最後の遊び
中学の頃は勉強が出来た。
テストの点数も学年でトップだった。
クラスメイトも教師も親もみんなが俺を褒めてくれた。
だから、地元で一番偏差値の高い高校にも入ることができたが、そこで躓いた。
どんなに勉強しても上には上がいた。
授業の難しさも上がっていき、ずるずると順位が落ち、気が付けば平凡な生徒に成り下がっていた。
一番になれないならやる意味がない。
そのうち勉強に嫌気が差して授業もまともに聞かなくなった。
頭の良い人達が集まる場所では俺みたいな不真面目な奴は異物となり、友達もいなくなった。
「起きろ粟国厚金。お前のような不良がうちのクラスにいられると迷惑だ。馬鹿ならせめて授業を真面目に受けたらどうなんだ」
眼鏡を人差し指で上げながら説教を垂れるこいつは杉山悟だ。
クラスの委員長をしており、責任感の高さからか俺に対して頻繁に突っかかってくる。
身長が百八十センチもあるからなのか、近くにいると圧迫感を感じる。
「うるせえよ。お前には関係ないだろ。ほっとけ」
「俺にはクラスの平均点を上げる義務がある。勉強で詰まってる所があるなら聞けば教えてやる」
俺は杉山が嫌いだ。
自分が世界の中心かのように、無意識に人を見下している。
本人には自覚がないだろうが、憐れむような目を向けてくるような奴に誰が教えを乞うものか。
「お前から教わることなんて何もねえよ眼鏡野郎」
「まずは、口の利き方から直さないといけないようだな」
喧嘩が勃発しそうなところで、遠巻きに見ていたクラスメイトの滝沢春日が「そのへんで」と杉山を宥めて遠ざかっていった。
あいつは昔の俺に似ている。
自分にできることがなぜ他人にはできないのかが理解できない。
そういう輩は能力の差を努力が足りていないと判断してしまう。
勉強しなかったから試験の点数が悪いのではなく、勉学に励んでも問題が解けないから勉強をやめるのだ。
昼休憩の時間。
居心地の悪くなった教室を出て、購買でパンを買い、いつもの屋上へ向かう。
偏差値が高い高校のため校則は比較的緩い。
制服を着崩しても注意はされないし、髪を染めても問題ない。
そんな、校風を体現した女子生徒がコンクリートの地面に胡坐で座り購買で買ったパンを並べて食べていた。
大山寺咲野は金髪ロングでスカート丈が非常に短い。
暑いからかワイシャツのボタンも胸元まで開けている。
しかし、見た目とは裏腹に学校内では常に成績上位を維持しており、教師連中からは一目置かれる存在だ。
「咲野先輩。見ましたよ中間試験の順位。一位と十点差で首位ならずでしたね」
後ろから声を掛けながら少し距離を離して座る。
「あ?お前か。別に学年首位なんて気にしちゃいねえよ。うちより厚金、お前はまた最下位付近にいるじゃねえか」
「いいんですよ。先輩と違って俺は進学諦めてますから」
購買で買ってきた焼きそばパンを開け、齧る。
青空の下、町全体を見渡せる屋上は嫌な気分を忘れるのに最適だ。
「またそんなこと言ってんのか。まだ二年に上がったばっかだろ」
「先輩らしくないっすよ。前までは好きに生きろ。とか、かっこつけた事言ってたのに」
「うちも三年になって、否が応でも将来のこと考えざるを得なくってな。慕ってくれる後輩がこのまま腐ったままで卒業したくねえな。なんて柄にでもなく考えたのさ」
ストロー牛乳を啜る咲野先輩の横顔はいつにもまして真面目だ。
少し当てが外れたなと思った。
いつものように、他愛のない会話をしながら飯を食いたかっただけなのに。
涼しい風が強めに吹き、先輩の短いスカートが少しめくれる。
「そんなにスカート丈短くしてると見えますよ」
「あほ。ちゃんと見せパン履いてるから問題ねえよ。てか、見たいのか?ほら、ほら」
「別に興味ないよ」
