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第一幕、ロミオ・ダンス2

「ぐが……」

 男は声に成りきらない悲鳴を上げて、その場で膝から崩れ落ちる。息も詰まってしまったようだ。男はそのまま股間を両手で押さえては、薄汚れたアスファルトの上を転がり回った。

「あら、不様ですこと」

「な、何を……ぐぅ……」

「ふふん」

 少女は股間を押さえてうずくまり、こちらを見上げる男を鼻で笑う。そしていつの間にか手にしていた蛇革の財布から、札と硬貨を取り出した。

「それは俺の財布! てめぇ、いつの間に!」

「蛇の頭が、尻尾のしていることに気づかぬうちにですわ」

「な、何を……」

「前払い。我が子を産む母親の陣痛のように、対価は先払いだとお約束していたはずですわ」

「へ、へへ……とんだねぇちゃんだぜ。そんなことで、男の大事なところ、蹴るとはよ……」

 男は痛みに耐えながらも、両手を股間に当てて立ち上がる。

「あら、手酷く、いえ足酷く蹴り上げてあげたというのに、随分と嬉しそうなお顔ですこと」

「けっ、ほっとけ。まぁ、なんだ。こういうのは、嫌いじゃねえけどよ……」

「やはりお好なのね。無知な私の為に、鞭の痕が首筋にメモを残してあった通りですわ」

「へへ。その通り。だがよ、いきなりはなしだぜ……それにいくら何でも――ボリすぎだ」

 男は片手で首筋を撫でながら、少女の持つ札に手を伸ばすと数枚の紙幣を取り戻した。

「適正価格ですこと。まるで天秤で取引されていた時代の、胡椒と黄金のようですわね。バランスがとれているということは、触れれば激しく揺れるということでもありますわよ」

「はは。いちいち、芝居がかった姉ちゃんだな。ま、それは、あんたのサービス次第――」

 男がそう言って少女の手に残った財布とその腰に手を回す。

 少女は腰を男の手に預けながらも、その逆の手から財布を軽やかに逃した。

「勿論、お返ししますわ。でも、その前に一つ訊きたいことがありますの」

 少女の赤い目がすっと細くなる。

「何だよ?」

「ここいらのクスリを取り仕切っているのは、狐顔の男だと聞きましたが――」

「おう、姉ちゃん! そこら辺の話は、踏み込まない方が、我が身の為だぜ!」

「あら、怖いお顔。その狐顔の男に、お会いしたいんですけど」

「無理だ。俺みてぇな下っ端は、会ったこともねぇよ……それに色々とヤバいらしいからな、例のクスリのバックは……ほら、いいから財布を返しな」

「ふふん……」

「何を笑ってやがる」

「そろそろかと思いまして」

「あぁん? 何がだよ――」

 少女がにこやかに笑い、男がもう一度財布に手を伸ばすと、

「そこまでだ! そこの二人、神妙にしろ!」

 月夜の密会には少々無粋な閃光が、その二人を照らし出した。



「――ッ!」

 少女がその無粋な光に挑発的な視線とともに振り向いた。男に向けていた煽情的な笑みとはまた違う、挑戦的な――好戦的な笑みまで浮かべている。

 閃光はサーチライトだった。相手を照らし、その光で抵抗する気力を奪う為の道具だ。

 だが少女はまるで臆したところを見せない。その光を受け止めんとしてか堂と立つ。

 少女の気迫に応えたのか、風が大きく舞った。

 叛旗とその狼煙でもあるかのように、少女のスカートが風に翻り、瞳が赤く燃える。

大紋宮だいもんぐうの者だ! ここでクスリの密売が行われていると、市民からの通報があった! 二人とも大人しくしろ!」

「ひっ」

 男は己の無抵抗を示そうとしてか、慌てて地に伏せ手を挙げた。男は捨てられた空き缶と、ゴミクズをはね除け、唾すら吐き捨てられている地面に、一も二もなく這いつくばってしまう。

