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平行線のランデヴー  作者: 相川 碧
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『届く距離』

ご覧いただきありがとうございます。前回、悲劇の交通事故が起こってしまいました。これから二人はどうなっていくのか、蓮斗は目覚めるのか―。4Episode『届く距離』どうぞお楽しみください。

明日というものは、必ず来るものだと思っていた。当たり前は、変わらないものだと思っていた。それは決して、約束した訳でもなく、ただの思い込みでしかないのに…。


10月9日 (金)

『伝えたい』

私は一人、冷たく凍てついた空気の中にいた。

真っ白の壁に手をつく。その壁は、ひんやりと冷たく、更に私を不安にさせる。

ガラガラ

いきなり、目の前の扉が開いた。

それと同時に、私は勢いよく立ち上がり、出てきた人に縋り付いた。

「あの!蓮斗は!蓮斗は大丈夫なんですか?」

医師は、私の肩に手をおいて、ゆっくりと引き離す。

「落ち着いてください。あなたは、この方とどういったご関係で?」

「…幼馴染です。家が隣で、」

「そうでしたか。碧海様は、一命を取り留め、安静に眠っております」

その言葉を聞いて、私はその場に崩れ落ちるようにして、座り込んだ。

良かった、良かった。無事で、生きてて、良かった。 

冷たいコンクリートの床に、いくつものシミができる。

「大丈夫ですか?」

「…すみません、安心したら涙が…」

医師は、そんな私とは反対に、冷たく落ち着いた声で言う。

「碧海様は、目を覚ますまでこのまま入院になります。また、明日お越してください。碧海様の保護者様もいらっしゃいますので、もう安心してください」 

「…はい、」

医師は軽く一礼をして、その場から過ぎ去っていった。

私は、しばらくその場から動く事ができなかった。

――数時間前

公園で、蓮斗を待っていた。蓮斗の笑顔は作り笑顔だったし、絶対に来ないだろうと、思っていた。

すると、突然公園の少し先にある道路が騒がしくなった。

胸騒ぎがして、全身に鳥肌が立った。

私は、公園を飛び出して、道路へ向かった。

そこには…。

思い出したくない。目を瞑ると、あの時の光景が浮かぶ。

夢であって欲しかった。笑って欲しかった。「びっくりした?」なんて言って笑わせて欲しかった。

…でも、これは現実だったから。

蓮斗は私の呼びかけに反応することはなく、そのまま気を失ってしまった。不安だった。不安で仕方なかった。目を覚まさないんじゃないかって、もう、話せないんじゃないかって。怖かった。当たり前に傍にいたのに。当たり前に話していたのに。当たり前に触れていたのに。

「星桜ちゃん!」

後ろから大きな声で呼ばれて、私は勢いよく立ち上がる。

「…美咲さん」

〝碧海(あおみ) 美咲(みさき)〟

蓮斗の母親で、私にも親子の様に接してくれている。

「星桜ちゃん、大丈夫?」

あぁ、なんて優しい人なんだろう。

蓮斗のことが心配で仕方ないはずなのに、私のことまで心配してくれる。そんな美咲さんに、今までどれ程助けられたか。

「…はい、私は大丈夫です。蓮斗も今は安静に眠っています。」

美咲さんは私の言葉を聞いて、その場に座り込んだ。

「良かった。無事なのね」

美咲さんの安心した顔に、涙がまた溢れそうになる。

「…星桜ちゃんが病院付き添ってくれてたのね。ありがとう」

「いえそんな、お礼なんて」

そうだ。もとはと言えば、私が公園に呼ばなかったら、事故になんて遭わなかったんじゃないかな。家の方角はそっちだけど、もし、私との約束の為に早く帰ろうとしていたとしたら。急いでいて、事故に遭ってしまったとしたら。

