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第一幕、ロミオ・ダンス8

 享都市東危ひがしやば東大餌ひがしおうじ通り東側、私情通りのどん突き――

 丸危公園。

 かつて桜の名所として知られたこの公園の一角に、赤い炎が舞い降りた。

 赤い炎は池のほとりに舞い降りると、そのまま少女の形に立ち上がる。炎がおさまると、白のブラウスに赤いベスト、赤いスカートに赤い編み上げブーツの少女がそこには立っていた。

 人呼んで緋撃のジュリエット――衛藤ジュリだ。

 ジュリは赤い炎を纏って、その身を公園に降り立たせた。

 炎が全て収まると、ジュリはそのまま何げない様子で歩き出す。空を飛んできたことなど、微塵も感じさせない。夜の散策の途中のような軽い足取りだ。

「鳩尾は止めてねって、言ったのに……」

 たった今殴られたかのように、時折鳩尾をさする仕草を見せる以外は、夜風を満喫するようにジュリは軽やかに歩く。

 そして二、三歩歩くと、足下のブーツが一瞬炎に包まれ、踵の高いハイヒールに変身した。

 ハイヒールで更に数歩歩くと、ジュリの服と体の赤い部分が全てピンク色に変わった。

 それは十五年前の禁呪法以来、すっかりと枯れてしまったこの公園の、桜の色に合わせたかのような桜色だった。

 最盛期には何万という花見客を魅了した広大な公園を、ジュリは一人で歩く。そして一本の大木の前で立ち止まった。それはやはり枯れてしまった桜の木だ。

「可哀想に。呪が禁じられ、人々の咲いて欲しいという願いが、届かなくなったのね」

 ジュリはその木にそっと手を触れる。

「何処もかしこも、大なり小なりそうだけど……」

 ジュリは名残惜しげに木から手を離すと、もう一度歩き出す。その目に見えたのは、明と暗で色分けられた享の街だ。

「願いという養分を、根から吸い上げられなくなった木々のようね。この享の街は……」

「へへへ……お嬢さん、一人?」

 そのジュリを若い男達が取り囲む。その目は少々焦点が合っていない。何処かうろんな目だ。

 彼らが直前まで遊んでいたらしきスケートボードが、音を立てて転がった。彼らは互いに目配せをすると、突如現れたかのように見えた桜色の少女を取り囲む。

「お嬢さん。こんな暗い夜道を一人で、何処いくの?」

「何処からきたっけ? 突然現れなかったっけ? 何か色変わらなかったっけ? そんな訳ないっけ? いいのあるけど一緒にやんない? カジュアルな軽い感じのやつ? 好きくない?」

「てか、足下がおアブだぜ。ライターでおヒカしてあげようか?」

 男達が口々に話しかけてくる。全部で五人だ。その内の一人が充填式のライターの火を前に突き出した。男はその灯りを、点けたり消したりしながら、ジュリの前にちらつかせた。

 火が点く度に、ジュリの顔に陰が差す。

 そしてその顔には浮かび上がる陰影の通りに、嫌悪の表情が露になっていく。

「またクスリね……カジュアルや軽いだなんて、手痛い債務の只の頭金でしかないのに……」

「あん……何だって、ねえちゃん?」

 ライターの男が殊更その灯りを近づけた。

「あら、お兄さん方。往年の輝きを失いガラスのハートのように傷ついているとはいえ、ここは方々に街灯のある公園。無様な顔を曝して、クスリをぶすぶす炙る安い灯りで釣るなんて、無粋ですわね。少しは慎み深いチョウチンアンコウを見習いなさいな」

 ジュリは不快感を内におさめると、桜色の髪をかきあげた。

「チョウチンアンコウだぁ?」

「そうよ。チョウチンアンコウはわきまえているわ。だって暗い海に沈んだまま、上がってこないんですもの。暗い倦みに沈む、あなた方と違ってね」

「はぁ? 何言ってんだ、姉ちゃん!」

「それかクジャクを見習いなさいな。着飾ることに夢中で、オツムなんてまるで小さなあの鳥を。見ている分には楽しいわ。やっぱりあなた方と違ってね」

「ちょいっと、おイタにおツキしてもらうつもりだったが、別のおイタがおヒツのようだな」

「頭の悪いしゃべり方ね。まるで初めて整髪料を手に入れた、ティーンズの髪型のように無様だわ。手持ち無沙汰にブラブラしてる暇があったら、少しは頭の中でも手入れなさいな」

