第40話『リルネ討伐戦』
水都市ラブカラク、曇天の下では津波が荒れ狂う。永久凍土から解放された原生の怪物、リルネによって引き起こされた災害は無慈悲に人々を飲み込んでいく。
リルネの全長は百を越え、縦に平たい蛇のようなフォルムをしている。パイプのような赤い鰭条が、まるでたてがみのように頭部に生え揃っている。約二千年もの間、永久凍土に封印されていた怪物で、その生体については一切が明かされていない。
扇端部低空、一艦の魔昇船が浮遊していた。津波に飲まれた人々を空から確認次第、魔昇船に拾い上げている最中である。
その魔昇船の甲板、フリューゲル観測士のノヴァは、沿岸から顔を覗かせているリルネを観察していた。何を考えているか分からない黒く丸い瞳、たてがみの赤い鰭条をゆらゆらと動かしている。
「嫌な予感だけは的中するな」
ノヴァの隣で、同じくリルネを観察していたロッドはそう呟いた。
「まだ続くわよ、その予感」
「嫌になるな」
根本を叩かなければ、この災害は終わらない。魔昇船は一時、救出活動を優先しているが、最後はリルネの討伐に移るだろう。その為に、魔昇船には戦闘要員を乗せてきている。ノヴァは、後に待っている面倒事を想像してため息を吐いた。
事態は突如として始まった。先程からユラユラたてがみの赤い鰭条を揺らしていたリルネ。おぼつかない動きだった鰭条が、ある位置でピタリと動きを止める。たてがみの鰭条数本は、低空を浮く魔昇船を指差すように向けられている。その様を確認したノヴァとロッドは互いに目配せる。次の瞬間、魔昇船に衝撃が加わって大きく傾いた。斜めに傾く魔昇船、多くの乗船者が体勢を崩して転がる。ノヴァとロッドは咄嗟に柵を掴んで体勢を立て直した。
甲板からリルネを観察していた幾人かは目にした。リルネが伸ばしていた鰭条、そこから放出されたウォータージェットを。その激流は空を駆けて船底に当たり、魔昇船を傾かせた。低空とは言え、地上から20メートル上を飛行中の魔昇船。それもリルネとは数百の距離が離れている。凄まじい威力と精度、甲板上にいた人々は左側に転がされた。水飛沫が雨のように降っている。
操舵手はすぐさま魔昇船を水平へ立て直す。船内にいた戦闘要員たちが続々と甲板へと集まってきた。
「おいおいおいおい、冗談じゃないぞ」
ロッドは苦笑いを浮かべて鉄刀の束を握り、戦闘準備に移る。同じくノヴァも準備に移ろうとしたが、ロッドはそれを静止する。
「病み上がりなんだ、待機したらいい」
「あら、お気遣い嬉しいけど、そんなにヤワじゃないわ」
「遠慮するなよ、腕でも暖めてな。まあ、俺たち一陣で終わっちまうかもしれないけどな?」
魔昇船の救出活動は困難な状況となり、一時中断に。リルネ討伐戦へと移行となった。遠距離攻撃が可能な人員が甲板に集結し、一人の銃声を皮切りに一斉砲火が開始する。銃弾、魔法、斬撃、攻撃手段は各々様々。的は巨体と言えど数百離れた先。命中精度が下がる上、距離による威力の減衰が掛かる。攻撃はリルネの体表にヒットするも、その身体に傷を入れる事は敵わなかった。純粋に防御力が高いとも言える。近距離から攻撃しても結果は同じだろう。
リルネも黙って攻撃を受けてくれる訳ではない。集中砲火に対し、鰭条から再度ウォータージェットを放って対抗する。その激流は的確に攻撃を弾き、船底に衝撃を加える。その度、魔昇船は大きく仰け反った。ウルルニの魔昇船が幾ら頑丈でも、何度も攻撃を受け続ければ遅かれ早かれ、船底に亀裂が入って撃ち抜かれてしまうだろう。
「火力不足? なら、更に威力を上げれば良いか」
