22 夢の終わり
戦後処理。1回で終わらせるつもりの内容だったのですが、長くなってしまったので分割です。
ゲールの首が完全に断たれた。
歯をむき出した、壮絶な表情のままのそれが、仲間たちの手によって高々と持ち上げられた。
その間、リージェは時間が止まったようになって、ただ立ち尽くしていた。
何も考えられない。真っ白だ。
「やった! やったぞ、リージェ!」
「………………あ………………」
仲間に肩を叩かれ、ようやく我にかえる。
「やっ………………た…………? ほんとうに…………?」
「ああ、やったんだよ! ゲールを! お前が! 本当に! ついに!」
「…………!」
現実が、結果が、成果が……実感となった。
やった、やりとげたということを本当に受け入れると同時に、死の恐怖も、張り詰めきった心身の限界も一気に襲ってきた。
手が激しく震えた。
剣がこぼれ落ちそうになるのを危うく握り直し、刀身を見つめる。
家族の顔がそこに映った。みな笑っていた。
「やった………………やったああああああああ!!!」
万感の思い。全ての解放。
体全体を喉にして、リージェは雄叫びをあげた。
涙があふれた。大量に、止めどなく、流れ続けた。
仲間たちも、感極まって、次々とその場にへたりこんだ。
決着を知りなだれこんできた外の仲間たちが、人間を超えたようなすごい声をあげつつ、ゲールの首を受け取り、外へ運んでいく。
リージェはよろめきながら外へ出た。
ゲールの首と、体も一緒に運び出されてゆく。
手の空いた者は、リッキの胴体も引きずり出した。
外は、まだ夕方の明るさを保っていた。
何日も戦い続けていたような気がしたが、時間にすれば、それほどのこともなかったのだ。
門の外、街へと続く斜面の下には、人が詰めかけていた。
槍に刺されたゲールの首がかかげられている。
そのかたわらにリージェは立った。
泣き濡れつつも輝く無数の瞳がリージェを見た。
英雄を見た。
リージェは剣を抜き、ゲールの首に向かって一度振ってから、高く掲げたまま人々に顔を向けた。
「ゲールは死んだ! 僕たちは勝った!
ついにやった! やったんだ!
みんな、ありがとう!」
喜びの絶叫が応えた。
大歓声は、詰めかけた人々はもちろん、戦えない者たちが残っている街にもたちまち広がっていって、沸き立って、重なって、勝利の大合唱となった。
その一方で、館が炎上しようとしていた。
火矢から移った火が、広がり始めている。
夕空に黒煙が立ち上り、ぐんぐん太さを増してゆく。
暴君が住み、悪鬼どもが巣くい、人々の命を好き放題にしていた場所。
焼却は、浄化の火であり、弔いの炎であり、かつての領主をはじめ亡くなった全ての人たちの、壮大な荼毘として行われるべきだった。
しかしその前に、やるべきことがある。
歓喜に沸き続ける街の人々はともかく、リージェは冷静さを取り戻していた。
ついに復讐を成し遂げたが、勝利の快感に浸りきることは許されない。
どんな時でも落ちついて周囲に注意を払うべき。
師匠が何度もお手本を示してくれた、真の戦士のあり方だ。
それはわずかの間に、リージェの血肉となっていた。
「外に出ていたやつらが戻ってきたら、暴れ出すぞ!
ありったけの武器をみんなに配って、防戦の準備を!」
みなに、まだ残っている危機を思い出させた。
100人を超す『騎士』や『兵』たち、凶悪な集団の大半はまだそのままなのだ。
首領ゲールを失った彼らは、もはや統制は取れないだろうが、ひとりだけでも危険な存在であることに変わりはない。
街の人々は、獲物にたかるアリのように、館内に殺到し、武具、装飾品、金銭、衣類、食料……あらゆるものを運び出し始めた。
「みんな、急げ! 使えるものはできるだけ持ち出せ! 生き残りがいたら連れ出せ! 抵抗しなければ殺す必要はない!」
まだ隠れている『騎士』がいるかもしれない。
幹部たちの慰み者を兼ねた、料理番や身の回りの世話役の女性たちは、二階や奥の方にいるはずだ。
馬も逃がしてやらないと。
……仲間たちに細かい指示を出してから、リージェは広間に戻っていった。
つい先ほど死闘を演じた室内には、血や肉の残滓と、投げこまれた雑多なものがばらまかれている。
他の部屋も廊下も大騒ぎだが、この広間だけは静謐だった。
そこへリージェは踏みこみ、目をこらした。
隅のところに、いた。
ニンシキソガイの布が、槍を支柱に使って、大きく広げられている。
壁際に斜めに張られている……ということは、その中に、戦女神が。
「勝ったよ。勝てた。君のおかげだ。本当にありがとう」
そんな風に布を張る意味がわからないが、着替えでもしているのかと気を遣い、外から声をかける。
