第三話 特務って一体何なんだ
正直、気分が悪かった。進路が決まっていないならまだしも、行きたい大学を諦めて消防を選べとはどういうことなのだろうか。
担任が言うには、決して悪いことばかりではないらしい。特務とやらは任期制で、三年。任期満了後、継続の場合は昇任し別部署に配属。もちろん、そのまま特務へ残ることも出来る。退職の場合は就職なり進学なりでかなり有利になるそうだ。それこそ、現在の志望大学へ試験を受けることなく入学できる程の特別待遇が受けられるらしい。
しかし、いくら受験せず入学出来るようになるからといって貴重な時間を三年も別のことに費やすのは躊躇われる。しかもその三年は剛志にとって、選手として大きな成長を遂げられるであろう重要な三年である。自分は大器晩成かもしれないと言い聞かせて手放すのは断腸の思いだ。選手としての活動を両立させてくれる、もしくはスポーツの世界へ戻る際に最高の状態で戻れるような支援があるのであれば考えなくもないが。
学校帰りの道すがら、剛志はスマホを取り出すと、従兄弟にコミュニケーションアプリでメッセージを送った。この従兄弟は母方の親戚で、生まれも育ちもS県だ。彼とは非常に仲が良く年も同じため、互いによく相談事などをする。――彼ならきっと、何か知っていて、そして教えてくれるに違いない。
メッセージにはすぐに既読マークが付いた。返事を待って画面を眺めているとメッセージではなく着信が入った。
「もしもし? 何、お前、選ばれたの!?」
「あー、何か、スカウトされたって担任に言われた。で、何なの? 特務って」
「は? お前、マジふざけんじゃねえぞ!」
従兄弟は張り上げた声をひっくり返すと、怒りと羨望を捲し立てた。彼は幼い頃から特務を目指していたそうで、選ばれるために出来ることは可能な限り善処していたらしい。それこそ、物心ついた時からずっと。しかし、彼にはお声がかからなかったそうだ。
「俺はこんなに努力してたのに、それなのに、S県民歴一年未満の、特務のことも知らないお前がスカウトされるだなんて!」
「いや、うん、何かごめん。でも、だから、特務って何だよ?」
しかし従兄弟は剛志の質問に答えることなく、どうか無事に帰ってきて欲しいというようなことを言うと一方的に通話を終了してしまった。
疑問が晴れるどころか、心にモヤモヤとしたものがほんの少し増えてしまった。そもそも公務であるはずの消防からスカウトなど、あるはずがない。あり得ない。何かの間違いではないか。一体特務とやらは何なのだろうか。
そしてこの〈ほんの少し増えてしまったモヤモヤ〉は帰宅して更に大きくなることとなった。夕食時、両親にも〈特務とは何か〉と質問してはみたものの、県外出身者の父はもちろん聞いたことがないと言う。がっかりとしつつもスカウトされたことを相談すると、今度はS県出身者の母が泣き出した。
最初は剛志と一緒に公務からのスカウトに不審感を抱いていた父だったが、「こんな名誉なことはない」と言いながらさめざめと涙を流す母を見て、父は疑念を持つことをやめてしまった。それどころか「公務員という手堅い職歴を得られるなら、そちらへ進むという選択もありだ」と言い出した。母はというと、さながら息子を戦地に送り出すといった体で、明日の夕飯は赤飯にすると言いながら涙をぬぐっていた。
母の異常な雰囲気に、剛志はこれ以上特務について質問する気になれなかった。
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スカウトの話のあった日の翌日から、剛志の生活はがらりと変わった。
朝、靴箱の蓋を開けるとラブレターらしき手紙が必ず一通は入っている。廊下を歩けば好奇の目で見られ、ここそこで内緒話が始まる。休み時間になれば女子が席までやってきて、手作りのお菓子を差し入れしてくれる。屋上に呼び出されたかと思えば、可愛いと評判の女子から告白される。――まるで、有名芸能人にでもなったかのようだ。憧れの星とは、一躍学校のスターになるということなのだろうか。とにかく、女子とお付き合いというものをしたことがなかった剛志にとって、このいきなり訪れたモテ期に悪い気はしなかった。
一方で、変なことを学友に度々聞かれるようになった。
「なあ、お前が特務候補に選ばれたのって、やっぱり〈東京〉からの引き抜きなの?」
訳が分からないと言うかのように眉間にしわを寄せて首を傾げる剛志に、この質問してきた学友の全てが「いや、話せるわけないよな。今のは忘れて」と言った。どういうことなのかと問いただすと、そのうちの何人かがぽろりと口にした。
「特務と一緒で門外不出なんだろ? 大丈夫、分かってるから」
何が何だかさっぱりだったが、とりあえず、特務とやらはS県外には不出の極秘事項らしいということだけは分かった。
結局特務についてそれ以上は何も分からなかったが、剛志は結局、消防局からのスカウトを受けることに決めた。選手生活に戻るためのバックアップも手厚く行ってもらえるという確約も取れたし、選ばれた者だけが就ける特別な職という優越感もあったが、何より母が泣いて喜んだのだ。期待に応えたいと剛志は思った。
卒業式を無事に終え、剛志は荷づくりに追われた。四月から全寮制の消防学校で訓練の毎日が始まるのだ。卒業アルバムの余白に学友達が大量に書き込んでくれた激励の言葉を一通り眺めると、剛志は荷づくりを再開したのだった。