「星桜ちゃん?」

黙り込んでしまった私に、美咲さんは少し不安そうな顔をする。

いけない。私のせいで不安にさせてる。

「…なんでも、」

「星桜ちゃん。」

なんでもないです。そう言おうとしたところで、美咲さんが割って口を開いた。そして、ゆっくり私の頭の上に手を乗せた。

「大丈夫。大丈夫よ」

ゆっくりと、私の頭を撫でる。

その温かい手と言葉に、涙が溢れた。

「…美咲、さん、」

「大丈夫よ、私がいるからね」

美咲さんだって、不安だし心配なはずなのに、それを微塵も感じせない。

私は涙を乱暴に拭って、美咲さんを見つめた。美咲さんは、優しくふわりとした笑顔を私に向けた。

似ている。やっぱり、蓮斗は美咲さんにそっくりだ。幼い笑顔も、優しさも。

「今日はもう遅いから。良かったら、また明日来てくれる?」

私は、壁に掛けてある時計に視線を移す。

―午後十八時。

もうこんな時間だったんだ。

私は軽く感謝をして、その場を後にした。


外はほんのり涼しい風が吹いていて、少し肌寒い。リュックから上着を取り出して袖を通す。顔を埋めると更に温かくなった。

「はぁー」

外の空気を吸って、少し気持ちが落ち着いたのだろうか、一気に睡魔が襲ってきた。

ふと、私の中に一つの疑問が湧いた。…どうやって帰ろう。病院には、蓮斗の付き添いとして、救急車で来たから帰り道がわからない。家からかなり離れた場所だと思う。どうしよう…。

私は、ポケットから体温の感じられない冷えたスマホを取り出す。連絡して、迎えに来て貰おうかな?でも、六時だし、変に心配かけちゃわないかな?

そんな私の心配は、一瞬にして打ち砕かれる。

あれ?つかない…。

何度、電源ボタンを押しても画面が付かない。もしかして、充電切れ?困った。これで本当に帰える手段が無くなってしまった。

私が病院の前で途方に暮れていると、目の前に一台の車が止まった。窓が開いて、一人の女性が顔を出す。

「星桜ちゃん?何してるの?」

「…!!おばさん!」

〝おばさん(乃木(のぎ) 華子(はなこ))〟

お母さんと同い年で、隣のお家のおばさん。幼い頃から良くしてくれていて、私も蓮斗も大好きだ。

「こんな時間に病院なんて、どうしたの?」

「実は、帰り道がわからなくて、」

「あら、お母さんに連絡したの?」

「…それが、スマホの充電が切れてしまって」

「そうだったのね!私ちょうど帰るところだから、良かったら送るわよ?」

「本当ですか!?助かります」

そう言って私は、助手席に座った。

少し車を走らせた所で、おばさんがゆっくりと口を開いた。

「今日は寒いわねー」

「…そうですね」

嫌だ。話したくない。おばさんは、大事な話や、聞きたい話の前は必ずどうでもいい話から始まる。きっとおばさんは、私がなぜ病院にいたのかを聞こうとしている。

「…ねぇ星桜ちゃん」

嫌だ。嫌だ。聞かないで。

「どうして、病院にいたの?」

答えたくない。答えたら、自分が現実を受け止められない。蓮斗は助かった。でも、目を覚ますの?また、話せるの?命が助かっても、次何があるかわからない。それがとても怖いの。でも、答えたくないなんて言えない。そんな「私」のわがまま言えないよ。

「ごめんなさい、質問を変えるわ。星桜ちゃんは大丈夫?」

「…えっ?」

私?私は元気、だよ?

思ってもいなかった質問に、驚きを隠せない。

「私は、元気です。」

「そう、安心したわ」

おばさんは、前を見ながらニコリと笑った。

おばさん。私ね、本当は全然元気じゃないよ。ずっと苦しい。息が上手くできないの。でもこれは、病的なものじゃなくて、きっと「私」の心の病だから、どうする事もできないの。我慢すればいつかは治ると思ってた。でも、悪化するばかりで、治る気配は無い。だから、「私」は元気なふりをするんだ。自分を、「私」を守る為に。

