番外編. 王は王妃の様子を訝しむ
2022/11/3、ミーティアノベルス様より電子書籍化です。
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ここのところ、セレンの様子がおかしい。
レグルスは王室にて、ひとり考え込んでいた。
セレンがこのクラッセに嫁いできて王妃となって、いろいろあったと思い起こす。
とんでもない誤解を与えてしまったし、その対応は完全に後手後手で、そのせいで思いっ切りセレンに迷惑を掛け続けてしまったのは、反省すべきことだし二度とあってはならないことだ。
後日、その経緯を知った、父の妃であるイザベラとジゼルは王室にまで押しかけてきて、大きな失望のため息を二人揃ってついたものだ。
「なんてことかしら。わたくしたちの息子が妃を悲しませるだなんて」
「妃を迎えるその日に備えて、いろいろと教えてきたつもりでしたのに」
「初手を失敗するだなんて、わたくしたちの息子にあるまじき失態だわ」
「本当に。わたくしたちはなにを間違えてしまったのかしら」
「わからないわ」
「ええ、まるでわからない」
そうグチグチとレグルスの前で言い連ねる。
こういった場合の自分のとるべき対応は、ただひとつだけである。
ひたすら聞け。気の済むまで。
なぜなら彼女たち自身がそうレグルスに叩き込んだ。
そんな風に、父の妃たちのお叱りを受けながらも、……というか、おそらく父への文句を代わりに聞かされているわけだが……それなら本人に伝えればいいと思うが、たぶん本人に言うだけでは足りないのだ……とにかく、あれ以降は良い夫婦の関係を築けていたと思っていた。
思っていたのに、なにやらセレンの様子がおかしい。
◇
最初にその違和感に気付いたのは、遠乗りに誘ったときのことだった。
いつものように後宮で、向かい合って座っていたときにこう提案したのだ。
「セレン。近々、少し時間が空きそうなんだ。今度は違うところに遠乗りに行ってみようよ」
以前であれば、それはもうパッと花が開くように、表情を輝かせて誘いに乗ってきてくれたのだが。
彼女は少し困ったように眉尻を下げて口を開いた。
「え、ええ……素敵ですわね」
ん? と思う。
別に嫌がっているわけではなさそうなのだが、戸惑っている風に見て取れる。
「遠乗り……ではないほうがいい?」
「遠乗り……にも行きたいのですが……」
なにやら歯切れが悪い。どう言おうか迷っている様子だ。
疲れているのだろうか。言われてみれば僅かながら、いつもより血色がよくないかもしれない。
確かに彼女は、つい先日、王妃主催で舞踏会を開催したばかりだ。慣れぬことも多々あり、疲れているに違いない。
「そうだね、舞踏会ではがんばっていたからね」
「ええ、そうなんですの。少し疲れが溜まっている気がして」
んん? と思う。
本当は違うことが理由なのだが、レグルスの言葉に、渡りに船とばかりに乗って来たような口調だった。
そのとき、父の妃たちの言葉が脳裏に蘇った。
「夫といえど、言いたくないことだってありますわ」
「そういうときに無理に聞き出そうとするのは愚の骨頂です」
もしかしたら、ここで突っ込んで尋ねるのは、母たちの言うところの愚の骨頂というものかもしれない。
「そうか。では遠乗りはまたの機会にしよう。じゃあ、父上のところの料理人がお気に入りだったよね? 頼んでおくから二人で食事でも」
どこかに出歩いたり、人を呼んだりするのは疲れるかもしれないから、とそう提案する。
するとセレンは瞳を輝かせて返してきた。
「まあ! でも、いいのでしょうか? 先々王陛下がお困りでは」
「一回くらい平気だよ」
「でしたら、お願いしたいです」
「うん、言っておくよ」
「楽しみですわ!」
彼女はそう、華やいだ声を出していたのだが。
◇
そして、快く了承をもらい、後宮と王宮の間にある中庭で二人きりの食事会をすることになった。
「わたくし、楽しみにしておりましたの」
セレンは弾んだ声でそうレグルスに言ってくる。
それを聞いて、レグルスも嬉しくなってしまう。
喜んでもらえたなら本当に良かった、と思いながら用意された席に腰掛けた。
「ご無沙汰しております、国王陛下、王妃殿下」
レグルスが子どものころから、ずっと父の傍で食事を出し続けている料理人は、そう挨拶すると一礼した。
それを合図に食事会は始まったのだが。
前菜に、カリフラワーや人参を使った野菜のテリーヌ。スープは、玉葱のポタージュ。そこまではセレンも上機嫌な様子で食事を口に運んでいたのだ。
しかし、香草と一緒に焼いた子羊を切り分けたものが皿に乗って出されたときから、セレンのフォークの動きは止まった。
最初は気付かなかった。さすがだね、やっぱり美味しいね、と話し掛けようとしたときに彼女の顔に視線を向けると、心なしか青ざめているように見えたのだ。
「セレン?」
どうしたというのだろう。なによりも食事することが好きなセレンが、こんなに美味しいものを前にする表情ではない。
不審に思って皿に視線を移すと、一口程度しか減っていない。
「あっ……」
