第44話 オッサン精霊、巨人を引き受ける
◇◇◇◇
「グレイファングが来るぞ!」
見張り台から、再び声が上がった。
「六体じゃない! 森の中にもいる!」
西側の牧草地を見る。
灰色の毛に覆われた狼の魔物が、草むらから次々と姿を現していた。
一体、二体と数えている間にも増えていく。
「十二体だ!」
見張りが叫んだ。
グレイファングは、全部で十二体。
どれも痩せており、体には傷がある。フォレストオーガに追われ、満足に獲物を捕らえることもできなかったのだろう。
それでも、牙と爪が危険なことに変わりはない。
群れの視線は、村の中央へ集められた家畜に向いていた。
家畜たちが怯えた声を上げ、村人たちは建物の中へ逃げ込んでいく。
「北にも来たぞ!」
別の見張りが叫んだ。
北側の森から、木の折れる音が聞こえる。
バキッ。
バキバキッ。
枝が揺れ、木々の間から巨大な影が現れた。
フォレストオーガだ。
人間の倍ほどもある巨体。その手には、太い木を削って作った棍棒が握られている。
棍棒と口元には、乾ききっていない血が付いていた。
グレイファングを襲ったときのものかもしれない。
「来やがった……」
ガレスが剣を抜く。
西にはグレイファングが十二体。
北にはフォレストオーガ。
どちらも、村の中へ入れるわけにはいかない。
「コージ、どうする!」
アリスが俺を見る。
討伐隊を分けないと決めたばかりだった。
だが、状況が変わった。
敵の場所も数も分からなかった先ほどとは違う。今は二方向から同時に迫られている。
一方だけへ全員で向かえば、もう一方が村へ入る。
「レオン!」
「ここだ!」
盾を持ったレオンが駆け寄ってくる。
「残りの十人を連れて、西へ向かってくれ。グレイファングから村人と家畜を守るんだ」
「俺たちだけでグレイファングを?」
「十二体いるが、そっちは十人いる。盾を前に並べて、村へ入れないことを優先してくれ。逃げたやつは追わなくていい」
「フォレストオーガはどうする?」
「俺が引きつける」
レオンの表情が険しくなった。
「一人で戦うつもりか?」
「まずは村から引き離すだけだ。グレイファングを追い払ったら、こっちへ合流してくれ」
「だが――」
「レオン」
俺はまっすぐレオンを見る。
「今は話し合ってる時間がない。西側の指揮を任せる」
副隊長として頼む。
そう伝えると、レオンは短く息を吐いた。
「……分かった。グレイファングを片づけたら、すぐに向かう」
「ああ。頼んだよ」
「コージさん!」
ガレスが俺の前へ出る。
「俺も一緒に行きます!」
「駄目だ。君はレオンたちと西へ行け」
「でも、相手はフォレストオーガですよ!」
「だからだよ。グレイファングが村へ入れば、家畜だけじゃなく、村人も襲われる。君たち三人には、怪我人を助ける役目も頼んだだろ」
「それは……」
「俺たちが戻ってこられるように、村を守ってくれ」
ガレスが唇を噛む。
やがて、剣を握り直してうなずいた。
「絶対に戻ってきてください」
「ああ。そっちも無茶をするなよ」
「分かりました。コージさんに任された役目、必ず果たします」
ガレスは仲間たちとともに、レオンの後ろへ走っていった。
「アリスも西へ行ってくれ」
「嫌よ」
隣にいたアリスが、即座に答えた。
「嫌って、これは指示だぞ」
「フォレストオーガを引きつけるなら、コージ一人では危険よ」
「危険だから君には村へ――」
「私はコージの召喚主よ」
アリスは杖を握り、俺を見上げる。
「それに、コージは私の眷属でしょう? 私の精霊を置いて逃げられないわ」
「俺は人間なんだけどな」
「今はそんな話をしてる場合じゃないでしょう!」
まったく、そのとおりだ。
俺とアリスは本契約でつながっている。
精霊纏いを使うなら、アリスの力が必要になる。
「分かった。ただし、あいつの棍棒が届くところへは来るな」
「コージも、あの棍棒を受け止めないで」
「今回は、ちゃんと避けるよ」
俺は腰に下げていた鉄製のメイスを引き抜いた。
