関係性
顔が良いなら役者が向ていると思ったため、中学生になってからは演劇部に所属した。
その考えは間違ってなかったようで、俺は役者の才能もあり性格も考え方も物語の登場人物になりきることが得意だった。
いや、人格をも変えるほど上手すぎた。
心中する男女の悲哀物語で主役の男役を任されたとき、よく書かれた台本だったため、徐々に追い詰められて行く男の感情に耐えきれず、鬱病を発症してしまったことがある。
顧問からは向いてないと言われ、部活をやめた。
自慢の足の速さも伸び悩み、中学生の平均より少し速い程度に収まった。
俺に残っていた他人より優れたことといえば、テストの点数が高いことぐらいしかなかった。
だから、必死に勉強した。
それぐらいしか秀でたものがなかったから。
キーンコーンと授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、夢から覚めた。
枕代わりにしていた真っ白なノートには涎が垂れて濡れていた。
廊下に出てトイレへと向かい、洗面台で顔を洗うと冷たい水が淀んだ気持ちごと排水溝へと流れて行った。
「どこ行くんだよ粟国。杉山が時間がもったいない。あまり遅いと紹介するのやめるとか言い出してんだよ」
滝沢が慌てた様子で追いかけてきた。
そんなに会いたいなら俺抜きでも行けばいいものを、建前というのはこいつにとってよほど重要なことらしい。
それが、チャラい男や不真面目と呼ばれずに、お調子者として人から好かれる理由なんだろう。
「初心な下級生の心を掴まなければいけないのに、汚い顔して会うわけにはいかないだろ?あの委員長に喧嘩を売られたんだ。あいつの言う通り安いプライドを刺激されたからな」
「詩織って子も可哀そうに、お前みたいな遊び人に目をつけられてよ。でも、安心しろよ、俺が二人の仲を取り持ってやるからよ。一緒にあのクールな優等生に一泡吹かせようぜ」
同じく顔を水で洗った後、唐突にポケットからワックスを取り出し慎重に髪型を整えながら言う。
その様子はまるで彼女との初デート前のようにそわそわしていた。
外見を気にすることは悪いことじゃない。
身だしなみを整えることは相手への敬意の表れだ。
容姿が良い、悪い関係なく、あなたに会うために多くの時間を使いました。という努力に人は惹かれるのだ。
待ち合わせ時間に遅刻する女子と十分前には到着して待っている女子がいた時、後者のほうが良い印象を持つのはこのためだ。
だが、杉山の言う通り詩織という人物が女子の好きな男の外見を聞いただけで不機嫌になる人の場合、過去にトラウマを抱えている可能性がある。
そのため今回は清潔感だけは出しつつも、できるだけラフな格好を心掛けることに決めていた。
「それで、いつまで髪をセットしてるんだ?急いでいるんじゃなかったのか」
「おっと、そうだった。悪い悪い、お前と違い俺は平凡な見た目だからな、髪型ぐらいはしっかり整えないとな」
しばらく待っていると、滝沢はまるで空気が入っているかのようにふわっと盛り上がったヘアースタイルになっていた。
本人は平凡なんて言っているが、容姿に気を使っているのが分かるぐらいに髪型と良くマッチしており美容院なんかに置いてある雑誌にモデルとして出演していても違和感がない出来だった。
「準備完了だ。それじゃ、行こうぜ。女子と一緒に昼飯を食うなんて久しぶりでつい気合入れちまったよ」
俺たちは杉山と合流して、中庭を目指すことになった。
学校側も外で昼飯を食べることを想定しているのか、広めに面積をとってあり、木の樹幹で隠れるようにプラスチックの椅子やテーブルが疎らに置いてある。
花壇には様々な種が植えられており、この時期にはバラやチューリップが咲いている。
当たり前だが、テーブルの数には限りがあるため基本速いもの勝ちだ。
