第二幕、ジュリエット・バルコニー10
その見上げるような背中を睨みつけながら、澪はティバルトの背中を追った。
西本銃寺を後にするや、ティバルトは振り向きもせずに歩き出していた。
澪は遠目に誰も怪我人がいないかだけを、ティバルトの発砲の後とっさに確かめた。幸い皆無事のようだった。そして警部に追いつくや、湧き上がる怒りのままに口を開いた。
「ティバルト警部! 何の必要があってあんな真似を!」
あの時ティバルトは、左の腰に吊ったホルスターから銃を抜くや否や発砲した。僅かばかり振り向いて、己の左腕の下から背後の鐘を狙い撃ちにしたのだ。撃ち出された弾丸は、鐘木代わりと言わんばかりに、その鐘座――撞木を受け止める丸い部位――の中心をとらえていた。
突然の銃声と轟音に、鐘の周りの人々が慌てて地面に伏せた。危険極まりない行為だった。
「ははっ! 百点満点だったろ! 願いはかなうってよ! 気にすんな、ロミオ!」
ティバルトは満足げにそう告げると、銃をホルスターに戻し高笑いをしながら歩き続ける。鐘の下で暮らしていた人々のことなど、まるで気にしていない様子だ。
「く……」
澪には銃を抜いた瞬間も、狙い撃ったところも全く見えなかった。勿論止める間もなかった。
「何を言ってるんですか! いくら銃の腕に自信があるからって、跳弾だってあるんですよ!」
「不法占拠に警告しただけさ。職務さ」
「な……」
澪は後は唸ることしかできず、ティバルトの背中を睨みつけながら無言でついて歩く。
西本銃寺を去りしばらく歩くと、制服警官が入り口を固める通りが見えた。
通りの向こうは崩れた家屋と、その崩れた家屋の廃材で作ったバラックがひしめき合っている。屋根があるだけまだいいのかもしれない。そのバラックすら解体したような廃材の上で、多くの者が新聞紙にくるまって寝転がっていた。
住民の幾人かが制服警官が集まっていることに気がついたようだ。ある者は不安げに、そしてある者はあからさまに敵意を剥き出してこちらを見ている。
「現着、ヒトマルサンヨン」
「ゴミ捨て場に現着っと」
澪が律儀に現場への到着時間を確認すると、ティバルトが機嫌良く不適切発言をした。
「違います。下業区褸窶嬢通りの――」
「うるせぇ! 俺が上司だ! いちいち口答えすんな!」
「――ッ!」
今度も澪は見えなかった。気がつけばこめかみに銃を突きつけられていた。
「バンッ! てな!」
あまつさえティバルトは一つ引き金を実際に引いた。
「なっ!」
澪はこめかみに走ったその衝撃に、撃鉄が実際に降りたことを知る。
「ビビったか? キャリアさんよ。さっき一発撃ったからな。一つ弾倉を戻しといたんだよ」
「ななな……」
「いいか、お嬢ちゃんよ。十五でキャリア試験に受かった、特例中の特例だか何だか知らねぇが、試験と現場は違うぜ。覚えときな」
ティバルトは得意げにホルスターに銃を戻す。まだ五発は弾が残っているはずの、装弾数六発のリボルバーの銃だ。まかり間違えば六分の五の確率で、澪の頭を吹き飛ばしていた銃だ。
「それとこれと……何の関係が……」
「人に向けてむやみに銃を撃ってはいけません――と教えるのが試験だ。人に向けてむやみに銃を撃ってくる奴しかいません――と教えてくれるのが現場だ。特にこういうゴミ捨て場を相手にする、大紋宮の現場はな」
「何を……」
「それに、人の背中を睨みつけてはいけません――とママに教えられなかったか? あぁ?」
「く……」
澪は言い返そうと、その見上げるようなティバルトの顔を睨みつけた。
「くく……」
四角い顔がその澪を見下ろす。いや、見下す。
「あなたみたいな人が、大紋宮だなんて……」
「ああ! イカレた連中を相手にしてんだぜ! むしろ俺みたいなのが適任さ!」
「な……」
「警部! 隊列揃いました! いつでもいけます」
睨み合う澪とティバルトに臆せず、制服を着た警官が一人側までやってきてそう告げた。
制服の警官は防弾チョッキと、フェイスガードつきのヘルメットに身を固めていた。そして腰には拳銃、手には警棒を持っていた。
この制服警官の肩越しに澪が向こうを見れば、同じような姿の警官が、更にアクリルの盾で武装して並んでいた。そのうちの幾人かは、既にその盾の間から銃の狙いをつけていた。
丁度その時バラックの向こうから、投石が始まった。大きな石が放物線を描き、小さな石が真っ直ぐ飛んでくる。石はアクリルの盾に当たり、警官達の前に転がった。
制服警官の一人が一発銃を発射した。乾いた破裂音の後に、遠くで金属に当たった跳弾の音が尾を引いて続く。
「なっ! 実弾?」
「おうよ、ロミオ。発砲を許可してる。抵抗する奴には、容赦なく撃ち返せってな」
「警部。少々武装が大げさ過ぎませんか? それにいくら何でも、発砲の許可なんて。いくら貧民街の最深部とはいえ、これでは武装勢力を相手にするかのようです」
実際武器など持っていないのだろう。発砲を受けた市民達は、慌てて逃げ出していた。
「あぁん? 言ったろ。むやみやたらに弾撃ってくる奴らの巣窟なんだよ、ここは。身内の怪我の心配をして、何が悪い!」
「ですが、ここに身を寄せるしかない、一般市民も数多く――」
「はぁ? どうやって見分けんだよ? 色でもついてんのか? 旗でも立ててんのか? その一般市民様とやらはよ! ケチャップ飯に旗立てた、お子様ランチか何かか? ああっ!」
「なっ?」
「それとも何か? 襲いかかってくる相手に、あなた一般市民ですかって訊いてから、反撃しろってか? 選挙の出口調査とは、訳が違うんだぞ!」
「しかし……」
「いいか、ロミオ。俺が上官だ。もう作戦の許可も出てる。作戦の目的は、このゴミ溜めの中にいる、クスリの常習犯の一斉検挙だ。ヤバい連中相手の一仕事だ」
「ですが……」
「怖いんなら、後ろで震えてな!」
尚も言いすがる澪にティバルトはそう吐き捨てると、
「オラッ! 野郎ども、いくぞ!」
制服警官を引き連れて、バラックひしめく貧民街へ乗り込んでいった。