「なろ!」

「ふふん……」

 話し方を馬鹿にされた男が不意に飛びかかり、ジュリは足だけ残して軽やかに身を翻した。

「――ッ! 痛っ!」

 男はジュリの左足に足をかけられ宙に舞った。そのままろくに手も着かずに、顔から地面に突っ込んでいく。男はそれで気を失ったのか、あっけなく動かなくなった。

「あら? 『おイタ』とか叫ばないのね。半端だわ。あなた方の安いクスリのように半端だわ」

「てめぇ……おう! お前ら! 囲んじまえ!」

「お止めになりません? 今は昔とはいえ、ここは粋な桜の名所。散る潔さを教えてくれた、春の世の舞台。あなた方は、所詮散るらん春のひとひらですわ。つれなくされたと分かっているのなら、幾万の花びらの一つとして潔く散っていきなさいな。そうすれば私の心のエンドロールに刻まれるでしょうよ。エキストラ――その他大勢という名前でね」

「ほざけって!」

「残りは四人。それぐらい余裕……ですが――」

 ジュリはそう呟きながら、遠目に見える屋敷に目をやる。

「あれがパーティが開かれるっていうお屋敷ね。そろそろ近いわね。なら呪術なしで、お相手しましょう。何も花を咲かせる桜だけに、私達が心魅入られる訳ではないようにね」

「何をいちいち、ごちゃごちゃと!」

 男の一人がいきり立って殴りかかってくる。右の拳を固く握り、そのまま振り上げていた。

「ふふん……」

 大げさに振り上げた拳を突き出してくる相手。その相手に対してジュリはやはり小さく笑うと、今度は一歩前に出た。相手の拳をくぐり抜け、その懐に全てを投げ出すように飛び込む。

「――ッ!」

 男が目を剥いた。思わず声をかけてしまった美少女。その桜色の美貌。それが熱を帯びた視線で、己の懐に飛び込んできた。男の手が驚き、また怯えたように半端に左右に広がった。

「ななな……」

「あら、怖いお顔。胸中に飛び込む鈍い小鳥は、猟師も撃ち落とすまいと聞きますわ。そのようなお顔では、せっかく飛び込んできたドンな鳥も、取り逃がしてしまいますでしょうに」

「な、何を……」

「小鳥以上に愚鈍な手足をお持ちですこと。ぱっと手を伸ばして迎えてはくださらないの? 機敏に伸びるのが鼻の下だけとは。象にでもなるおつもりかしら? いえ、亀ね。本当は亀ですわね。硬い甲羅を持つ臆病な亀ですわ。ですがたとえどんなに堅い意思で身を固めようとも、そのようなノロマでは乙女の心に逃げられますわよ」

「ななな……」

「まあ、そのご様子では、象の鼻の大きさを持ち、亀の甲羅の硬さを誇っていても、いきり立つのが精一杯でしょうけどね。後は萎むだけの摘み忘れられた桜ん坊のように、いつまでも相手にされずブラブラしてなさいな。チェリーボーイの皆様!」

「――ッ! バカにしてんのか! この尼!」

 男はやっと動き出す。半端に開いていた腕を勢いよく締めた。

 だがジュリはもうそこにはいない。身を翻して男の腕を避けるや、その勢いを利用して回転すると、相手の首筋に右手で手刀を食らわせた。

 男は無言でその場で崩れ落ちてしまう。

「ごめんあそばせ。愚鈍な男とは、おつき合いできませんわ」

「この!」

「やっちまえ!」

 その様子に残された男達がいきり立つと、その背後から夜の闇を打ち破る叱責の声が轟いた。

「止めなさい!」

 それは何処までも響く――凛とした声だった。

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