洋行23
その日、文治は現地の英語が分かる少年を通訳として同行させ、奴隷の者達が集まる小さな店を訪ねていた。
「文治さん。こんな所に来てしまって大丈夫なのですか。」
「ティエロ君、君と私だから、ここに来たのですよ。白人が来る場所ではありませんが、現地の貴方と、そして似た様な顔の私ですから。」
文治は、通訳の少年の不安に答えた。
奴隷といっても、鎖で繋がれている訳でも無く、主人の指示で一人で買い物にも出掛ける。
彼等は、値切って買い物をして、その値切って浮いた僅かな金を使って、この店に集まって菓子を摘まんで話をする。そんな店である。
「やあ、文治さん。」
奥の食卓から文治を呼ぶ声がした。
ティエロは、驚いて文治を見た。既に、知り合いが、この地に居るのかと思ったからである。
そこに居たのはラジムだった。
「ティエロ君。彼はラジムさんで、私と共に船で来た人だよ。」
ティエロが驚いた様に文治を見たので、紹介をした。
「この子が通訳かい。」
ラジムは、ティエロを隣に座らせ、その隣に座った文治が答えた。
「はい。ティエロ君です。」
「そうかい。若いのに役立つ技能を持ってるんだな。宜しくな、ティエロ君。」
ラジムは、文治を真似て、ティエロを君付けして呼んだ。
ティロは、ラジムの言葉に目を丸くした。
「なんだあ。英語が分からないのかあ。」
「あ、いえ。宜しくお願いします、ラジムさん。」
「ははぁ。さては、初仕事で緊張しているのだな。まあ、気楽に付き合ってくれれば良いからさ。ティエロ君。」
「あの、ティエロで良いです。君付けは、止してください。」
「そうか。じゃあ、ティエロ。今、このメイムに話を聞いているんだが、通じない事が多いんだ。早速、通訳を頼むよ。」
ラジムは、横に座っている初老の者の肩を叩いて言った。
ティエロは、初老の者とスペイン語で話をした。
「ラジムさん。この人の名は、リムさんです。そこの菓子を食べたら戻らなくてはならないと言っています。」
「何・・、そうなのか。リム、悪かったな、有難う。」
ティエロは初老の男リムに話し、リムはラジムと握手をして、最後の一口を口に放り込んで、店を出て行った。
ティエロは、店の中は荒れた状態になっていると思い込んでいたが、そうではない事に不安は無くなった様である。
「文治さん。このティエロは役に立つなあ。俺は、リムと何とか話をしようと頑張ったんだが、全く通じねえ。
同じ下働きの者としては、話ができると嬉しいんだが、あのリムも色々言ってくれて、分かる様な気がしたんだ。
だけど、どうも違う様だな。」
「ラジムさんは、何を話そうとしていたのですか。」
ティエロが尋ねた。
「おい、ティエロ。お前も、俺の事はラジムで良い。
そうだな、今の境遇について、どうなんだって事を聞こうとしてたんだ。
リムは故郷に妻子が居て、帰っていって会いたいと言っていた様な気がしていたんだ。」
それが、正しいかどうかは、リムが帰ってしまったので、今は確かめる事ができない。
「ティエロ君。ここの主人に話を聞くことはできませんか。」
文治は、ティエロに打診する様に指示をした。
ティエロは、注文を聞きに来た者に話し、給仕の者は、怪訝な顔をして、奥に入っていった。
暫くすると、奥から女性が出てきた。
若作りはしているが、かなりの高齢であるのか、顔に深い皺が見て取れる。
「何だい。うちで働きたいのかい。
二人も子供が居るのかい。その二人を食わせていけるだけの給料は出せないよ。」
女性は、ラジムに向かって、スペイン語でまくし立てた。
強い語気で言われ、何を言われたのか分からないラジムは、目を大きく開けたまま、女性を見るだけしかできなかった。
先程の給仕は、ラジムが二人の子供を連れて、職探しをしていると思ったらしい。
子連れならば雇ってもらえると、子供を連れての職探しと判断した様だ。
ティエロは、語気に押されながらも、女将に求職に来たのではない事を伝えた。
ラジムと文治は、今日の船で来た北米の旅人で、ラジムは船で下働きをして、文治はティエロを雇った者である事を伝えた。
女将は怪しがっていたが、話を始めた。
「それで、私に何の用なんだい。」
文治は、率直に、今の奴隷達の事を知りたいと、正面から切り出した。当然、ティエロの通訳を介してであるが。
ラジムは文治の言葉を聞いて、そして、女将はティエロの通訳を聞いて、面食らった。
言葉の意味は分かるが、何の為に、そのような事を言っているのか分からなかったからである。
文治は、先程見た鞭打たれる奴隷を見て、自分の故郷にも同じ様な境遇の者が居て、身売りをする者が少なくない事を説明し、そういった者達が自立できる事を望んでいる事を話した。
この店では、下僕となった者達を分け隔て無く扱っている。奴隷達を拒む店が多い中で、特別な存在である。
