15 神技
ダンディなおじさま。身長185cmの細マッチョ、男の色気たっぷり。
でも頬がこけているのは残念。ちゃんと理由もあります。
「おお、参謀のクロイどのか!」
フィンが、リージェのつぶやきを聞き取ってか、声を張り上げた。
喜びにあふれた声音。
表情も、リージェが見たことのない、明るいものになった。
「噂はかねがね! 小さな兵団にはもったいない知者と聞く! 我等ブルンタークも、ぜひともお迎えしたいと準備していたところ! お目にかかれて光栄だ! ぜひ我がブルンターク軍と共に! ああ、いい男ではないか! ブルンターク赤竜騎士団も、銀斧戦士団の者どもも、貴殿を見れば嫉妬に打ち震えよう! よい体、よい気配だ! 解き放たれた気分だ! このようなところで真の戦士に出会えようとは!」
まだ距離があるのに、憧れの相手に会えて舞い上がる小娘のように、よく通る高いはしゃぎ声をフィンは発し続けた。
誰だこれは、とリージェは麻痺した頭の一部で思った。
男盛りの顔が、口髭ごと苦笑に歪んだのがわかった。
歩いてくる足取りが早まった。
「赤目のゲールが副官、『黒剣』のクロイです」
外見にふさわしい、低く渋い、美声。
「ブルンタークの使者とうかがいましたが、まことでしょうか」
相手が大国の人間とあって、言葉遣いも丁寧だ。
盗賊でありながら教養あり優雅。一団の参謀をつとめ外部勢力との交渉も行う立場ならではだ。
「いかにも。わたくしは、ジシュカ・シャファーリク将軍が姪、フィン・シャンドレンと申します」
フィンは貴婦人のように一礼した。
クロイは相好を崩した――が、その目には冷徹な光が宿ったままだ。
神々しい美貌に惑わされない、初めての相手。
向かい合っているが、ある程度以上近づかず、左右にも『騎士』を控えさせ、刺客だった場合にすぐ対応できるようにしている。
「フィン……失礼ながら、ジシュカ将軍閣下にそのような姪御がおられたとは、寡聞にして聞いたことがありませんな」
「秘蔵っ子というものでございまして。このような秘密の任務にのみ使われるため、わたくしの存在を知るものはブルンタークにもそう多くはありませぬ」
「この地に来る前に、関所があったはず。ここまで、どのようにして参られた」
「まだ秘密にございます。ですが、わたくしがここにいることで、お察しくださいませ」
「むう…………」
クロイは、何かをめまぐるしく考えている人間の、表情を消した顔つきになった。
「……そちらの者は」
見られると、リージェはずんと全身に重みがかかったように感じた。
ニンシキソガイの布があるのに、通じていない。
視線に射貫かれ、動けない。
「わたくしの従者にございます」
「それにしてはずいぶんと、ご気分を害されたら申し訳ありませんが、むさ苦しいようだが」
「このようになってしまう険しい道を参ったのです」
「ほう……」
クロイの表情はさらに深く思考しているものとなる。
だが――。
「え!? あっ!」
横合いから声が割って入った。
『兵』のひとりだった。
「ちがう! 違いますクロイ様! そいつリージェだ、この土地の人間です、でかくなってるけど間違いねえ、知ってるやつです!」
「……ほう?」
クロイの目に刃のきらめきが宿った。
「それは、どういうことですかな、御使者どの?」
「女の身では何かと不自由でして、途中で雇い入れたのです」
「我々はこのところ、盗賊に悩まされておりまして。もしかするとその一味ではありますまいか」
盗賊一味のクロイが、ぬけぬけと言う。
フィンはにこやかな表情を崩さない。
「わたくしの従者を、賊であるとおっしゃいますか?」
