと頭を下げた。いつもなら返ってくる「おはよう」の言葉が今日はない。それにまた、泣きそうになる。
「俺、何組かわからなくて」
「あ、えっと、蓮斗は二組だよ」
「ありがとうございます。」
そう言って蓮斗は、靴を脱ぐと一人で階段を駆け上がって行ってしまった。少しだけ、ほんの少しだけ、「一緒に行こ?」なんて誘ってくれることを期待していた自分がいる。
蓮斗。普通に学校に来て、困らないかな?皆の事、忘れちゃってるんだよね?
そんな心配をしながら、私も蓮斗の後を追って階段を登る。階段を一階上がると、すぐに長い廊下に出る。自分のクラスに入る前に、二組を覗いてみた。
「え、」
一番後ろの、一番窓側の席。
そこには、いつも通り友達と戯れ合っている蓮斗がいた。その笑顔には、しっかりと幼さが残っていた。そこには、確かに、記憶がなくなる前の蓮斗がいたのだ。私は咄嗟に俯き、教室へと足を進める。
嘘だ。もしかして、忘れてしまったのは、私のことだけなの?友達や、クラスメイトのことは覚えているの?
席に着くと、荷物を横にかけて椅子を引く。椅子にゆっくりと腰を下ろした。太陽が当たっていたこの席は、なんだか少し暖かい。私は、そのまま机に腕を組み顔を沈める。
目を瞑ると、先程の光景を思い出す。懐かしく感じてしまう、蓮斗の幼い笑顔。戯れ合い、楽しそうに話す蓮斗。嘘、でしょ…。本当に、私のことだけを忘れてしまったのかな?
そう、考えるだけで涙が溢れそうになった。目をぐっと閉じ涙が溢れないよう堪える。と、同時に後ろの方から笑い声が聞こえた。聞き慣れた、少し怖い笑い声が。
「ウケる。まだ無視されてんの?」
そんな声が微かに聞こえる。私は、恐る恐る顔を上げて後ろを振り向く。
そこには、綺月と仲のいい三島 唯那と数人の女子が集っていた。私の方を見てクスクスと笑っては、何かを話す。明らかに悪口を言われてるのは、目に見えてわかった。だが、そこに綺月や凛音の姿はない。
ガラガラ
ドアの開ける音が、教室内に響き渡った。
「おーい、本鈴なってるぞ!」
そう言って、蓑束先生が入ってきた。その声に、皆急いで席に座る。
ガラガラ
もう一度、静かになった教室に、ドアの開く音が響き渡った。
「あ!綺月おはよー」
唯那が大きな声で、入ってきた綺月に挨拶をする。
「…おはよ、」
そう、返した綺月の声は、どこか元気がなかった。
「今日は放課後に委員会があるので、忘れないように。その他の生徒はすぐに帰宅してください。以上。」
蓑束先生の話が終わると、佳奈が号令をかける。
「礼!」
「「ありがとうございましたー」」
蓑束先生のホームルームが終わり、チャイムがなった。そのチャイムと共に、皆一斉にバラけ出す。今日、凛音は休みのようだ。
蓮斗のところに行ってみようかな?もしかしたら、周りに事故のことを隠して、記憶があるフリをしているのかも。だとしたら、私が傍にいてあげないと。今まで、蓮斗がしてくれたように。
そう思って、席を立った時だった。
「なにそれ!私達が悪いって言うの!?」
後ろのドアから、怒鳴り声が聞こえた。そこには、怒りで顔が赤くなっている唯那と、まるで、感情がなくなってしまったかのような瞳をした綺月が立っていた。唯那の声が大きく、クラス中に会話が響く。
「綺月は、私達が星桜を苛めてたって言いたい訳?」
急に出た私の名前に、ドキリと心臓が音をたてた。クラスにいる人達の視線が、私に集まった様な気がして、咄嗟に俯いてしまう。そんな私の事なんて気にもとめず、言い合いは続く。
「…いや、」
「じゃあどういう意味よ!」
「…だから、ちょっとやり過ぎって話」
「何が?綺月がやってた事と同じでしょ?」
「同じじゃない。だって、」
