【書籍版】62話 問題ない。やれ。 #
17時頃に全過程が終わり、演習の一日目は終了した。
朝から一日中連れまわす羽目になったケシーを自分の居室に戻して休ませると、部屋に彼女を置いて、多智花さんの居室へと集合する。
居室にはすでにキャロルと多智花さんが集まっていて、そこで別のスキルについての確認をする予定だった。多智花さんの居室は俺の部屋とほぼほぼ変わらない作りだが、俺より荷物が少ないためやや広く見える。俺もケシーの荷物が無ければ、もっと広く使えるはずなのだが。
「よし。来たな、ミズキ」
ソファに腰かけていたキャロルは、俺が部屋に入って来るなりそう言った。彼女はすでに甲冑を脱いでいて、あのビキニアーマー姿に着替えている。淡い希望ではあるが、その格好でその辺を出歩かないで欲しかったし、普段着のスウェットみたいな感覚でエロアーマーを着用しないで欲しかった。
一方の多智花さんは、支給された戦闘服のまま。俺も同様である。
「では、始めるか」
「ちょっと待ってくれ」
キャロルが立ち上がったところで、俺は彼女に声をかけた。
「どうした? 婚姻届けを持ってきたか?」
「いや、別件だ」
「Fuck」
「火又三佐の件なんだがな、ケシーが妙なことを言ってたんだ」
「ケシー殿が? あー……すまん多智花、席を外してくれるか」
「あ、わかりました」
多智花さんに一旦離席してもらい、部屋にキャロルと二人きりになる。
「それで、火又がどうかしたのか?」
俺はキャロルに、ケシーのテレパシーで火又の心中が読み取れなかったことについて説明した。
するとキャロルは、特段意外そうにするでもなく、「うむ」とだけ言って頷く。
「だろうな。火又は魅了系の使い手だから、精神感応に対する対策は当然しているだろう」
「多智花さんと同じ奴か」
俺がそう返すと、キャロルは難しい表情をしながら、首を微妙に横へと振った。
「同じではあるが、次元が全然違う。火又は世界的にも有数の使い手で、界隈では有名なのだ。それに彼の立場を考えれば、同系統の使い手に対する防御スキルを常時発動していても何も不思議はない。むしろそうして然るべきだろう」
「そういうことか。いやちょっと不安になって、聞いてみたんだ。ケシーのテレパスが効かないってのは初耳だったから」
「まあ、心配するな。火又は良い奴だ。信頼に足る男だと認識している」
「お前がそう言うなら信じておこう」
ということで、この居室に三人が集まった本来の目的を始める。
目的というのは、とあるスキルの譲渡とその使用法の確認。
といっても俺自身のスキルについて確認するわけではないので、俺はベッドに腰かけて楽にしながら、多智花さんがキャロルから何らかのスキルを受け取り、それについての説明を受けている様子をただただ眺めることになる。
「これが『魅了系』で最も要求レベルの低い『誘導』だ。ステータス画面に表示されたか?」
「ええと……はい、これですね」
「『誘導』は魅了系の最下位スキル。まずはここから始めよう」
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『誘導』 ランクB 必要レベル20
魅了系スキル
視線を合わせることにより、対象を誘導する。
基本効果時間:3ターン秒
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「対象を誘導するって、具体的にどういう効果なんですか?」
「なんといえば良いかな……これはもう、実際に使ってみた方が早いか」
キャロルはベッドの方を振り返ると、そこに座る俺を指さした。
「タチバナ。ミズキに『誘導』を使ってみろ」
「えっ……大丈夫なんですか?」
「別に変なことをしなければ、危険な代物ではない。良いだろう? ミズキよ」
「まあ、別に構わんけど」
ということで、俺に『誘導』スキルを試してみることになった。
ベッドに座った俺に対面した形で多智花さんが立ち、それを補佐する形でキャロルが傍につく。
「『誘導』の効果は、大雑把にいえば……『相手の感情を任意の方向に持っていく』、というものだ」
「相手の感情を操作できるのか」
俺がそう聞くと、キャロルは首を横に振る。
「操作とはまた違う。正確に言うなら、『相手に特定の感情を植え付けて、その方向に誘導する』……ということかな。あくまで誘導するだけで、確実に切り替えるわけではない。たとえば死ぬほど『悲しんでいる』対象を『楽しい』方向に誘導しても、完全に切り替えることはできない。その場合は悲しみが和らぐか、場合によっては意味をなさない」
「あくまで誘導、なわけですね」
多智花さんが言った。
「その通り。だが元々その感情が強かったり、同系統の感情であれば、誘導することによってスムーズに切り替えることもできる。実際にやってみよう」
「ええと……どんな感情をやればいいですか?」
「性的興奮にしよう。やれ、タチバナ」
「待て」
俺が言った。
「どうしてそうなる」
「男性は元々性欲が強いので、誘導によって切り替えやすい。わかりやすくていい。合理的だ。やれ、タチバナ」
「いや、違う問題があるだろ」
「問題はない。ここには私とタチバナしかいないからな。やれ、タチバナ」
「待て、多智花さん。別の感情にしてくれ」