「ご存知なければ仕方ないことです。それにいささか、今うかがったことと違うような。ご無礼は承知、その者の取り調べをお許しいただきたい」
クロイの発する気配が重圧を増した。
リージェの血の気が一気に引いた。ここは完全な敵地。フィンは丸腰。本当に、何も武器を持っていない。そしてこの場で最強の男が、一切の油断をしていない。自分の腰に剣はあるが、とても通じる気がしない。
「困りましたね」
フィンは小娘のように頬に指をあてると、ぱっと表情を輝かせた。
「それでは、この者の、身の証を立てさせていただきましょう。
どなたか、わたくしに剣をお貸しいただけませんか? この通り、丸腰ですので」
「何をなさるつもりですかな」
「面白いものをお見せします。……小娘が剣を持ったところで、恐れるあなた方ではないでしょう?」
「ふむ。おい、貸してやれ」
さすがにクロイは、自分の剣を貸すような真似はせず、『兵』の一人に命じると、その腰にある剣を差し出させた。
何の変哲もない直剣である。リージェの腰にあるものより幾分短く、作りも雑だ。大国の工房で兵士に供給するために質より量で作られた、いわゆる数打ちがこの土地に流れてきたもの。
「賭けをいたしましょう」
鞘ぐるみそれを受け取ったフィンは、舞踏のようにくるくると回りながら立ち位置を変えていった。
回りきったところに、櫓の柱があった。
人の胴ほどある丸木が、土台から空へ伸びている。
その途中に元領主一家の骸骨がぶら下がっている。
四本立っているうち、上に登る足場がついていない、つるりとした一本を、フィンは愛しい相手のものであるかのように目を細め、淫らがましく撫で回した。
誰かが喉を鳴らした。
「この柱を、わたくしが切ることができたら、この者を許してやってくださいませんか?」
「……お嬢さん。戯れ事をしに、わざわざここまで参ったのですか?」
クロイの口調が怒りを帯びた。やはり盗賊団の一員だとうかがわせる凶悪なものもにじみ出てきた。
「わたくしは本気です。こう見えても剣にはいささか自信があるのです。“剣聖”などとわたくしを呼ぶ者もおります」
「剣聖…………?」
クロイが眉をひそめ、口ひげを揺らして、いや、まさかとつぶやいた。
「では、参ります」
クロイの許可も得ず、フィンは剣を抜いた。
雑とは言え武器は武器、人を殺せる刃がきらめく。
「……!」
初めて、リージェは彼女が剣を持つところを見た。
空は夕刻が近づき、明るさを徐々に失いつつある。
抜いた刃にその名残の光が映る。
剣を高々とかかげ持つその姿は、まるで空の神に祈る巫女のよう。
笑みを消した、神秘的なものを感じさせる表情でそっと目を閉じ、かすかに何かをつぶやき――周囲から音が消え去り……。
構えた。
誰もが息をのんだ。
両手で柄を握り、体の前に構える――それだけで、雑打ちの平凡な剣が、彼女の美麗な体の一部となった。
長身には一切の隙がなく、進も退も伸も縮も、あらゆる動きが自在であることの疑いない立ち姿。
武芸をたしなんだ者には、そこから繰り出される一撃の尋常ではない鋭さが容易に予感される。
それはまぎれもなく、常人の域を超えた技量を持つ者の気配であり――。
「剣聖……」
リージェもその言葉をつぶやいた。
前にも、フィンは自分のことをそう言っていた。
すごい剣士だと。
ゲールを退治するためにここに来たと……!
フィンの美貌が、刃そのものとなって引き締まり、斬るべき対象に向かった。
自分の体と同じかそれ以上に太い柱に向かって、剣を、徐々に振り上げていって――力がそこにみなぎり――張り詰め――誰もが息をのんで見つめ……!
