第67話
アスティが侍女見習いとして仕事をするようになってから数日後、洗濯と宿所の掃除をひととおり終え、今は昼の休憩時間である。アスティは、王宮騎士団の宿所の食堂を使うことを許されているが、他の侍女たちは通常宿所の食堂を使うことはないそうで、最近は、アスティも先輩侍女たちと共に侍女控え室で昼食を取るようにしていた。今日はアスティの指導係であるジェーンのほか、数名の先輩侍女と共にテーブルを囲んでいる。
侍女控え室でのささやかな昼食会は、侍女たちにとって貴重な情報交換の場であると同時に楽しい親睦の場ともなっているようで、今日の主な話題は、来月に迫った王女ユミリエールの成人祝いの舞踏会のことだ。
「で、みんな、ちゃんと準備してる?」
サラがスプーンを片手に声を潜め、みんなで囲うテーブルの中央へと顔を寄せた。アスティが侍女見習いになった朝、最初にこの侍女控え室に飛び込んで来て、慌ただしく挨拶を交わした後に出て行ったのが、このサラである。アスティやジェーンよりも数歳年上に見える彼女は、第一印象のとおりに快活で、いつも侍女たちの輪の中心にいた。
「全てマリアンヌ侍女長が用意してくださった予定表どおりに滞りなく進んでいると思いますが……。」
アスティの指導係であるジェーンが壁に貼られたマリアンヌ作成の予定表を横目に答える。サラに比べると、ジェーンはいつも控えめだが、初日にサラが言っていたとおり、仕事は丁寧で、とても真面目だ。新入りのアスティのために時間外のベッド・メイキング練習にも付き合ってくれた。
「あー、違う、違う。そっちの準備じゃなくて、私たちの準備よ!」
「私たちの?」
「クエ?」
アスティはジェーンと顔を見合わせて首を傾げ、キーロもアスティの隣で首を傾げた。
「今度の舞踏会は、エウレール王国と国交のある国の王侯貴族が世界中から招待されているんだけど、王女の成人祝いってことは即ち、王女の社交界へのお披露目会であり、花婿候補選びの場でもあるわけよ。」
「ユミリエール姫の花婿選び……ですか。」
サラの口から飛び出した思わぬ言葉に、アスティは驚きを含んだ声で聞き返した。
「そう。つまり、招待の中には年頃の王子様が大勢いるってことよ!」
サラは楽しげに言い切ってスプーンをアスティの眼前に突きつけるように掲げたが、「年頃の王子様が大勢いる」ことがが先ほどのサラの発言にあった「私たちの準備」とどう繋がるのかがさっぱり分からず、アスティは再びジェーンと共に首を傾げた。
「あー、もう、分かってないわね! 年頃の王子様がたくさん集まるってことは、それは私たちにとっても結婚相手を見つけるまたとない機会ってこと! 今度の舞踏会での私たちの最重要任務は、素敵な王子様のハートを射止めることよ!」
サラは椅子から腰を上げ、力強くテーブルを叩いた。アスティは思わず気圧されて身を引いたが、隣のジェーンは怪訝そうに眉を潜めて聞き返す。
「マリアンヌ侍女長は、私たちの仕事は滞りなく舞踏会が進行するようお客様をもてなすことだと……。」
ジェーンが落ち着いた口振りで述べると、サラは再びバシンッとテーブルを叩き、ジェーンの言葉を遮った。
「それはそれっ、これはこれっ! 今度の舞踏会は、私たち侍女が玉の輿が狙える貴重な機会なのよ!? しっかり準備して寿退職決めなくちゃ、一体何のために王宮で侍女やってると思ってるのよ!」
「……少なくとも、ユミリエール王女の花婿候補を横取りするためではないと思います。」
熱く語るサラに対し、ジェーンが冷ややかな声で返す。
