File.7 ◆
今回は百合シーンありです
荷物は前のホテルに置いてきてしまったため、今は軍から持ち出した備品以外にはほとんど何も持っていない二人。
そこでセナは屯所を出ると、自分の口座の預金をすべて引き出し、必要なものを買い揃えることにした。
動きやすくて目立たない服、数日分の食料、その他日用品の準備が整うと、二人は屯所からほどほど離れたホテルを適当に選んでチェックインしたのだった。
*****
ベッドに浅く腰かけたまま項垂れる夜。
いつもより重く感じる頭をぶら下げた首が痛む。
こんな気分のときは酒でも煽って気を紛らわせたいところだが、またいつやってくるかわからない追手のことを考えるとおちおち酔ってもいられない。
軍を離れた以上セナの慰みになる男もいない。
イヴを守る覚悟を固めたセナだったが、今更になって不安感が募ってきた自分に嫌気が差してきたのだった。
身寄りのないセナは監視軍の人間以外との繋がりをほとんど持たない。
しかし、今後は何があっても軍を頼ることはできなくなった。
事実上、一国家にも相当する都市である箱庭――アクルックスと一人で対峙しなければならなくなってしまったのだ。
アタシ一人で、本当にイヴを守れるのかしら……。
考えたくはなかったそんな恐怖がこみ上げてくる。
監視軍に失望し、気が立っていた先程まで、そんなことは微塵も思わなかったというのに。
ホテルの部屋で一人考え込む時間ができてしまうと、不意に顔を出す弱い自分に押し潰されそうになるのだ。
「――セナさん」
小さな声に呼ばれて視線を向けると、そこにはどこか極まりの悪そうな顔をしたイヴが立っていた。
彼女の髪と肌、それから着ているバスローブに至るまで白一色に統一されていて、唯一紅い光を灯す瞳がとても神秘的に見える。
しっとりと湿った髪と彼女の格好を見て、そういえば彼女はシャワーを浴びていたのだったと思い出した。
「大丈夫ですか? 顔色があまりよくないみたいですけど……」
「ああ、うん、大丈夫。いろいろ突然すぎて、ちょっと疲れちゃっただけだから」
咄嗟に笑顔を作るセナ。
一瞬でも弱気な姿をイヴに見られてしまい、彼女は焦りで心臓が高鳴るのを感じた。
イヴがシャワーを浴びている間にすっかり油断していた自分を殴ってやりたくなった。
「じゃあ、次はアタシがシャワー使うね――」
その場を誤魔化すように立ち上がったセナだったが、イヴがすれ違いざまに腕を掴んできたため立ち止まってしまった。
「……その前に、少しいいですか?」
「う、うん……」
真紅の瞳に見つめられ、イヴに引っ張られるがまま二人でベッドに腰かける。
真剣な表情を浮かべるイヴに対し、セナはもじもじと落ち着かない様子だった。
「セナさん、疲れただけなんて嘘ですよね」
直球で飛んできた問いに、心臓が跳ね上がるような感覚に襲われたセナ。
そんなに深刻な顔を見られてしまったのかと思うととても情けない。
「本当は不安なんじゃないですか? これからのこととか……」
「そんなことないわ、大丈夫よ。イヴのことはアタシが必ず守るって約束するから。だから絶対大丈夫。あなたが心配することなんて何も――」
まるで言い訳でもするように喉から溢れ出る文言をイヴに投げかけるセナ。
そんなセナの言葉は、不意に頭に乗せられた小さな手のひらを感じて止まってしまった。
「私が心配してるのは自分のことじゃなくて、セナさんのことです」
イヴの手がセナの頭を優しく撫でてくる。
まるでイヴが取り乱したときにセナがそうしてあげたように。
髪に感じる少し高めの体温が、これ以上の言葉を発することを許してくれない。
少し潤んだ真紅の瞳に見つめられながら、セナはただ黙ってイヴに撫でられ続けることしかできなかった。
