13 関ヶ原の月
六年の時が経った。
日の本全土に、舞踊十六人隊が誕生し、民びとからの大きな人気を得た。
当初の目的どおり、日の本中の十六人隊が集まる大会で、特に優秀との評価を得た隊。
民びとの中で、特に大きな人気をもつ隊を中心に、日の本を出て、世界各地で公演を行い、いずれの地でも大変なブームとなった。
今では、ジャカルタ、アユタヤ、まだ、あまり、人も多くないが、近いからということで、公演をおこなった台湾。そして、朝鮮、越南にも十六人隊が誕生していた。
明では、なんと、五つもの十六人隊が、誕生した。
技競べも、各地での普及が始まっていた。世界で特に人気が高くなったのは、「広場蹴鞠」だった。
そして、三成が、考案し、決まりが複雑過ぎるであろう、と言われていた棒鞠が意外に人気があった。
実は、色々な技競べの中で、日の本で、最も人気が高くなったのは、この棒鞠であった。決まりも、いったん覚えれば、とても難しいという訳でもない。
さて、この年、慶長五年だが、九月十五日に、棒鞠の全国大会が開かれることになった。
大会の主旨は東西対抗。
場所は、東西対抗であれば、相応しいのは、ここであろうということで、新たに建てられた、美濃国関ヶ原棒鞠場。
世界征服事業が開始されてからの六年。各領土に誕生した、棒鞠組の中で、特に、その技量が高く評価されている者を選抜し、東西それぞれで、特別な名手ばかりで構成された組を作り、東軍と西軍の対抗戦が実施されることになったのであった。
そして、これは、秀吉の命によってだが、その戦いの前座として、東西ともに領主のみで、構成された組を作り、これまた東軍と西軍の対抗戦も行われることになった。
そして、その前座試合と、本戦が終了したあとの夜。
棒鞠場に併設された建物の中で、夜を徹して、集まった領主、大名たちの宴席も予定されていた。
この関ヶ原の大会。日の本は、秀吉の統一以来、いくさは絶えており、日の本中の、領主、大名が集っていた。
前座試合の先発は
東軍
一番 捕手 上杉景勝
二番 二塁手 真田昌幸
三番 投手 伊達政宗
四番 右翼手 徳川家康
五番 左翼手 前田利長
六番 三塁手 池田輝政
七番 中堅手 佐竹義宣
八番 一塁手 最上義光
九番 遊撃手 徳川秀忠
西軍
一番 中堅手 宇喜多秀家
二番 一塁手 島津義弘
三番 捕手 豊臣秀次
四番 投手 豊臣秀吉
五番 左翼手 毛利輝元
六番 三塁手 加藤清正
七番 遊撃手 福嶋正則
八番 右翼手 小早川秀秋
九番 二塁手 石田三成
さて、この試合の結果だが、
試合が始まった時点で、既に酒の入っていた太閤秀吉が、東軍で、上手い技を見せた武将を、お主は、こっちに来い、と直ぐに西軍に引き抜くので、だれが敵やら味方やら、分からない内に試合は終わった。
本戦も終わったあとの宴席。
太閤秀吉の、確たる後見を得ていたとはいえ、時の第一人者であった関白、豊臣秀次が、事前に
「本日の宴席では皆様に、素晴らしいものをお見せいたしましょう」
と、しきりに宣伝していた。
一体、何を見せていただけるのか、と関ヶ原に集まった領主たちは、楽しみにしていた。
宴たけなわとなった。
関白、豊臣秀次が、宴席の会場に用意されていた舞台の中央に立ち、挨拶した。
「今日のこの日のために、聚楽第の中で、毎日、毎日、阿国殿の特別のご指導を仰いで稽古を重ねてまいりました。その成果をどうかご覧ください。
関白舞踊三十四人隊でございます。」
舞台に三十四人の女性が現れた。
その女性たちは・・・
関白、豊臣秀次の妻妾たちだった。
領主たちは、どよめいた
「おお、これはこれは。」
「関白殿下は、ご艶福家とお聞きしていたが、これはまた何とも、皆様、お美しい」
この時点では、どの領主たちも見慣れていた十六人による舞踊。その倍を超える人数である。