「…おばさん」

「どうしたの?」

「私って、自分勝手かな?」

私の質問と同時に、信号が赤になって、車がゆっくりと止まる。

「どうかな?私には、そうは見えないけど」

「…」

「私にはね、星桜ちゃんはいつも、誰かの為に何かをしている様に見える。それと、無理をしている様にも見える」

「え…」

「説明しづらいんだけどね、笑ってるのに、楽しくなさそうだったり、平気って言ってるのに、元気がなかったり、星桜ちゃんは〝自分〟を隠しているように思うのよね」

おばさんは、「なんとなくだけどね」と付け足した。

全部、見抜かれていた。上手く隠せていると、思っていたのに。

信号が青に変わる。車がゆっくりと進み出した。

「…だからね、星桜ちゃん。自分勝手かもなんて思わなくていいのよ。なんなら、もっと自分勝手になってもいいくらい。星桜ちゃんは、もっと自分の為に生きていいのよ」

「おばさん…」

私は、俯いて目を瞑る。

本当に、自分の為に生きていいの?自分勝手になっていいの?そんな事したら、嫌われない?苛められない?人が離れていかない?怖いよ。これ以上、パズルが壊れるのが怖い。人と関わるのが怖い。

「…怖いよ」

いつの間にか開いた目から、涙がポタポタと零れる。

「星桜ちゃん。」

涙を軽く拭って、おばさんを見つめる。

「あなたにとって、一番大切な人は誰?」

一番、大切な人?そんなの選べない。

「星桜ちゃんが今、一番会いたくて仕方ない人。一番傍にいたい人。隣を譲りたくない人。大切な、唯一の人は誰?」

私の中に、一人の顔が浮かんだ。

涙が、頬を伝う。とまらない。泣きたくなんかないのに。とめる術を、私は知らない。あの人を思うたびに、涙が溢れる。

会いたい。

話したい。

傍にいたい。

あなたの隣は、私がいい。

ずっと、見ていた。

ずっと、一緒にいた。 

あなたの一番でいたかった。

私の、〝一番大切な存在〟。

誰よりも優しくて、笑顔が幼くて、でも、誰よりも頼りになる。 

「…れん、と」

涙で視界がぼやける。

…伝えたい。沢山、伝えたい。「私」の気持ちを。大好きだと、傍にいたいと、ありがとうと伝えたい。

なんで、今まで伝えなかったんだろう。伝えるチャンスは、いくらでもあったのに。伝えようとしなかった。また明日言えばいいやを繰り返して、恥ずかしいを言い訳にして。明日があるとは限らないのに、当たり前が続くとは限らないのに。昨日言えたはずの「好き」を「ありがとう」を伝えなかった。

「…なに、してんだろ」

あの時、伝えていれば。あの時、素直になっていれば。あの時、話していれば。何か、変わっていたかもしれないのに。でもどんなに後悔しても、過去は戻らない。今の「私」はただ、祈ることしかできない。

「…明日、必ず会いに行きなさい。私達には、星桜ちゃんの心を治してあげることはできないから」

気づいてたの?「私」の心の病に。

「でも、その人なら星桜ちゃんを治せる。ちゃんと気持ちを伝えるのよ」

涙はいつの間にか止まっていて、おばさんの顔が良く見えた。夜の暗闇の中、蛍光灯に照らされたおばさんの顔は、いつもよりキラキラと輝いて見える。

「うん!!」

私も、おばさんに負けないくらい明るい笑顔で返した。


10月 10日(土)

『神様』

私は、鏡の前で笑顔を作る。窓から差し込んだ光が、私の顔を照らす。

「大丈夫。」

昨日はあの後、おばさんが家まで送ってくれて、遅くなった私を心配してくれていた両親と、亞龍に理由を説明した。お母さんは泣き崩れ、亞龍はそのまま黙って部屋に閉じこもってしまった。お父さんが美咲さんに連絡して、今日病院に行けることになったけど…。

