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ロバート教授の幻獣生態調査記録  作者: ロバート・クロフト
第五章 一九七五年 北方林内における局所的静音域の反復発生、および同時期に報告される樹上大型生物目撃との関連調査
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第二節

**一九七五年十一月二十三日 東斜面枯れ沢上、第二観察路**


朝の冷え込みは前日より強かった。

監視小屋の手摺には薄い氷がつき、桶の水面も縁から先に固まり始めている。こういう朝は、森の音がよく立つこともあれば、逆に妙に痩せることもある。空気が乾き、雪が軽くなり、枝の返す響きが一段浅くなるからだ。

ヨアヒムは小屋を出る前に空を見上げ、今日は上を通るなら早いだろうと言った。理由を訊くと、昼までに雲が厚くなる、雲が厚くなる前の乾いた時間は、あれが枝を選びやすいのだという。

言葉としては素朴だが、経験に裏打ちされた判断らしく、私は特に反対しなかった。


この日はリゼも同行した。

彼女は監視小屋へ朝のうちに現れ、昨日北面で見えたことを簡単に話すと、東斜面のほうが若いのを見るにはよいかもしれないとだけ言った。

その一言が気になった。

若い個体と成獣とで使う枝列が違うなら、対象の生活史を知る手掛かりになる。樹上性の群れや家族単位の存在では、若い個体が先に細い枝を覚え、成獣はむしろ太い分岐と幹の近くを使うことが多い。もちろん、この対象がそうだと決めているわけではないが、観察の視点としては有益だった。


東斜面へ下る道は、北面よりずっと歩きにくかった。

雪が浅く残る地面の下に、枯れた沢筋がいくつも隠れている。表面から見れば緩やかな斜面でも、一歩ごとに足場の締まりが違い、油断すると踵が落ちる。

森の中で危険なのは、大きな障害より、こうした浅い段差である。人間の歩きはすぐ乱れ、視線は上を見たまま足元を忘れる。私は以前から、気配を追いすぎて地形そのものに不意を突かれることがある。年齢を重ねても、そこだけはあまり改善しない。


枯れ沢上に着いたのは、陽がまだ樹冠の外にある時刻だった。

沢と言っても水はなく、石と倒木が雪の下に眠っているだけだが、その分、幹の根元が露出して枝のかかり方がよく見える。ここでは確かに、北面より木と木の間隔が広かった。

しかも沢の上をまたぐように、片側の樹木が外へ張り、反対側の木と中ほどの高さで枝を交差させている。樹上を渡るものにとっては、道が絞られる場所である。


「ここではよく見えることがある」とヨアヒムが言った。

「ただし、見える時は大抵、聞こえない」


この言い方は、前日より少し具体に思えた。

静音域が先に来るのではなく、姿を拾いやすい場所ほど音が抜ける、という意味にも取れる。

私は沢筋の片側、倒木の陰に身を寄せ、そこでまず平常の音を確かめた。風は弱い。上部の梢は細かく鳴っている。枯れ沢の石へ時おり雪が落ちる。遠くで鶏ほどの大きさの林鳥が二度鳴いた。