「あら、横取りなんかじゃないわよ。どうせ王女と結婚できるのはたった一人なんだから。私はただ、大勢の招待客のうち、王女のお眼鏡に適わなかったかわいそうな王子様を王女に代わって貰ってあげようってだけ! そう、王女に振られて意気消沈している外国の王子の心を慰めて、その国とエウレール王国との友好関係にひびが入ることのないようにしてあげようって言うんだから、むしろこれは国益のための重要な任務、国家の安寧を願う王宮侍女としての特別任務と考えるべきだわ!」
サラはぎゅっと拳を握り締めて構えると天井を仰ぎ見ながら宣言した。サラを囲むジェーン以外の先輩侍女たちは、ジェーンとサラのやり取りを面白そうに眺めていて、「さすがサラ!」、「いよっ、王宮侍女の鑑!」と合いの手を入れて盛り上がっている。
「重要な……任務……。」
「アスティさん、真に受けないでください。パーティでの理想の王子様探しは単なるサラさんの趣味ですから。」
ジェーンが淡々と食事を進めながら言い添えた。
「失礼ね! 趣味じゃないわよ、真剣な婚活よ、婚活! あんたはまだ自分を若いと思ってるでしょうけど、二十歳過ぎたらあっと言う間よ! マリアンヌ侍女長だって昔は引く手あまたの美女だったらしいけど、適齢期を過ぎたらぱたっと縁談が来なくなって、今の今まで独り身なんだから。油断してると一生結婚できなくなるわよ?」
サラはジェーンにぐっと顔を近付けて説く。
「別にそれで構わないと思います。マリアンヌ侍女長は、陛下からの信頼も厚く、騎士団の皆さんからも一目置かれていて、王宮侍女としての私の理想ですから。」
「そりゃあ、侍女長が仕事に関して優秀なのは認めるけどさぁ……。ジェーン、あんたまだ若いんだから、もう少し夢見た方が良くない?」
サラがジェーンの顔を覗き込むようにして問うが、ジェーンは黙々と昼食を食べ進めている。
「まあ、サラの場合はもう少し現実を見た方が良いと思うけどねー。」
斜向かいに座っていた先輩侍女が笑いながら言うと、どっと笑い声が上がった。
「失礼ね! 私は現実を見ているからこそ、こうして早いうちから積極的に婚活に励んでるんじゃない! せっかくみんなのために私が招待客名簿から抽出した独身王子情報をお裾分けしてあげようと思ってたけど、そう、みんな興味ないわけね……。」
サラは笑い声に抗議した後、ふっと笑って他の侍女たちを見下ろした。
「え? 待って、何その独身王子情報って?」
「それは気になる、興味ある!」
サラの一言に、笑っていた先輩侍女たちが慌てた様子で声を上げた。ジェーンだけは、アスティの隣で黙々と食事を進めていたけれど。
「ふっふっふ、私、こないだの会議で配られた招待客名簿から独身の王子様の情報だけを抜き出した特別な招待客名簿を作ったのよね。これまでの侍女としての経験を生かして収集したそれぞれの王子様に関する手持ちの情報も書き込みました! 欲しい?」
サラはすっと机の下から紙の束を取り出すと、胸元に掲げて見せた。
「はい!」
「欲しい、欲しい!」
「私もー!」
先輩侍女たちが次々と手を挙げるが、隣のジェーンはやはり黙々と食事をしている。
「よろしい! 親切な私はこの貴重な資料を諸君にも差し上げよう。その代わり、みんなも情報収集に協力してね! 名簿の中の欠けてる情報を可能な限り調べて共有すること! あ、あと、星印が付いてる王子様は私が狙ってる人だからよろしくね!」
そう言うと、サラは分厚い紙束をテーブルの上に載せ、先輩侍女たちはいそいそとそれに手を伸ばす。
「すごい、もう既にだいぶ調べてあるじゃない! さすがサラね。執念が違うわ。」
「あ、この人知ってるわ。前にも賓客として王宮にいらして、私が給仕したの。結構男前だったわよ。」
先輩侍女たちはテーブルに置かれた紙束をめくりながら各々感想を述べる。
「ねえ、サラが狙ってる星印の王子様ってみんな第二王子や第三王子ばかりだけど、本当に良いの? 玉の輿狙いなら、第一王子にしといた方が将来の女王様なのに。」