女将に話を聞けば、この地の虐げられた者達の事が分かるのではないかと考えていると伝えた。
「あんたね。彼等の事を聞いて、何をしようとしているんだい。」
女将は。警戒しながら訊いてきた。
「今は、何もできません。
これから、ワシントンへ向かいます。北米でも多くの奴隷が居ると聞いています。ここと同じ様に扱われているのでしょう。
お金で身を売り買いするのは、同じ人として間違っているのではないかと考えています。
仕事をして、対価として、お金が支払われる。そのお金を使って、物を売り買いするのは良いと思います。ですが、人そのものは。物ではありません。
それと、彼等を買った時の金額が適した金額であったとは思っていません。
それらを正せば、何かが変わるとも思っています。」
文治が、一気に長い言葉を話したので、ティエロは通訳できなくなっていた。
「文治さん。もう一回言ってください。そして、できれば途中で区切ってください。」
ティエロは、文治に注文を付けた。
「あっ、ティエロさん。御免なさい。」
文治は、今度は区切って言い直した。
女将は、ティエロの言葉に耳を傾け、そして、ふうと、ため息をした。
「そうかい。まあ、良いか。それで、どんな事を聞きたいんだい。」
女将は、警戒しながらも話をしてくれそうな態度に変わった。
「手始めに、このお店について話して貰えますか。
奴隷の人々も分け隔て無く相手をしているようですね。」
「そりゃあ、お代を払うのだから、お客さんだろう。お代を払わない役人は、お断りだがね。」
女将の言葉で、この地でも権力を笠に着て、金も払わず飲み食いする役人が居るのだと分かる。
「そうすると、顔馴染みの方々が増えますよね。女将さんの気質を好きな方々が集まってくるでしょう。」
「まあ、そうだね。先のリムなんかは、もう10年も来てくれているよ。」
「10年もですか。随分と長い間、商売をされているのですね。」
「そうだね。10年やってこれたんだ。」
女将は、遠くを見詰めた。
「失礼ですが、女将さんは、この店を始める前は、何をなされていたのですか。」
文治は、突っ込んで聞いた。ティエロは言いたくない様子だったが、仕方無く通訳をした。
「10年前かい。私は普通の主婦だったね。夫と・・男の子二人・・・。」
女将は涙ぐんで、袖で目頭を押さえた。
他に客も居なくて、厨房から様子を見ていた給仕が、何事かと出てきた。
ティエロと給仕は、何か話をして、その後、給仕の言葉にティエロは真剣な顔で聞き入っていた。
そして、給仕は女将の肩を抱いて奥へ行ってしまった。
ティエロが言うには、10年前に運河の建設が始まって、女将の夫と二人の子は、工事に参加した。
密林を切り開く仕事で、毎日、朝早くから火が暮れる迄働いて、元来、体格の良かった3人は、おおいに活躍した。
ある時、夫は、切り傷から破傷風となり、動けなくなった。
女将は、二人の子供に仕事を止める様に言った。だが、子供達は聞かず、働き続けた。
そして、一人は毒蛇に噛まれ、一人は切り倒した木々の貯木場で木の下敷きになり、相次いで命を落としてしまった。
その後、夫の病気は治る事無く、他界してしまった。
工事が中止となり、奴隷達が戻された後、大変多くの奴隷の者達が女将の下を訪れ、3人が奴隷達に慕われていた事が分かった。
3人が残した金を基に、奴隷達の話を聞くための食堂を開いたのだという。
給仕の者が、戻ってきて、女将から奴隷達の話をする様に言われたとのことで、訊きたい事は何かと言った。給仕の者は、マトムと名乗った。
開発の時の状況を話始めた。
初めは素足で森林の伐採をさせられていた者も居たが、女将の夫、ウィツィロが作業効率と作業安全のためにサンダルを用意させ、斧も手袋も事業者に用意させた。
他の班の監督者は、手や足が痛いからと作業が進まない者達を鞭打っていた。
ウィツィロの班では、そうした道具が整備され、作業は見違える様に進んだ。何よりも毒虫を踏んで刺され、命を落とす者が減って、安心して作業をする事ができた。
高温多湿の中での作業なので、耐えられずに倒れたり、さぼったりするものも少なくなかったが、ウィツィロは作業時間を区切って、体を休ませたり、衛生的な水を用意して、そうした者が出る事を防ぐ事も行われていた。
開拓は、5つの班に分かれて行われていたが、3人が居た班だけが突出して進んでいた。
遅れが生じている班に人手が回されることになるのだが、誰もがウィツィロの班に戻りたいと口にしていた。
語りながら、マトムも涙ぐんでいた。
涙の訳を尋ねると、マトムも開拓に駆り出された一人だった。そして、息子のククルに助けられた者達の一人だとも言った。
マトムは、ウィツィロ達3人は、殺害されたのだと言った。
ウィツィロは、傷口が腐って死んだが、それは、蛇の毒を塗った刃物で傷つけられたからだと言う。