正直、不安で仕方ない。お父さんに聞いた話だと、まだ目を覚ましていないらしい。 

〝「必ず会いに行きなさい」〟

おばさんの言葉が頭をよぎる。

そうだ。私は決めた。蓮斗に会いに行くって、気持ちを伝えるって決めたんだ。

「星桜ー!」

お母さんが下から、大声で私を呼んだ。

私は、もう一度鏡に笑顔を向ける。いつもより、下手くそな作り笑顔。

…それでもいい。「私」の気持ちを伝えられれば、笑えなくてもいい。大丈夫。大丈夫だよ。必ず伝えられる。必ず素直になれる。だから、大丈夫。

私は、ドアノブに手をかける。

そして、少し重い扉を開きながら、明るい向こう側へと進んだ。

「いってきます!!」


今日は快晴。少し暖かくて、昨日の寒さが嘘のようだ。

車にはすでに、亞龍が乗っていた。私は、無言で亞龍の隣の席に座る。

「母さんは?」

「…トイレ」

「父さんは?」

「…知らない」

また、沈黙が続く。亞龍なりに私を励ましてくれているんだ。昨日からずっと、話しかけてこなかったし、話しても蓮斗の事は一切口にしなかった。亞龍だって聞きたいことが沢山あるはずなのに。

「…亞龍」

「どうした?」

「蓮斗の事、心配?」

「え、」

昨日から蓮斗の話をしていなかったのに、私が急に話し始めたから、亞龍はとても動揺していた。でも、すぐに真顔になって俯いた。

「…当たり前だろ」

「そう、だよね」

「まぁでも、心配より悔しい、かな」

「悔しい?」

「あぁ」

どういう事?悔しい?心配よりも悔しいが勝ってるの?そんな私の気持ちを見透かしたようにして亞龍が答えた。

「…今まで蓮斗に沢山、助けられてきたし、守られてきた。なのに、蓮斗が事故合ったとき、俺は何もできなかった」

そんなの、近くにいなかったんだから仕方ないじゃない。守りたくても守れないときだってあるよ。

「でも、近くにいなかったじゃん」

「近くにいなかったから仕方ないなんて、そんなん理由にならねぇーよ」

「なんで?だって、守りたくても近くにいなきゃ守れないじゃない」

「…蓮斗が事故にあった場所、あの公園の近くだろ」

「…そうだよ」

「あの公園、家からめっちゃ近いじゃんか」

「近いって言っても、十分位あるよ?」

「あぁ」

「どういう事?」

「俺、部活終わって帰ってるとこだったんだよ」

亞龍は、俯いて顔を手で覆った。

「俺、蓮斗が事故にあった瞬間を見たんだ、」

「え…」

「歩いてたら、少し先に信号待ちをしてる蓮斗が見えて、声を掛けようとしたんだ。そしたら…」

亞龍の声は、弱く震えていて、覆った手の隙間から、涙がポタポタと流れていた。

「助けられなかった。目の前にいたのに」

「…亞龍」

亞龍は、勢いよく顔を上げる。やはり、その瞳からは涙が溢れていた。

「もしあの時、走っていたら。もっと早く声を掛けていたら。俺が車に気づいていたら…」

…わかるよ。もしあの時―。って後悔して、自分を責めたくなる気持ち。すごくわかる。私も、ずっと後悔してるから。亞龍の気持ちが痛いほどわかる。

「…大丈夫だよ。亞龍」

いつの間にか私も、涙が止まらなくなっていた。

「だってよぉ、もし俺があの時、何かできていたら、何か、変わってたかもしれねぇ」

「…」

涙が邪魔で亞龍が良く見えない。何か言いたいのに、嗚咽ばかりで声が出ない。

「そんな俺が、」

…お願い。その続きを言わないで。それ以上、自分を責めないで。

「情けないっ!」

「…亞龍」

「なぁ星桜。俺は、俺はどうしたらいい。この情けなさを何処にぶつければいい…」

「……」

「うっ、うぁぁぁぁ」

亞龍は、声を出して泣き喚いた。私も声を堪えて、静かに泣いた。

それから数分もしないくらいで、お父さんが車に乗ってきて、泣き喚く2人を見てとても驚いていた。その後、お母さんも乗ってきて、二人で私達を慰めてくれた。何度も、何度も「大丈夫だよ」「あなた達は悪くない」って言ってくれた。それが、優しくて少しずつ私達の心を温めていった。

