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File.5

 数十分後、セナとイヴを乗せた無人タクシーは予告された所要時間通りに目的地――停戦監視軍中央屯所へと到着した。

 セナは車内の自動精算機で支払いを済ませる際、蜂の巣になってしまった車体後方の修理費を後部座席に残していった。

 厳密には車体を穴だらけにしたのはセナではないのだが、その原因を作ったこともあってこうせずにはいられなかった。


「セナさん、ここって……」


「うん。アタシの職場」


 これから車庫へ戻るであろう傷だらけの無人タクシーを見送って振り返ると、白い外壁に囲まれた大きな建物がイヴの目に映った。

 敷地の中央には尖った塔のようなものが立っていて、それを取り囲むように展開する建物の壁はほとんどが強化ガラスでできているのか透明だ。

 建物内には軍服を着た兵士たちが歩いていたり、立ち話をしたりしているのが見える。

 彼らは皆、次の任務まで待機を命じられている兵士たちだ。


「とりあえず入ろ。ヤツらもすぐに追ってはこれないと思うけど」


 外壁に作られた門に向かって歩き出したセナの後ろに隠れるようにイヴが続く。

 屯所内でイヴを匿うことができれば、一度撒いた追手に見つかる可能性は低い。

 しかし、そんな希望と同時に生じた懸念すべき事項が一つあった。


 外壁の門の番をしている兵士にイヴのことをどう説明するかだ。


 軍の施設であるため、この屯所は基本的に関係者以外立入禁止となっている。

 兵士の階級バッジを(ここ)で見せなければ中に入ることはできないのだ。



 イヴの事情を正直に話せば、匿うために通してくれるかしら。



 セナはこの時間の門番が話の分かる人物であることを必死に祈るしかなかった。


 門番の兵士は見知らぬ少女を連れたセナの姿をじっと見つめている。

 その姿はブロンドの髪で肩幅の広い、いかにも軍人という肩書きが似合いそうな大男だった。



 うっわぁ、コイツ頭固そう……。



 しかしなんとか説得してイヴを入れてもらわなくてはならない。

 セナは門番に向かって俯いたまま歩きながら、必死にイヴを屯所へ入れるための口実を考えていた。


「……セナか?」


 ふと門番の兵士が呟いた。

 軍内部で名が知れ渡るような功績を残した覚えなどないが、どうやらこの兵士には名前を知られているようだ。

 誰だか知らないが淑女(レディ)の名前を気安く呼ぶような不躾な兵士の顔を拝んでやろうと、セナは俯いていた顔を上げた。


 するとそこに立っていたのは――




「……へ? ……ルーカス?」




 セナの前に現れたのは、2m近い高さから拍子抜けした顔で見下ろす同期の兵士――ルーカスだった。


「お前、軍服も着ねえで何してんだ? てか、今日は非番のはずだろ?」


「そういうアンタこそ、任務は昨日で終わったはずでしょ?」


「まあ、俺は誰かさんと違って真面目だからな」


「アッッッホくさっ!!」



 なに? 任務終わっても働くなんてマゾなの? 変態なの、コイツ??