俺とキャロルの板挟みになった多智花さんは、困惑しながら両者に目配せする。
「えっ……ど、どうすればいいですか?」
「タチバナ、私の言うことを聞くのだ。ミズキに『悲しみ』や『恐怖』を植え付けて、苦しませたくはないだろう?」
「まあ、そうですね……」
「逆に『愉快』などを植え付けると、トリップして変なことを言い出す可能性がある。キマりすぎると酩酊状態になるから、ミズキ自身が秘密にしていることなどをベラベラしゃべりだすかもしれない。そうなったら困るだろう?」
「そ、そうですね……」
「待てキャロル。その『誘導』ってスキル、かなり危険な代物なんじゃないのか?」
「『魅了系』は最凶のスキルだといったろう。だが、安全管理の下で試せば問題ない。やれ、タチバナ。報酬として15万円渡すぞ」
「えっ!? 15万円!?」
「待て多智花さん! 買収されるな!」
「えっ、ど、どうしよう! ええい! ごめんなさい、水樹さん! 『誘導』:『性的興奮』!」
「うわ馬鹿! やめろ!」
キィン…………そんな耳鳴りが聞こえた。
多智花さんと目が合った俺は、その視線から、何か信号のような物を脳に受け取る。
「…………? えっ、えっと?」
俺は自分に何か起こっていないか、咄嗟に身体を見渡して確かめた。
特に何も起きていない。自分の両手を見る。いや、何も異常は無い。
「よくやった、タチバナ」キャロルの声が聞こえる。その声は不思議と俺の耳に沁み込んで、何かをくすぐるような魅力的な声色に響いた。「ちょっと外してくれるか? 追加で5万円渡そう」
「えっ!? いいんですか!? えっと……すみません水樹さん! 失礼します!」
サッと頭を下げた多智花さんが、扉から部屋の外へと出て行った。
「…………」
「よし、ミズキ」
キャロルがベッドの隣に腰かけた。彼女はその細い体を俺に摺り寄せるようにして肩を触れさせると、俺にそっと囁きかける。
「気分はどうだ?」
「……別に」
「それは恐らく、まだまだタチバナの魅力値が低いからだ。魅力系は能力値依存型のスキルで、その威力は魅力値の多寡に左右される。タチバナの魅力値がもっと高ければ、ミズキは瞬間で感情を『誘導』されて、すでに私を襲っているはずだぞ」
「なら効き目が弱かった、ってことか」
俺は強がりながら返した。
「何も変わっちゃいない」
「そうか? それは残念だな」
嘘だった。
完全に嘘だった。
今の俺にはキャロルの一挙手一投足が気になってしまって仕方ないし、彼女の吐息がかかると身体の奥底が震えるし、その華奢な身体を今すぐ押し倒して滅茶苦茶にしてやりたくて仕方がなかった。
「うぉっ!?」
「どうした? ミズキ」
身体が跳び上がりそうになるのを何とか抑え込む。
キャロルが不意に、俺の太腿に手を添えたのだ。
その柔らかな触覚信号は、俺の背骨にバチンという雷を打ち下ろして指先まで伝播する。
「大丈夫だぞ」
キャロルの柔らかい声が、耳元で囁く。
「お前を受け入れてあげよう。だけど、シテしまったら……」
キャロルはもったいぶるようにして、俺の耳の穴に吐息を流し込みながら囁く。
「お前は私と、結婚しなければいけないな?」
「………………」
朦朧とする頭は、湧き上がる興奮と欲求で破裂して爆発四散しそうだった。
なにが多智花の魅力値は低いだ? この威力はなんだ? なんだこの凶悪なスキルは?
もう駄目だ。押し倒してしまおう。キャロルは可愛いし、強いし、尽くしてくれるし、胸は小さいけどお尻はツンと引き締まっててエロイんだからいいじゃないか。もうそのまま結婚してしまえばいい。何が不満なんだ? 何も問題ないぞ。大体、誘惑してきたのはそっちじゃないか。
「…………」
こんな恥部しか隠して無いようなエロアーマーを着やがって。構わずに滅茶苦茶にしてやればいい。ヒイヒイ言わせてしまえばいい。
いや待て俺。ちょっと待て。クソ。
今すぐここから走り去って逃げないと、本格的にマズイ。
それなのに、俺の中の何かが拮抗して固まってしまっていて、足がいつのまにかアスファルトで氷漬けにされたみたいで動けない。
「ミズキ、心配することはない。私はいつ籍を入れても……おっ!?」
その瞬間、俺はキャロルの肩を掴んでベッドの上に押し倒した。
彼女の身体へと覆いかぶさるようにして馬乗りになり、その両肩をグッと圧し潰すようにしてマットレスに押す。
「はっ、ははっ。よ、よし! いいぞ、ミズキ!」
眼前の鼻先。キャロルの顔はひどく紅潮していた。
彼女も興奮しているようだった。
しかしゼロ距離で眺めてみると、こいつはなんて綺麗な肌をしているんだろう。
俺はそのまま顔を寄せて、その唇を貪ろうとした。
「ぉぅ…………」
しかしその直前に、俺の中の何かが。
植え付けられて助長していた何かが、サッと消滅するような感覚があった。
それは蒸発の気化熱のように怖気を伴って背骨からスッと消えていき、俺の頭は急に、1m先すら見えない濃霧から晴天の青空へと急転する。
「………………」
「………………ぉ?」
俺はキャロルの身体を離すと、ベッドから降りて立ち上がり、そのままスタスタと居室の外へ向かった。
「ちょっと、ミズキ! 待て! クソッ、時間切れか!」
「多智花ぁ! てめえ絶対許さねえぞ!?」




