16 沸騰
もうもうと舞い上がる土埃に咳きこみながら、リージェは身を起こした。
生きている。
左右に、太い柱が倒れている。危なかった。一本は横合いの建物を押しつぶしていた。
声が聞こえた。
仲間の声だ。
あちこちから聞こえる。
「来たぞ! 助けが来た!」
「ブルンタークの軍が、来てくれたぞ!」
「シュムベルク軍もいるぞ!」
「やつらはもうおしまいだ! 出ていったやつらもみんな殺した! 誰も戻らない!」
街を囲む丸木塀――その隙間から、仲間たちが叫んでいた。
一ヶ所だけではない、右からも左からも、何人も、丸木の隙間に顔を埋めるようにして、声を限りに叫んでいた。
リージェの左右を動く影があった。
「生きてるぞ!」
「殺せ!」
リージェ……ではなく、柱の向こう側に、仲間の姿が現れ――その足下から血しぶきが飛び散った。
先ほど落下した『騎士』に、とどめを刺したようだ。
「大丈夫か!?」
「あ、ああ……」
リージェは顔の汚れを払いながら起き上がった。
それぞれ得物を手にした仲間たち、十人ほどが動いている。
『兵』を、『騎士』を、取り囲み、攻撃している。
年少の仲間が、『家』へと走った。
外からかけられていた鍵を外し、扉を開いて中の人々を解放する。
歓声とともに、大人数があふれ出てきた。
女性八割、男性二割。成年の男はみなひどく痩せ細っている。
「何が…………どうなってるんだ…………」
くらくらする頭を振り、意識をはっきりさせる。
「何でお前、ここに……いや、みんな、どうして?」
「俺は、あのひとに、見つからないように門に近づいて、ずっと顔を伏せていろって言われたんだ」
言う仲間の目が酔ったような色をしている。
「顔を上げないで、私のことだけ考えていなさいって……それで、変な音が三回聞こえたら、飛び出して門に取りつけって」
「ああ…………そうか……」
リージェは理解した。
もう、理解できるようになっていた。
すべては、フィンの計画だったのだ。
塀の外から叫んでいる仲間も、同じように三回音が鳴ったら動くように言われていたのだろう。
指示を出す際に指で肌をさすって誘惑したのは、隠れて近づく際に殺気を出させないため。
裏切りをリージェに告げたのは、本気でリージェを動揺させ、殺意のかけらもない状態で門前へ連れてくるため。
演技などしたことのないリージェでは、従者と偽って連れてきたところで『騎士』にすぐ見抜かれただろう。
そしてフィンは、自分の美貌や体を見せつけ、色々声をあげたり大仰な身振りをしたりして、敵の注意を一身に引きつけた。
思えば、まだ距離のあるクロイにはしゃいで呼びかけたのも、実際は『家』に押しこめられている人たちに声を聞かせるためだったのだろう。
外から来た者。ブルンターク、騎士団、解き放たれる……扉近くや窓からうかがっている者の耳にそういう単語が耳に飛びこみ、奥にいる者に口づてに広がる。
そうやって、仲間たちが忍び寄る隙を作り、街の住人たちにも状況を伝え――三回、音を立てて合図し……櫓を崩壊させて、一気に街を攻略……。
「…………」
フィンの計画はわかった。やったこともわかった。
だが納得できないことがいくつもある。
あの衣服は。あの剣技は。剣聖とは。あの顔やら態度やらは何なのか。色々語ったことはどこまで本当なのか。
……今どこに。
「…………彼女は!?」
「お前、近くにいたんじゃないのか!?」
見回した。
近いところにあるはずの、ニンシキソガイの布――は、見当たらない。
櫓が崩壊する混乱の中で、それを拾い、まとって、姿を隠した……そこまではすぐ思い至ったが、それから彼女がどうするのか、まったく予想できない。
絶叫が上がった。
『騎士』がひとり、解放軍の仲間たちに討たれていた。
逃げ腰になった『兵』に、仲間ではなく女性たちが殺到していく。
この地を略奪しまくった盗賊どもに媚びへつらって仲間になり、農作業時には監督役として鞭を振るい、『騎士』のおこぼれではあるが女性にも手を出し、散々偉ぶっていた。
顔見知りであっても、いや顔見知りだからこそ、向けられる憎悪は深く……。
棒切れ、食器、石などが次から次へと叩きつけられた。
「うちの娘を! よくも!」
「父ちゃんが、おまえのせいで! おまえの!」
「やめて! 許してくれ! 許してぇぇぇ……ぎゃっ! ひぃっ! ……助けて……ひぃぃぃ……母ちゃん……たすけ……!」
顔見知りの相手に撲殺されてゆくのは無残の一言だったが、止めることはできなかった。
一軒の『家』から、太った裸の男が血まみれで転がり出てきた。住民とは明らかに違う筋肉質の体格は『騎士』だ。仲間が久しぶりの戦いに赴き街ががら空きになったにも関わらず、いやむしろそれをいいことに奴隷扱いの女性を相手に愉しんでいた。武器を手にしてはいたが、集団に襲いかかられ、たちどころに全身めった打ちにされ、仲間の一人が槍を突き刺してとどめを刺した。
「まだ三人いるぞ!」
仲間たちが叫び、逃げる相手を追っていく。得物を手にした住民たちが後に続く。
「行け! 倒せ! あいつらをぶっ殺せ!」
「今までの恨み! うちの家を! みんなを! よくも! よくも!!」
「殺せ! 殺せ! 皆殺しだ!」
仲間も含めた誰もが狂騒状態に入りこむ中、リージェは全体を見回した。わずかの間に死闘を何度も経験し、それが大事だということを体で学んでいる。
それに、見つけなければならない相手がいる。
背後。門は開いたままだが、そこから逃げ出す者はいない。塀の外から叫んでいた仲間がひとり、回りこんで入ってきた。
『騎士』どもが戻ってくる様子はない。
仲間の人数と状態。今のところ誰もやられていない。『騎士』や『兵』の武器を奪い、住民たちにも使える武器を手渡して回っている。
動き。城へ続く道の左右に立ち並ぶ建物はほとんどが『騎士』どもの家となっていて、そこに住民たちがなだれこみ、やつらのものを全て放り出し始めている。隠れている者がいたとしてもすぐ見つかり袋叩きだろう。
敵。
…………クロイはどうなった。
街を解放したところで、ゲール、そしてあのクロイら幹部を討たない限りは何も変わらない。
フィンがブルンタークの使者と名乗り幹部を呼び出したのも、策略のうちだったとすれば……!