そこまで言って、綺月は黙った。その行動に唯那の怒りは、更に膨れ上がる。
「何が同じじゃないって言うの!?それを教えてくれなきゃわかんないよ!」
唯那の息は少し荒くて、感情が高ぶっている。少しの沈黙のあと、綺月がゆっくりと口を開いた。そして、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で言い放った。
「…だって、アンタは星桜の事、嫌いじゃないでしょ?」
その言葉に、唯那は大きい目を更に見開いた。
「なに、それ」
唯那は、明らかに動揺していた。
「いいよ。もう、嘘つかなくて。嫌いでもないのに合わせて、悪口言って」
「私達は、嫌いだから悪口を言ってた。綺月に合わせたわけじゃない!」
「そういうとこだよ、唯那。」
「は?何が」
「ずっと、私達。私達って。アンタは一人じゃ何もできないんでしょ?」
綺月に見透かされた様に言われた唯那は、更に怒りを爆発させる。
「はぁ!?綺月には言われたくない!綺月だって、一人じゃ何もできないクセに!」
「そうだよ。」
落ち着いた、少し低い声が真っ直ぐに唯那を捉えた。真剣な眼差しで、唯那を見つめる綺月は、何かを決心しているようにも見えた。
「私は、一人じゃ何もできない弱い奴だよ。でも、ちゃんと自分の意思、気持ちで動いてる。アンタみたいに周りに合わせて動いたりは絶対しない」
綺月の落ち着いた声が、クラス中をシンと静まり返した。その直後。
パン!!
何かが強く叩かれるような、弾く音が静かな教室内に響いた。
私は、俯いていた顔を上げる。騒がしかったはずの後ろのドア。そこには、右頬を赤く染めた綺月が立っていた。そして、綺月の前に唖然と立ち尽くす唯那の手の平は、何かを強く叩いた後のように、赤くなっている。
「綺月に何がわかるっていうの!?私の何がわかるの!?」
そう怒鳴った唯那の瞳には、涙が溜まっていた。
「…何も、わからないよ」
綺月は、さっきよりもずっと小さな声で、ポツリと呟く。
「何もわからないクセに、私が自分の意思で動いてないとか、私が一人じゃ何もできないとか決めつけんな!!綺月に私の気持ちがわかるの!?」
「……わからないよ!!」
綺月は、唯那の声を上回るぐらいの大きい声で、そう叫んだ。ふと、綺月の手元を見ると、我慢するかのようにぐっと拳を握り締めていた。
「わかるわけないじゃん。何も言ってくれないのに、私がわかるわけないでしょ!?どうして唯那は、自分の気持ちを言ってくれないの?嫌なら嫌って、好きなら好きって言えばいいじゃん!私も、言ってくれなきゃわからない」
綺月のその言葉に、溜まっていた唯那の涙が一筋、また一筋と溢れ出した。
「…言えないよ。」
そう、涙を抑えながら言った唯那の声は、酷く震えている。
「…言えるわけない。」
「どうして?」
「だって、だって」
唯那の瞳から流れる涙が、教室の床にいくつものシミをつくる。唯那は、先程までの怒鳴り声が嘘かのように、小さく震えた声になっていた。
「…言ったら、離れてくじゃん」
その一言に私は、今までの違和感に納得した。私は、ずっと唯那と、どこか似ている気がしていた。学校で綺月や凛音と共に過ごす唯那を見ていて、親近感を抱いていたのだ。私は、意図的に唯那を見つめる。桃色に染まった綺麗な長い髪。人工的な色のついた頬と唇。パッチリとした大きな目。そんな唯那に対して私は、肩より少し長いレイヤーのかかった黒髪。日焼け止めだけが塗られた頬。メンソールのリップが塗られた唇。そこまで大きくない二重の目。見た目は全く似ていないというのに、私は唯那とどこか似ていると感じていた。どうしてそう感じるのか、その違和感に今、気がついた。私と唯那は、〝自分〟を隠していると。