長男のウェウェコヨは、いつも作業者達に指示をする時には、太鼓で合図を送っていたので、蛇が彼の近くに潜む事は考えられない。
事実、彼が指揮した班の中から、毒蛇に噛まれた者は一人も居ない。
土地の者達は、彼等がアステカの神々の庇護と知恵を与えられていて、それが作業者達を守る事になっているのだと言っていた。
アステカの神々の使いである蛇が、彼等を陥れる事など無いとも。
3人が作業場から居なくなり、作業者の士気は地に落ち、多くの毒蛇が出現する様になって、鞭打つ監督者への反抗も発生し、終には監督をする者さえも居なくなり、工事を進める事が出来なくなったと、マトムは結んだ。
「女将さんは、ウェウェコヨを産んだ女神様なのだから、奴隷達や土地の者達は、女将さんに会いたくて、店に来るのだよ。
女将さんも、分け隔て無く誰とでも接してくれるから、好かれて当然なのさ。他に、訊きたい事は有るかい。」
マトムは、自慢話の様に女将を語る。
「工事をしていた会社の関係者の名前を知っていますか。」
文治は、ようやく本題に入った。
「会社の名前は、パナマ開発会社といったかな。でも、そこの人と直接会った事が無いので、その会社の詳しい事は知らないな。」
マトムは、作業員だったのだから、当然の事と言える。
「コーネリウという人が、責任者らしいわね。」
マトムの後ろから女将が答えた。涙が収まったのか、女将は真剣な顔をして、話に乗ろうとしている様子である。
マトムは、女将を椅子に座らせて、自分は彼女の後ろに立った。
「コーネリウは、数回しかパナマに来ていないらしい。
彼は仏国で植民地の商売をしていて、商売を太平洋側に広げるために、仏国政府連中を金で買って、税金を使わせようとしていたらしい。
最初は、うちの人や息子達の活躍が続くと見込んで、10年で完成すると予定したらしいのね。でも・・。作業員の人達が付いていかなくなって、仏国でも何かが起きて工事は中止になったらしいの。」
「チャルチウィ。英国人のケルとかいう奴が、何度か旦那の所に来てたのを知ってるかい。」
女将が一区切りを入れた所で、マトムは女将に訊いた。
「えっ、何の話。そんな人知らない。」
そこからは、女将とマトムの話となって、ティエロの通訳が追い付かなくなった。
暫く、マトムと女将の早口の会話が続いた。
二人が、黙った時に、ようやく、ティエロが文治達に二人の会話の内容を話した。
英国人のケルという男が、ウィツィロの所に着て、金を出すから仕事から手を引けという話を持ち掛けてきたらしい。
それは、ウィツィロが、仕事終わりの酒席で一度だけ口にした事であった。
彼は、作業員達のために働いているのだから、金で話をつけようとする奴だった事に腹を立てていた。
その翌日から、事故が起き易くなって、ウィツィロは、かなり慎重に仕事をする様になっていった。
ウィツィロが慎重になって、事故が起きなくなった。
暫くして、ウィツィロは怪我をした。使っている鉈の鞘が割れて、軽く腿を切っただけである。
だが、その傷からウィツィロが動けなくなって、命を落とす事になる。
そうした関連性を考えると、英国人のケルが作業妨害をしていたと言える。
だが、ケルの仕業であると言えるものは、何も無いということだった。
それだけ話すと、マトム達と同じようにティエロも黙り込んだ。
「ティエロ君。その英国人は、スペイン語を話したのでしょうか。ウィツィロさんは、英語を話された訳ではなさそうですが。」
文治は、ティエロに通訳して、訊いてもらうつもりで言った。
だが、ティエロは通訳せずに、下を向いたままでいる。
「ティエロ君。どうしましたか。通訳をお願いします。」
文治がティエロを急かせた。
「・・・文治さん。ケルの通訳をしたのは、多分、僕の父です。」
文治とラジムは、ティエロの突然の告白に驚いた。
「僕の父は、英国公館に住み込みで働く僕の御祖母ちゃんの下で育ったそうです。御祖母ちゃんは、腰を悪くして公館で働けなくなって公館を出て、父は港で通訳の仕事をして、生計を立てていました。
でも、運河の建設が始まって、仏語の方が重宝され始めて、父の仕事が減ってしまいました。
僕が6歳の頃、食事にも困る程になっていました。
暫くして、急に暮らしが楽になりました。英国公館から、長期の通訳の仕事が入ったと、父は言っていました。
御祖母ちゃんは、立って歩く事ができなくなっていて、母は御祖母ちゃんの面倒を見るに忙しくて、父しか生計を立てられる者が居なかったから、安定した収入を得る事ができたという事です。
丁度、マトムが言っていた時期と一致します。・・・」
「マトムさんは、その事を知っているのですか。」
文治は、マトムの方を見ない様にして、ティエロに訊いた。
「・・・いいえ、僕からは言えません。」
ティエロは、下を向いたまま答えた。




