エミーリア
「シャーロットが王家に取られた」
この世の終わりのような顔をしてアルフレッドが帰って来た。長女のシャーロットは第一王子のベルンハルトに結婚を申し込まれて喜んでいたのだけれど、それがようやく正式に決定したらしい。ホッと胸を撫でおろした。ほぼ決定だろうとは思っていたが、万が一ということがある。
「なんでそんな嬉しそうなの?」
「娘が好きな人と結婚するのよ? 喜ばない親なんていないでしょう?」
「僕は喜べないよ? 王家なんて」
「わたしたちのころとは違うわ」
エミーリアがそう言うと、アルフレッドはガッカリした顔のまま、ソファーに座っていたエミーリアの膝に頭をのせてきた。
そんなアルフレッドの髪を優しく撫でる。
結婚後、すぐにできた子どもは死産だった。
その後、無事に生まれたシャーロットを、アルフレッドはこれでもかというほど可愛がっていた。
寂しくて仕方がないのだろう。
サファスレートではそれまでも死産が多かった。出産の時に亡くなる母親も多かった。ジークハルトやヴァレンティーナの母がそうだったように。
近年、デオギニアの医師がたくさん入ってくるようになり、母子ともに死亡率が下がった。現在、サファスレートの人口は驚くほど増えた。
「そうだ。しばらく忙しくなるから夜は先に寝てね」
「フローラちゃんのことね? 今日マーガレットが遊びに来てくれて、詳しく聞いたわ。学園内じゃ護衛も入れないもんね」
「そうなんだよ。本当は彼女、結構強いんだけどね。だけどまたそっち絡みで色々やっかいごとがね」
「そう。アリシアちゃんも落ち着かないね」
「いや、リアムの方が慌ててるかな」
「そうなの? 普段あんなに落ち着いているのに」
「嫁と娘のことになるとポンコツ。シリルの方が役に立つね」
「そんなこと言ってると、アルフもそのうち同じこと言われるよ?」
そう言って笑うと、アルフレッドがあからさまに嫌そうな顔をした。自分は違うと言いたいらしい。
「そういえばエリオットは?」
「ミラベルと一緒にお昼寝してる。寝かしつけようとして、自分が先に寝てたよ」
「あぁ、みんなが一度は陥るやつだ」
十歳になった長男のエリオットは、四歳になったばかりの妹のミラベルが、マーガレットの娘のセレスティアと遊び疲れて泣いていたのでお昼寝させようとしてくれたのだ。しかし、毎日のように過密なスケジュールをこなしているエリオットのほうが先に寝てしまった。あまりにもぐっすり寝ているので、今日の予定を変更して、もう少し寝かせておくことにした。
エリオットはエミーリアに色も顔立ちも似ており、ミラベルはアルフレッドの生き写しだ。そこにマーガレット似のセレスティアが加わった姿に心が躍った。まるで昔の三人が揃っているかのようだったのだ。他の子どもたちも加わったら、すごい光景だろう。マーガレットもしきりにはしゃいでいたので、同じ気持ちだったのではないかと思う。
エミーリアとマーガレットが無事に出産できたのは、デオギニアから派遣された医師たちのお陰だ。前よりも死産は少なくなっているし、産前産後のケアも前世で見聞きしていた知識に近いような気がする。もっとも、前世で出産の経験はなかったのだけれど。
「そういえば、お医者さんが、もう一人生んでも大丈夫でしょうって言ってたよ」
「え、ほんと!?」
アルフレッドが飛び起きた。癖毛がすごい方向にハネていた。イケメンが台無しだ。
「凄いなデオギニア」
「デオギニアというか……まぁそうだね」
「でもエミーリアの負担がすごいから、無理はしたくないな。子どもは可愛いから何人いてもいいけど」
技術の向上は転生者のお陰だろう。帝王切開もできるようになった。最初の子どもの時に帝王切開できていれば、違った結末になっただろう。アルフレッドも絶対に口にはしないが同じことを思っているような気がする。
お墓参りのときだけ、わたしたちはこっそり涙を流す。
「そうだ。ジークとヒースが帰って来るんだった」
「ホント!? 久しぶりね。子どもに会いたいけど、連れてくる?」
「いやー、どうかな。ヒースのところは三人目が生まれたばかりだし」
ジークハルトとミユの子どもは四人。男の子二人、女の子二人。
ヒースとナターシャの子どもは三人。なんと三人とも男の子だ。
「すごいね、ヒース君たちって結婚したの六年前なのに、もう三人も」
「僕はもうヒースは結婚しないものだと思ってたよ」
ヒースはライドン伯爵家の嫡男で他に兄弟はいない。そのため、サファスレートに戻って国内の令嬢と結婚するか、デオギニアでジークハルトの元に居続けるか、ライドン伯爵夫人と長らく揉めていた。夫人はヒースを帰国させたがっていた。
ライドン伯爵は、ジークハルトの元にいることや、ナターシャとの結婚を強く勧めていた。サファスレートにいるエミーリアたちでさえ、ヒースとナターシャが恋人と呼べる関係であることを承知していたぐらいだから、ライドン伯爵は尚更だろう。
けれどもヒースは、夫人が納得しない以上、必ず揉めるからと言って、結婚しないことを宣言した。ナターシャを巻き込みたくなかったからだ。ナターシャの方も本気だったのだろう。その状態でも誰とも結婚せずにヒースの傍に居続けた。