呼び掛けられたことに気付いた彼女は、慌ててフォークを持ち直し、肉を口に運んだ。
「味が濃厚で、美味しゅうございます」
口元に弧を描いてそう感想を述べるが、とりあえず言ってみた感がものすごい。
料理人も戸惑いの表情を浮かべている。
「もしや、羊肉は苦手でございましたか」
「いえっ、そんなことはなくてよ」
セレンは慌てたようにふるふると首を横に振る。
思わず、料理人と顔を見合わせてしまった。
苦手なものを出すなど、この料理人に限ってするわけがない。毎日の食事からも、今まで晩餐会などで出されたものも調べ上げて、セレンの好きなものを選りすぐってきたはずだ。
レグルス自身も、美味しそうに羊肉を食べるセレンに覚えがある。
それに今、彼が口にした子羊の肉も、美味だった。味付けがどうこういう話とも思えない。
しばらく黙り込んでいた料理人だったが、ふとなにかに気付いたように顔を上げると、「少々お待ちくださいませ」と断ってから立ち去っていく。
「……口に合わなかった?」
「……そんなことは」
身を乗り出し、ぼそぼそと問うてみたが、セレンは否定するだけだ。
「もしかしてやっぱり調子が悪いのかな。あとで王宮の医師を」
「だっ、大丈夫です。調子は悪いかもしれませんけれど、医師を呼ぶほどでは」
「でも」
「大丈夫です」
そう話を打ち切って、口の端を上げる。けれど無理に笑っているような気がして仕方ない。
そこで料理人が戻って来た。
そして微笑むと、手に持ったナイフとオレンジを掲げてみせる。
「実は、一度、披露させていただきたくて」
料理人はそう説明すると、手元のオレンジをクルクルと回しながら、器用に切れ込みを入れていった。あまりの手際の良さに、しゃべることも忘れてじっと眺めてしまう。
そしてあっという間に。
「いかがでしょう」
「まあ! すごいわ!」
皿の上には薔薇のように美しく飾られたオレンジが置かれていた。
「へえ、これはすごい。こんなに短時間でここまでできるのか」
「食べるのがもったいないわね」
「いいえ、妃殿下に食していただきたくてお出ししたのですから、ぜひ」
目の前に皿を移動されて、セレンはこわごわと花びらの一枚にフォークを突き刺した。
そしてそれをパクリと口に入れる。
「ああ、さっぱりしていて美味しいわ」
「それは良うございました。まだまだ見ていただけますか」
そう言って、今度は葡萄も一粒一粒、小花のように切っていく。
「こんな小さなものまで」
「お褒めいただきたくて」
おどけたようにそう口にしつつも、料理人の手は止まらない。いろんな種類の果物をどんどんとセレンの前に出していき、そしてセレンはその形を楽しみながら、食べている。
羊肉は、他の給仕人がいつの間にか下げてしまっていたが、これだけ果物を食べれば十分なのではないかと思ったころ。
セレンはそっとフォークを置いた。
「あ、あの……」
「心得ております」
彼女が上目遣いでおずおずと発した声に、料理人はすばやくうなずいて応えた。
するとセレンはほっと胸を撫で下ろしている。
んんん? と思う。
けれどとにかく、セレンには満足してもらったようなので、安心した。
◇
とはいえ、やっぱりセレンの様子はおかしい。
レグルスは王室にて書類仕事をこなしながらも、ずっとそのことを考えていた。
あれだけ乗馬が好きなセレンが遠乗りに乗ってこない。
好きな食事が出ても手を付けない。
やはり身体の調子が良くないのではないだろうか。まずは病気を疑ってみてもいいのではないか。
突然、趣味嗜好が変わるだなんて、そんなことはそうあることではないだろう。
と、そこまで思い至ったところで。
「あっ!」
思わず、テーブルに手をついて勢いよく立ち上がる。控えていた侍女や侍従たちが一斉にこちらに振り向いた。
「い、いかがなさいましたか、陛下」
「あっ、いや、なんでもない」
そう弁解しながら、ストンと腰を下ろす。
ああ、そうか。
遠乗りを避ける理由。食欲がない理由。具合が良くないのに医師を断る理由。
考えてみれば、それしかないような気がする。
まだ確定はしていないのだろう。様子見の段階なのだ。
だから公言できないのだ。レグルスが相手であっても。
きっとそうだ。
ならば、待っていればいい。
その幸福な、報告を。
◇
数日後、後宮に呼び出されたレグルスは、セレンの元に向かった。
急いた心を表すかのように、ついつい早足になってしまう。
侍女が扉を開けるのを待つ時間すらも、もどかしく思えて仕方ない。
「セレン」
呼び掛けると彼女は顔を上げ、頬を紅潮させて、花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「陛下」
「うん」
「報告することがありますの」
「うん」
彼女が座るソファに歩み寄り、その隣に腰を落とす。そして彼女の手を取って唇を寄せた。
レグルスの幸福は、すべてセレンが持っている。
彼女が彼の元に嫁いできたときから、そのことは揺るぎなかった。
そして今も。
セレンの口がゆっくりと開き、幸せの形を作り出すのを、レグルスは目を細めて温かな気持ちで見つめていたのだった。