この段階では、森はまだ素直だった。


変化は、突然というより、順に起きた。

まず鳥が沈んだ。

逃げるのではなく、声をやめる。これは前日も見たが、今回は範囲が狭く、沢筋の上だけに限られていた。

次に、上の梢の動きと音が少しずれた。揺れているのに、鳴りが一拍遅い。

そして最後に、ペテルが何か言いかけ、その声が妙に短く聞こえた。消えたのではない。ただ、少し先まで伸びるはずの子音の尻が、沢の上で切られたように痩せたのである。


「今です」

リゼが囁いた。


私は反射的に上を見た。

最初に見えたのは、動く影ではなかった。

枝に乗った雪が、一列だけ、等間隔に落ちたのである。

高いところからまとめて崩れるのではなく、渡り板を踏むように、左から右へ。

対象は見えない。

だがその動線だけが、雪の剥がれ方で先に浮く。

次の瞬間、その線の中ほどに、灰白色の胴がぬっと現れた。


昨日より長く見えた。

体つきはやはり細長く、だが猫科ほど柔らかくはない。むしろ樹上性の猿類やテン類を引き伸ばし、そこへもっと重い胸郭を足したような印象である。

前肢は思ったより太く、枝を掴むというより、抱えて体を寄せるのに向いている。後肢は長く、蹴るためというより、次の分岐へ重心を送り出すために使っているように見えた。

尾は長いが、単にバランスを取るだけではなく、幹や枝へ沿わせて一時的に張力を作っているらしい。

私はそこに、単純な跳躍動物ではなく、「枝列そのものへ体を編み込む」ような移動様式を見た。


対象は一頭ではなかった。

成獣と思しき個体が沢の上を抜けたあと、少し下の枝列で、より小型の個体が二頭、短い間隔で続いた。

今度は若い個体で間違いないだろう。

一頭は動きがまだ粗く、枝から枝へ体を送る時に雪を余計に落とした。すると先の成獣が、振り向かずに、喉の奥で乾いた短音を一つだけ出した。

鈴に似ているが、もっと薄い。木片を爪で弾いたような音である。

若い個体はその直後、動きを小さくし、幹へ寄るように軌道を直した。

私はこの一連のやりとりを見て、群れというより家族に近い単位を想定し始めた。


「今の音です」とペテルが言った。

「前から、あれだけは聞こえることがある」

それは興味深かった。

風音や枝鳴りが痩せる中で、あの短い接触音だけが残るなら、彼ら自身がそういう周波や鳴らし方を選んでいる可能性が高い。

森の静音域が魔法的な沈黙であるより、彼らの移動と信号が、結果として人の聞き慣れた音の帯を押しのけていると考えるほうが筋が通る。


私は対象を目で追いつつ、足元も見ていた。

すると、もう一つ重要なことに気づいた。

彼らは沢筋そのものを飛び越えていない。

左右の木列が最も近づく地点を選び、その上でさらに、雪の少ない枝、幹へ近い分岐、風下へ開かない線だけを使っていた。

つまり彼らは単に樹上を自由に行くのではなく、毎回かなり慎重に「通れる森の形」を読んでいる。

このことは、彼らが樹上へ特化した生きものであると同時に、森の変化――伐採や倒木や積雪――に強く制約される存在でもあることを意味した。


三頭が沢筋を渡りきったあと、しばらく何も続かなかった。

私はそれで終わりかと思った。

ところがリゼはまだ上を見ている。

やがて彼女がごく小さく息を吐いた。

「もう一頭」


四頭目は、これまでの三頭とは違った。

大きい。

明らかに成獣で、肩から首へかけての毛が少し長く見える。

前の個体より色も濃く、背に沿って黒い筋が二本ほど流れている。

この個体は若いものたちの通った高さより一段上を使い、動きもずっと遅かった。

見張り役か、あるいは群れの後尾を取る個体だろう。

その姿を見た瞬間、私はこの対象を単なる「樹上を行く希少獣」とは見なせないと思った。

複数個体で移動線を共有し、若いものへ軌道修正を促し、隊列の前後で役割が違う。

そこには明らかに、反復された行動の秩序があった。


その後尾個体が沢の中央へ差しかかった時、足元の雪が一度だけ大きく崩れた。

原因は風ではない。若い個体の通った枝が、わずかに遅れてしなりを戻したのだろう。

崩れた雪は沢の石へ落ち、そこで初めて少し大きな音を立てた。

それと同時に、今度は対象のほうが止まった。


私は思わず呼吸を止めた。

後尾個体は、頭部だけをこちらへ向けた。

眼の色まで見えたとは言わない。そこまで書く記録は信用しにくい。

ただ、こちらを見た、あるいは少なくともこちらの形を測ったことだけは確かだった。

そして次の瞬間、個体は体をさらに幹へ寄せ、輪郭の半分を樹皮へ吸収されるように薄くした。

保護色と呼ぶだけでは足りない。

体表の色だけでなく、静止の仕方そのものが、幹と枝の線へ重なるようにできているのだ。

遠くから彼らが「見えにくい」のは、森のせいだけではない。彼ら自身が、森の縦の線へ自分を折り畳む術を持っている。


しばらくして、個体は何事もなかったように動き、対岸の木列へ消えた。

消える、というより、見える条件が解けたと言ったほうが正しい。

静音域も少しずつ戻り、鳥の声も遠くで再開した。

森はまた普通の森へ戻ったが、今の数分間で、この章の対象はかなり具体の形を持った。


観察後、私たちは沢筋の両側で痕跡を拾った。

地上に足跡はない。そこは予想どおりだった。

だが幹の分岐点には、短い灰白色の毛が二本残り、樹脂の新しい擦れが三箇所見つかった。

毛は硬く、しかし獣脂の重さが少ない。濡れれば水を弾きそうだが、乾いている時には木肌の灰へ近い。

私はそれを紙へ包み、位置と高さを詳しく記した。

また、若い個体が通った枝の雪だけが、成獣のものより広く散っていた。体重の軽さだけではない。歩き方の未熟さもそこへ出ているのだろう。若いものは枝へ余計な横揺れを与える。

対象の年齢差を行動の粗さで読めるなら、今後の観察はかなり進めやすくなる。


帰路、ヨアヒムが言った。

「先生、伐るなら来春です」

「この区画を?」

「ええ。上ではまだ決めていませんが、候補に入っています」


私はすぐには答えなかった。

大学の理事会も、林区の上層も、現象の価値と木材の価値をそれぞれ別の秤で量るだろう。

だが、もしこの沢筋の枝列が家族単位の移動路であるなら、伐採は単に樹木を減らすのではなく、彼らの道そのものを断つことになる。

樹上性の生きものにとって、道は地面よりずっと脆い。一本の大木を失うことが、一帯の通行不能につながることもある。

私はそこで、今回の報告をどう書くかを考え始めた。

現象の説明だけでは足りない。行動圏の保全を言葉へ入れなければならない。


監視小屋へ戻ってから、私は記録へ次のように追記した。


一、対象は少なくとも四個体からなり、成獣二、若年個体二の家族単位を形成している可能性が高い。

二、移動は樹上の任意の跳躍ではなく、特定の枝列・分岐点・幹間隔へ依存する「通路利用」として理解すべきである。

三、若年個体は成獣に比べ移動が粗く、接触音によって軌道修正を受けているらしい。

四、静音域は対象の通過と密接に結びつくが、その本質は「無音」ではなく、上層風音と枝鳴りの運ばれ方の局所的変化である。

五、したがって本件の保全上の要点は、個体そのものの希少性より、樹冠連結の維持にある。


明日は、地上からの追跡ではなく、監視小屋の上から夕刻の出入りを待つつもりでいる。

沢筋で家族単位を確認できた以上、次に知りたいのは、彼らがどの時刻にどの方向へ通路を使い、伐採区画の縁をどう避けているかである。

森の生きものは、見えた一瞬だけでは分からない。

どこから来て、どこへ消えるかが分かってはじめて、道を持つ生きものとして記述できる。


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