ずしりとした重みが手に伝わる。
本契約を結ぶ前にも使っていた武器だが、今は以前より軽く感じる。
俺の筋力が上がった証拠だろう。
「西側は任せた!」
レオンの声が響く。
「盾を持つ者は前へ! 槍はその後ろだ! 弓と召喚士は、味方の間から狙え!」
冒険者たちが西側へ向かう。
俺はアリスとともに、北側の壊れた柵へ走った。
◇
荷車と丸太で塞いだ柵の向こうに、フォレストオーガが立っていた。
鼻を鳴らしながら、村の中央へ集められた家畜を見ている。
このままでは、邪魔な柵ごと荷車を吹き飛ばして村へ入ってくるだろう。
「アリス、俺が前へ出る」
「分かったわ」
「村から離れるように誘導する。君は俺から距離を取って、風で援護してくれ」
「コージだけで戦うつもり?」
「二人で戦うんだよ。ただ、二人並んで棍棒に殴られる必要はないからな」
アリスがうなずき、杖を構えた。
俺は荷車の横から、柵の外へ出る。
フォレストオーガの視線が、ゆっくり俺へ向けられた。
黄色く濁った目が細くなる。
「覚えてるか?」
俺は鉄製のメイスを肩へ担いだ。
「崖の上では、ずいぶん世話になったな」
「グォ……」
フォレストオーガが低く唸る。
俺の顔を見て、何かを思い出したらしい。
棍棒を握る手に力が入り、腕の筋肉が膨らんだ。
「グオオオオオッ!」
雄叫びを上げ、俺へ向かってくる。
「覚えててくれたのはありがたいが、ずいぶん怒ってるな!」
俺は村から離れる方向へ走った。
新しい靴が、土をしっかり捉える。
足場は平らではない。それでも滑ることなく、思った方向へ踏み込めた。
背後から重い足音が近づく。
『コージ、後ろ!』
アリスの意思が頭へ伝わる。
振り返るより先に、俺は右へ跳んだ。
ブオンッ!
頭のすぐ横を、太い棍棒が通り過ぎる。
風圧だけで、体が持っていかれそうになる。
棍棒が地面を叩いた。
ドゴォンッ!
土が弾け、石と泥が周囲へ飛び散る。
「相変わらず、とんでもない力だな!」
俺は体勢を立て直し、フォレストオーガの左側へ回り込んだ。
狙うのは膝だ。
両手でメイスを握り、横から全力で振り抜く。
ゴギンッ!
硬いものを殴った衝撃が、柄から両腕へ伝わった。
「ぐっ!」
フォレストオーガの巨体が揺れる。
だが、倒れない。
膝の外側から血が流れたものの、骨までは砕けていないようだ。
「グアアッ!」
怒ったフォレストオーガが、左腕を振り回す。
俺は後ろへ下がったが、指先が胸当てをかすめた。
革が軋み、体が横へ弾かれる。
「コージ!」
「大丈夫だ!」
靴底で地面を捉え、どうにか転倒をこらえた。
まともに当たってはいない。それでも胸が痛い。
「一発で倒すのは、やっぱり無理か」
フォレストオーガの皮膚は厚い。
だが、メイスが効いていないわけではない。左脚をわずかにかばっている。
同じ場所を狙い続ければ、動きを止められるかもしれない。
『アリス、左脚を狙う』
『分かったわ。風を送る!』
俺の背中を、風が押した。
体が一気に前へ出る。
フォレストオーガが棍棒を横へ振る。
俺は腰を落とし、その下へ潜り込んだ。
新しい靴で強く踏み込み、メイスを振り上げる。
ガンッ!
二度目の一撃が、同じ膝へ入った。
「グオオッ!」
フォレストオーガが片脚を引く。
「効いてるな」
追撃しようとしたが、フォレストオーガが棍棒を持ち直した。
俺は無理に近づかず、距離を取る。
「コージ!」
アリスの声が聞こえた。
フォレストオーガの目が、俺ではなくアリスへ向いている。
俺を速くした風が、アリスから送られたものだと気づいたのかもしれない。
フォレストオーガが体の向きを変えた。
「アリス、右へ走れ!」
叫ぶのと同時に、契約を通して意思を送る。
『そのまま村から離れろ!』
『分かった!』
アリスが走り出す。
フォレストオーガが、棍棒を引きずりながら追いかける。
「おい、相手を間違えるな!」
俺は後ろから追い、フォレストオーガのふくらはぎへメイスを叩き込んだ。
ドガッ!