佐々木星桜。彼女は、学校にいるとき〝もう一人の佐々木星桜〟を演じていた。それは、三島唯那。彼女も同じく、学校内では〝もう一人の三島唯那〟を演じていた。彼女達は気づくと、辛い気持ちを隠し、我慢をして、表には素直な気持ちを出さなくなっていた。星桜は、それに気がついていた。唯那が〝もう一人の三島唯那〟を演じていることに。それで星桜は、自分とどこか似ていると感じていたのだった。
「離れてかないよ。どうしてそう思うの?」
綺月の問いかけるような優しい声が、私を現実に引き戻させた。
「…一度、経験したから」
唯那は、涙を乱暴に拭って綺月を見つめる。拭っても、拭っても唯那の瞳から涙が止まることはない。
「自分の気持ちを言った。そしたら、あぁ、こいつは駄目だ。こいつはノリが悪い。そう言って皆離れていく。それが、とても辛かった。だから隠した。それの何がいけないの?」
「隠すのがダメなんて言ってない。ただ、言ってくれなきゃこっちだってわからないの。だから、唯那は私達に気を使ってる。唯那は、本当は星桜と繋がってて、私達が言ってる陰口を全部、星桜に言ってるんじゃないかって不安になる。唯那はさ、そうやって自分を守るために、自分の気持ちを隠して、それで相手がどう思ってるか考えたことはある?相手がどれだけ不安で、どれだけ唯那に信用がないかわかる?」
綺月は、唯那に対して言っているはずなのに、なぜだか私が綺月に問いかけられているように感じた。
「…そんなの」
「唯那はさ、自分だけが不公平で、可哀想で、辛いって思ってない?」
綺月の言葉に、唯那の涙が止まった。そして、じっと綺月を見つめている。
「それは違うよ。唯那だけじゃない。皆辛くて、皆平等なんだよ。唯那だけじゃないんだよ。唯那は、星桜を見ていて何も思わなかったの?凛音を見ていて、本当に自分だけが報われてないと思ったの?」
「…私は、…」
唯那はそう言いかけながら、その場に倒れ込むようにして、座った。
「私は…」
何度も、何度もそう繰り返しながら座った唯那の瞳に涙が溜まる。そして静かに、ポタポタと涙が滴り落ちた。滴り落ちる唯那の涙が、太陽に照らされキラキラと光り輝いている。私は、それが何故か、とても綺麗だと思った。
『暖かい空気』
あれから数分後、先生が教室に入ってきて、廊下にたまっていた野次馬達が退散していく。綺月は先生に声をかけられるも、完全に無視をして席に座る。唯那はしばらく、その場から立ち上がれなくなっていたが、生徒指導の先生に何かを言われ、そのまま連れて行かれるかのようにして、教室を出ていった。
「皆、授業始めるから席に座りなさい!」
数学科の佐藤隆先生の言葉で、皆が席に座り始める。
「佐々木?どうした?」
皆が座っていく中、一人だけ立っていた私に、先生が首を傾げて聞いてくる。
「あ、いえ、」
ぎこちない返事を返しながら、私も席に座った。それから数学の授業が始まったが、全くと言っていいほど授業に集中できない。先程の綺月と唯那の言い合い。私の苛めを中心としたものだった。だからこそ、気になって仕方がない。綺月の言葉が何度も頭をよぎる。〝「…だって、アンタは星桜の事、嫌いじゃないでしょ?」〟〝「皆辛くて、皆平等なんだよ。唯那だけじゃないんだよ。」〟その2つの言葉が頭から離れない。唯那は、本当に私のことを嫌いだと思ってなかったの?全部、合わせていただけなの?憶測でしかないけれど、実際は本当に嫌いだったのかもしれないけれど。でも、このクラスに私の事を好きでいてくれた人がいるかもしれない。苛めに加担したくなかった人がいたのかもしれない。そう考えるだけで、少しずつクラスが明るくなってゆく。そして、もう一つの言葉。綺月は唯那に対して言っているはずなのに、何故か私に向かって言っているような気がした。皆辛くて、皆平等。あなただけじゃないよ。そう、問いかけられているような。