阿国により、相当の稽古がなされたのであろう。その舞踊は、本職の十六人隊に、何ら劣ることはなかった。しかも、倍を超える人数が踊ることによる、その迫力。
舞踊は終わった。満場やんやの大喝采であった。
舞台に三十四人の女性を残したまま、関白、豊臣秀次が、また舞台の中央に出てきた。
「ここで、皆さま方の内、ある方々にお願いがあります」
なんだろう、全員が耳をすませた。
「この中のひとりが、以前、ある宴席で、拝見し、その芸が非常に愉快だったと。で、ぜひ、今日、ここで、謡っていただき、その後ろで踊りたい、と言っております」
誰だろう
「石田三成殿、安国寺恵瓊殿、小西行長殿。どうぞ舞台へ」
一座が。どっと、笑った。
干し柿隊か。
いや、分かる分かる。
ある日の宴席で、舞台で、その日呼ばれていた十六人隊が、舞踊をしているのを、そっちのけで、
前記の三人が議論していたことがある。
行長と恵瓊の、耶蘇の教えと仏の教え、どちらが優れているかの議論であったが、そこに同席していた三成も、元々が議論好きなだけに、そこに加わっていたのだ。
それを見ていた太閤秀吉が、叱りつけた
「お主ら、舞台で懸命に舞踊をしてくれているというのに、何をゴタゴタと話している」
そして、
「お前らも、一緒に踊れ」
と、無理やり舞台にあげ、十六人隊と一緒に踊らせたのだ。
その踊りが何とも珍妙で、満座は大受けした。
踊りがようやく終わったとき、三成は、息も絶え絶えになり
「水、水を」
と、叫んだ。
十六人隊の内のひとりの乙女が、舞台の脇に行き、
三成に
「干し柿があります。どうぞ」
と、差し出したのに対し
三成が
「いや、拙者、今、腹の具合が悪いのでな。遠慮しておく。」
と、答えたのも、その場にいた者を笑わせた。
以降、この三人は、「干し柿隊」と、呼ばれるようになり、宴席があるたびに、舞台にあげられ、何やら芸をさせらせているのであった。
三人は、舞台の中央に集まり、何やら話し合っていたが、相談がまとまり、謡いだした。
それは、今、世間で流行っている謡だった。
やはり、十六人隊が、踊る時に、謡っている謡であったが、十六人隊が、謡うのは、これまで、ほとんどが、速い旋律の謡であったが、この謡いは、ゆったりとした旋律で、何やら哀愁のようなものを漂わせていた。
その謡
「生きることは素晴らしい」
三人が謡う。
今夜はどんな珍妙な芸を見せてもらえるのかと、期待していた満座の領主たちは、何やらあてが外れた思いだったが、
その哀愁を帯びた謡いに、しんみりと、心をたゆたわせた。
その謡を聴きながら、
背後の関白舞踊三十四人隊が、合わせてゆったりと踊る。
生きることは素晴らしい、か。
太閤秀吉は、舞台を眺めた。
信長様、この秀吉、まだまだ生きまする。
この秀吉のやり方での、明るく楽しい世界征服、まだまだ始まったばかり。
秀吉は、懸命に励みまする。
そして、あの世に参りましたら、信長様。どうか秀吉を褒めてくだされ。
「猿、藤吉郎。よくやったぞ」 と
秀吉は、あなた様に褒められることが一番嬉しいのです。
慶長五年九月十五日は、まもなく終わろうとしていた。
関ヶ原の空に、十五夜の満月が、煌々と照っていた。
ひとの世の歓びと、哀しみ。
そのすべてを見おろしながら。
太閤秀吉 完
最後までお読みいただきありがとうございます。
「太閤秀吉」 これにて完結です。
これまで、「俺の小説、面白いと思うけどなあ」と思いながら、ほとんど、誰にも読んではいただけなかった小説を時々、思い出したように書いていた私にとっては、11月19日から23日までの五日間は、夢のような日々でした。
お読みいただいた皆様に、あらためて、深く感謝申し上げます。
ありがとうございました。