「いやーさっきは驚いたよ」

「本当よ。車入ったら、二人して泣いてるんだもの」

「…ごめんね」

「いいのよ。謝らないで」

お母さんは、ミラー越しに優しく微笑む。私は、隣で静かに眠った亞龍を見つめる。昔から何か嫌なことや、困り事があるとこうやって眠ってしまう。ねぇ、亞龍。私にはわかるよ。きっと、亞龍のパズルは壊れてしまっている。それを治してくれる人が、今の亞龍にはいない。だからこそ、一人で傷ついて、一人で悩んでたんだよね。そして、限界が来た。大丈夫だよ、亞龍。今度は私が、助けるから。亞龍のパズルを、綺麗に治してあげるから。

そんな事をしているうちに、もう病院に着きそうだ。

「あれ?」

この大きな病院。間違いない。蓮斗がいるのは、ここのはずなのに、お父さんは止まること無く病院を通り過ぎてしまった。

「お父さん?病院、通り過ぎちゃったよ?」

「病院の前に、少し寄りたいところがあってね」

どこだろう。買い物かな?

そのまま、大通りを真っ直ぐに進む。ある程度進んだところで、一つの細道を曲がった。周りが森林に囲まれていて、一気に涼しくなった。窓を開けると、ふわりと風が前髪を揺らす。森林を抜けると、田んぼが広がった道に出た。車が一台通るのもやっとの細い道。でも、周りが田んぼのお陰で見晴らしがいい。あんな大きな道路から、こんな自然な裏道があったなんて。

私は、深く息を吸って吐いた。

「着いたぞ」

車は、田んぼの道から少し進んだ所にある、小さな神社に止まった。

「亞龍!起きて」

「…あぁ。どこだ?ここ」

亞龍も初めてくる所らしく、とても驚いている。

車を降りると、私は辺りを見渡した。大きな田んぼ。綺麗な青空。いつもと違った景色が、私に清々しさを感じさせる。

車を半周回って、反対側に行く。

横に二人並べるくらいの、小さな鳥居。その先には階段がある。

「お母さん。ここどこ?」

「神社よ。二人がまだ小さい頃、一度だけここに来たことがあるのよ」

「…覚えてない」

「だろうね。まだ本当に小さかったから」

「この神社は、どんなところなの?」

「この後の階段が少し長いから、歩きながら話すわね」

「父さんは?来ないのか?」

「車をここに停めておけないからね。俺は、少し車を走らせとくよ」

確かにそうだ。こんな細い一本道に、車なんて停めてあったら人も通れない。

お父さんに手を振り、私たち三人は一拝をして、小さな鳥居をくぐった。


『願い事』

鳥居をくぐると、その中はまるで異世界のようだった。ここに来るまでに見てきた自然よりも断然、綺麗。階段は、三人並んで歩けるくらいの石段で、周りには、木や竹が茂っている。

階段を少し登ったところで、お母さんが口を開いた。

「少し話すと長くなるけど、大丈夫?」

「あぁ、」

私も、小さく頷く。

「それじゃあ、話すわね」

……今から、十三年前の夏。

当時の亞龍は、4歳。星桜は、3歳。

ある日、亞龍が高熱を出した。四十度近くあり、すぐに病院へ行った。でも、医師からは普通の風邪だと言われた。家に帰って寝かせていても、咳をしたり熱が下がることもなく、ずっと苦しそうだった。

