【第12話】盲信の影
反逆の貴族たちを裁いてから一月。
王都はかつてないほどの安定を取り戻していた。
市場には穀物が並び、飢えに喘いでいた子どもたちは笑顔を見せる。
兵士たちは規律を取り戻し、街路を行く人々は胸を張って歩いていた。
その全てが、俺の与えた《泉出》と《糧生》のおかげだった。
——だが同時に、別の兆しも芽生えていた。
◇
広場では、民衆がひざまずいて祈りを捧げていた。
「救世主さま……今日もお守りください」
「救世主さまこそ、神の御使い……」
俺の姿を見かければ、誰もが額を地につける。
笑顔は消え、崇拝の眼差しに変わりつつあった。
「……これは、行き過ぎだ」
俺は呟いたが、誰も聞いてはいなかった。
辺境から共に来た老人が、そっと声をかけてきた。
「人は救われると、救った者を神と見るものです。あなたの力はあまりに強大すぎる」
胸の《審判》が、淡く光る。
——この道を誤れば、秩序は狂う。
だが、それを止める術はまだ見えなかった。
◇
その夜。
神殿の奥から、声が響いた。
「救世主殿……」
現れたのは、まだ若い神官だった。
彼は目を輝かせ、熱に浮かされたように言った。
「神はあなたを選ばれた。もはや祈りの場も、聖女も要りません。あなたこそ、神そのもの。国中の祈りを一手に集めるべきです」
「……俺は神ではない」
静かに答えたが、神官は狂信的に首を振った。
「いいえ、民はそうは思いません。あなたが雨を降らせ、食を与え、魔を裁く。そのどこが人にできることですか?」
その瞳には理性の影はなかった。
俺は胸の文字を呼び起こし、真偽を確かめる。
——信念。
——盲信。
彼は嘘をついてはいなかった。
ただ、本気で俺を“神”と信じていた。
◇
数日後、奇妙な噂が広まった。
「救世主さまに祈れば病が治る」
「救世主さまに名を呼ばれれば子は授かる」
「救世主さまは死をも超える」
根拠のない噂が、民の口から口へと広がっていく。
そしてある日、広場に見知らぬ壇が築かれていた。
そこには俺の姿を模した粗末な像が立てられ、人々が列をなし、供物を捧げていた。
「これは……」
俺は言葉を失った。
辺境から来た仲間のひとり、娘を救った母親が震える声で言った。
「救世主さま……人々はあなたを信じすぎています。けれど、それは……危ういことです」
胸の《審判》が熱を帯びた。
——虚。
——偽り。
民衆の祈りは虚構に基づく。だがそれを焼けば、彼らの心までも壊すだろう。
◇
その夜、大聖堂の奥で再び神々の声が響いた。
——見よ。虚を信じたい者が最も危うい。
——虚偽を語る者よりも、虚偽にすがる者こそ秩序を崩す。
「なら、俺は……民を裁かねばならないのか?」
問いかけると、声は答えず、ただ沈黙を返した。
やがて足音がした。
現れたのはあの若い神官だった。
彼はにやりと笑い、膝をついた。
「救世主さま。どうか、この国を“教国”としましょう。すべての祈りをあなたに捧げ、神殿も、王も、勇者も不要とするのです」
その言葉に、俺は瞳を細めた。
「お前は……俺を神に祭り上げたいだけだ」
神官の笑みが歪んだ。
「そうです。ですが、それで秩序は保たれる。民は盲信を望んでいるのです」
胸の《審判》が燃え上がった。
——虚言。
——欲望。
彼は秩序を願ってなどいない。ただ、俺の影に隠れて権力を握ろうとしている。
「……お前の罪は重い」
俺が低く告げると、神官の顔から笑みが消えた。
「な、なぜ……私はあなたを讃えているのに!」
「虚を以て秩序を歪めようとする者は——裁かれる」
俺は《虚言灼》を解き放ち、炎が神官を包み込んだ。
悲鳴と共に、虚偽の声は夜に溶けた。
◇
翌朝、広場の俺の像は燃えていた。
民衆は驚き、恐怖に揺れていた。
だが俺は堂々と前に立ち、言葉を放った。
「俺は神ではない。俺はただ、民を救うために力を授かっただけの人間だ。祈りにすがるな。真実を見ろ」
沈黙のあと、誰かが叫んだ。
「救世主さまは……やはり救世主だ!」
人々は涙を流し、だが祈ることはやめなかった。
胸の奥で、神々の声が静かに囁いた。
——虚は焼いた。だが、虚を望む心は残る。
——それをどう導くかは、汝次第。
俺は拳を握りしめ、夜空を見上げた。
「……裁きだけでは足りない。導かなければならない」
新しい秩序は、まだ始まったばかりだった。