そう言うと咲野先輩は揶揄う様にスカートの裾を持ち上げ、ひらひらとまくり上げると、下着ではなく、黒色の短いスパッツが姿を現した。
ガードが緩そうに見えてちゃんと考えているらしい。
興味はないと言いつつも、結局視線は自然と彼女のほうを向いていた。
男はなぜ下着に魅了されるのだろう。見せたくない物を隠すという役割的には見せパンと本質的には変わらないというのに。
仮に見せパンの下に下着を穿いてなかったとしても、同じぐらいには性的欲求を刺激しないだろう。
結局は、人が隠したいと思っているものを覗くことに価値があるのだろうか。
「そういう割にはがっつり見てんじゃん」
哲学の海に潜っていた俺を海面へと一気に浮上させた。
距離を開けて座っていたはずなのに、気が付くと隣同士で並んでいる。
何が面白いのか、先輩の下半身をガン見している俺を見て足を地面に叩きつけながらケラケラと笑い転げていた。
「そう面白くなさそうな顔をするな。そういや、この前、お前のクラスの委員長してる杉山だったか。そいつが可愛い女子連れて中庭で飯食ってたぞ。それで気になって会話を盗み聞きしたんだが、年が一つ下の幼馴染だそうだ。まるで少女漫画の世界みたいでよ」
突然、脈絡もなくハハハと腹を抑えながら笑いだす。
俺を揶揄っていた時とは性質が違う邪悪さが混ざった笑み。
先輩がこんな風に笑うときは大抵碌なことを考えていない。
半分だけ残った焼きそばパンを一気に口に入れて、俺は巻き込まれないようにそっと立ち上がろうと腰を浮かした時だった。
ガシッと腕を掴まれて、楽しそうに目を細めた咲野先輩と目が合った。
「うちは杉山をあの一年の女子から奪う。だから、お前は女のほうをうまく落としてくれ。頼んだぞ。安心しろ幼さが残る顔立ちで可愛かった。きっとお前好みだ」
大山寺咲野は優等生だ。
生徒からは浮いているが、俺とは違い尊敬の念が混じっている。
教師からは太鼓判を押されており、金髪だろうとスカートが短かろうと何も言われないどころか、いい宣伝になると推奨すらしている。
身長は百七十センチと女子にしては高く、足が長くスタイルもいい。
男勝りな性格で、男装でもすれば連日、女子からの告白の列ができるだろう。
しかし、何もかも完璧に見える彼女には欠点がある。
真面目な生徒が多いこの学校で唯一俺にだけ見せる裏の顔。
それは、恋をしている女子の恋愛対象を奪いたいという強い欲求。
要は性格が悪いのだ。
普段は交じり合わない優等生と劣等生。
俺と大山寺咲野がつるむようになった理由は単に性格が捻くれてるという一点において馬があったからだ。
「また悪い癖が発症しましたか。これで何回目ですか?この前も、俺が先輩の友達とキスをした瞬間を写真に撮って、一つのカップルを終焉に追いやったじゃないですか。そのあと、男のほうと付き合うのかと思ったら気づいたら別れてるし。正に悪女ですよ」
「先輩に向かってよく言うじゃねえか。ハッハッハ。でもな、お前のためを思ってやったんだぞ?彼女一人でも作れば、また勉学に励むようになるかもしれんぞ。それに、あの杉山はうちの好みな顔してんだ。受験前の最後の遊びにしようと思っている。顔の良さだけが取り柄のお前にしか頼めないことだ。うちですら、初対面の時にはキュンときたぐらいだからな」
もはや俺が何を言おうとやめるつもりはないようだ。
なんだかんだ、咲野先輩のことは尊敬している。
変人だとは思っているが、落ちこぼれた俺と違い、世間に真っ向から立ち向かっている。
人に嫌われるのは怖くないが、この人にだけは嫌われたくない。
あの、いけ好かない眼鏡野郎の幼馴染か。
常に見下しの対象である俺に幼馴染を奪われたらどんな顔するんだろうか。
邪な種が先輩によって蒔かれ、瞬く間に成長する。
「先輩は人を焚きつける天才ですよ」
ため息をつきながら、大山寺咲野先輩との最後の遊びに付き合うことにした。