「ありゅうー」

「あ、こら星桜!ダメって言ってるでしょ!?お兄ちゃんは、お熱なのよ」

「ありゅう。たいたい?」

「…痛いかもね、私が代わってあげられたらいいのに」

「まぁま」

「大丈夫よ。きっと、すぐ治るから」

でも、亞龍の熱は3日経っても下がらなかった。ずっと四十度近くあり、苦しそうだった。

「亞龍。大丈夫よ。ママがいるからね」

「…う、ん」

亞龍の体は、段々と痩せていた。

「菜々子(ななこ)!菜々子!」

「なに?亞龍がやっと寝れたんだから静かにしてよ!」

ここ最近、寝不足が続き、苛立っていた。

「菜々子、これを見ろ!」

そう言って、賢一(けんいち)がスマホを差し出した。

「何、これ」

それは、最近人気のある神社のニュースだった。

「凄いよな!何でも願いが叶うんだ。なぁ、菜々子。ここに行ってみないか?」

「何言ってんの?こんな嘘みたいなニュース信じて、こんなとこに行くの?」

「あぁ。だってこれが本当だったら、亞龍もすぐに治るぞ!」

「本当だったらね!でも、こんなの絶対嘘よ!それに、行くってなったら星桜は、亞龍はどうするの?」

「連れて行こう。皆で願うんだ」

「亞龍の熱は、下がってないのよ!」

「わかってる!それでも、行ってみよう。何もしないより、この可能性に賭けてみようよ」

賢一のこんな顔は初めて見て、正直、驚いてしまった。

「…わかったわ」

初めて行く場所で、心配で仕方なかった。少し大通りを走ると、大きな病院があった。その病院の少し先にある、森林に囲まれた細い道を曲がる。少し開いた窓の隙間から、風が入り込み一気に車内が涼しくなった。森林を抜けると、田んぼの一本道に出た。そこから、少し走るとその道の右側に、小さな鳥居があった。

「…ここだな」

「えぇ」

私は、亞龍を抱っこして、階段を登る。賢一は、星桜と手を繋いで、ゆっくりと前を歩く。

長い階段を上がると、少し小さい社殿があった。

二拝、二拍手。

お願いします。あの噂が本当なら、私の願いを叶えてください。どうか、亞龍の熱を下げてください。風邪を治してください。お願いします。

私は、心の中で沢山、沢山願った。

―嘘のように熱が下がり始めたのは、神社に行った次の日からだった。

その後も、苦しむ様子もなく、すぐに風邪が治った。

「…って事があったのよ」

「嘘、みたい」

「そうよね。私も、初めは信じられなかった」

「俺の風邪を治した不思議な神社か、」

「そうね」

そんな話をしているうちに、社殿に着いた。

「…久しぶりね」

お母さんは、とても優しく微笑んでいた。

三人で横に並ぶ。二拝、二拍手。

階段を登ってる間に、沢山考えた。何を願おうか、本当に何でも叶うなら、過去に戻してとか、蓮斗の怪我を全部治してとか、沢山考えた。でも、私の中で今、一番不安なこと。それを願う。

…〝蓮斗が、目を覚ましますように〟

私は、ゆっくりと目を開けて深くお辞儀をする。

横を見ると、お母さんが涙を流していた。私は、後ろを振り返る。長い階段の下には、小さな赤い鳥居が立っていた。その鳥居の隙間から、日光がキラキラと差していて、まるで、大丈夫だよ。とでも言っているかのように思えた。

「…蓮斗。今行くよ」

私は、ゆっくりと階段を降りた。


『久しぶり』

鳥居を出ると、お父さんが待っていた。昔、ここに来たときは、車を止めたまま行っちゃって、とても怒られたみたい。私達は車に乗って、もと来た道を戻る。あんなに自然があった場所から、現代に引き戻された気分になる。しばらくして、白い大きな病院に着いた。