「塩のこぼされた台所を這うナメクジでも、そこまで惨めで卑屈ではないでしょうに」

「バカを言え! 大紋宮の連中だぞ! てめぇも早く、両手を上げろ! 無駄な抵抗すんな!」

「彼らは所詮、数に頼る臆病者。制服と権威で虚勢を張った、張子の虎のようなものですわ」

 少女は赤い瞳で自分を取り囲んだ者達を睨みつける。

 大紋宮を名乗った集団は、皆制服に身を固めていた。アクリルの盾を前に突き出してかりそめの砦を作り出し、手に持った回転式の銃を少女と男に向けて構えている。

「頭の弱えねぇちゃんだと思って、喜んでいたら、こんな目に遭うとはよ……いや、むしろラッキーか……ねぇちゃん。その財布はあんたにあげるぜ! 追加料金だ!」

「ふふん」

「ねぇちゃん、何笑ってんだよ。知らねぇのか? あいつら警察だぞ。いや、警察なんて生易しいもんじゃねぇ。この禁呪法の時代に、堂々とその呪術を使うことを許された、特別な集団。呪術と武力の警察力を、ためらいもなく使う連中。捕まったら最後二度と出てこれねぇって言われている……いや、二度と出てきたくないって思わせる……イカれた強権集団だぞ……」

 男は這いつくばったまま、大紋宮を名乗った集団を見上げる。

「ええ、そうですわね。確かにあなたは、一度入ったら出られないでしょうね。詐欺師の二心のように、財布にこんなものを忍ばせてるんですもの」

 少女はそう言って、手に持った財布を男の顔の前に投げ出す。その財布からこぼれ出たのは、白い和紙に包まれた黒い粉だ。

「やるって、言っただろ!」

「動くな! それはクスリの粉末だな! 二人とも、麻薬密売の現行犯で緊急逮捕する!」

 サーチライトの横を陣取った指揮官らしき男が、拡声器越しに怒鳴りつけてくる。

「畜生! 俺はもう終わりだ!」

「止めときな!」

 這いつくばった男がこぼれた黒い粉末に手を伸ばしたその瞬間、少女の口調が一変した。少女らしからぬドスの利いた声を投げかけ、同時に左手をふるう。

「――ッ!」

 男が手に触れる寸前、和紙とその中身は赤い炎を上げて一瞬で燃え尽きた。クスリと呼ばれ和紙に包まれたその粉末は、何故かカナ臭い――金属の燃える匂いを残して消える。

「構え!」

 その様子に指揮官らしき制服の男が叫ぶ。少女の周りを固めた警官達が一斉に銃を向けた。

「何しやがる! 大紋宮の連中に捕まるぐらいなら、いっそクスリで、あっちの世界に――」

「お分かりでしょ? そのクスリに手を出したら――」

「おうよ、一発極めれば、直ぐにあっちいきさ! 黒い涎をだらだらと垂れ流して、こっちの世界からおさらばさ! 俺らみたいな社会の底辺に残された、危険で悲惨な最後の逃げ道さ!」

「そんな危険なクスリを、私のシマの女の子に、あんたは売っただろ?」

「シマ? あん、何言ってんだ、ねぇちゃん? ここいらの縄張りを主張しているのは、最近頭角を現してきたっていう、頭のいかれた女ギャング――まさか! てめぇ……」

「女! 貴様の名前を確認する! 言っておくが、無駄な抵抗はするな!」

「こんな美人二人といまして? 太陽に名前を問わんがごとく愚かだわ。張子の虎は頭の中まで空虚なことですこと。でも、まぁいいわ。教えてあげる!」

 少女はそう呟くと身を翻した。赤い巻き毛がふわりと広がる。

「私は衛藤えとうジュリ――」

 自らを一斉に狙う銃口を前にして、ジュリと名乗った少女は臆せず左手を相手に見せつけた。

「左手! 呪術か? この禁呪法の時代に! その呪術を取り締まる警察官に! 呪術的利き腕である左手を向けるとは! 挑発以外の何ものでもないな!」

 指揮官が憎悪に歪んだ顔で奥歯を噛み締める。

「そう! 人呼んで――」

 先程までの芝居がかった口調とはまた違う、年相応の内からの若さ溢れる溌剌とした声。その何者にも臆することのない堂とした声で、少女は警官と――権力と対峙する。

「捕らえろ! 発砲も許可する!」

「ひっ! 俺を巻き込むな!」

 そして男の情けない悲鳴と、パンッという濡れたタオルを虚空に叩きつけたような銃声と、

緋撃ひげきのジュリエット!」

 左手を一振りした赤と白の少女の喚声が、夜の街に同時にこだました。

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