リージェは仲間を置いて駆け出した。
血と復讐に沸き上がる人々の後ろから追いすがる。
「どいてくれ! 道を空けてくれ!」
顔見知りが何人もいる。リージェだ、という喜びの声。知り合いだ。リージェもひとり、自分の村の生き残りを見つけた。あの子はいない。
しかし今は、生存と再会を喜んでいる時ではない。
血に酔う女性たちの間を駆け抜け城へ向かった。
家々の並びの先に、城館と門が見える。
門へ続くゆるやかな斜面――そこに、黒い人影があった。
城の門を背に、長身の左腰に手をやり、腰を落として身構えているクロイ。
逃げこもうとして逃げ切れず、やむなくそこで防戦――ではない。
身構えている向きが違う。
大人数が迫ってくる正面ではなく、斜め横。
すさまじい顔つきをしている。
そこに、一斉蜂起した住民よりも武器を持ち襲ってくる解放軍よりも、クロイにとって重大な脅威がいるということだ。
近づいたリージェは、突然総毛立ち、たたらを踏んだ。
本能がそれ以上の接近を拒否した。
踏みこめない何か、線のようなものがそこにあった。
「ハッ!」
クロイの気合が、リージェの耳を貫いた。
自分が狙われているわけでもないのに、体の中を熱いものが通過したように感じた。
クロイの眼前の、空中に火花が散った。
次の瞬間には、クロイの左腰にあったはずの右手が、右腰の横にある。
そこに、抜き身の細剣が握られている。
刺突を狙う通常の細剣ではなく、反りのある、見たことのない鋭利な形状の――いかにも切断するためにあるような、妖気漂う形状。
腰の鞘から抜いて、振り切ったのはわかった。
だがリージェには、いつ抜いたのかはわからなかった。
その刃は、漆黒。
鋼ではない、星のようなきらめきを宿した、黒い長剣。クロイの異名『黒剣』の由来である。
反りのあるその黒長剣を手にしたまま、クロイはじりじりと後ずさり――。
突然身をひるがえし、わずかに開いている城の門内に飛びこんでいった。
即座に城門は閉じられる。
内側から、補強でもしているのか、ガンガンと何かを叩く音がする。
「あっ! 待てっ!」
反射的にリージェは駆け寄っていた。
城の中に入りこめなければ、ここまでのことの意味がない。
だが、リージェの体は突然、後ろから何かに引っ張られ、下半身だけが前に行った。
斜めになった、その額を風切音がかすめた。熱が生まれた。城門の狭間から放たれた矢だった。止められていなければ額を射貫かれていただろう。
次いで、リージェの背中に、大きなものがへばりついてきた。
「!?」
「やられた。失敗した。戻れ」
声と共に、やわらかな感触がした。
考えるより先に、リージェは全速力で後ずさっていた。
背を向けて、背中のそれを矢にさらすということは考えられなかった。
手近の建物の陰に隠れ、矢を避ける。
「この通りだ」
肩越しに、白い服の袖と、フィンの手が伸びた。
剣を握っていた。
あの雑打ちの剣――しかし半ばほどで折れている。
「あの黒い剣は、すごい。あいつを斬って戦力を減らすか、捕らえて人質にするつもりだったが、できなかった」
こともなげにフィンは言った。
「…………あいつを!?」
ゲール一味のNo.2、ひとりでも厄介な『騎士』よりもさらに強いクロイのことを、そんな風に言う。
リージェの脳裏にひとつの言葉がよみがえった。
「……君が『剣聖』っていうの、本当だったのか!」
城から、猛烈に、鐘が打ち鳴らされ始めた。
みんな大好き日本刀。でも持っているのは敵の方。
いよいよ、本丸攻略です。




