戦争へ18
日本軍の訓練は、日々厳しくなっていった。
高の体は、見る見る筋肉質となり、更に、背が伸びる時期でもあって、言葉通り体格の良い若者となっていった。
京へ出掛けた時も、林華は高を益々好きになっていった。その帰り道でも、高は声を掛けられる程、良い男になっていた。
「おい、建吾。」
久し振りに、京で屋台を開いていた李教栄が声を掛けた。
「あっ、教栄さん。」
声変わりもしていて、低い声である。
「お前、凄く目立つな。」
「えっ、そうですか。いたって普通の服装だと思いますが。」
高の言う通り、服装は、むしろ地味と言って良い色である。帽子も深めに被っているので、印象的な所は見当たらない。
だが、姿勢が良く、歩くのにも人に触れない様に、巧みにかわしている。そのかわし方が、普通ならば触れると思われる直前でかわすので、振り返る者が何人も居る。まるで風の様である。
そんな男を見て、声を掛けたくなる女が居る。触れられない物への憧れと言えるかも知れない。
そんな女が、三人、四人と出てくると、周りは注目するのである。
「建吾。お前は、自分がどの様に見られているのかが分かっておらん。自分には、上手く説明ができないがな。
そうだ。今度、京へ来る時は、芳令と共に来るのだ。それで、芳令から説明してもらおう。」
「えっ、芳令さんとですか。・・・林華の所へ行けなくなってしまいます。」
「何を言っておる。芳令とて、承知しておるのだから、全く問題は無い。良いな。」
李教栄は、そう言って、焼いたチヂミを高に渡した。
「李教。今日は、何だか疲れた顔をしてるじゃない。」
文芳令は、椅子に深く腰掛け、茶を啜っている李教栄に声を掛けた。
「あー。文芳か。昨日は京へ出掛けて、酷く疲れた。」
「へー。珍しいね。いつも客なんて来ない様な所に店を出して、『てきとー』なんて言っているだけだろう。」
「ああ。京へ行く目的は、噂話を集める為だけだからな。それ位が、丁度良いのだよ。」
「それで。何で疲れているのさ。」
「昨日は、高も京へ行った。」
「あっ、そうか。例の女の子の所だね。」
「そうだ。それで、高の奴、目立つものだから、呼び止めて注意してやったんだ。」
「へえ、目立つんだ。大して男前でもないのに。」
「そう。そうなんだが、何故か声を掛けてくる女が何人も居るんだ。」
「ふうん。それで。」
「ああ。それで、次に京へ来る時には、文芳令と一緒に来る様に言ったのさ。」
「ええっ。何で私が一緒に行かなくちゃならないのさ。」
「うん。高が声を掛けられる理由が分からなくて、その理由を突き止めて欲しいんだ。その理由に手を打つ必要が有るからな。」
「女じゃなければ、分からないという事なのね。」
「そうだな。何となくは分かるんだがね。」
「それで。何で疲れた顔をしてるのさ。」
「あゝ、そうだったな。
高が行った後、高に声を掛けてた女がチヂミを買いにきたのだよ。チヂミを焼いている間に、その女が高の事を訊いてきたのだよ。」
「ふうん。よく有る事ね。李教だって、同じ事をするでしょ。」
「そうなんだが、声を掛けた女が、3,4人居たと言ったろ。」
「うん。」
「その女達が、皆、同じ様に来てさ。店先でお喋りを始めたのさ。」
「高君の事についての話をしてたのね。」
「いや。そうじゃない。高の話も最初は有ったのだけど、皆が高に声を掛けた人達なので、話が合うのか、町の男達の噂話を延々、初めたんだ。」
「ふん。よく有る状況ね。」
「そこからが大変だったんだ。」
「その人達に何か有ったの。」
「その人達は、延々、お喋りをしていただけなんだけど、何かの勘違いをする人達が増えてさ、儂のチヂミが美味いのかも知れないとね。お客が4、5人来たのさ。
屋台には、チヂミを焼く鉄板が1枚しか無いから、待ってもらう事になる。
それが、行列に見えるのだろう。何故か、人が、どんどん並び始めてさ、『てきとー』に切り上げる事ができなくなってしまったという事だ。
初めて、食材が無くなる迄、商売をしたよ。帰ってきて、経理に金を渡したら、凄く驚いていた。
儂は、もう、クタクタだよ。」
「まあ、李教のチヂミは美味しい部類に入るからね。」
「だから、早く、高のモテる原因を突き止めて欲しいのだよ。そうじゃなきゃ、ただのチヂミ屋になってしまう。」
「ふうん。じゃ、来週、高を誘って行ってみようかな。」
文芳令は、含み笑いをしながら、李教栄の肩を叩いて出ていった。
「張さん。御無事で何よりです。」
高は、帰任した張に挨拶するために、張の机の前に立っていた。
「誰だ。」
張は、久し振りに見た高が立派な若者になっていて、最初は、高である事が分からなかった。
「高です。高建吾。」
「えっ、・・・そうか。確かに高だ。背が伸びて、体が締まったから、分からなかったそ。
声も太くてしっかりしたしな。」
「有難うございます。」
張は、帰任と共に長官職に就いていた。
「おう。張官。建吾も一緒とは都合が良い。」