「軍医の先生に何か言われたんでしょう? セナさんの様子、屯所を出てから明らかに違いますもん」
「イヴ……」
人が変わったように大人びた表情を見せるイヴ。
そんな彼女の瞳をじっと見つめていると、イヴはセナの頭をそっと胸元に抱き寄せてきた。
「ごめんなさい、セナさん。私のせいでいろんなことを抱え込ませてしまって」
抱き寄せてきた細い肢体からは、爽やかな石鹸と洗い立てのバスローブの匂いがする。
イヴの手は変わらずにセナの黒髪を撫で続けていて、なんだか胸の奥からちりちりとした感覚が湧き上がってくるように感じられた。
「――でも私、決めました。どんなに辛くてもこの運命に立ち向かうって。そのためにセナさんの気持ちともちゃんと向き合いたいんです。守られるばかりじゃなくて、私もセナさんを支えられるようになりたいんです」
「……」
何も言葉が出なかった。
セナは一番大事なことを見落としていたことに今まで気づいていなかったのだ。
アタシ、一人なんかじゃなかったんだ。
自分の隣にはイヴがいる。
イヴを守りたい気持ちが先走るあまり、イヴ本人の思いには何一つ気づいてあげられていなかった。
彼女は自分の力になりたくて、守られるだけだった弱い自分を捨てる覚悟を決めていたというのに。
「不安や心配事があるなら、強がって隠したりしないで私にも分けてください。セナさんのためなら私、その気持ちをちゃんと受け止めてあげられますから……だから……!」
本当に情けない。
これからのことについてはイヴの方が不安や恐怖を感じているはずだというのに、どうやらそれに折り合いをつけたのは、自分よりも彼女が先だったようだ。
イヴの胸元で彼女の体温を感じていると、行き場を失ったやるせない思いがどこからか溢れ出てくるような気がした。
それは次第にセナの胸の中に広がって、全身を侵して、理性を支配して――
「――イヴ……ッ!!」
気がつくとセナは、隣に座るイヴをベッドに押し倒していた。
「……ごめんイヴ……してもいい?」
目を丸くしてこちらを見上げるイヴを見つめながらセナが呟く。
「えっと、それってつまり、昨日みたいな……?」
「嫌だったならハッキリ言って。アタシの一方的な都合で、イヴのこと利用したくないから……」
そうは言ってみたものの、これは建前のようなものだ。
自分の慰みのためにイヴを利用したくないのは本当だが、拒絶されたところで踏みとどまる自信など、このときのセナは持ち合わせてはいなかった。
優しさが欲しい、安心が欲しい、熱が欲しい、愛しさが欲しい――
理性だけで自分の中の不安を押し殺し続けるのは、もう限界だった。
「――いいですよ」
黙ってセナの顔を見上げていたイヴが、そっとセナの頬に手を添えて呟いた。
「多分、私の不安も同じですから。ちょっと恥ずかしいですけど、でも……セナさんなら、いいです」
頬を赤らめて少し大人びた微笑みを向けるイヴを見て、セナは自分の中で何かがぷつりと切れたのがわかった。
まるで狂犬を鎖から解き放ったように、セナは瞳をギラギラと輝かせてイヴの唇に吸い付いていった。
長い長いキスで少し息苦しそうにしているイヴが愛おしくてたまらない。
指を絡めた手を強く握ると、イヴはそれに応えるように握り返してくるものだからさらに強く求めてしまう。
重なった唇から、絡まった指から、密着した胸から、セナの中に流れ込んできて全身を満たしていく安心感がとても心地よかった。
やがて唇を離し、セナがイヴの上にのしかかった姿勢で息を整える二人。
唇の間に一瞬だけ糸を引いた唾を見て、イヴが恥ずかしそうに目を逸らす。
それが無意識なのか意図的なのかはもはやどうでもいい――どこまでも徹底的にセナの理性を壊しにかかるようなイヴの振舞いはどれほど罪深いことだろうか。
