シエナ
私の毎日は退屈だ。
何もかも、お父様の言うとおりにしなければならない。
私は段々と自分の意見を述べる気もなくなり、言われるがまま、人形の様に機械的に日々を過ごすようになっていた。
毎日がどうでもよかった。欲しい物もなく、与えられる物をただ享受するだけの日々。
ある日、庭でぼんやり花を眺めていた。
鮮やかに咲く真っ赤な薔薇の花が美しく見え、手を伸ばした。
━━ぷつり。
指先から赤い血が滴り落ちた。
それを見て、庭師のジャンが慌てて私の元へやって来た。
「バカ、何してるんだ!」
言ってから、ジャンはしまった、という顔をした。
「申し訳ありませんでした、つい。お嬢様、まずは手当てしましょう。」
私は大人しく従った。
手当てしてくれるジャンの手は温かかった。
それから、私がふらりと庭を訪れると、ジャンが側に付くようになった。
初めは私が怪我をしないよう見張りながら、ポツリ、ポツリと花の説明をしてくれていただけだったが、そのうちに他愛ない話をするようになった。
私は、いつの間にかジャンと話す時間が楽しみになっていた。
婚約者のローワン様はいつも私に花束を持ってくるが、それは決まって、ピンク色をしていた。
彼が義務感で私に会いに来ているのは丸わかりだった。
彼の視線の先にはいつもメイドのエラがいた。
どうやら彼はエラにご執心らしい。
私にバレていないと思っているようだったが、私と話す彼はいつも心ここに有らずだった。
ふと、何故いつもピンクの花を持ってくるのか聞いてみた。
私にはピンクが似合うと彼は言った。
「そうかしら。」
私の事など見ていないくせに。思いの外、冷めた声が出た。
ジャンなら私に何色の花をくれるのかしら。
私は、ジャンからの花が欲しいと思った。
ローワン様が帰った後、ひとり庭に出た。
いつもの様にジャンが来る。
「あれ、お嬢様。なんだか疲れた顔してますね。」
ジャンには私の表情のちがいがわかるらしい。
彼は目の前に咲く数種類の赤い花を手にとる。
「何があったのかしらないけど、元気だしてくださいよ。」
そう言って、小さな赤い花束を作ってくれた。
「お嬢様には、艶やかな赤が似合うと思って。」
「...ありがとう、すごく嬉しい。」
私は机の上に赤い花を飾った。
ローワン様にもらうピンクの豪華な花束よりも、この小さな花束の方がずっと素敵に思えた。
ジャンが私の事を考えながら作ってくれた花束。
私は初めて本気で欲しいものができた。
「お嬢様はあんなに素敵な婚約者様がいらっしゃって、お幸せですね。」
エラが私に言う。
私はじっとエラを見つめる。
「エラ、私幸せそうに見える?」
「勿論です。」
そうか、エラには私が幸せそうに見えるのか。
「では、私と代わってちょうだい。」
私はエラになりたい。
エラになって、ローワン様ではなくジャンと結ばれたい。
それはすごく良いアイデアに思えた。
前々から思っていた事だが、私とエラは顔立ちが似ている。
ローワン様はエラが好き。
そしてエラもローワン様が好き。
お父様さえ気付かなければ、全てうまくいくのだ。
皆が、幸せになれる。
幸いにも、お父様は私に興味がなかった。自分の思い通りに動かせる駒でしかないのだ。
お母様はもう随分前に亡くなってしまった。
私ははやる気持ちを抑え、エラを説得する。
「エラ、鏡をよく見て。私たちとても似ていると思わない?」
エラは何も言わずに静かに話を聞いている。
「ねぇ、エラ。貴女ローワン様をお慕いしているのでしょう?」
図星だと言わんばかりのエラの顔を見て、私は自分が笑っている事に気付いた。
私はずっと、自由になりたかったのか。
一度溢れた思いは止まらなかった。
私とエラは、やはりよく似ていた。
私はエラの姿をしてジャンに会いに行く。
もし、ジャンが私に気付いてくれたのなら、私は彼を必ず手に入れてみせる。
私はどうしようもなく、ジャンの愛が欲しかった。
そっと近づき、彼に声をかける。
「おはようございます。」
誰も私がシエナだと気づかなかった。
皆が私をエラと呼ぶ。
ジャンは私を見て驚いた顔をした。
「お嬢様、そんな格好で何してるんです?」
やっぱり、ジャンは私の事をよく見てくれている。私をこんなに嬉しくさせるのはジャンだけよ。
「内緒よ。私、今日はエラなの。」
私が楽しそうに言うからだろう。ジャンは共犯者のようにニヤッと笑う。
「そりゃあいい。」
その日は一日、メイドの仕事をして過ごした。
休憩時間は皆でお喋りをして、ジャンといっしょにお茶もした。
こんなに楽しい日は初めてだった。
メイドの仕事は楽ではなかったし、かなり失敗してしまった。
それでも、シエナ・クラークの時より遥かに生を感じた。
私はシエナ・クラークには戻らないと決めた。
本気でエラと入れ替わりたいと思ったのだ。
その夜、私はエラと話をした。
エラは夢のようだったと、それは幸せそうだった。
私は確信する。
私とエラが私の入れ替われば、やはりすべてがうまくいくのだと。
仮にローワン様にバレていたとしても、彼も喜ぶはずだ。
「誰も私たちに気づかない。ねぇ、エラ。私も貴女も幸せになれるわ。」
私は優しい声音で続ける。
「少しずつ、入れ替わる頻度を増やすの。そうして、ローワン様との結婚を機に、私と貴女は完全に入れ替わるのよ。」
エラの心は揺れている。
「ねぇ、エラ。幸せになりましょう。」
━━━エラは静かに頷いた。
その後、私とエラは定期的に入れ替わったが、やはり誰も気づかなかった。
私はジャンに愛してると告げた。
彼は身分違いだと戸惑ったが、私はエラと入れ替わり生きていくのだと根気強く伝えると、ようやく受け入れてくれた。
本当に領主様に嫁がなくていいのか、自分でいいのかと彼は何度も確かめた。
その都度私は、あなたがいいのだと愛を囁く。
ジャンと愛し合う日々は本当に幸せだった。
遂に、ローワン・シェラード様とシエナ・クラークの結婚式の日が来た。
私とジャンは前日に小さな教会でひっそりと結婚式を挙げた。
今日、エラに最後の別れを告げ、私たちはこの街を離れる。
もう二度と会うことはないだろう。
私とエラは、今日この時をもって完全に入れ替わるのだ。
エラに最後の別れを告げていると、お父様とローワン様がやって来た。
ローワン様は私を見て、一瞬絶望的な表情をした。けれど、奥にいるエラを見て安心したらしい。
やはり彼は私たちの入れ替わりに気づいていたようだ。
好きな女性と結婚できるのだから、私に感謝して欲しい。
お父様は最後まで私たちの入れ替わりに気づかなかった。
私はもう二度と彼らの前に現れる事はない。父が入れ替わりに気づくのはこれが最後のチャンスだったのだ。
今後、彼がシエナ・クラークが偽物であると気づくことはないだろう。
お父様とエラに別れを告げると、私はジャンと部屋を出る。
足取りは軽かった。
「愛してるわ、ジャン。」
「俺も愛してるよ、シエナ。」
エラ、私幸せよ。
私はエラの幸せを信じて疑わなかった。