加藤が、部屋に入ってきた。
「何だ。郭英吾じゃないか。どうした。」
「うん。日本へ帰任することになった。伊藤大佐が『指導すべき事は全て指導した。後は、朝鮮軍が教えられた事を繰り返し訓練すれば良い』と言って、撤収する事になったんだ。」
「そうか。それで、いつ戻る予定なんだい。」
「うん。それが、明後日なんだ。」
「へえ。えらく急な話だな。」
「ああ。朝鮮国が日本軍駐留のために使っている費用を気にしていてさ。一日でも早く、負担を減らしたいという事らしい。」
「そうなのか。朝鮮王国は、民から血税を取れるだけ取って、王宮では贅沢な暮らしをしているのにな。」
「そう言えば、清国を日本軍が破ったという報告は受けておるだろう。冊封も終わる事になる。建吾達の時代になるな。」
高は、張の顔を見た。張は、目を剥いて驚いている。
「英吾。日本軍が清国を破った事など、初めて聞いたぞ。冊封が終わるというのは、どう言う事だ。」
張の言葉に、今度は加藤が驚いた。
「何だ。何故、伝わっておらんのだ。一昨日、伊藤大佐から聞かされて、伝えた・・・。
そうか。水軍の連中には言ったし、それ以外は、尹に伝えた。だが、尹から諸君に伝わる訳が無いか。尹は、中央へ戻る準備で手一杯だったろうからな。
まあ、そう言う事だ。これからは、清国の顔色を窺いながら国政をする必要が無くなる。という事だな。」
張は、加藤の言葉を聞いて、一点を見据えたまま黙った。何かを考えている。
暫くして、張が口を開いた。
「加藤殿。」
先程迄、郭英吾と親しく呼んでいた張が、改まった口調になっている。
「一旦、日本へ戻られてから、再び、我が国へ来てもらえないか。」
「えっ、どう言う事だい。」
加藤は、張の要求に驚いた。
「貴君も知っての通り、我が王宮は、一人の女のせいで、駄目になっている。
今迄は、清国が王宮に圧力を加えて、その顔色を見ながら、官僚達が為政してきた。その重しが外れたとしたら、女の我が儘放題になってしまう。
今は、王宮の中だけの荒廃が、朝鮮国全体に渡ってしまう。そんな事が有ってはならん。」
「張官仁。それは、日本軍が清国の代わりに、重しになれと言っておるのだぞ。」
「その通りだ。今から、高を育て、一人前の指導者になる迄に、国が荒れてしまわない様にする為には、中央の連中にとっての重しが必要だろう。」
「張。何も高が育つまで待たなくとも、他の者を立てれば良いのではないのか。」
「もちろん、高以外の者も育てるつもりだ。だがな。育てる者は、今の為政に関係していない者達にする。
少しでも、今の為政を経験した者は、今の官僚の影響から逃げる事ができんからな。」
「言っている事は分かった。だが、伊藤大佐への報告が必要となる。儂の一存では決められぬからな。」
「当然だな。直ぐに手紙を用意する。大佐に渡してくれるか。」
「ああ。自分も朝鮮国が荒れるのは望まないからな。」
二人が早口で喋ったので、高は口を挟めずにいた。
「あの。私が指導者になると言うのは、どう言う事なのでしょう。」
二人の会話が途切れたので、高は、ようやく話し掛けられた。
「高。聞いた通りだ。これから、大きな変革が訪れる。恐らく、王宮での政治は消える。清国という後ろ盾が弱体化しているのだからな。
加藤殿からは、朝鮮国が独立して国政を担うべしといった意見が出たが、高も知っての通り、中央官僚には、その能力を持つ者が居ない。そうなると、露国や英仏国が支配しようと侵略が始まる。国が荒れてしまうことになる。
中央の官僚も一掃して、新たな国として運営をしなくてはならん。国の為に自らを犠牲とする志を持った者達が必要である。という事だ。」
「私に、その役目が務まりますか。」
高は、不安で一杯だった。
張は、笑みを浮かべながら答えた。
「今は、無理だと思う。その為に学んでくれ。5年・・では無理かも知れんが、10年有れば余る程だろう。
そうしたら、我々の手に朝鮮国を返してもらえば良い。」
「張さんや、李さんは、どうするのですか。」
「うん。日本軍が行政をする事に尽力する。最初は、中央官僚が抵抗するだろうがな。」
「王宮は、どうするのですか。」
「ああ、簡単な事だ。血税が王宮に届かなくすれば良い。事によると、武力を持ち出してくるかも知れないが、それも精々が刀剣だろう。少しは、短銃も有るようだがな。その程度のことだ。」
そう言って、張は、乾いた笑い声を上げた。
「高。明後日に出発だ。用意しておけよ。」
加藤が告げた。
「えっ、用意するというと。」
「お前も、我々と共に日本に行くのだ。日本では、他の国々で、これから自国の指導をする立場の者が学んでおる。お前も、そこで学ぶのだ。」
高は、絶句した。余りにも急な話である。
「張は、身をもって朝鮮国を建て直そうとしている。高は、学んで、その後を引き継ぐ事になる。その学ぶ場が、日本なのだ。」
加藤は、そう言って、高の肩を叩いた。




