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15.侯爵令嬢と王子の尋問

「久しぶりだね、リズベット嬢。会いたかったよ」


 コルセットを締め上げた時よりも息苦しさを感じるのは、アンバード邸の応接間の空気だけが薄いからか。リズベットは、ぎこちない笑みを返す。


 監禁生活――部屋でゴロゴロしているだけの生活ではあったが――からの突然のドレスアップに、リズベットは既に疲弊していた。


 そんな彼女にレオナルドは、挨拶代わりに指先に口付けを贈る。その時点でリズベットの思考に必要な回路は焼き切れたと言っても良い。


 突然のことに、リズベットは曖昧に笑うことも忘れ、肩を強張らせた。その些細な振動が彼女の手を通してレオナルドに伝わる。しかし、レオナルドは眉一つ動かさず、微笑み続けた。


「リズちゃん。殿下はわざわざリズちゃんの見舞いに来て下さったのよ」


 隣で母親が肩を叩こうとも、リズベットは微動だにしなかった。それも仕方のないこと。リズベットの思考などとうに焼き切れているのだから。


 推しの握手会ならまだしも、指先への口づけまでサービスされては敵わない。侯爵家の令嬢たるもの……などという、生まれた頃から刷り込まれた貴族の矜持は既に床に落ちている。


 リズベットができたことなど何もない。こういう時は素数を数えるものだと前世の頃からのしきたりは有ったが、その素数すら数えるには至らなかった。


 褒められることがあるとすれば、その場に立ち続けていたことだろうか。


 レオナルドが手を離すと、リズベットは呆然とそこに残る温もりを見つめた。


「申し訳ございません。この子ったら緊張しておりますのよ」

「いえ、お気になさらず。婚約したとは言え、殆どお会いしてませんから。少し挨拶が行きすぎたようです」


 たとえ、その顔から緊張の色が見えなくとも、顔にも似合わず内気な性格を知る母親は真実を伝える。


 たとえ、その顔から緊張の色が見えなくとも、その程度の拒絶くらいで臍は曲げないとばかりにレオナルドは笑顔を返した。


「リズベット嬢、宜しければ少しばかり話でもしないかい? 二人きりで」


 レオナルドの笑顔にリズベットの肩が跳ねた。それは明らかな拒絶。それでもレオナルドは笑顔を絶やすことはなかった。


「でしたら、サロンにご案内しますわ。ここでは少し殺風景ですものね」


 リズベットが返事をするよりも早く、母親が返事をする。レオナルドの後ろに控えていたイヴァンは、一つ頭を下げ「私はこちらで」と微笑んだ。


 リズベットに決定権は無い。良いとも嫌だとも言わせては貰えず、リズベットは促されるままにサロンへと向かった。


 サロンまでの道のりは非常に短い。目と鼻の先だ。しかし、今のリズベットには延々と続いているように感じた。


 それも仕方のないこと。サロンまでの短い距離ですら、レオナルドはエスコートを申し出たのだから。リズベットの母親は、気を良くしたのか「後は若いお二人で」などという決まり文句を投げて去って行った。


「まだ緊張しているのかな?」


 サロンへの長い橋を渡りきったところで、リズベットを待ち構えているのは、それ以上の試練だ。推しと二人きり。それは、甘美を超越した地獄であった。


 なぜ、長椅子に並んで座るのか。


 リズベットは正面にどんと構えている空の椅子を眺めながら思案する。


 そんなことでも考えていなければやっていられない程に、リズベットは限界であった。


「緊張など……」


 している。


 と、言うわけにもいかず、リズベットはどうにか曖昧に笑って見せた。頬が引きつっていたとしても、それが今のリズベットの精一杯である。


 レオナルドの小さなため息が漏れ聞こえた。


「分かっているよ。突然婚約者だと言われて困惑しているんだろう? しかも五歳も年上の私は、君にとってはおじさんも良いところだね」


 リズベットは真顔のままにレオナルドを見つめた。同意をしているわけでも、貶しているわけでもない。レオナルドの憂い顔があまりにも美しかったからだ。


「そんなことはございません」


 絞り出した言葉は、レオナルドの耳にどうにか届いた。彼はその言葉にふわりと笑う。


 世に有名な0円スマイル。容赦なくリズベットの心臓を狙い打つ完璧な笑みであった。


 火事の如く胸が早鐘を打つ。避難警報は既に鳴り響いていた。しかし、リズベットはその場から逃げることも許されず、呆然と立ち尽くすばかりだ。


「そういえば、ルーカスと会ったんだってね」

「え、ええ」


 レオナルドがルーカスとのことを知らないわけがない。あれだけの人に見られたのだ。噂は風に乗り、レオナルドの耳まで入っている。


「ルーカスの方が年が近いから、気安く話せたかな?」

「そんなことはありません」


 そう、そんなことはない。それは、世辞でも何でもなく真意であった。レオナルドとお子様(ルーカス)を比べるなど烏滸がましい。


 リズベットにとってレオナルドは神にも等しいのだから。


 ルーカスが同担拒否過激派でなければ、仲良くする道もあったかもしれないが、彼はリズベットのことを完全に敵として見ている。そんな男と気安く話せる程、リズベットの心臓は強くない。できればもう二度と会わずに生活したいと思う程には。


「ルーカスとはどんな話をしたの?」

「それは……」


 リズベットは言葉を濁した。ルーカスとの会話を一字一句違いなく話せば、色々な誤解が生まれるだろう。


 何より、レオナルドとルーカスの関係は険悪であるという噂はリズベットでも知っているのだ。例え、ルーカスが本当はレオナルドのことを慕っていたとしても、今それを説明できるだけの力はリズベットにはなかった。


 突然リズベットが「本当は、ルーカス様はレオナルド様のことをとても慕っているようですの」と説明したところで、酷い冗談として取られるのがオチである。


 リズベットは思案する。


 その姿をレオナルドは静かに見つめていた。目を合わせれば晒されを繰り返すこと五回。レオナルドはリズベットの真意を測れないでいた。


 焦る気持ちを押し込めて、優しいと評される笑みを浮かべる。リズベットが言い澱み、思案する間もレオナルドは静かに待ち続けた。


 二人に用意された紅茶はとうに冷え、口にして貰えるのを今か今かと待ちわびている。


 レオナルドは思案した。


 ルーカスがリズベットにどこまで近づいたのかを。噂を信じるならば、会話をする時間はそこまで長くなかった。しかし、ルーカスは女誑しで有名だ。しかも、ルーカスが相手にするのは彼よりも十も二十も離れている女達ばかり。手練手管で言うのであれば、レオナルドよりも一枚も二枚も上手であることは火を見るよりも明らかだ。その磨いてきた腕を使えば、短い時間でリズベットを虜とすることも可能ではないかと、レオナルドは考えた。


「もしかして、私には話せない内容かな」


 レオナルドが僅かに眉尻を下げてリズベットの顔を覗き込む。些か刺激の強いレオナルドの行動は、リズベットに正しい思考力を与えない。


 禁止ワードを使わずにルーカスとの会話を説明する言葉を探しているリズベットにとっては、頭の痛い問題だ。


 レオナルドの瞳には少しばかり可能に顔を歪ませるリズベットが写っている。


 リズベットは絞るように言葉を出した。


「ルーカス王子殿下は、その……私達の婚約を余り良く思っていないようです」




リズベット「推しの笑顔が眩しい……!」



プライベートの方が忙しく、お待たせしてしまいました。

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