「グアッ!」
フォレストオーガが振り返る。
「崖でお前を押し返したのは、俺だぞ!」
意味が通じたかは分からない。
だが、怒らせることには成功した。
フォレストオーガが再び俺へ向かってくる。
◇
村の西側では、グレイファングの群れが動き始めていた。
「来るぞ! 盾を構えろ!」
レオンの号令で、三人の前衛が盾を並べる。
その後ろでは、槍を持った冒険者たちが穂先を構えていた。
十二体のグレイファングが、一斉に牧草地を駆ける。
最初の一体が跳びかかった。
「今だ!」
盾が牙を受け止め、隙間から槍が突き出される。
「ギャンッ!」
グレイファングが地面へ落ちる。
だが、左右へ分かれた別の個体が、盾の列を回り込もうとしていた。
「土の精霊よ!」
後方にいた召喚士が地面へ手を向ける。
土が盛り上がり、低い壁となってグレイファングの進路を塞いだ。
「右から二体!」
ガレスが仲間たちとともに走る。
一人が正面から剣を構え、もう一人が横へ回る。ガレスは飛びかかってきたグレイファングの牙を剣で受け流した。
「一人で追うな!」
レオンが叫ぶ。
「分かってる!」
ガレスは追撃せず、仲間の隣へ戻った。
以前のガレスなら、傷ついたグレイファングをそのまま追いかけていたかもしれない。
だが、今は仲間と離れない。
「コージさんに任されたんだ! 一体も村へ入れるな!」
グレイファングの群れが、盾と槍の列へ次々と襲いかかる。
◇
西から、冒険者たちの声とグレイファングの唸り声が聞こえる。
今のところ、笛を三回鳴らす必要はなさそうだ。
だが、助けに来てもらえる状況でもない。
俺とアリスは、フォレストオーガを村の北側にある森の近くまで誘導していた。
予定していた罠の場所ではない。
ロープも網も仕掛けていない。
今は村から引き離すことだけを考えるしかなかった。
「コージ、少し離れすぎたわ!」
「分かってる! 少しずつ村のほうへ戻るぞ!」
フォレストオーガが、棍棒を両手で握った。
『来るわ!』
アリスの警告が伝わる。
棍棒が横薙ぎに振られた。
俺は後ろへ跳ぶ。
棍棒は俺の前を通り過ぎ、そのまま近くの木へ激突した。
バキィッ!
幹が折れる。
大きな木が、枝を巻き込みながら倒れてきた。
「アリス、下がれ!」
ズズンッ!
地面が揺れ、土煙が上がる。
倒れた木は、村へ戻る道を塞いでいた。
左右には木々が密集している。すぐに回り込むのは難しい。
「道が……」
アリスが倒木を見る。
フォレストオーガが、俺たちと村の間へ立った。
西側では、まだグレイファングとの戦いが続いている。
レオンたちが合流するには、時間がかかるだろう。
「コージ、どうする?」
「応援が来るまで逃げ回るつもりだったんだがな」
俺は鉄製のメイスを両手で握り直した。
腕は痛い。
胸当てをかすめた一撃で、脇腹にも鈍い痛みがある。
それでも、前に戦ったときとは違う。
武器がある。
新しい靴がある。
アリスとの本契約もある。
「予定変更だ」
「え?」
「俺たち二人で、こいつを倒す」
アリスが俺を見る。
不安はあるはずだ。
それでも、逃げたいとは言わなかった。
「ええ。一緒に倒しましょう」
アリスが杖を構える。
「風の精霊よ。私たちに力を貸して!」
風が渦を巻き、俺の両脚を包んだ。
さらに腕を伝い、握っている鉄製のメイスへ集まっていく。
重かったメイスが、わずかに軽く感じられた。
実際に軽くなったわけではない。
振り抜く方向へ、風が力を貸しているのだ。
『コージ、聞こえる?』
アリスの意思が、はっきりと伝わってくる。
『ああ』
『私が風を送る。コージは、思い切り振って』
『簡単に言ってくれるな』
『できるでしょう?』
俺は小さく笑った。
『ああ。やってみるよ』
フォレストオーガが棍棒を持ち上げた。
傷つけられた左脚をかばいながらも、まだ十分に動ける。
「グオオオオオッ!」
雄叫びとともに、巨体がこちらへ走り出す。
俺は新しい靴で地面を踏み締め、鉄製のメイスを構えた。
『いくわよ、コージ!』
『ああ。今度は逃げるためじゃない』
アリスの風をまとい、俺はフォレストオーガへ向かって走り出した。