紙束をめくっていた先輩侍女の一人がサラに問うた。
「いいの、いいの。下手に権力なんか手に入れちゃったら、後が大変だもの。余計な責任も背負いたくないし、せっかくの王子様が政務に忙しくて全然構ってくれないなんてのも嫌じゃない? だから、私の希望は、次男か三男で、程良く資産があって、王位を継承しようなんて欲がなくて、家族仲も良好で、私のことを一途に愛してくれる政情の安定した国の王子様よ! できれば、エウレールに近い国だと良いわよね、里帰りしやすいもの。」
サラはうっとりとした表情で希望を述べる。きらきらと輝くサラの瞳の奥には、きっと彼女の理想の王子様の姿が描き出されているのだろう。
「……そんな都合のいい人、いないと思います……。」
瞳を輝かせるサラの隣で、ジェーンが冷ややかに言い放った。
「いるわよ、一人くらい! 舞踏会には世界中からの大勢の王子様が集まるんだから! ほら、あんたも気合い入れて理想の王子様を探しなさい!」
サラはジェーンの目の前にずんっと招待客名簿を突きつけた。
「私はいいです。」
「あら、情報が揃ってからやっぱり教えてって言ってもダメよ?」
「言いません。そもそも興味がありませんので。」
ジェーンの頑なな態度に、サラが肩を竦めてため息を吐いた。
「……で、アスティはどうする? 私たちと一緒に王子様情報集めてみる?」
急にサラに問われ、アスティはちらりとジェーンを見たものの、ジェーンは黙々と昼食を口へ運んでいる。
「え、ええと……私も遠慮しておきます。」
「ふーん。ま、ライバルは少ない方が良いか。」
アスティの答えに、サラはそれ以上追及することなく、同志の侍女たちと分厚い招待客名簿の割り振りを話し合い始めた。
アスティとて、舞踏会での素敵な王子様との出会いに全く興味がないわけでもないのだが、アスティの指導係であるジェーンだけを仲間外れにしてしまうのは気が引けた。それに何より、今は外国の王子様について調べるより、この国の、この王宮の人々のことが知りたい。
侍女控え室でのお喋り会は、王宮内の人々についての良い情報源でもあるのだが、今日は、一番の情報通でもあるサラが王子様に夢中で、有用な情報を聞き出すのは難しそうだ。
——コンコン。
「アスティはいるかしら?」
ノックに続いて入り口の扉が開き、侍女長のマリアンヌが控え室に顔を覗かせた。
「あ、はい!」
答えたアスティの傍らで、サラたち先輩侍女が、テーブルに広げられていた招待客名簿を慌てて片付け始める。
「お昼はもう済みました?」
マリアンヌに問われ、アスティは頷いた。
「それは良かったですわ。今日はアスティに特別任務をお願いしようと思いますの。」
「特別任務……ですか?」
アスティは思わず舞踏会の招待客名簿をテーブルの下に隠したサラに視線を向けるが、サラは無言で左右に首を振った。マリアンヌの言う「特別任務」はサラの言う「特別任務」とは関係ないようだ。
「シーツのセットはもう完璧に覚えたのですよね?」
マリアンヌに問われ、アスティは躊躇いがちながら頷いた。
「完璧にできるかどうかはまだ自信がないんですけど、ジェーンさんに教えていただいて、一応独りでセットできるようには……。」
侍女見習いの初日にはだいぶ手こずったベッドメイキングだったが、その日のうちにジェーンから丁寧な指導を受け、自分の部屋でも何度も練習を重ねた結果、だいぶ上達していた。
「何度も一緒に練習しましたし、居室清掃ならもう十分独りで任せられるレベルです。」
アスティの答えを補足してマリアンヌに告げたのは、ジェーンである。指導係である先輩侍女からのお墨付きに、アスティは照れながらも誇らしい気持ちになる。
