File.6
セナと向かい合って座る白衣の女。
彼女の名はニーナ・ファウベル――監視軍所属の軍医の一人だ。
後ろで一つにまとめられた髪は一見黒に見えるが実は焦げ茶。
瞳の色はグレーだが、目が細いため近くに寄らなければよく見えない。
彼女は非常に事務的な性格をしていて、命令や規則にはとても厳しい。
歳はセナよりもいくつか上だと聞いたことがあるが、軍に入隊したのはセナの方が二年早いため、歳上の後輩という少々ややこしい関係だ。
そんなニーナは石膏像のような無表情を崩すことなく、手にしたボールペンで隣のデスクを指している。
そこにはコンピュータの画面が二つ並んでいて、そのうちの一つにはモノクロで撮影された脳の横断面が映し出されていた。
「見ての通りです。原因は間違いなく"これ"でしょう」
CT画像を見てセナは絶句していた。
画面に映し出されているイヴの脳は、素人目にもわかるほど正常とは異なる特徴を持っていた。
大脳の一部に存在する、真っ白に映し出された小さな異物。
そしてその周囲に放射状に広がる白い線。
"何か"がそこにあると、画像から読み取るのは容易だった。
「これ、何なの……?」
「放射状の線はアーチファクト――つまり余計に映り込んだノイズのようなものです」
ニーナがペンで画像を指し示しながらセナに説明する。
それを聞きながらセナはグッと両手を握り締めていた。
「問題なのはそのノイズを生んでいる"これ"なのですが、どうやら金属系の固形物のようです」
ニーナは画像に映り込む白い異物を見つめながら淡々と説明を続ける。
動揺を隠しきれない様子のセナに対し、彼女は温度差の大きい冷静な振る舞いを見せていた。
「なんでイヴの頭の中にそんなものが……?」
「私もさすがにそこまでは」
ニーナは手にしていたペンを胸ポケットに差し直し、画面からセナの方へと視線を向けた。
「調べたところ、この固形物は何らかの装置であるという解釈で間違いないようです。この装置から出ている電波が屯所のジャミングウォールの影響を受けたことで、何らかのショックを引き起こしたのでしょう」
ジャミングウォール――それは停戦監視軍の屯所に展開される電波妨害システムだ。
停戦監視軍が持つ情報には、任務の都合上機密性の高いものも多い。
そのため監視軍の各屯所ではハッキングによる情報漏洩を防ぐために、外部からのアクセスを遮断する機構が備わっている。
このジャミングウォールを潜り抜けられるのは監視軍独自の軍用回線のみであり、それ以外の電波は屯所の敷地内において送受信できないようになっているのだ。
ニーナの説明を聞いて、セナの中でも思い当たる節がいくつかあった。
イヴの脳に埋め込まれたこの装置が何らかの電波を出していたのなら、それはおそらく発信機の類だと想像できる。
そう考えれば、追手の男たちがイヴの隠れているホテルを特定できた理由も説明がつくのだ。
そして追手に向けて送信され続けていた電波が、屯所の敷地内に入って突然途絶されたことで、彼女の脳に何らかの負担がかかったのだろう。
「それで、イヴは……?」
あくまで仮説にすぎないものの事情を把握できたセナは、一向に姿を見せないイヴの身を案じた。
「あの患者なら、検査中に意識を取り戻しましたよ。真っ先に貴女の名前を口にしていました。今は奥でカウンセリングを受けていますが、記憶が曖昧である以外に特に変わった様子はありません」
「そっか、よかった……」
目を覚ましたと聞いて緊張の糸が緩んだような思いだった。
しかし安心してばかりもいられない。
イヴの脳内にある発信機で追跡されていたのなら、その電波がこの屯所で突然途絶えたことも当然追手には知られている。
ならば彼らはイヴを追って必ず屯所へとやってくるはずだ。
再び接触することを避けるために、今すぐこの場を離れなければならない。
「突然ごめんね。助かったよ、ホントありがと。あとは大丈夫だから、早くイヴに会わせ――」
「どこへ行くつもりですか」
椅子から立ち上がり、そそくさとイヴの元へ向かおうとしたセナ。
ところがニーナはそんな彼女の前に立ち塞がった。
相変わらず表情変化に乏しい顔でじっとセナを睨みつける様子はどこか不気味にすら思えた。
