4.貰えた仕事
次の日、朝食をとって一休みしていたら城からの使いがきた。アヤが対応をしてくれているが、このタイミングで城からなんて昨日の結婚話関連のことしか心当たりがない。父様には考えておくと答えたが、答えは出ていない。回答を求められたらどうすればいいのだろう。
「エリナ様、城からの使者が今から城に来てほしいと申していますが、いかがなさいましょう」
「分かった。すぐ支度するわ」
アヤが使いに城に向かう旨を伝えに行こうと踵を返したのと同時に、レンが外から部屋に入ってきた。
「城に行くのか?」
「うん。レンは待っててくれる?」
「いや、もし構わないなら俺も行っていいか?」
「それはいいけど、そんな楽しい話じゃないと思うわよ?」
レンが一緒に行くと言ったのが意外だったので、どうしてだろうと訝しく思ってしまう。
「いや、もう一度城を見ておきたいんだ」
「分かった。じゃあ行きましょう。あまりお待たせするのも良くないし」
ニーナとオーレに城に行くと伝えて、使いの乗ってきた馬車に乗り込んだ。例によってレンは器用に座席に座っていた。
◆◇◆
城に着いたら、すぐに謁見室に通された。そこには、父様と母様ともう一人がっしりした20代半ばの男性が佇んでいた。
その男性は硬い表情を崩さずに、私に対して目礼をした。
誰だろうと思ったが、私もその男性に目礼を返すにとどめ、すぐに父様に向かって挨拶をする。
「おはようございます。御用がおありだと窺いました」
「うん。まずこちらの彼は、ブルタリア国のアレン王子の従者をしているジェラルド君だ。ジェラルド君、こちらは第一王女のエリナ・ハールラフスだ」
なぜアレン王子の従者がいるんだろうとか、私に紹介をしたんだろうと思ったが、とりあえず名乗ることにする。
「エリナ・ハールラフスです」
「初めまして、エリナ王女」
お互いに自己紹介が終わったところで、唐突に父様は本題に入った。
「昨日お前に話した、結婚の話、一度白紙に戻すことになった」
「え?」
「実は相手にブルタリア国のアレン王子を考えていたんだが、王子が今どうやら意識不明になってしまったようでな。アレン王子の従者のジェラルド君が昨夜遠路はるばるやってきてくれて知らせてくれたんだよ」
「そうでしたか」
父様はジェラルドさんのことを気にいったようで、私にもどこかくつろいだ様子で話しかける。私はというと、結婚相手にブルタリア国の王子を考えていたことにまず驚き、その第一王子であるアレン王子であったこと、彼が今意識不明になってしまったことなど驚くことがたくさんありすぎて、いつもよりも表情がこわばってしまった。
ブルタリア国は大陸の中でも一二を争うくらいの大国として有名な国だ。広さもそうだが、歴史もハールラフス国よりもずっと長いし、周囲の国との貿易も盛んだから、いろいろな方面に発展している。
そんな国に嫁ぐことになろうとしていたとは、あまり現実感がない。ニーナは政略結婚も王女としての責務だと言っていたが、確かにブルタリア国との繋がりを強固にしておけば、これから先ハールラフス国にとって良い方向に進んでいたのだろう。
しかしそれも、アレン王子が意識不明になる前の話だ。今は結婚話は白紙に戻り、私の責務も何もなくなってしまった。
「……アレン……?」
「……?」
横から小さなつぶやきが聞こえてきた。怪訝そうなつぶやきが気になったので、私は話は終わったと思ったので退出の許可をもらおうと願い出た。すると、まだ用があったみたいで、父様は引き止める。
「実はマリアとも相談したのだが、お前に仕事をしてもらおうと思うんだよ。遥か北の方では子供を世話するのに家庭教師が家にやってくるのではなくて、子供の方から集幼園というところに行って、そこで、先生に世話をしてもらうそうだ。その制度をこの国でも試験的に始めてみようと思ってな。その先生の一人をお前に頼めないか。……子供相手なんだが、どうだろう?」
「え? 私がやってもいいんですか!?」
思ってもいなかった本格的な仕事なので、思わず声が弾む。
「先生もお前のことをとやかく言うことのない人選にしてある。人様の子供を世話するのは責任をともなうが、どうだ?」
「や、やります!」
「では頼んだぞ」
◆◇◆
家に帰るとすぐに、私が明後日から働くことになった集幼園の説明をしに先生が二人やってきた。応接室で、一生懸命に説明を聞いたのだが、私がするのは他の先生たちの補助のような仕事らしい。いろんな子供達に話しかけてあげて欲しいと言われた。
その集幼園には子供たちは20人くらい通うことになっているらしく、私の補助するクラスには8人くらいの子供達がいるということだ。
ちゃんと子供たちと仲良くなれるのか、仕事はしっかりできるのか不安と興奮でいっぱいになっていたら、なかなか眠れなくて、私は外の風に当たることにした。
「……エリナ?」
「あ、レン……?」
庭のベンチには先客がいた。ベンチの前に佇んで三日月を見上げているレンが半透明だったので少し見えづらかったが、ぼんやりと確認できた。
そういえば、父様のところで様子がおかしかったのに思い至った。今まで集幼園の説明にずっと忙しくしていたので話を聞く時間が取れなかったのだが、いい機会だから話を聞こうと思い、できるだけ自然になるようにレンに近づいていく。