 なんだかよくわからないが、とりあえずこの変人ドMゴリラに物申したいことが山ほどある。

 しかしそれはお互い様だろうと思い、ここはグッとこらえるセナだった。


「お前今、ものすげえ失礼なこと考えたろ。顔に出てんぞ」


「当たり前でしょ。職場の門番がゴリラだったら誰だって驚くわよ」


「俺だって非番初日の朝から急に呼び出されてうんざりしてんだっての。だが、今日の門番担当の兵士(ヤツ)が昨日の任務で殉職しちまったらしくてな……」


「……」


「……」


 急に押し黙るセナとルーカス。

 過酷を極める監視軍の任務では、このような悲劇(こと)は日常茶飯事である。

 自分の身に起きるのはいつだろうかと想像すると、仕事など手につかなくなりそうだ。


「……ま、でも門番がアンタなら顔パスでいいわね」


「ああ、お前は構わねえが、そっちの子は?――」


 これ幸いにとルーカスの前を通り過ぎるセナと、それに続くイヴ。

 事情を理解できていないルーカスの間抜けな顔を余所に、二人は門の中へと足を踏み入れた。



「……ぅう……ッ!!」




 ――その瞬間、セナの後ろを歩くイヴが小さな悲鳴を上げた。

 慌ててセナが振り返ると、そこには両手で頭を抱えてよろめくイヴの姿があった。


「イヴ……!?」


「なんだ、どうした!?」


 ルーカスが驚く様子もそっちのけで、両膝をついたイヴに駆け寄るセナ。

 額に汗が滲み、長い銀髪を乱して悶え苦しむイヴの肩に手をかけると、ようやく彼女と視線が合った。


「どうしたのイヴ!? しっかりして!」


「セナ、さん……ッ! ……わかりま、せん……急に、頭が……」


 イヴはそのまま意識を失ったのか、脱力してセナの腕の中へ倒れ込んだ。

 セナが名前を呼んでも肩を揺すっても、イヴはまったく反応しない。

 トラウマ(PTSD)の発作とはどこか違うようだが、何が起きたのかセナには見当もつかなかった。


「イヴッ! ねえ起きてよイヴッ!!」


「なんだかよくわからねえが、とりあえず医療棟に運ぶぞ。俺の背中に乗せろ!」


「うん、お願い……!」


「ったく、あとで詳しく話聞かせてもらうからな……!」


 隣に屈んだルーカスは、イヴを背負うとセナと共に医療棟へと急いだ。

 走る間もセナはイヴの名前を呼び続けたが、苦しそうに歪んだ表情のままのイヴの目が開くことはなかった。



 *****



 停戦監視軍中央屯所――医療棟。

 ここは日々戦場の任務で負傷して戻ってくる兵士のため、大型病院と変わらないほどの最新鋭の医療設備が整っている。

 さらには所属している軍医たちも非常に優秀で、彼らは交代で24時間常に屯所に駐在している。

 また、軍医たちは箱庭(ハコニワ)の外での遠征任務に同行することもしばしばある。

 荒野に設けられたキャンプ地で、彼らは衛生兵と共に守りの要として重要な役割を担っているのだ。


 医療棟の壁は他の棟と違ってガラス張りにはなっていない。

 白い巨塔と呼ばれるに相応しいその建物内の廊下で、セナはただイヴの容態を案じることしかできなかった。


 廊下のソファに腰かけたセナの前に見えるのは一つの扉。

 この中では今イヴの精密検査が行われている。

 軍医は頭部CTを撮影すると言っていたが、何事もないことを願うばかりだ。


「……おい、気持ちはわかるが少し落ち着けよ」


 両手を握り締めたまま項垂れるセナが貧乏揺すりを繰り返すのを見て、壁にもたれて立つルーカスが声をかけてきた。

 しかしセナは何も答えなかった――いや、答える余裕がなかったというほうが正しいのかもしれないが。


 今はとにかくイヴが心配だった。

 せっかくアクルックスから逃げてきたというのに、ようやく追手を振り切ったというのに、彼女はまた辛い思いを強いられている。

 イヴは一体いつまで苦しい運命に苛まれ続けなければならないのかと、セナは彼女の苦悩を肩代わりしたい思いで胸が締め付けられるようだった。


「あのな、お前がそんなに狼狽えてどうする? 目を覚ました時、あの子はお前のそんな(ツラ)を見たがると思うのか?」


 セナの貧乏揺すりがピタリと止まる。

 それを見たルーカスは大きな溜め息をつくとセナの隣にどっかりと腰を下ろした。


「お前とあの子がどういう関係かは知らねえが、大事に思ってんのは見てりゃわかる。そんなに大事ならもっと信じてやれ。そんであの子が目を覚ましたら、ちゃんと笑って会いに行ってやれよ」



 そうよ、アタシがこんな顔してたってイヴは救われない。

 今のアタシを見たら、あの子はまた迷惑をかけてしまったって自分を責めるに決まってるじゃない。

 アタシはそんなイヴの辛そうな顔は見たくない。

 それはイヴだってきっと同じなのに、今アタシはどんな顔してるんだろ……。



 ルーカスの大きな拳がセナのこめかみ辺りをコツンと小突いた。

 その小さな拳骨(げんこつ)一つで、セナの胸の中で絡まっていた何かがすっと(ほど)けていく気がした。



 アタシはイヴを守ると決めた。

 彼女の命だけじゃない。

 記憶を失くすほどの深い深い傷を負った心も一緒に守ってあげたい。


 今のアタシじゃ、イヴの命は守れても心は救えない。

 ルーカスの言う通りじゃない。

 彼女に笑って欲しいなら、まずは自分が笑わなきゃ。



 セナの心持ちが変わったことに勘付いたのか、ルーカスがふんと鼻を鳴らしてニヤリと笑った。


「じゃ、俺は仕事に戻るからよ。落ち着いたら詳しく事情を聞かせてくれ」


「…………ルーカス」


 ソファから立ち上がり、去ろうとする大きな背中をセナはふと呼び止めた。

 立ち止まったルーカスは首だけ振り返ってセナの言葉を待っていた。



「えっと、その…………ありがと」


「よせよ、らしくねえ」



 ルーカスは再び背を向けると、右手をひらひらと振りながら去って行った。

 改まって礼を言うなど、確かに自分らしくない気がして笑ってしまいそうだ。



 しかもよりによってあのゴリラになんて、ね。

 あーあ、なんかアホらし。



 少しだけ胸が軽くなったような気がして、セナは思い切り伸びをしてみる。

 ずっと緊張感で強張っていた身体は、これだけでも随分気持ちががいい。



 イヴはきっと大丈夫。

 ホテルで発作を起こした時だってそうだったじゃない。

 だからアタシは、目覚めたイヴを不安にさせないようにしなきゃ。



 セナがそう気持ちを切り替えたとき、目の前の扉がゆっくりと開いた。

 中から顔を出した軍医の女は、セナを見ると中へ入るよう促したのだった。

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