「ふぅー」

入り口の前で、深く息を吐く。自動ドアがゆっくりと開いた。と、同時に向こう側から女の人が走ってきた。

「美咲さん!!」

「星桜ちゃん!今から、電話しようと思ってたのよ」

美咲さんは、息を整えながら口を開いた。

「皆で来てくれたのね!良かった」

「…美咲さん、大丈夫ですか?」

こんなに慌てている美咲さんは初めて見て、正直驚いている。

「…皆、聞いて!蓮斗が、蓮斗がね!」

気づけば私は、美咲さんに言われた病室へと駆け出していた。

「あ、こら!病院内では歩いてください」

走っていたら、そんな注意を何回もされた。でも、そんなの耳に入ってこない。涙が、風で後ろへ流れる。

私は、一つの病室の前で、足を止めた。202号室。その番号を確認して、息を整える。私は、ドアに手をかけて右へスライドさせた。

ガラガラ

その音とともに、奥のベッドに座った男の子が、こちらを向いた。

視界が、一瞬にしてぼやける。

会いたかった。ずっと、会いたかった。大粒の涙が、頬を伝って体温のない白いコンクリートの床に、静かに落ちる。

「…蓮斗」

ベットに座った蓮斗は、まだ元気がなさそうだった。でも、目を覚ましてくれた。そう、あの神社は、本物だったのだ。

「蓮斗。良かった。目を覚ましてくれて、本当に良かった」

涙を流す私を、蓮斗は真っ直ぐに見つめた。

「すいません、あなたは誰ですか?」

「…え」

一瞬、時が止まった気がした。騒がしかった耳元が、一気に静まり返るような。

「…何、それ。やめてよ、冗談きついって。面白くないよ?」

何も面白くないのに、笑ってしまう。だって、私はわかるから。嘘も、本当も。こんな時に、蓮斗は嘘なんてつかない。そう、わかっているから。笑ってないと、心が持たない。

「すいません、本当に思い出せないんです」

嫌だ。嫌だ。敬語なんて使わないで。いつもみたいに、笑って。いつもみたいに、からかってよ。

私は、その場に崩れ落ちるようにして、座った。

言葉が出ない。涙が落ちるばかりで、周りの音が何も聞こえない。

蓮斗は、ベットを降りて私の元へ歩み寄る。

「…大丈夫ですか?」

やめてよ。蓮斗は、そんなじゃない。無理すんなよって言ってよ。目の前にいるのは、蓮斗なのに、全くの別人に思える。ねぇ、本当に忘れてしまったの。そんなの、嫌だよ。

ガラガラ

私の後ろで、ドアの開く音がした。

「星桜ちゃん、」

「…美咲さん」

美咲さんの後ろには、両親と亞龍の姿がある。

「蓮斗。ベットに戻りなさい。後は、お母さんが話しておくから」

「…うん」

なんで?美咲さんの事はわかるの?私の事はわからないの?

目の前が真っ暗で何も見えない。何も、考えられない。

「星桜。」

亞龍が、私の手を引いた。その勢いで、立ち上がり美咲さんの後を追った。私達は、美咲さんに連れられて、談話室に入る。そこには、大きな白い机を挟んで、2つずつ椅子が置かれている。

「亜龍、星桜、座りなさい」

お母さんにそう言われ、私達は腰を下ろした。向かい側に、美咲さんが座る。両親は、私と亜龍の後ろに立った。

「…星桜ちゃん。ごめんなさいね、ちゃんと、説明してから会わせるつもりだったんだけど、私が慌ててたから」

私は、何も答えられずにただ俯く。そんな私の代わりに、お母さんが話してくれた。

「いえ、星桜が最後まで話しを聞かないで、走って行ってしまったから。」

「星桜ちゃん。とても辛かったわよね、ごめんなさい」

「…」

「まずね、数時間前に蓮斗が目を覚ましたの。私と、お父さんの事はわかったんだけど、星桜ちゃんの名前を出しても、誰の事がわかってなくて」

…嫌だ。聞きたくない。

「何度、説明しても星桜ちゃんの事を思い出せなかった。亜龍くんの名前も覚えていなかったわ」

「…そう、ですか」

亜龍は、元気のない返事を返す。

何で、何でそんな普通にしてられるの?忘れられてしまったんだよ?