ならばどこまでも壊れてやるだけだ。
今はこの白い少女の心も身体も貪り食うだけの獣に成り果てようとも、セナはイヴの体温を感じることで自身の弱りきった心を温めたかった。
恥じらうイヴに再び唇を落とすセナ。
またも少し息苦しそうに身をよじるイヴが時折漏らす高い声は、それを聞き取る鼓膜にすら快感を残していくようだった。
今度は舌も動かしてみる――熱くなったイヴの唇の温度だけでは飽き足らず、その先の熱まで貪欲に求めていくように。
まず行き当たったのは歯、それからその奥の柔らかな感触へ。
舌同士が触れ合った瞬間、イヴは一瞬驚いたようにセナの手をぎゅっと握ってきたが、すぐに力を抜いてその感触を受け入れてくれた。
互いの感覚を絡め合い、やがて唇を離すと先程よりも粘り気の強い唾が二人の間に垂れ下がる。
それを見てイヴはさらに恥じらい、手で顔を覆おうとしたがセナは手を離してなどやらない。
隠そうとしないでよ。
もっと見たいの。
もっと、もっと可愛いイヴを、アタシに見せて。
顔を背けるイヴの真っ白な首が目に映る。
それが妙に美味しそうだと思えたのか、セナはそこに噛みつくように唇を落とした。
「あぁ……ッ、待っ……!」
今度は口が塞がっていないため、イヴは湿った吐息が駄々漏れになっていた。
首はダメだと昨日言われたが、今日はもう知ったことではない。
"印"でも"跡"でも何でもつけて、アタシのものだって証にしてやる。
イヴは誰にも渡さない――渡したりするもんか……ッ!
真っ白で滑らかな感触の首に唇を這わせ、吸い付き、甘噛みする。
漏れそうになる吐息をこらえるイヴはそれがくすぐったいのか、身体をもぞもぞとくねらせていた。
やがてセナが顔を上げると、真っ赤な顔をしたイヴが見つめ返してきた。
少し潤んだ真紅の視線が心の奥深くまで突き刺さるようで、その感覚がまたセナを狂わせるように感じられた。
「……怖いのかも、アタシ」
セナは握り締めたイヴの手にさらに力を込めながら呟いた。
「アタシはイヴを守りたい。だけどアタシ一人の力で本当にそれができるのか、考えれば考えるほど不安になっていくの……」
イヴの胸に頭を落とし、震える声で訴えるセナを、イヴはただ黙して見ている。
セナは声だけではなく手まで震えていた。
その震えを止めようとするかのように、イヴは握った手をずっと放そうとはしなかった。
「これからどうしたらいいんだろ、アタシ……」
「――"アタシたち"」
「……え?」
ようやく聞こえてきたイヴの声に顔を上げる。
そこにはセナの目を真っ直ぐに見据える力強い瞳があった。
「"アタシたち"って言ってください。苦しいなら私にもそれを分けて欲しいって、さっき言ったじゃないですか」
自分より歳下だとは思えない大人びた眼差し。
その瞳に見つめられると、セナは胸の内に燻った思いのすべてを曝け出していいのだと安心できた。
「私にできることなんて何もないかもしれません。それでも、セナさんに守ってもらうだけのつもりもありません。私はセナさんが嬉しい時には一緒に喜ぶことができますし、悲しい時には一緒に泣くこともできます。どんな形でもいいですから、私も一緒に戦わせてください……!」
喜びも不安も恐怖も覚悟も、すべて一緒に背負ってくれると、彼女はそう言った。
たったそれだけのことなのに、涙が出そうになるほど嬉しかったのは何故だろうか。
泣きそうになったのを誤魔化すように、再びセナは激しくキスを迫った。
イヴはだんだん羞恥心にも慣れてきたのか、そんなセナの感情をすんなりと受け入れてくれるようになった。
どこまでも貪欲にイヴの熱を求めるセナの手は、やがてイヴのバスローブの紐を解き、その内側の柔肌へと伸びていった。