そのため、たまに揉め事が起きることもあるが、大抵の生徒は虫を嫌い教室や食堂を利用するため意外にも不人気な場所だったりする。
「最近、昼時に教室にいないことが多かったけれど、幼馴染と逢引していたなんて。杉山も隅におけないねえ」
わざとらしく口笛を吹きながら上機嫌な滝沢は二人の関係性を探るべく、歩きながら杉山に話しかけている。
「一緒に弁当を摘まみ合う仲にも関わらず男女の関係にないってのは、無理があると思うぜ?別に付き合ってるなら隠すこともないだろうに」
実際、滝沢の言う通り傍から見ると初々しいカップルとしか映らない。
恥ずかしがって、付き合っていることを隠すというのは一般的だが、それにしては、登校時に手を繋ぐ行為は矛盾している。
眼鏡野郎が幼馴染に対して強い関心を向けていると感じつつも恋心と決めつけられない点もそこにある。女子との噂を聞かないことから恋愛経験が少なく奥手だろうと予想できるが、委員長の性格を考えるに、「俺の彼女だが、それがどうした」と臆することなく言いそうな気がする。
「ただの幼馴染と言っただろう。友達と昼を共にするのは変なことなのか?異性というだけで、何でもかんでも下心があると思うのは間違いだぞ」
「異性の友達なんてまやかしだよ。お前は幼馴染の詩織ちゃんに対して一切の性的感情を持たないのか?キスをしたいと一度でも考えたことはないか?ふとした拍子に当たる胸の柔らかさに興奮したことはないのか?風で揺れるスカート、ゆるい短パンから見える太もものその先を見てみたいと思ったことはないのか?心当たりがあるならそれは友達ではない。お前が男に対しても劣情する変態ってんなら話は違ってくるけどな」
滝沢は得意げな顔をして流暢に持論を展開する。
そんな様子を静かに聞いていた杉山は軽く鼻で笑った。
「確かに俺も男だ。詩織の無防備な姿に興奮したことがないといえば嘘になる。生物学的に男が女に性的興奮を覚えるのは自然の摂理だ。だけどな、俺にとっては可愛い妹みたいな存在なんだ。恋愛感情ではなく、家族愛と言うほうが適切だろう」
杉山は子供に教え諭す父親のように、微かに笑みを浮かべ優越感に浸りながら滝沢を見下ろす。
何も言い返せなかったのか、「そうかよ」とだけ言いこれ以上追及することをやめた。
二人の会話を静かに聞いて、委員長と幼馴染の関係にある程度合点がいった。
こいつは詩織への思いを家族愛だと勘違いしている。
過去に何があったかは知らないが、無意識に恋愛感情を抑え込んでいるだけだ。
その証拠に、恋愛において手伝手管を知り尽くした咲野先輩が『奪う』と表現したのだ。
本当に妹に向ける感情なら、わざわざ俺に『落としてくれ』なんて言わないだろう。
いつもは自分から行動を起こす先輩がファーストアクションを待っていることこそが異常だ。
趣味が合うから仲良くしているわけでも、可愛いから仲良くしているわけでも、ましてや体目当てでもない。
家族だから、妹のように思っているから一緒にいる以上に深い愛はない。
何か惹かれる理由があって付き合っているなら、二人の仲を揺さぶる方法はある。
だが、本人に自覚がない感情は動かしようがない。
そうなると、幼馴染の女子のほうから働きかけるしか方法はない。
(面倒くさいことになったな)
普段ならこんな難攻不落な相手はさっさと見切りをつけて、別のカップルを狙いに行っているはずなのだ。
「杉山が女子を連れて中庭で飯を食っていたぞ」なんて、偶然発見したかのような口振りだったが、ずいぶん前から狙っていたんじゃないだろうか。
それなのに、急に女子を連れてきて仲良く昼を過ごしている様子を見て、焦燥に駆られて俺にあんな提案を持ち掛けたんじゃないだろうか。
咲野先輩は「最後の遊びだ」って言っていたけれど、今回は本気なのかもしれないな。