ローワン
婚約者が決まった。勿論政略結婚だ。
好いた娘と結婚できる等とは思ってもいない。相手は誰でも構わなかった。
婚約者はこの地の権力者で裕福な家の娘だった。私の屋敷で顔合わせをした時に、まるで人形のようだと思った。
確かに姿形は美しいのだろう。しかし、何を話しても反応は薄く、その表情が変わることはない。何を考えているのか全くわからなかった。
彼女との結婚は2年後の予定だった。
私は婚約者の義務として、彼女に会いに行くことにした。手ぶらではダメだろうと思い、無難に花束を選んだ。
彼女の儚げな雰囲気から、ピンク色の花束を用意させた。
彼女の屋敷で、彼女を待つ間にお茶を出してくれたメイドを見て驚いた。
私は先日、街で彼女に会っている。
彼女の帽子が風に飛ばされ、それを偶然私が拾ったのだ。
ありがとう、と笑う彼女に私は一目惚れした。
だからと言って何をするわけでもなかった。
私には婚約者がいるのだから。
それから私はシエナの屋敷を訪れる事が多くなった。
ここに来れば彼女を見ることができたから。
彼女の名前はエラというらしい。
私とエラが話をする事はない。
けれど、近くで見られるだけで、私は嬉しかった。
シエナと当たり障りのない会話をしながら、これがエラなら、どんな話をするのだろうと考えた。
シエナは相変わらず表情がなかった。
私は彼女に会いに行く時、毎回花束を持っていく。一度シエナに何故いつもピンクなのか聞かれた。シエナにはピンクが似合うと思ったから、従者にそのまま毎回同じような色合いで用意させていたのだ。
「そうかしら。」そう言って少し笑った彼女の顔は、貴方は私の事をまるで見ていないのね、と言っているようだった。
けれども懲りずに、私は次もまたピンクの花束を用意させた。
他の色はどうにも彼女のイメージではなかったからだ。
その日、シエナとして現れたのはエラだった。
何故そんな事になっているのか分からなかったが、私はその幸運を喜んだ。
意外にも二人はとても良く似ていた。
私はシエナに用意した花をエラに渡す気にはなれず、従者に下げさせた。
エラと過ごす時間はとても楽しかった。
次にシエナの屋敷を訪れた時、私は少し緊張していた。
もしかしたら、またエラが現れるのではないかと期待していたのだ。
私はシエナ用にピンクの花束と、エラに黄色い花束を用意していた。
エラには明るく暖かい黄色がよく似合うと思ったから。
私の期待通りだった。
その日も現れたのはシエナではなくエラだった。
私は従者に、用意させておいた黄色い花束を持ってこさせた。
初めてエラに花を渡す。
私の心は高鳴った。
エラがひどく驚いた顔をする。
「いつもピンクだったから、そろそろ飽きられてしまったかと思って今回は黄色にしてみたんだけど、どうかな?」
私は適当な言い訳をして、二人の入れ替わりに気付いていないアピールをした。
私が気付いているとバレたら、もうエラが私の前に現れる事はないと思ったからだ。
少しでもこの時間を続けたかった。
その後もエラはシエナとして私の前に現れた。私は騙されたふりをする。
エラと過ごす時間は幸せだった。
このままいつまでも騙されていたかった。
そうして遂に、私とシエナ・クラークの結婚式の日がやって来た。
エラとシエナが入れ替わった日から、私は一度もシエナに会っていない。
愚かにも、私は願ってしまった。
このまま、エラが私の花嫁となる事を。
彼女が永遠に私の事を騙し続けてくれればいいのに、と。
シエナの父と共に、新婦の控室へやって来た。
ノックをする手が震える。
扉を開けると、目の前にいたのはシエナだった。
私は驚き目を見開く。
やはり、エラと結婚できるはずなどなかったのだ。
しかし、よく見ると彼女が着ているのはウエディングドレスではなかった。
部屋の奥にはウエディングドレスを着て、美しく着飾ったエラ。
エラを手に入れる事ができる。
私は嬉しかった。
エラが何を考えているかなど、全く気にしていなかった。
私とエラは神の前で愛を誓う。
こんなに幸せな日はないと思った。
その夜、私はエラを伴って屋敷へ戻った。
「今日からここが、あなたの家だ。」
エラの表情は暗かった。初めての場所に緊張しているのだろう。
その時の私は、エラと結婚できた事に浮かれ、慣れればまた、いつものように笑ってくれるだろうと思っていた。
エラとの初夜は素晴らしかった。好いた女を抱ける幸せに酔いしれ、私は夜な夜なエラを求めた。
けれど、彼女の表情はいつまで経っても晴れなかった。
ほどなくして、エラは私の子を授かった。
私とエラの愛の結晶がこの世に生まれる。私は舞い上がっていた。
ある夜、仕事から戻るとエラが消えていた。
私が幸せに酔いしれている間、エラは私を騙している罪悪感と戦っていたのだ。
子を授かった事で、耐えられなくなったらしい。
申し訳なかった、決して迷惑はかけないので、愛する私の子を産むことを許してほしい。
そう記された手紙を見て、私は全身の力が抜けていくのを感じた。
もっと、早く伝えればよかったのだ。
「エラ、愛してる。」と。