「じゃあ、佐々木」
「え、あ、えっと」
急に名前を呼ばれて、あたふたとしてしまう。何を聞かれてたんだろ。考え事で頭がいっぱいで、先生の話なんて全く聞いていなかった。
私が、何を答えればいいのかあたふたしていると、前のドアがガラガラと音をたてて開いた。
「佐藤先生、ちょっとよろしいですか?」
そう言って、生徒指導の早苗先生が顔を覗かせた。
〝鈴木 早苗〟
生徒指導の先生であり、私達の国語科の先生。普段から穏やかな優しい先生で、あまり怒鳴っているところを見たことがない。
「あと、佐野さんと佐々木さんもちょっと来てくれるかな?」
「あ、はい」
そう言って、私は席を立つ。
私と綺月が呼ばれるって事は、きっとさっきの唯那の件だよね。私が早苗先生の所へと行くと、「少しそこで待っててね」と言って隆先生に何かを説明している。私は廊下に出て、早苗先生が説明し終えるのを静かに待つ。少しして、早苗先生が私の元へと近づいてきた。
「少し聞かせてほしい事があって、数学の授業が受けれなくなっちゃうけど、昼休みに佐藤先生が教えてくれるそうだから、安心してね」
ちゃんと授業の事を心配して確認してくれるところが、早苗先生らしい。
「あれ?佐野さんはまだ教室かな?」
そう言って、閉まっている教室のドアを、早苗先生がゆっくりと開けた。
「佐野さん。少しだけ来てくれるかな?」
一番前の、一番廊下側の席。
ドアを開けると、綺月は静かに教科書を見つめて座っていた。
「佐野さん?」
綺月は、早苗先生の呼びかけに、一切反応しようとしない。痺れを切らした隆先生が、少し強い口調で言い放つ。
「佐野!鈴木先生の声が聞こえないのか?少し話を聞くだけだ。行きなさい」
「……」
隆先生の言葉にも、一切反応しない。クラスの人達が皆、こちらを見ていた。無視を続ける綺月に、隆先生の声は少しづつ荒くなっていく。
「佐野!早く行きなさい!皆の授業が止まっているのがわからないのか!?」
「……」
「佐野さん。本当に、少しだけだから」
早苗先生も、隆先生とは違った優しい声で綺月に声をかけるが、
「……」
綺月は、それでもずっと黙り込んでいる。そんなに話を聞かれるのが、嫌なのだろうか。私は、早苗先生とドアの隙間から、綺月を見つめる。膝の上に置かれた綺月の手は、ほんの少しだけ小刻みに震えていた。
「佐野!いい加減しなさい!」
隆先生の怒鳴り声が、ざわざわとしていた教室をシンと静まり返した。
「佐野さん。どうして行きたくないのか、それだけ答えてくれないかしら」
早苗先生が優しく微笑むと、それを見た綺月が震える手を握りしめながら、ゆっくりと口を開いた。
「凛音がいないから。何も、話すことはない」
綺月の声は、堂々としていて小さい声でもはっきりと聞こえた。そして、私は気がついた。私は今まで、この女子グループも、苛めを始めたのも、陰口を始めたのも、全て、綺月が中心だと思い込んでいた。だが、違った。〝「綺月にこの事を相談して、綺月が星桜を無視しようと言い出したときは」〟〝「ごめんね、凛音。何もできなくて…。ごめん、」〟思い返せば、沢山気づく場面があったのに、私は気づかなかった。いや、違うな…気づいてないフリをした。現実を受け止めたくなくて、私は「私」に嘘をついていた。あの子じゃないよ。あの子な訳ない。あんなに仲が良かったんだから。あの子じゃない。そう、言い聞かせていた。始めから、この女子グループも、苛めを始めたのも、陰口を始めたのも全部、凛音が中心だったのだ。綺月は、今までずっと、〝凛音の為〟に動いていた。苛めの原因も凛音の蓮斗への気持ちから始まり、今こうなっているのも、綺月が行きたくない、答えたくないと言っているのも全部、凛音の為だからだ。