一人の男が、巨大な鉄の塊のような何かを肩に背負って甲板に立った。その怪しげに黒光りするブツは長遠距離ライフル。砲身の長さを支える極厚な鉄素材、卓越した技術により、折り畳み式でありながら強烈な反動によって砲身が破損せず、携行を可能とした。ただし、重量は考慮しないものとする。
男はそれを慣れた手つきで展開、甲板の手すりを砲身の支えとし、照準を遠方のターゲットへ。
「全く面倒な事だ。早く終わらせよう、くそ、狙いが定まらないな。あー、気持ち悪っ、吐きそー……もう少し揺れをどうにかしてくれないかな」
スコープを覗きながら、男は一人でブツクサ呟いていた。思った事を全部口に出してしまう呪いにでもかかっているのか。船酔いの最悪なコンディションの中、一分程が経過して狙いが定まった。そして、引き金が下ろされると、閃光と共に耳を劈く爆音が広がり、周囲の全員がビクッと体を震わせた。支えにしていた手すりは、銃撃の反動を受けて歪んで赤熱している。
砲身から放たれた銃弾は爆撃を疑うような炸裂を見せ、瞬く間もなくターゲットの表皮に着弾。しかし、弾丸は表皮を貫く事はなく、跳弾して彼方へ。これには男も唖然として言葉を失う。これだけ強力な銃を用意してもリルネに傷を入れる事は敵わない。ただの斬撃や魔法、銃撃が傷をつけられないのは至極当然の話だった。
そこで次策が打たれる。鈍い唸り声を上げながら秘密兵器は稼働する。魔昇船に取り付けられた重火砲のお出まし。人体がスッポリと入るほどに太い砲身から放たれる砲撃は、その圧倒的質量によって理を歪める。物理を必ず弾くという波動に対して使われた際は、波動を無視して貫いた。原因不明だが、端的にこの重火砲は強いということである。
重火砲の装填と共に、船内へアナウンスが入る。重火砲の周囲に立たないこと、近くにいる者は耳を塞ぐ等の保護をすることと。甲板にいる皆、頭上を覆った巨大な砲身に気圧されてその場を退く。カウントダウンが始まる中、リルネは鰭条からウォータージェットを噴出し、船底を持ち上げてぐらつかせる。重火砲の狙いが定まらなくなる為、甲板にいる幾人かで、再度放たれるウォータージェットの対処へ。
しかし、ウォータージェットを弾くか防ぐかは容易ではない。複数人が力を合わせてやっと一発分と同等。その為、ウォータージェットを放つリルネの鰭条を叩き伏せる事が最善の策となった。傷は付けられなくとも、鰭条を攻撃することでウォータージェットの狙いをズラす事は可能だろう。甲板の数十人で海面から伸びる鰭条を狙撃する。
リルネの攻撃によって突然傾いた魔昇船。その甲板上を一人、ふらつきながら歩いていた茫然自失の少女、ウィンディーネ。もはや予期しないどうこうではなく、何も考える事ができない程に憔悴していたウィンディーネは、傾いた甲板を転がって鉄柵にぶつかった。そのまま立とうとはせず、ただ甲板に倒れ込んだままで曇天を仰いでいた。
リルネ討伐戦が始まり、銃声が耳につく。数多の火薬の破裂音が連なり、船に伝播して結合部をカタカタと震わせる。嫌でも脳裏を過ぎってくる悪夢。崩れゆく氷床を連想するような連続的な騒音。
ウィンディーネは小さく丸まり、耳を押えて蹲った。
「寝るか?」
騒音の中、誰かの声が耳に入る。ぼんやりと目の端に映る、紫色の髪をした小さな子。それが何者でも構わなかった。ウィンディーネは呟く。
「……もう、疲れたんです」
「じゃあ、とっとと寝ろ」
訊いておいて淡々と吐き捨てられた。ウィンディーネは重い瞼を僅かにもたげると、ぼんやりとした目線の先にいる紫髪の少女へと眼差しを向ける。どうでも良かった誰かに対し、対抗心が込み上げていた。だから、僅かでも目を開こうと足掻く。
そんな事は意に介さずに少女は話しかける。
「協力者を見殺し、策は裏目に、矜恃は潰れ、それでも尚、正しくあろうと藻掻く。その果てに、旧友を犠牲に一人生きながらえた。まあ、頑張った結果がこれなら仕方ねぇわな? 眠って忘れような?」