「どこって、イヴのところに決まってるじゃない」
「その前に、説明してもらえませんか」
「ええと、何を……?」
「とぼけないでください。"あの患者"の素性についてです」
誤魔化そうとしたセナの企みは案の定あっさりと見抜かれてしまった。
ニーナのこの反応も致し方ない。
本来ならば部外者は一切立入禁止の屯所内に、何やら怪しい電波を垂れ流す少女を無断で連れてきたのだ。
堅物な彼女を納得させられるだけの説明をしなければ、きっとイヴには会わせてもらえないだろう。
「……急がないといけないの。だから手短に話すわ」
追手がやってくる前にイヴを屯所から連れ出さなければならない。
かと言ってそんな身勝手をニーナが許すはずがないことも知っている。
最速で出発するためには彼女に事情を説明するしかないと、一瞬唸ったあとでセナは結論を出したのだった。
イヴが突然自分の前に現れたこと、アクルックスで実験を繰り返されて逃げてきたこと、記憶を失っていること、そして追手と交戦したこと……。
必要最低限の情報を掻い摘んでニーナに話したセナは、一刻も早くこの場を離れたい一心で焦りを隠せずにいた。
「――だから早くイヴをここから連れ出さなきゃ。こうして話してる時間も惜しいの。ニーナお願い……!」
「事情はわかりました。ですが、納得はできません」
「どうしてよ……!」
徐々に苛立ちを見せるセナを前にしても、ニーナは無表情のまま冷静を保っていた。
その感覚はまるで機械人形と話しているようで本当に気味が悪く思えてくる。
「私の見解を述べさせていただくと、あの患者はアクルックスへ帰すべきです。もうじき迎えが来るのなら好都合ですし」
「ニーナ……! アンタ何を――」
「――貴女のために言っているのですよ、ミス・ヒイラギ」
衝動的に一歩踏み出したセナを凛と諫めるニーナの口調は、心なしか少しだけ強まっている気がした。
不覚にもそれに怯んでしまったセナがたじろぐと、ニーナはさらに口を開いた。
「停戦監視軍はあくまで中立の組織。特定の箱庭と敵対するような行動は、軍の基本理念に反します。監視軍は、独自の施政権を持つ箱庭内部の問題に干渉してはならないということをお忘れですか?」
言い返す言葉を見つけられない。
ニーナの言っていることが正しいのは、セナもよくわかっているのだ。
箱庭同士の関係が悪化し、それが戦争の引き金とならないよう監視する抑止力――それがセナたち停戦監視軍の役割だ。
しかしセナがイヴを匿うことは、アクルックスに対する明らかな敵対行為であり、監視軍の存在意義を破綻させる要因となり得てしまう。
最悪の場合、セナたちのいるカノープスとアクルックスで戦争が始まるということも視野に入れなければならなくなるのだ。
箱庭同士の抗争を仲裁するはずの監視軍が戦争の引き金になるなど、絶対にあってはならない。
そうなってしまえば、監視軍を失った人類保護領域の秩序はすぐにでも音を立てて崩れ落ちるだろう。
「でも……あの子はずっと一人で苦しんできたんだよ……? どんな実験をされたのかまでは知らないけど、あんな子どもが死ぬ思いまでして逃げ出すような研究なら、やめさせるべきだと思わないの……!?」
「そのせいで戦争にでもなれば、苦しむのはあの患者だけでは済まなくなりますよ。第一、記憶を失っている患者の言葉には何の信憑性もありません。患者が本当に人体実験による被害者なのかどうかすら、甚だ疑問です」
理屈では勝ち目がないと悟ったセナは情に訴えようとしたが、ニーナはまったくなびく気配を見せない。
しかしそれも致し方ないとわかっているからこそセナももどかしかった。
これほどまでに合理的に、かつ公平に、そして残酷になることができなければ、この過酷な時代を生き抜くことはできないのだ。
「…………もういい」
苛立ちを通り越して冷静になったセナは、立ち塞がるニーナに肩をぶつけながらイヴの元へ向かおうとした。
「どうしてもあの患者を元の箱庭に帰す気がないというのなら、それは監視軍の総意ではなく、貴女の独断での行動と割り切らなければなりません。軍の支援は一切受けられなくなるどころか、規則違反で貴女も軍から追放されることになりますよ」
