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東京時代16

加納が戻って行ったのと入れ替わりに、冬美と光三がやってきた。光三は足音を響かせて和江の部屋へ走っていった。

「和江。おい、和江。大丈夫か、和江。」光三の大声がして、その後、静かになった。

文治は、部屋へ、冬美は炭を取りに勝手口へ向かう途中。

「文治さん。光三さんを連れてきたわよ。門から加納さんが、凄い勢いで飛び出してきたけど、何か有ったのかしら。」

「冬美さん、ご苦労様です。先程。調理場に加納さんが居らっしゃったのですが、和江さんが落ち込んでいる事を伝えましたら、元気にする料理を作る為に、食材を取りに戻ると言われて出て行かれました。」

「あら、そうなの。和江さんを元気にする料理って何なのかしら。あとは、・・・、私は何をすれば良いのかしら。」

「そうですねえ、冬美さん御一人で部屋に居られても落ち着かないでしょうから、光三さん達にお茶でも持って行かれたら如何ですか。そこで、女性同士の話をしたりして、気を紛らわせてあげるということも良いのではないでしょうか。」

「そうね。そうするわ。」


文治は、部屋に戻り、ジョージが処刑されたという事について考えていた。

反逆という言葉が、冬美の情報としてもたらされたが、反逆の内容が何だったのか。ジョージは、議員会館に勤め、米国大使館との繋ぎ役だった。反逆したとすれば、何らかの重要な情報を会館の関係者に漏らした、それを米国大使館が知った、ということなのだろうか。そうであれば、その重要な情報が何なのだろう。

手掛かりは、文治がジョージに訊いた英単語に有るのかも知れない。あの時、ジョージは、文治が米国大使館に居たのかと驚いた。だが、それ以上の事は分からない。改めて、その文書を読み返しながら、思案をしていた。


加納が戻って来た音が聞こえた。自転車を停める音である。廊下に出ると、和江の部屋からは、話し声が聞こえる。光三と冬美が和江を慰めているのだろう。文治は、調理場へと向かった。

調理場へ入っていくと、加納が早速、準備を始めている。

「文治さん、戻りました。」加納は文治に気付いて言った。

「加納さん。何かお手伝いできる事は有りますか。簡単な事しか、できませんが。」

「やあ、それは有難い。このささらで、卵を掻き回しておいてもらえますか。白く泡立てて、ささらに付いた泡に角が立つ様にして欲しいのです。こんな風に掻き回してください。」

加納は大きな茶筅と大きな丼を文治に渡して、説明をした。

文治の手が疲れて頻繁に停まる様になる迄、横では加納が手早く色々な作業をしていた。そして、加納は文治から泡立てた卵を取り上げ、焼く作業を始めた。

「甘くて、ふわっとしたものは、一時的でも、幸せな気分になるものです。そんな食事を提供しようとしています。不幸な事は消せませんが、少しでも幸せな気分を味わえば、何か違うものが見えてくるでしょう。料理人として出来る最大の努力です。」加納は、そう言って火加減を調整していた。

今の自分にできる事の努力をすれば、それは何がしかの効果を発揮するだろう。加納の和江に対する配慮に頭の下がる思いだった。

「文治さん。これを取って来たのですよ。」そう言って、加納は壺を取り出した。

「昨年の春に手に入れた、砂糖楓の蜜です。蜂蜜とは違う風味で、美味しいですよ。きっと、和江さんを元気にしてあげられる筈です。」

それからも、文治が見聞きしたことの無いことを色々して、文治にも手伝わせ、料理が出来上がっていった。

「さて、配膳を済ませてしまいましょう。文治さん、お手伝いください。」

文治は、加納の助手扱いされている。言われるがまま食卓へ料理を並べていった。

「文治さん、ご苦労様です。では、三人を呼んで参ります。そこに、お座りになって、お待ちください。」

そう言って、加納は和江、冬美、光三を呼びに行った。


食堂へ入って来た和江は、かなり泣いたとみえて、瞼が腫れている。加納は三人を文治の周りに座らせ、自分も座って、全員に夕食を促した。

「今晩の品は、本来なら、お客様の文治さんに合わせた料理にすべきなのですが、文治さんが和江さんの落ち込み様にお困りということで、和江さんを元気にするための工夫をしました。調理に当たっては、文治さんに大層お手伝い頂きましたので、きっと和江さんを元気にすることができると思います。どうぞ、お召し上がりください。」

和江は、加納の説明を聞いて、文治に迷惑を掛けている事を思い出し、更には、文治に調理の手伝い迄させてしまった事で、自己嫌悪から下唇を噛んで、うつむいてしまった。

「はい、色々お手伝いさせていただきました。いつもの食材が、手を加える事で、こんなにも変わっていく事を知って、驚きです。昨晩お話ししました養老の滝の物語以上に、他の時にお話しする種ができました。」