そう考えるだけで、空気が重く張り詰めている様な気がしてくる。その空気を感じ取っているのは、私だけではなかった。クラスの大半の人が、その空気感を感じ取っていた。
そんな空気感なんて気にもとめず、早苗先生は綺月の言葉に頷くと、優しく暖かく言った。
「ありがとう。」
その言葉に、教室の空気がガラリと変わったのがわかった。先程までの張り詰めた空気が嘘のように、暖かく落ち着いた空気になっている。
「じゃあ、佐々木さん。行きましょうか」
「あ、はい。」
私はぎこちない返事をして、早苗先生の後を駆け足で追った。
早苗先生の後を追った一瞬、ほんの一瞬だけ見えた、綺月の横顔。はっきりとした綺麗な横顔を、美しい一筋の涙が伝っていた様な気がした。
『七夕祭り』
早苗先生は、三階に上がり一つの空き教室に入った。それはいつの日か、凛音と話をした場所だ。
「好きな所に座って、待っていてね」
そう言って、早苗先生が教室を出ていった。私は、その姿が見えなくなるのを確かめてから、一番前の真ん中の席に座る。ギーと椅子を引く音が、静かな教室に響き渡った。椅子にゆっくりと腰掛けて、深いため息をついた。
ふと、ドアの近くに貼られたカレンダーに視線が移る。カレンダーの一番上。10月と大きく書かれた数字の下に、綺麗で鮮やかな花火の写真がコピーされている。その花火の写真から、私は目が離せなくなった。
「…蓮斗」
気がつくと、そう言葉を零していた。
私は、その花火の写真で、忘れていた大切な事を思い出した。今年の7月7日。私は、蓮斗と七夕祭りに来ていた。
「蓮斗!早く!」
「ちょ、走んなって」
久しぶりの七夕祭りにはしゃぐ私を、蓮斗は優しい目で見守ってくれる。
「蓮斗。短冊にお願い事書こうよ!」
私はそう提案しながら、大きな笹が置かれた所へと進んだ。大きな笹には、沢山の短冊が飾りのように吊る下げてある。私は、笹の下の机に置かれたピンク色の短冊を手に取った。
「何をお願いしよっかなぁー」
蓮斗は、私の隣に並ぶとニヤリと意地悪な笑顔を向ける。
「頭がよくなりますように。とかは?」
「はぁ!?じゃあ、蓮斗は身長が伸びますようにって願ったら?」
そう言い返しながら、蓮斗にボールペンを突き出した。
「ごめん、ごめん。冗談だよ」
謝りながら笑っている蓮斗に、私は頬を膨らませて不貞腐れる。
「ごめんって」
そう言って、蓮斗が私の頬をつついた。そんな蓮斗に構わず、私は短冊を見つめる。
「お願い事どうしよ」
「そんな悩むなら、書かなくてよくない?」
「いやいや、書きたいことがありすぎて悩んでるの」
「じゃあ、何枚も書けば?」
「短冊ってそういうもんじゃないでしょ」
思わず、吹き出してしまった。だって、何枚も書けばいいなんて、そんなの聞いたことなかったから。
「まぁ、ゆっくり悩めよ。俺、ちょっとトイレ行ってくるわ」
「うん!」
そう言って蓮斗は、トイレへと駆けていった。
うーん。悩む。何をお願いしようかな。成績が良くなりますように?友達が沢山できますように?ディズニーに行けますように?彼氏ができますように?蓮斗には、書きたいことがありすぎて書けない。なんて言ったけど、実際のところ、これと言った願い事がなくて悩んでいるのだ。悩んだ挙句、吊る下げてある他の人の短冊を見てみることにした。
〝好きな人と付き合えますように〟
〝高校受かりますように!〟
〝夏の大会で優勝できますように!〟
〝スーパーヒーローに会えますように〟
他の人の願い事を眺めていると、なんだか微笑ましい気持ちになってくる。
ふと私は、一つの願い事に目が留まった。
〝もっと自分らしくいれますように M.Y〟