「ジェーンがそう言うなら、完璧ですわね。では、アスティ、一緒に来ていただけるかしら? キーロ様もぜひ御一緒に。」
マリアンヌに微笑みかけられ、キーロが「クエッ?」と首を傾げた。
キーロを肩に載せて侍女控え室を出たアスティが、マリアンヌに連れてこられたのは、以前にも一度訪ねたことのある部屋だった。
「今日、アスティにお願いする特別任務は、ユミリエール姫のお部屋のお掃除ですわ!」
可愛らしい調度品の揃った部屋の中央で、マリアンヌが宣言した。
「ユミリエール姫のお部屋の……。」
「基本的なお掃除の仕方は騎士団の宿所と代わりませんけれど、何より、ユミリエール様はいずれ王位を継がれる大事なお方。ですから、この部屋のお掃除は特に丁寧にお願いいたしますね。」
「はい。」
マリアンヌの要求に、アスティは素直に頷き返す。
「今、ユミリエール姫は別室で王立大学の先生から御講義を受けていらっしゃいますが、三時にはお部屋にお戻りになります。それまでにひととおりの清掃を終えて、お部屋でお待ちください。」
「それは、このお部屋でユミリエール姫をお待ちするってことですか?」
「はい。ユミリエール姫が戻られる頃に、私がお茶とお茶菓子をお持ちいたしますわ。そうしましたら、楽しいお茶会の始まりですのよ。」
マリアンヌは裾を翻しながらくるりと回り、楽しそうに微笑む。
「お茶会……ですか。」
「はい! ユミリエール様の貴重なお友達として、ぜひ楽しくお喋りしてくださいませ。」
「ええっと、それは私とユミリエール姫でお茶会をするということ……ですよね?」
アスティは戸惑いながら聞き返す。
「ええ。あと、キーロ様も御一緒に。」
マリアンヌはアスティの肩の上のキーロを見てにこりと微笑む。
「これが、今日のアスティの特別任務ですわ。最近、ユミリエール様はずっと御機嫌斜めですの。きっと、国王陛下が政務にお忙しくてあまりお話しのお相手をして差し上げられないからですわ。私たち侍女も来月の舞踏会の準備で忙しいですし、ここ数日、ナウル様のお姿も見えませんし……そこで! ユミリエール様にできた初めてのお友達であるアスティ様とキーロ様の出番というわけです。お勉強から戻ったら、お部屋は綺麗になっていて、おいしいお茶とお菓子、そして仲良しのお友達が待っているなんて素敵でしょう! マリアンヌからユミリエール様へのとっておきのプレゼントですわ!」
マリアンヌはなんて名案とばかりに機嫌良く語るが、果たしてユミリエールがアスティを「仲良しのお友達」と思ってくれているかは、いささか自信がない。アスティとしては、できることならユミリエールとは仲良くしたいと思っているのだけれど、ユミリエールの方が同じように思ってくれているとは信じ難い。少なくとも、これまでに王宮内で顔を合わせた時の彼女のアスティに対する反応はあまり芳しくなかった。マリアンヌの希望に反して、今日のお茶会の相手がアスティだと知れば、ユミリエールは益々機嫌を損ねてしまうかもしれない。
「それでは、まずはお部屋のお掃除をしっかりお願いいたしますね!」
アスティが不安を口にするよりも早く、マリアンヌはそう言い残すと、スキップするように足取り軽くユミリエールの部屋を出て行ってしまった。
お茶会のことは不安だが、少なくともユミリエールの部屋の掃除は侍女見習いとしての重要な仕事である。マリアンヌが述べたとおり、いずれ女王になる人の部屋だ。見習いとは言え、王宮侍女としてしっかり綺麗に整えなければ、アスティの指導係として仕事の手順を丁寧に教えてくれたジェーンやアスティを信頼して仕事を任せてくれたマリアンヌにまで迷惑を掛けることになりかねない。
アスティは意を決して、部屋の窓を開け放ち、棚の上の埃を払い落とすところから掃除を開始した。