白い手だけが出てきて、ちょいちょいと手招きした。
それでリージェはかがみこみ――。
「!!」
固まった。
布が斜めに張られたその中に、フィンと、もう一人。
黒髪、口髭の男――クロイが、壁にもたれて、座りこんでいた。
洒落たシャツは大きく裂け、赤く染まっている。
肩から胸、腹へかけて、線が一筋。鮮やかな斬り跡だ。
だがそこには布が巻かれており――。
「手当は、君が?」
「ああ」
好敵手への、せめてもの手向けだろうか。
クロイのうつむいた顔が、動いた。
まだ生きていた。
「ゲールは……」
弱々しい声が、口髭の間からこぼれ出た。
「リージェという。ゲールは、僕が殺した。首をはねて、みんなに見せた」
「…………そうか……………………終わったか……」
つぶやくクロイは、頬はこけて、目のまわりもくぼんでいた。
先ほどよりも、一気に二十ほども歳を取ったようになっている。
「俺も……殺すんだろう?」
冷ややかにリージェは見下ろした。
「その傷じゃ助からないだろ。これまでの報いだ。何もかも失って、悔しがって死んでいけ」
「まあ、そうなるよなあ……なぶり殺しにされないだけ、まだましか……散々暴れてきた終わりにしちゃ、上出来だ……」
近づく死を受け入れるようにクロイは目を閉じた。
その表情にリージェは、ゲールを前にあきらめかけた自分を見た。
死は、生命の終わりというだけではない。
全ての終わりだ。
死んだら、もうそれ以上何も伝えることができなくなる。死んだ相手から引き出すものもなくなってしまう。
フィンに接してからこれまでのことでリージェは、世界にはまだまだ自分の知らないこと、思いつかない考えがたっぷりあるということが骨身に染みていた。
もっと知りたい。色々知っておきたい。
たとえそれが、悪鬼の知識であっても。
「聞きたいことがある。死ぬ前に、答えろ」
「うるさいぞ、ガキ。静かに死なせろ」
「盗賊どもはくそ野郎ばかりだけど、お前だけ、やりたいことが違うみたいだった。何をやろうとしてた?」
「あー……」
クロイの目が開いて、リージェを見た。
まじまじと見つめてから、視線を泳がせ、口元をゆるめた。
「まいったね。参謀ってのは、自分が前に出ちゃいけねえもんだから、ここにしまったまま逝くつもりだったのに……」
だらりとなっている指をかすかに動かして、自分の胸を差す。
「そんなこと言われたら、話したくなるじゃねえか……ここまで積み上げてきた、一世一代の夢をよ」
「夢?」
「ああ。
ゲールとは、幼なじみでな。ここが天国に思えるくらい、ろくな食い物もない、ひどい土地の出よ。
ガキのあいつが、俺に言ったんだ。王になりたい。なってやる。ついて来いってな」
「王に……」
「ああ。だから俺は、あいつを王にしようとした。
何の伝手もないガキふたりだ。自分が強くなるところから始めて、戦って、仲間増やして……傭兵として成り上がるつもりだったんだが、上手くいかなくて、盗賊扱いになっちまった。
で、討伐されて……戦って、戦って……殺して、奪って、また戦って。
名は轟いた、でもそれだけで……このままじゃ先はねえ、夢はかなわねえって俺は思ってな。
それでここよ。
ここはいい、ここに落ちついて、俺たちの国を作ろうって、俺は決めた」
「…………」
思うところは山ほどあったが、リージェは口をさしはさまずに耐えた。
「で……乗りこんだはいいが……どいつもこいつも、奪うことしか知らなくてなあ。
農民殺したら食い物手に入らねえだろ、なるたけ生かしといてあがりをうまく吸い取るんだとか……それぞれの仕事をきちんと報告できるようになれとか……班分けし、命令系統を整え、仕事や担当区域も分担して、小さいけど俺たちの国ってもんを、しっかり作っていこうと頑張ってきたんだが――。
そういうのが嫌で盗賊になったようなのがほとんどだ。誰も言うこと聞いちゃくれねえ。
実力で黙らせ、言う通りにさせてきたが……ここを自分の国にする、と思ってくれるやつは、誰もいなかったよ」
クロイは視線を上方に動かした。
上階を、燃える前に漁り尽くそうと、駆け回っている大勢の足音がどたばたと鳴っている。
「あんな風に……何から何まで持っていって、冬を越したらまた外へ出て、暴れまくる……それ以外の未来なんてもの、誰も受け入れちゃくれなかった。ゲールですら、な」
リージェは先ほどの死闘を思い出した。
ゲールは「王も何も知ったことか」と言っていた気がする。
「はぁ……」
クロイは息をつき、さらに老けこんだ。
「あいつの夢のために、と思って色々やってたんだが……こうなると、全部、無駄だったのかなあ。