その短冊に私は、何故かとても惹かれて、少しの間その場から動けなくなっていた。それと同時に、私は願い事を決めた。
「星桜。願い事決まったのか?」
そう言って、蓮斗がトイレから戻ってきた。
「うん!もう書き終わったよ」
「どれ?」
「内緒ー」
「何でだよ。」
蓮斗は、一生懸命に私の短冊を探す。
「は?ないじゃん」
「あるよ!」
そう言うと蓮斗は、また私の短冊を探し出す。と、蓮斗が、私が短冊を吊り下げた辺りを探し始めた。まずい。バレちゃう。
「ねぇ、蓮斗は願い事書かないの?」
「あぁ、」
「なんで?」
「…何ていうかさ、俺あんまりそういうのに興味ないっていうか、どうせ叶わないなら書く必要ないかなーって」
「えー嘘。あんなに初詣で、お願い事してたのに?」
「神社は別だよ」
蓮斗の言葉に、私が首を傾げると、蓮斗はしっかりと理由を説明してくれた。
「神社とかはさ、ちゃんと中に神様がいて、神様にお願いしてるわけだろ?でもさ、七夕って誰にお願いしてるのかわからねぇじゃん?それに、七夕って元々、彦星と織姫がどうのこうので出来たものだろ?それなのに願い事して、誰に願って誰が叶えてくれるのかよくわかんねぇーじゃん。それだと、あんまし願い事とか湧かねぇんだよな」
蓮斗の謎理論に、私は更に首を傾げる。
「え、願い事叶わないの?」
「いや、わからん」
蓮斗とこれ以上話をしても、何を言ってるのかわかりそうにない。
「まぁいいや!蓮斗。早く行こ!花火始まっちゃう」
「いや、星桜が書きたいって止まったんじゃん」
「もう書き終わったもん!早く早く」
そう言って私が駆け出そうとすると、蓮斗は優しく私の手を掴んだ。
「だから、走んなって。誰かにぶつかったらどうすんだよ」
蓮斗に、何回目かわからない叱りを受ける。
「だってさ、早く行かないと絶景スポット取られちゃう」
「絶景スポット?」
「うん!前に来たときにね、いい場所を見つけたの」
私が笑顔でそう伝えると、蓮斗は幼さが残った可愛らしい笑顔を、私に向けた。
「そうだったんだ。じゃあ、走らずに急ごうぜ!」
「うん!」
蓮斗は、掴んでいた私の手をゆっくりと離す。私の手から蓮斗の温もりがなくなった途端、なんだか急に手が冷たくなったような気がして、少しだけ悲しくなる。
「どうした?」
歩き出さない私を、蓮斗が心配して声をかけた。
「何でもない!」
そう言って、笑顔で蓮斗に駆け寄った。私はもう既に、この時には蓮斗の事が好きだったのかもしれない。なんて、私は今更気付いた。
「こっちだよ」
そう言いながら、蓮斗に道案内をする。七夕祭りの騒がしさと明かりが、少しずつ遠ざかっていく。私達は、森の中の細道を、2人並んで歩いた。
「本当に絶景スポットなんかあんのかよ」
「あるよ!私が見つけた、私だけの絶景スポットが」
そう勝ち誇ると、蓮斗はやれやれと言わんばかりの呆れ顔を見せる。
「あと少し!」
急な坂道を、ゆっくり歩きながら登る。こんなにしんどい道だっけ?と不安になっていることは、蓮斗に言わずに進んだ。坂道を登り終えると、森林を抜けた。少し歩いた先に開けた場所があり、その先は崖のようになっていて、しっかりと行き止まり用の柵が立てられている。ここだ。私の絶景スポット!私は、柵まで急いで走った。その後ろを、蓮斗がゆっくりと歩いてくる。
「ここが、絶景スポット?」
「そうだよ!」
「本当かな?ただの危ない崖のような気がするけど」
蓮斗が本当かと、少し意地悪な笑顔を浮かべる。
「本当だし!花火が始まれば…」
ドン!!
その音と共に、私達のいる場所がパッと明るくなった。
「わぁ、」
どこまでも広がる真っ黒な空に、大きく鮮やかな花火が上がった。
ドン!!
また、別の花火が上がる。
ドン!!
また、
ドン!!