素性を知られている事に何の疑問も浮かばず、ただ小馬鹿にするような態度と乾いた笑みを浮かべる少女に苛立ちを覚え、ウィンディーネは彼女を睨みつけた。
「自分のやった事が気に食わねぇ、そんな面だな」
自分を睨むしか能のないウィンディーネの滑稽さに鼻で笑う少女。その言葉に乗せられた情景が突き刺さり、ウィンディーネは自責の念に駆られて目を逸らした。
「抜かりなんてありません。でも、ダメでした」
驕っていた訳でもなかった、全力を尽くした。それでもあの時こうすればなどと、もしも話が頭を占めて理想論に酔い潰れる。いやきっと、心のどこかでは驕りがあった。自信を持っていたのだろう、想定通りに事が進むと。結果、何人もの命を犠牲にして何を得たか。何も無い。これではただの殺人鬼である。
「元より悪魔。人間を救う事を正しいとするお前の執念は気持ちが悪い。たかだか幾数百人、今更気にすんな」
「人を思わなくなったら私は……私はただの人殺しの悪魔です」
「事実だろ、お似合いだぜ?」
「違う!! 私は、私はただ……」
否定しようとして言葉を詰まらせるウィンディーネ。心の内には、少女の言葉を認めている自分と、否定したい自分とで反発しあう。
「全部取ろうなんて甘くて吐き気がするぜ。お前は手の届く範囲だけを守ってりゃいい」
「何一つ叶わなかった……意味が無い、何もかも……」
「ブツブツブツブツうるせぇな、分かってんだろ? まだ己を誇示したいって言うのなら、人殺しの力であれをブッ殺せば良いだろうが」
「……分かってます」
蹲るウィンディーネの頭を小突く。ぼんやりとしていたウィンディーネの視界からは少女の姿は消えた。頭を上げると、目の前には見覚えのある一羽が立っていた。ティアの飼鳥、モタシラルバである。その嘴には、ティアが右手首に巻き付けていたはずの橄欖色のスカーフを咥えている。
モタシラルバはそれをウィンディーネの前に置くと、小さく一回鳴いてどこかへと飛び去っていった。何を言い残したのか、ウィンディーネには理解できない。
モタシラルバの残したスカーフ。脳裏にティアの笑顔が浮かぶ。もう手にはできない日常の一幕。藁に縋るように、置かれたそれを手にしたその時だった。
《──
カウントゼロの合図で重火砲は火を吹いた。その砲撃は船をビリビリと軋ませる。重火砲から距離を置いていた皆、轟音を身に受けて動きを止めてしまう。砲身は反動をいなすように後方へとズレるも、魔昇船は影響を受けて大きく傾いた。が、それも考慮された射線。反動分のズレによって、狙いは数百メートル先のリルネの頭部へ。瞬きよりも短い刹那にして着弾すると、沿岸には爆煙と水飛沫が上がり、海沿いだった建造物は風圧だけで倒壊した。
「あ、ありえない……生物の域を、越えている……」
双眼鏡を覗いていた操舵手は震えた声を漏らす。確実に頭部へ着弾した。重火砲の一撃を受けても尚、リルネの身体には傷一つも付くことはなかった。あまりにも硬いが過ぎている。単なる銃器や魔法が効かなかったのが納得だ。ウルルニの魔昇船、その重火砲すらも意味をなさないのだから。
ここで次策に移る。甲板に現れるピンク髪の男。刀を手に、沿岸のリルネを一望する。
「せっかくの旅行をダメにしやがって!! 許さないからなあっ! 覚悟しろ!」
聞こえる訳もなく、そもそも化け物に言語が通じる訳もないが、男は刃先を向けて言い放つ。
「選択のヘマはしないでくれよ、アミグダルス」
アミグダルスと呼ばれたピンク髪の男、その後ろで眼鏡をかけたパーティーの一人は忠告を入れる。
「ああ! 何せこの俺は、一撃必殺! 致死毒のアミグダルス・パーディア!!」
「…………」