「と、隣いい?」
「もちろん」
緊張して、足音を忍ばせて隣まで近づいたら、これから特別なことをしようとしているような気がしてきてなんだかおかしくなってしまった。
二人して月光を浴びる。同じ方向を見ていると、時間が止まったかのような感覚になって不思議な感覚だった。
何て話を切り出そうかと、ちらりとレンを窺うと、月を見上げたまま、ふいに、レンが静かに話しかけてきた。
「よかったな、仕事が出来るようになって」
「あ、ありがとう。レンにも心配掛けてたよね」
「そうだな。ニーナ達ほどじゃないと思うけどな」
「ううん。レンにもちゃんと感謝している」
「どうしたんだ?」
不思議そうな声と共に、こちらを見下ろしてきたレン。ちょっと大げさだったかもしれないと思いながらも、この勢いのまま気になっていたことを聞いてしまえと一気に言い切る。
「そ、それでね。私、レンの力になりたいの。何か力になれないかな?」
「本当にどうしたんだ?」
「えーと。城で何か思い出したんじゃないかと思って……。余計なことだったらゴメン」
言葉が尻すぼみになってしまい、うつむいてしまった私の頭にふわりと暖かい空気が流れた。なんだろうと思い、顔を少し上げると、あっとレンの声が聞こえる。
「今、顔を上げられると、俺の手がエリナの頭に入っていってしまうな。こういうとき、実体がないのは考えものだな」
レンは私の頭をポンポンと撫でてくれていた。実体はないが暖かい気配が伝わってきて、胸が締め付けられる。
「……レン……」
「まさか、こんな風に気にしてくれているなんてな。ごめんな。エリナは今自分のことでいっぱいのはずだろ。でも、ありがとな。余計なことなんて全然ない。嬉しかった」
再び二人の間に、沈黙が降りる。
私にはもう、レンに踏み込むことはできない。さっきの踏み込みで精一杯だったし、レンにだってきっと聞かれたくないことがあるはずだ。あと少し待ってみて何も変わらなかったら、部屋に戻ろうと決めた時、レンはぽつりと言葉をこぼした。
「――聞いた覚えがあったんだ」
「……聞いた覚え?」
「ああ。ブルタリア国の王子の名前、アレン王子だっけ? なんか、懐かしい気がして……」
それはどういう事なんだろう。アレン王子は、それなりに有名な王子だ。私もブルタリア国のアレン王子という名前くらいは聞いたことがあるので、そういう意味で言えば、この大陸に住んでいる人だったら知っていてもおかしくはない名前だ。
しかし、レンは「懐かしい」と言った。懐かしいとは、それなりに近い距離にあった人間が抱く感情であるような気もする。
「もしかしたら、レンはアレン王子と何か接点があるのかもしれない……?」
「ああ、何かが引っかかるんだよ。まだ何とも言えないが、もしかしたら、生前に会ったことがあるのかもしれないな……」
「そうだ! 私、ジェラルドさんに、聞いてみるわ」
明日ならば急げばジェラルドさんに話くらい聞くことができるかもしれない。レンについてもしかしたら何かわかるかも。
名案を思い付いたと思ったのだが、なぜかレンは気が進まない様子だ。
「ジェラルドさんに? いったい何を聞くんだ?」
「それは、もちろんレンの特徴を伝えた上で、そういう人は知らないかって聞くつもりだけど……」
「……アレン王子に関係あるかもしれないってだけで、どんな関係かなんて全然分からないし、たとえ関係あるとしてもアレン王子を訪ねる人なんてたくさんいるはずだ。特徴を伝えただけで、アレン王子の従者であるジェラルドさんに分かるだろうか……」
「ふふっ」
「……エリナ?」
レンの様子が、外に友達を作れないと悩む自分にそっくりだと思って、レンもしっかりしているようでいて案外自分と似たところがあるんだなと思ってしまって、思わず笑ってしまった私に、怪訝そうな視線を向けるレン。いけない、と思いつつもどうしてもレンのそんな一面が知れたことが嬉しくて笑顔が顔から消えてくれない。
私は慌てて手で頬を何回か叩くとレンに向き合った。
「ごめんなさい。レンは不本意かもしれないけど、レンがなんか悩んでいるときの私に似ていた気がしたから……。あのね、そういうときにニーナがよく言ってくれる言葉があるんだけど、悩むのは前に進んでからでもできるわよって。私はそれはちょっと厳しいなって思うんだけど、ジェラルドさんがいる今がレンのことを知れるチャンスなんじゃないかなと思うの。ジェラルドさんに聞くだけなら、えーと、ただなんだから、聞いてみてもいいと思うわ。それで結果がどうとか今は考えなくてもいいと思う。それに、さっきもレンがアレン王子の名前、懐かしいって言ってたから、ジェラルドさんも覚えている可能性はそんな低くはないと思うの。レンのことだから強制はできないけど、私は聞いてみたい。レンは嫌かしら?」
レンはふっと微笑むと右手を私の頭の上に乗せた。重さは感じなかったが、その二回目の温かさとレンの微笑みにまた胸がキュッと締め付けられる。
「ごめんな。それとありがとう。エリナの言う通りだな。……分かった、明日ジェラルドさんに聞いてみよう」
「ええ!」