国を作ろうなんてしないで、誰も彼も皆殺しにして、今あるものだけ奪って、すぐまた外に出ていれば――盗賊らしくしていれば、もう少しましな終わり方になっていたのかなあ」
リージェは、森の中で、自分たちが生きるために獣を狩った、その時の死にゆく直前の獲物の目を思い出した。
「礼を言う……べきなのかな。僕たちのことも、自分たちの訓練のために、見逃していたんだろう? でもそのおかげで僕は生き残り、仕返しすることができた」
「ああ……」
クロイはフィンをちらりと見た。
「そんなもんかもな。ここに居座り続けたから、そのお嬢さんが来ちまったわけだし。
俺の人生、大体そんなもんよ。
よかれと思って打った手が、全部逆を突かれたし、裏目に出た。
お前らが思ってた以上に強いと見て、罠を張ったんだが、手下どもは勝手に森へ行っちまいやがったし。止めに行かせたやつも一緒に出て行っちまうんじゃ、どうしようもねえ。
ゲールも森へ出向きたがってたんだが、さすがに止めた。そしたらやけ酒。あれで、かなり酔ってたんだぜ。防具つけるのにも時間かかって、それで逃げ損ねた。万全だったらお前程度のガキにやられるわけねえさ」
「そうだろうな。でも僕は生きてる。ゲールは死んだ」
「人の生き死になんてそんなもんさ。
望み通り森へ行かせていればよかったし、お前らが押しかけてきた時も、最初からあいつを出して暴れさせていたら、まだ生きてたかもしれん」
「…………」
あの猛威を直に体験したリージェは、押しかけた女性主体の群衆の中にゲールが躍りこむところを想像して寒気をおぼえた。
「まあ、そのお嬢さんがいたんじゃ、どっちにしろ駄目だっただろうけどな」
「……なぜ、逃げなかった?」
フィンが口をはさんだ。恨みがましい目つき。
「領主の住まいには、大抵、秘密の逃げ道があるものだろう。
逃げてくれれば楽だったのに、お前が逃げなかったせいで、すごくめんどくさかった」
「そりゃあ…………」
クロイは口元を歪めた。
笑ったらしかったが、泣き出しそうにも見えた。
大きなため息が口髭を揺らした。
「秘密の通路は、見つけてたよ。お嬢さんはヤバすぎる、そこから逃げるべきだって俺は判断してた。
でもなあ……その隠し通路な…………狭くてな。
俺ぐらいがぎりぎりで、ゲールじゃ、通れなかったんだよ」
「………………」
「あいつを捨てて逃げられなかったのが、俺の限界ってもんさ。
ゲールと一緒に、俺の夢は終わったよ」
クロイは静かに目を閉じた。
「さ、こんなとこだ。誰かに言うってのはいいもんだな。聞いてくれてありがとよ」
「ああ、こちらも、ありがとう。大事なことを学んだ。忘れない」
閉じた目を見開き、クロイはリージェをまじまじと見た。
リージェもクロイを見つめ返した。
「変なやつだな」
「そうみたいだ」
「こんな負け犬から学ぶんじゃねえよ。そっちのお嬢さんから教わりな」
「断る。めんどくさい」
フィンは即答し、リージェは苦笑した。
「何なんだ、お前ら……いや、知っても意味ないな。
なぶり殺しにする気がないなら、もう行け。俺はゲールと一緒にここで終わるよ。長い付き合いだったからな。あいつを支えるのが俺の人生だった。あの世でもついていてやらないと」
表情が、命の最後の炎だろうか、戦士のものとなった。
「お嬢さん、いや剣聖どの。素晴らしいものを見せてくれてありがとう。
『黒剣』のクロイ、剣聖の技、しかと見届けた。
……あちらでゲールに自慢してやろう」
クロイは今度こそ目を閉じ、もう二度と動くつもりのない様子で体の力を抜いた。
リージェも神妙に頭を垂れた。
「死なないぞ」
フィンが言った。
「え」
「何でお前を隠していると思っている。薬を塗った。ブルンタークでもすごく貴重な魔法薬だ。とてもよく効く。すぐ動けるようになる。それだけしゃべれるところを見ると、もうかなり治ってきているな」
「な……!?」
リージェはもちろん、クロイも目を丸くした。
魔法の布、魔術師特製の眠り薬、腹痛の薬などを持っていたフィンだ。傷薬などむしろ持っているのが当然だろう。
しかし。
「……なんで?」
少年の素の顔に戻ってしまって、リージェは訊ねた。
組織には規律が必要ですが、それを守らせようとする人は大抵ウザがられます。
クロイの場合は、「土方歳三の幼なじみは芹沢鴨でした」みたいな感じ。自分が支えようとしていたゲールからさえも難しいことばかり考えてるうるさいやつ、と思われていたのが彼の悲劇。
もっとも他人を襲い奪い殺しまくる盗賊団の幹部でありそういう『活動』を何度もやってきていますので同情の余地はありません。安らかに死ねるなんて贅沢です。