………………コォォォォォン。
高い、硬質の音が、夕空に響き渡った。
鋼が丸木を叩いた音。
振り下ろされた剣が、丸木の表面で立てた音。
続いて、乾いた音が地面で響いた。
剣が落ちた音。
丸木をぶっ叩いた剣が、フィンの手から落ちたのだった。
リージェのあごががっくり落ちた。
クロイも、ぽかんとなっていた。
「痛たたた……」
片手を振りながら、フィンはもう片方の手で剣を拾う。
「失敗、しちゃいました」
照れ笑い。
丸木にはわずかな痕がついているだけ。
「でも、本当に、できるんですよ。さあもう一度!」
再び、今度はすぐ振り上げ、振り下ろす。勢いだけはある。
コォォォォォン。
甲高い音が再び。
剣もまた、丸木の表面に再び傷をつけ……それだけ。
「いやいや、本当に、できるんですから! 私、すごいんですから!」
引きつった笑みを浮かべ弁解しつつ、その腕を上下に振り体もくねらせ、胸のふくらみが大きく揺れる。
弛緩した空気が流れ、好色な笑みが見物人たちの口元に浮かんだ。
「さあ、ちゃんと、やりますよ!」
あらためて足の位置を整え、剣を構える。
リージェの全身にひどい冷や汗がにじんだ。
その構えた姿には、もう息をのませるようなものはなかった。
貴族の令嬢の剣遊び。そうとしか見えなくなってしまっている。
「えいっ!」
三度目の音が夕空に響いた。
その斬撃も当然のように弾かれ、フィンは反動で後ろによろめき、意地になったようにそこから斜めに剣を振り下ろした。
びゅっ。
それまでと違う音。
剣は、当たりさえしなかった……と見えた。
丸木の柱に、斜めの線が刻まれただけ。
勢いあまってフィンはたたらを踏み、土に剣先をめりこませる。
「まだまだ!」
つんのめった体を立て直すが、その手に剣はなく、地面に斜めに突き刺さったままだった。
「あら、ら、ら……」
「……もういいだろう。そいつを連れていけ」
肩を落としたクロイが、疲れた声で言う。
『兵』が動いて、リージェに近づく。
「いけません! それなら、その者がわたくしの従者であることを、命で証明します!」
フィンが血相を変えて言った。
「命だと?」
「死んでください」
フィンは、リージェに向かって言った。
両手を腰に当て、ふんぞり返って。
「頭からそこに突っこんで死になさい」
「え…………?」
リージェのみならず、クロイを含むその場の全員が目を丸くした。
「私のために、みんなのために、誇りのために、今ここで、命を使い果たすのです!」
「そんな……!」
リージェはぼろ布を取り落とす。
「やりなさい」
「そんな!」
「やりなさい! そこへ! 頭ぶつけて死になさい!」
「むちゃくちゃだ!」
フィンは、リージェに無茶ぶりをしながら近づいてきて――クロイはじめ敵の全員に、完全に背を向けた。
だから――それが見えたのは、リージェだけだった。
フィンの顔つきが変化した。
わがままな貴族令嬢から、まぶたが落ちて瞳がどろりと濁った、眠たそうな顔へ。
リージェの知る顔。
何度もリージェを助けてくれたひとの顔。
「少年、やれ」
けだるげな声に、リージェの体が、思考よりも先に動いた。
昨夜と同じように。
何も考えず、目の前のものに突進した。
頭から行った。
全力で行った。
首が折れて死ぬ、という考えることもなかった。
ここは死地であり、リージェひとりでは死ぬ以外にない場所だ。
そこに差している一筋の光が、フィン。
男を甘くとろかす魔女でもなく、高慢で脳天気な貴族令嬢でもない、リージェの知る、ぼろぼろの、めんどくさがりやの彼女。
それこそがリージェの光。
唯一の光。
光に向かって、全力で行く以外に道はない。
リージェは衝撃そのものとなって、丸木に激突した。
――ずりっ。
妙な音がした。
リージェの首が折れ頭が潰れ体がひしゃげ――るはずだったのに、なぜか前進が続いた。
激突を受けた丸木も、一緒に、前進した。
「………………?」
太い丸木の柱が、斜めの線に沿って、ずれていた。
斜めに、切断されていた。
リージェの突進を浴びて、ずれて、落ちた。
地響きに続いて、破砕音が、上から。
四本の柱で支えられていた櫓の上、見張り台が、崩壊した。
上にいる『騎士』たちの悲鳴、板が割れ砕ける音、設置されている鐘が枠組みにぶつかる重たい金属音、ずれ落ちた柱が傾き、他の柱も傾き、木片や人間に続いて、巨大なものがのしかかってきて……!
地面に転がったリージェの左右に、轟音が幾度も鳴り響いた。
重力はいつでも有効な武器。