刀を構えて決めポーズを取るアミグダルス。重火砲諸々でうるさかったはずの魔昇船に突如、冷たい静けさが走る。
「……フロン、お前の番だぞ!」
誰に見せているつもりか知らないが、アミグダルスはフロンと呼ぶ男へと、こっそり小声で耳打ちする。フロンは気だるげにため息を吐くと、適当なポーズを取った。
「……え〜、代替のフロン・グロウン」
「一人不在だが、三人合わせてフリューゲル三銃士!」「ふりゅーげるさんじゅーし……」
決まった、とアミグダルスは満足げな笑みを浮かべ、その横で棒読みだったフロンの目は死んでいた。
フリューゲル三銃士。その名の通り、フリューゲルでは、巷で有名の三人組パーティー。あと一人、鳥女こと『コロル・ヴェルシー』は船内に待機中。
「……とっとと終演を届けよう、アミグダルス」
「おーけー、任されたし!」
アミグダルスは甲板の柵に飛び乗り、刀を構える。すると、鈍色の刃が徐々に緑がかった青色へと変色していく。アミグダルスは刃で宙に十字を切ると、その交点へと刃を突き付けた。十字と刃の交点を中心に、球状に魔力が広がってゆく。剣士の職業波動の一つ『辻地』と呼ばれる、十字の斬撃と点の突きを魔力に乗せて放つ剣術だ。
ただ、通常は目に見えない。斬撃や突き、魔力そのものは色を持たない、それ以前に物体ではなく、目に見えないのは当然だ。しかし、アミグダルスの『辻地』は青緑の球として視認ができる。それはアミグダルスの持つ波動に起因している。
「波動『概念毒エリルティール』プラス! 毒辻地『碧弾』」
刃を伝って人の頭部程の球体が射出された。それは風圧に左右される事なく、真っ直ぐ狙いの怪物へ着弾すると、その装甲に十字の斬撃と点の突きを与える。やはりか、リルネの体表には傷一つ付かない。
「よーし、終わりだな! それじゃ、救出活動を再開だ!」
アミグダルスは納刀すると柵から飛び降り、船内へ戻っていく。リルネは依然変わりない。完全に腑抜けているアミグダルスに、状況を見ていた一人の男が突っかかる。
「んん? 効いてないだろって? この俺を信じろ! 概念毒は今、花開く!」
謎の自信に満ちるアミグダルスに呆れる男。だが、アミグダルスの言葉の通りに、突如、身体をうねらせ始めたリルネ。巨体は動くだけで高波を立たせる。これまで色々な攻撃手段を用いるも、ビクともしなかった怪物が苦しそうにもがいていた。
アミグダルスの波動『概念毒エリルティール』。一つの概念に毒を付与する能力。アミグダルスは斬撃に毒を付与して放った。だが、リルネには傷が付かなかった。毒は体内に侵入する事はない。毒、であればの話だ。アミグダルスの毒は概念に付与する。斬撃は毒となった。その斬撃をリルネの体表に加えた。例え傷が付かなくても、そこには斬撃が加わった『事実』がある。斬撃は毒。加わったのは『毒』だ。感染経路に関係なく、毒はリルネの存在に付与された。故にリルネは苦しんでいる。十数秒の後、激しく暴れ回っていた巨体は概念毒に蝕まれた末に、海に沈んだ。
「な? 効いただろ? 覚えておきな! この俺は! フリューゲル三銃士! 致死毒のアミグダ
どうも、星野夜です。精神的に死んでいたら、二ヶ月半の歳月が過ぎ去りました。もう、疲れたんです。良し、寝るか。寝れば全部良くなる理論です。
さて、そんな事はさて置かさせてもらい、ようやく三章も大詰めですね。ここらで振り返りまして、三章開始は2024年の4月です。つまり、ここまでで既に二年の歳月が流れている訳ですが、なぜこうも執筆が遅いのか。じゃあ、四章も二年掛かるわけですか?! 読者辞めます。
こうしてまた一人、読者が減った訳ですが、なぜあなたは未だにこれを読んでいるのか、ありがとう。
次回は何ヶ月後ですか?