終わりの見えない鮮やかな花火が、いつまでも私たちを照らし続ける。
「…綺麗」
いつの間にか隣に来ていた蓮斗が、ポロリと言葉を零した。
「絶景スポットでしょ?」
「あぁ、」
蓮斗は、何度も何度も上がる明るい花火を、キラキラと目を輝かせながら見つめている。花火が上がるたび、私達の足元、顔の輪郭、瞳、全てが見えるほど辺り一面が明るくなった。
「さっきの続きだけどさ、」
そう、蓮斗が話し始めたのは、鮮やかな花火に言葉を失いかけていた所だった。
「俺、短冊に願い事書かない代わりに、花火に向かって願い事を唱えるんだ」
「え、聞いたことないよ?」
「あぁ、俺が考えたやつだからな。でも、俺は毎年、花火に向かって願い事をするんだ」
そんな事を言いながら、ニッと笑う蓮斗にどこか安心して、私は声を出して笑った。
「んだよ。別にいいだろ」
そう言って、不貞腐れてる蓮斗が面白くて、私は更に笑みを零した。
「私も、花火に願い事する!」
「おぉ!短冊と花火、両方にお願いすれば叶うかもな!」
そう言いながら蓮斗は、目を瞑った。蓮斗の目のあたりには、しっかりと両手の指を絡めて、お願いポーズがされている。私も蓮斗に続いて、お願いポーズをして目を閉じた。絡めた指に、ぐっと力が入るのがわかった。私は、さっき短冊に書いたことを思い出すようにして、何度も心の中で唱えた。
〝「私」を好きになれますように〟
今までなんで、この事をお願いしてこなかったのだろう。もっと早くにお願いしていれば、叶ったかもしれないのに。…いや、それは無理か。「私」が私を嫌いな時点でもう、この願いは叶わないことだったのかもしれない。それでもいつかは、「私」自身を好きになりたいと思っている。素直な「私」を。本当の「私」を。好きになりたい。そして誰かに、「私」を必要としてもらいたい。本当の「私」を見てもらいたい。その為に私は、我慢をする。耐えて耐えて、そしてその願いが叶う日まで、私は「私」を隠し続ける。だからどうか、一日でも早くこの願いがかないますように。
ゆっくりと目を開けると、大きな花火が漆黒の空に花咲いていた。私は、その花火を見つめながら、もう一度強く願った。ふと、蓮斗に目をやると、柔らかな笑みを浮かべながら、目を瞑っていた。その横顔が、花火によって明るく照らされる。照らされるたびに、少し上がった口角がはっきりと見えた。
「…ありがとう、蓮斗。大好きだよ。」
小さく呟いた私の言葉は、花火の音に掻き消された。
蓮斗がゆっくりと、目を開くのがわかって、私は咄嗟に花火を見つめた。
「よし!ってか星桜。さっき短冊になんて願い事書いたんだよ」
「内緒!そう言う蓮斗は、なんて願い事したの?」
「ん?内緒ー」
そう言って、歯を見せてニッと笑った。蓮斗の幼い笑顔を見ていると、なんだか安心してくる。
「また、来年も見に来ような!」
蓮斗からのその言葉を言ってくれた事が、とても嬉しかった。私は、蓮斗みたいに歯を見せて笑った。
「うん!」
…なんて、事があったな。
私は、座っていた椅子に、更に深く腰掛ける。
もう、あの約束も、果たされることはないのだろうか。蓮斗ともう一度、花火を見上げて、願い事をすることはないのだろうか。そう思うと、自然と涙が込み上げてきた。涙が目に溜まって、見つめていたカレンダーがぼやける。
あの日、蓮斗に向けたあの笑顔が、私の最後の〝本当の笑顔〟だった。あれから、作り笑顔ばかり浮かべて〝本当の笑顔〟なんて、どこかに消えていた。
「…蓮斗」
名前を呼ぶたびに、涙が頬を伝う。
「…蓮斗。蓮斗。蓮斗。」
私は、何度も何度も、蓮斗を呼び続けた。名前を呼ぶと、あの日の鮮やかな花火。あの日の幼い笑顔。あの日の願い事。最後の笑顔。全てが鮮明に思い出せる。あの頃が、あの時間がとても幸せだった。もう、戻らないと知っていても、願ってしまう。もう一度だけ、あの頃に戻りたいと。もう一度だけ、やり直したいと。私は目を閉じて、あの日の短冊を思い浮かべる。あの頃は、あんなにも願い事を考えていたのに、今の私には、願い事があり過ぎてしまう。でも、もし私が今、短冊に願い事を書くとしたら。一つだけ、花火に願うとしたら。私は迷わず、こう願うだろう。
〝二人の笑顔が戻りますように〟
ここまでお読みいただきありがとうございました!蓮斗と共に過ごした思い出の中、星桜は大切な事に気が付きました。この後、星桜はどうなるのか、唯那との関係は—。少しでも「続きが気になる!」「面白かった!」と思ってくださったら、ぜひ下にある【ブックマーク登録】や【評価(☆☆☆☆☆)】を押して応援していただけると、執筆の励みになります!感想もお待ちしております!