結局は、夫人が折れた。そのとき、デオギニア第三皇女だったララが説得に当たったのだと聞いている。彼女は今でも夫と共に、夫人の元を時々訪れているらしい。
無事にヒースはナターシャと結婚できたけれど、いまだに伯爵位は継いはおらず、どうなるのかアルフレッドも心配している。ライドン伯爵は高齢だが、まだ頑張れると言っているらしいが。
傍系から当主を、という声も上がってはいるが、ヒースより優秀な人はおらず、難航している。
いずれヒースがナターシャや子どもたちと共にサファスレートで暮らすようになるかもしれない。
「ライドン伯爵夫人も、孫を見たらただのお祖母ちゃんになると思うけどなぁ」
孫の威力はすごい。アルフレッドの両親も、エミーリアの両親もデレデレだ。
夫人は意地を張って、孫は抱かないなどと宣言しているらしいが、可愛い盛りの孫を見ないなんて勿体ないと思う。
「ヒース君のところは、上の子が五歳だっけ?」
「そう。その下が三歳」
「……ねぇ」
「やだよ? 僕は嫌!!」
「だってさ、いずれは、だよ? ねぇ?」
「嫌!!! ミラベルはお父様と結婚するって言ってた!!」
「子どもはみんなそう言うのよ。シャーロットだって言ってたよ?」
「いやだぁぁぁぁぁぁ」
顔を覆って泣き始めた。まぁ、ウソ泣きだけど。
「マーガレットの家のセレスティアが三歳。ミラベルが四歳。ヒース君の子どもが五歳と三歳……あとさ、わかってると思うけど」
「ジークんとこの次男が六歳で、ジークそっくりって話でしょ!?」
「それよ。レディたち、みんなもってかれるかもよ?」
「ジークに帰って来るなって手紙書くから」
「間に合わないなー。来る予定ってこっちが知ってるってことはデオギニアから出ちゃってるよ。サファスレートにも電話が普及するといいね」
現在は、デオギニアのジークハルトの自宅から、サファスレートのレオンハルトの私室への直通電話だけがある。なぜそれが可能なのかはわからないが、ジークハルトとミユが、結婚後もデオギニアで暮らすための、サファスレートからデオギニアへ出した条件だった。
「電話ってそんなに便利なの?」
「便利便利。前世では持ち歩ける携帯型のやつとかあってさ、それならどこにいても話ができるんだよ。携帯なら今回も間に合ったのにねぇ」
「え、ちょっとそれ絵に描いてよ」
さっきまで泣き真似していたのに、すっかり興味津々の顔になった。こういうところが子どものころから全く変わってない。
そそくさと紙とペンを持ってきて携帯を描けと手渡してくる。
「わたしの絵が壊滅的だって知られるのももうすぐかも」
「壊滅的って?」
「いや待って、デオギニアが長年お金かけて研究してるのに、結局まだ車がないんだよね? ということは、携帯も無理かも? 車の材料が見つかったって言われてたけど、何か足りないのかな? 飛行機ももちろんないし、あとあれだ、テレビもないね。防犯カメラはあるのに……同じような機能を持たせたものを作ってるけど、違う原理で動かしてるってことかなぁ。冷蔵庫に似たものはあるけど電子レンジもないし……」
便利であることは豊かではあるけれど、幸せになれるとは限らない。少しぐらい不自由があったほうがいいのかもしれない。
妻と子どもに暴力を振るう父親と、子どものせいで離婚できないと嘆く母親から逃れるため、早くに家を出たせいで学歴が低く、非正規雇用でいつも生活が苦しかった。
そんな前世を思い出すたび、エミーリアは思う。幸せとは、と。
自分にも覚えがあるから、ヴァレンティーナが虐待されていたことにはすぐに気付いた。隠したい気持ちもわかった。
逃げる術がないという意味では、この世界の方が苦しいだろう。いち令嬢でしかないエミーリアは、彼女を助けることができなかった。それを苦しく思っていた日々はもう遠い。
現在、第三子を妊娠中のヴァレンティーナは驚くほど優しい顔になった。デオギニアから派遣された医師が診ているようだ。レオンハルトの溺愛ぶりも想像がつく。
サファスレートはいま、空前のベビーブームだ。
彼女の子どもの側近候補になるべく、我が家ももうひと頑張りしたいところ。
「またはじまった!! この話になると全然僕の相手してくれなくなるよね!?」
「あぁ、ごめんごめん。異世界と異世界の狭間に落ちるとこだったわ」
拗ねたアルフレッドの頭をヨシヨシと撫でてから、携帯の絵を描いた。
壊滅的だった。ただの四角なのに難しい。
ひどい絵なのに、アルフレッドは嬉しそうにそれを眺めていた。
アルフレッドはもしかすると、少し変わっているのかもしれない。
「何か言った?」
「何も言ってないよ?」
そう言って笑うと、アルフレッドは『ふぅん?』と言って、眺めていたはずの紙をヒラヒラして何事かを考えているようだった。
「さぁて、エリオットを起こさなきゃっと」
立ち上がって扉まで走った。
振り返ると、物凄く悔しそうな顔をしたアルフレッドが手を伸ばしているところだった。
セーフ!!
スイッチ入ると大変だからね。うん。これでヨシ。
エミーリアは扉を閉めながらニヤリと笑った。




