耳塚の夜泣き
「さ、喋る耳に会いに行こうか」
「耳が喋るなんて言葉聞いたことがないです」
結が巻物を広げながら、どこか不満そうに言った。
舞台は、美濃の山中にある古刹、連岳寺。
夜な夜な「耳から声がする」と僧たちが騒いでいるという。
楓は感心したように顎を撫でる。
「いいねえ。だんだん変な依頼が増えてきた」
「喜ばないでください」
◇
連岳寺は質素ながら格式のある古寺で、敷地の隅には奇妙なものがあった。
小さな五輪塔の並ぶ一角に、ひときわ大きな石塚がある。
僧の話では「耳塚」と呼ばれ、戦で亡くなった者たちの耳や鼻を埋めた塚なのだという。
「京の耳塚と同じく、供養のために建てたものじゃ。
しかし、最近この塚の前で夜な夜な“耳鳴りのような声”が聞こえる。
ある夜には、“聞くな”と囁かれた者が、高熱を出して倒れた」
「その者たちは今?」
「発熱は治ったが、“右耳が聞こえん”とな……」
結は神妙な面持ちで耳塚を見つめた。
そのすぐ上には、寺の古井戸があった。
◇
「この耳、なんか湿ってます」
結が耳塚に手をかざしながら言う。「冷気が出てる……下に何かある?」
「塚の下が空洞かもな」
楓は草を払い、五輪塔の並びにある地面を軽く叩いた。
コツン。
「やっぱり、ここだけ音が違う。空洞だ」
「じゃあ、師匠……掘ります?」
「よし。ついでに湧き水も出て来ないかな」
「意味が分かりません」
◇
夜更け。
楓と結はこっそり塚の下を掘り始めた。
すぐに石板が出てきた。どうやら、下に“地下室”のような構造がある。
「古い通気孔もある……ここ、埋葬ではなく“封印”のようなものかもしれません」
結が石板を押すと、ぎい、と軋んで開いた。
湿気とともに、薄い呻き声のようなものが、ふわりと空気を撫でる。
「今の、聞こえましたよね?」
「聞こえた。……これは妖だな」
◇
地下に降りると、そこは石造りの小部屋だった。
中央には風化した石像と、その前に置かれた木箱。
箱の蓋は半ば崩れており、中にはなにか黒ずんだものが……。
「……耳?」
結が身をすくめた。「これは……人間の耳が、干したような状態で……数十個」
「“音を集める妖”だな」
楓が低く言った。「耳を喰らって、人の記憶や声を集める。
これは、“耳を抜かれて死んだ者たちの怨霊”を寄せ集めた、合成の妖だ」
「でも、封印されてたんですよね?」
「封印が弱まった。通気孔、つまり“声の出口”が開いたせいで、外に干渉できるようになった。
声で病を引き起こす“呪音”……それが、最近の“耳鳴り”の正体だよ」
◇
そのとき――
「聞くな……」
声が、耳元に直接響いた。
結がよろめく。耳元に熱が集まり、意識が遠のく。
「結、集中しろ!!」
楓の声が響いた。「“声”に反応するな!持っていかれるぞ!」
結は刀を抜き、瞬間、壁際に気配を感じた。
「そこか!」
刀が風を裂き、妖の本体――耳のような形をした黒い影を一閃した。
だが、影はすぐに形を変え、複数の耳が重なった不気味な姿となる。
その中央に、わずかに開く口。そこから、今にも言葉が漏れそうだった。
「師匠、封印は!?」
「札は……っと、」
楓が懐から赤い札を放る。
札が空中で燃え上がり、文字が石像へ吸い込まれる。
「天地を裂くは我が意、四象を鎮めるはこの符。――封」
言霊が石室に反響し、妖が耳の形のまま崩れ、灰のように床へ散った。
◇
静寂が戻った。
「……これが、“耳の妖”」
結は膝に手をつき、息を整えた。
「声が、脳の奥に刺さるようでした……」
「“集音仏”だ。人の声、記憶、後悔を聞き取り、妖へと変じた存在。
元は仏さんだったから、“聞くな”って忠告してたのも、ある意味“慈悲”だったのかもな」
「師匠は、聞こえなかったんですか?」
「俺は耳が悪いんだ。左は昔、ちょっとね」
…師匠は昔、何があったんだろう。
◇
封印が完了した後、連岳寺の僧たちは塚の上に新たな供養塔を建てた。
塚の中にあった耳の数と、古戦場で戦死した兵の数が一致していたことが判明し、村人たちは妖ではなく、“悔い”そのものだったのだと静かに語った。