立ち止まったセナは振り向こうとせず、ニーナの忠告を背中で受ける形となった。
しかしセナは何も言わず、再びイヴの元へと足を進めたのだった。
*****
「――セナさん!」
「ごめん、来るの遅くなっちゃって」
ルーカスに言われた通り、笑顔でイヴの前に立ったセナ。
奥の部屋で椅子に腰かけていたイヴは、カウンセリングも終わったようで看護師と二人で話していた。
自分の姿を見るや否や椅子から立ち上がるその姿を見て、思ったより元気そうだとセナもほっと胸を撫で下ろした。
「セナさん、あの……先生から聞いたでしょうけど、実は私の脳には……」
「うん。さっき聞いた。だから無理に言わなくても大丈夫よ」
「それで、あの……あれがどんな装置なのか、とか……そういうのは、どこまでわかったんでしょうか……?」
セナはイヴを安心させようと頭を撫でてやったが、彼女はそれで落ち着くどころかむしろ焦っているように見えた。
イヴはまるでセナの顔色を伺うように、そして随分と言いづらそうにもじもじと問いかけてきたのだった。
「うーん、多分ね、電波を出す発信機か何かなんだと思う。この屯所の敷地内は妨害電波を張り巡らせてあるから、そのせいでイヴの脳がびっくりしちゃった、みたいな?」
「それだけ……? 本当にそれだけですか……!?」
「う、うん、それだけ。だから安心していいよ、イヴ」
「そう、ですか……よかった……」
優しく微笑んだセナの言葉に、慌てていたイヴもようやく落ち着いてくれた様子だった。
誰だって自分の頭の中に機械が埋め込まれているなんて知ったら驚くのは当然だ。
それがただの発信機だとわかって、命にかかわるようなものではないとなれば一安心もするだろう。
「そういうことだから、ヤツらがここに来るのも時間の問題なの。急いでここを出て、別の場所に隠れなきゃ」
「確かにそうですね……。わかりました」
ニーナが何を言おうが知ったことではない。
軍が協力してくれないのなら、自分一人でもイヴを守るだけだ。
胸の内で覚悟を固めたセナは、イヴの手を取ると彼女を連れて医療棟をあとにしたのだった。
*****
停戦監視軍中央屯所――武器庫。
イヴを追手から守るために、セナはここであらゆる準備を整えるつもりでいた。
逃げ出してきたホテルに置いてきてしまった弾薬類をここで補充し、さらにナイフや閃光弾、催涙弾といった小道具をかき集めた。
「はい、これ」
「えっと、セナさん。なんですか、これ?」
セナに手渡された、アンテナのような突起がついた黒い箱状の装置。
小さな手で握るには少し大きめなそれをくるくると回して観察しながら、イヴが首を傾げた。
「"妨害電波装置"。必ずこれを肌身離さず持ってて。じゃないとまたヤツらに居場所がバレちゃうから」
それは言わば、この屯所に展開されるジャミングウォールのミニチュアだ。
本来ならこの装置は、箱庭外の拠点に設置したコンピュータ等をサイバー攻撃から守るために用いられる。
まさかこんな使い方をすることになるとは、今の今までまったく想像もしていなかった。
「でもセナさん、いいんですか? 勝手にいろいろ持ち出したりして……」
「平気平気。軍の備品は兵士が使うために置いてあるんだから」
――というのは虚言だった。
本当は誰がどの備品をいつ持ち出したのか、徹底的に管理されなければならない。
銃火器や精密機器の類においては特にそうであり、無断での持ち出しは処分の対象となる。
しかしセナにとってそんなことはもはやどうでもよかった。
彼女はイヴを守るために軍を追放されなければならないのなら、最後に好き放題やらせてもらうつもりでいたのだった。
今後役立ちそうなものを軍用のソーラーバギーに積み込むと、セナとイヴは次の隠れ家を探して出発した。
屯所の敷地内から外に出る際、イヴの脳がまたジャミングウォールの影響を受けないか心配だったが、特に何事も起こらなかったためほっと一安心だ。
しかし屯所を出た直後、アクルックスの追手を乗せた黒塗りの車とバギーがすれ違ったことには、互いに気づいていなかったのだった。
次回は例の「◆」がつく回です
どうぞ程々にお楽しみに……