「医師は、簡単に記憶は戻らないから、一緒にいて自然に戻るの待つしかないと」

「…そんな」

それが、やっと発せられた言葉だった。

「とても辛いわよね。私も、早く記憶を戻せるように頑張るから。星桜ちゃんも頑張りましょ」

あなたに、何がわかるの?つらいわよねって、忘れられる側の気持ちがわかるの?やめてよ。共感なんてして欲しくない。

「…何が、わかるの?」

私は、涙をこらえながら口を開く。一度開いてしまった口は、止まることなく話し続ける。

「私には、蓮斗しかいないの!私にとって、蓮斗はただの友達なんかじゃない!そんな浅い関係じゃないの!なのに、私の事は忘れちゃった。なんて、簡単に受け入れられないよ!」

「星桜、落ち着きなさい」

「お母さんだって、何もわからないくせに。私の気持ちなんて、わからないくせに。私と、蓮斗がどれだけ一緒にいたのか、知らないくせに」

「星桜!いい加減にしなさい」

「どうして?美咲さんの事は覚えてて、どうして、私の事は覚えてないの?もう、辛いよ。もう、耐えられない。」

握りしめた拳に、さらに力がはいる。爪が食い込んで痛い。

「蓮斗が、事故に合ってずっと、不安だった。そのあとも、目覚めないんじゃないかって、不安だった。沢山、願った。言いたいことだって、沢山ある。」

涙が、ポタポタと床に落ちる。

「…沢山の事が、一気に起こりすぎて、整理できないよ。辛くて、辛くて今の気持ちが言葉で表せない」

「…星桜」

「お母さん。私、どうしたらいい?」

私は、床に座り込んだ。お母さんが、そっと私を包み込むようにして、抱きしめてくれた。

「星桜は、蓮斗くんに沢山、伝えたいことがあるんでしょ?なら、それを伝えてあげなさい。それで、蓮斗くんが思い出してくれなくても、思い出しても、2人の中に一緒に過ごした思い出は、残るんだから」

お母さんの言葉に、涙が、ゆっくりと溢れた。

そうだよ。私達には、一緒に過ごした今までの思い出がある。忘れて欲しくないことが、沢山あるんだ。

そのまま私は、お母さんの腕の中で、静かに泣いた。

―どのくらいそうしていただろう。気づくと、日が落ち始めていた。

「…星桜ちゃん。ごめんなさいね。急な事で、ショックだったわよね。私が、ちゃんと落ち着いて連絡できていたら」

「いえ、美咲さんのせいじゃないです。私も取り乱してすみませんでした」

「いいのよ。気にしないで。誰でも、取り乱すものよ」

「…美咲さん。最後に、蓮斗に会いたいんですが、いいですか?」

「えぇ、会いに行ってあげて。蓮斗も、誰かはわからなくても、きっと会いたくて仕方ないはずだから」

私は、美咲さんの言葉に救われるのを感じながら、談話室を出た。

長い廊下を進む。ゆっくりと、歩きながら。

202号室。歩いて来たのに、最初よりも早く着いた気がした。さっきの緊張はない。不安もない。ただ、悲しみと、辛さで手が震える。私は、震える手を胸にそっとおく。

「…大丈夫。」

苛めが始まってから、私は自分に言い聞かせるのが、得意になっていた。

私は、震える手でドアを横にスライドさせた。

ガラガラ

スライド音が、静かな部屋に響く。その音に、ベットの上の蓮斗がこちらを向いた。蓮斗は、少し首を傾げて、不安そうにしている。

そうだよね。さっき、私があんな事言っちゃったからだよね。でも、もう大丈夫だから。

私は、ゆっくりと蓮斗に近づく。

大丈夫。大丈夫だよ、蓮斗。必ず、記憶を戻してみせるから。忘れてほしくない思い出が沢山あるから。これからは手の届く距離にいるから。

私は、溢れそうな涙をぐっと堪えて、いつもより下手くそな作り笑顔を浮かべる。

「久しぶり。蓮斗。」

オレンジ色の夕日に包まれながら、静かに、あなたの瞳から「私」という存在が消えた。


最後までお読みいただきありがとうございます。ついに目覚めた蓮斗。その先に待ち受けていたのは、記憶喪失。蓮斗の瞳から消えてしまった星桜。星桜は、これからどうして行くのか。これからの二人を温かく見守っていただけると幸いです。「続きが気になる!」「この後どうなるの!?」と思ってくださったら、ぜひ【ブックマーク】をして次回の更新をお待ちいただけると嬉しいです!感想もお待ちしております!

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