冬美は、文治が話の種を仕入れる様が目に浮かんで、「うふっ」と笑った。

「成る程、文治さんは、そうやって話の種を仕入れてるんだ。確かに自分でやってんだから、間違いねえや。」光三は、そう言って馬鹿笑いした。

冬美と光三につられて、和江も笑い出した。

一通り笑ったところで、加納が「さあ、冷めないうちに食べましょう。」と声を掛け、全員が料理に手を付けた。

女性二人は、ふわふわで蜜のかかった卵を食べて、顔を見合わせた。口に中で溶けていくそれは、二人を笑顔にするに十分だった。

「何これ。」「まるで甘い雲を食べているみたい。」

光三は、面白い食感であることには驚いたが、感動する程ではないと感じていたが、女性二人が喜んでいるのを見て、胸を撫で下ろす思いだった。

他にも、巣篭りだとか、体が温まる鶏肉の汁物、皮目を炙って甘たれをかけた刺身など、食を楽しむということが、どんな事なのかが実感できるものであった。

「ところで」と加納が口を開いた。「文治さんの養老の滝というのは、何ですか。」居なかった加納には分らない話だったので、文治は、果実酒の件を掻い摘んで話した。

「はあ、それで藤神さんは甲州へ向かわれたのですね。確かに葡萄畑を開墾したという話は聞いていますが、葡萄酒迄とは、私も知りませんでした。私も甲州に知人が居ますので、今度、聞いてみることにします。文治さんは、噂通りの情報通ですね。」

皆は、加納の言葉に頷いた。

「色々な方にお世話になっていますので、お世話になる方々に、他でお世話になった方の良いお話しをしているだけです。私の知恵ではありません。今日のお手伝いで、きな粉、小麦粉、上新粉が、こんなに役立つものなどだと、初めて知りました。きっと、他の方々へも役立つものになると思います。」

文治は、いつもの様に役立つ情報を共有することが信条であることを口にした。

「えっ、きな粉も使ってあるのお。」和江は、先程迄の落ち込んだ様子と打って変わって、献立に分からない部分があることに食い付いた。

加納は、夫々の料理と手順の説明を始めた。和江は、その中で、思いも依らない使い方に興味津々で聞き入っていた。

その和江の一心の姿が、気を紛らわし自分の不幸を慰めるものだと、光三の眼には映った。光三は、黙って夕食を頬張って和江を見守り、文治は冬美と言葉を交わしていた。


夕食が終わりかけた頃、車の音がした。藤神が帰って来たのかと、冬美は迎えに出るために玄関へ向かった。そして、直ぐに戻って来て、文治に言った。

「文治さん。實小路様が来られました。」

その場の全員が驚いた。そして、冬美に続いて入って来たのは、金丸、そして、實小路である。

その後から、ハナも入って来た。「和ちゃん、大丈夫なの。」ハナは、實小路、金丸の横を通り抜け、和江の所へ駆け寄って言った。和江とハナは、手を取り合って、小声で何かを話しながら、涙ぐんでいる。

金丸は、由井からだと、袋を渡し、伝言を伝えている。

「文治君、大変だったな。藤神から連絡が有ってな、翌朝には戻ってくるそうだ。それと、和江とハナは旧友でな、ハナが、どうしても今夜行くと言い張って、歩きでは深夜となってしまうので、金丸と共に、儂がやってきたという訳だ。」

文治は、實小路に謝意を示し、今日の顛末を報告した。

「ふむ、そのジョージの処刑を告げに来た者が何者であるかということだな。」

「文治さんは、その方とお会いになってらっしゃらないのですよね。」いつの間にか、金丸も文治の横に立っていた。

加納は、冬美と共に食器の片付けをしている。

「和江さんに、直接、お尋ねしましょう。」文治は立ち上がって、和江の所へ行って、話し掛けた。

「和江さん、お話し中申し訳ありません。少々、お尋ねしたいのですが宜しいですか。」

和江は、小さく咳払いして、「何でしょう。」と、文治の方を向いた。

「本日、使者として来られた方が、どなたなのかという事なのですが、御存知ですか。」

「使者、・・・ああ、カールのことですか。」

「カールさんと、おっしゃるのですか。その方は、どういった方なのですか。」

「えっ、・・。」和枝は、カールの事を思い出そうとして、また涙が出てくる。「カールは・・・ハワイで、一緒・・・の友達の一人で・・・いつも、ジョージと・・・遊んでいた仲です。」

「おう、カールの奴か。何でも、海軍の将校になったと聞いたな。」横に立っていた光三が、代わって答えた。

「海軍ですか。その将校が何故、日本に居るのでしょう。」文治は、素朴な疑問を口にした。

軍艦を離れて、藤神家に来るというのは、普通ではない。まして、ジョージの処刑を告げに来るというのも考えられない。

「さあな。ジョージとは旧知の仲だからじゃねえか。和江が一緒に暮らしていた事も分かっていた様だし。」光三は、軍人というものを理解していないのか、思う事を口にした。

「そうかも知れませんね。和江さんは、これから、どうなるのでしょう。議員宿舎での生活という訳にはいかないのですから。藤神さんに仕えるしか、身の処し様がないのでしょうか。」文治は、和江のこれからについて、案じて言った。

「文治君。今日は、もう遅いので、これ位にしよう。明日、藤神が戻って来てから、改めて決める事にしようではないか。今日は、ハナを置いて帰る。金丸、帰るぞ。」そう言って、實小路は食堂を出ていく。文治に、玄関まで一緒に来る様に合図しながら。

玄関で、金丸と文治に、實小路は何がしかの話をして、金丸と共に帰って行った。


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