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冬の楽園  作者: 森崎緩
後日談
24/24

先見の明

大人になったふたりのお話。

 今となっては形骸化したしきたりだと思うけど、一応貯めてみた。

 給料の三ヶ月分。

 ふゆさんは案外とそういうのにこだわる、形から入るタイプの人だ。そのうちに、なんていう漠然としたアプローチよりは、ちゃんと数字にしといた方がより伝わるんじゃないかって考えた。


 付き合い出してから六年が過ぎ、お互い既に社会人になっている。

 絶好のタイミングってほどでもないし、個人的には全く焦ってもいないんだけど、友達にしろ同僚にしろ周囲の声はなぜかうるさい。

 親にも急げ早くしろとせっつかれ、『あの子を逃したらお前の資産価値は半減するよ』とまで言われた。ぶっちゃけ否定できなかった。

 俺も、そこまで言われてはしょうがないなと覚悟を決めたに至る。


 俺の資産価値の半分に値するふゆさんは、今年も俺の部屋のこたつにしがみついている。

「あったかーい……」

 天板に突っ伏した顔はそこから溶け出していくんじゃないかってくらい幸せそうだ。

 昔と変わらず長い髪は、毛先の方でくるんとゼンマイの新芽みたいに丸まっている。そして昔と変わらず、可愛い。

 変わらずに可愛いというのも、ちょっと違う気はするものの――高校時代と比べたら当然のように彼女は変わった。服装も仕種も大人っぽいし、化粧もするし、天然ボケ具合も多少は減退していかにも勤め人って雰囲気になった。

 それでも大人びた表情にあの頃の面影がちらほらと残ってはいて、二十四歳のふゆさんは今でも遠慮なくふくれっつらになるし、拗ねてさくらんぼみたいな唇を尖らせもするし、たまによくわからないねじれた理屈を捏ねたりもする。そういうのが垣間見えた時、変わってないな、可愛いなって思うのかもしれない。

 今は上目遣いでこっちを見ている。瞳にはきらきらと光が揺れている。

「まだまだ寒いし、こたつは出したままでいいよね」

 こたつの上から明るい声でそう言われて、俺は苦笑してしまう。

 カレンダーの表記は三月、外は少し風が強いけど、日が入ると部屋の中は十分暖かくなる。もうストーブもかいまきも片づけてしまって、残るはこたつだけだった。


 ふゆさんは無類のこたつ好きだ。

 高校時代、俺の部屋に来るようになったきっかけもこたつに入りたいからというものだった。彼女は『他にもちゃんと理由がありました!』と言い張るけど、こたつの方が主目的なのは間違いなかったと思う。

 正直今でも勘ぐっていたりはするんだ、俺とこたつとどっちが好きかって聞いたら後者って答えるんじゃないかなとか――まさかな。うん。


 とにかくふゆさんの類まれなるこたつ愛のお蔭で、毎年この時期になると俺たちの間には地味な小競り合いが発生する。

「三月はもう春です。言いにくいんすけど、何と言うか、そろそろ……」

「えー」

 俺が説得にかかると、たちまち彼女は非難するように眉を顰めた。

「嘘です、こんなに寒いのに春なはずがないです」

「今日はいい天気ですし、ちゃんと暖かくなりますって」

「日が落ちたらまたすぐ寒くなりますもん。片づけるには早いです」

「早かったかなと思ったら、もう一度出しますから」

 するとふゆさんは突っ伏した横顔のまま、きりっと勇ましく宣言した。

「君にそんな手間をかけさせるわけにはいきません!」

 可愛い建前だなあ、と俺は思う。


 そもそもここは俺の部屋なんだし、たとえ彼女が毎週のようにここを訪れているとしても、家具の配置及び処遇は俺の一存で決めてしまっていいはずだ。

 なのにわざわざこたつをしまう交渉を持ちかけてしまうのは、この小競り合いそのものが楽しいから、これに限る。

 ふゆさんの言うわがままなんて、本当に日常レベルの、ちっちゃくてどうでもいいようなわがままだ。はいはいって聞いてあげるのもいいんだけど、彼女が捏ねる理屈がどの方向へ展開するか、それを聞くのも面白い。


 それに、今回は別の目的だってある。

 まずは駄々を捏ねてくれないと始まらない。


「そんなにこたつを死守したいですか」

 確認の為に問う。ふゆさんはこくこくと二回頷く。

「せめてゴールデンウィークまではお願いします」

「……わかりました」

 俺も頷き返して、それからこたつに半身を突っ込んだ彼女の真横に正座してみた。

 膝に手を置き、天板の上にごろんと転がる可愛い顔に告げる。

「じゃあ、俺と結婚してください」

 このタイミングを待ち構えていただけあって、噛みもせず、緊張もせずに言えた。何度か脳内で行ったシミュレーションも功を奏したのかもしれない。

 ふゆさんは聞き取れなかったのか、ただでさえ大きな瞳を見開いた。

「ん?」

「こたつを一年中置いておいても支障のない家庭を作りましょう!」

「え、は、はい……え……?」

 ふわふわ覚束ない返事の後で、急にむくりと身を起こす。

 長い髪が宙に浮いて彼女の肩に落ちるまでの間に、一体どんなことを考えたんだろう。一瞬で表情が変わった。

「あの、あの、それって、ぷ、ぷろぽーず、というやつですか」

 彼女の問いに、俺はひとまず安心した。

 よかった、ちゃんと伝わってる。

「そうです」

「わー……」

 気の抜けたような溜息をつき、彼女は今更のように頬を染めた。

 視線を泳がせながら、高校時代と変わらぬ慌てぶりを見せる。

「どうしよう……あ、どうしようって言っても困るなんてことはありませんけど、むしろお待ちしていましたと言うか、ばっち来いと言うか……」

 そこまで言ったところで両目を潤ませて、ちょっと笑う。

「正直、いつかはなんて、期待してました」

 その答えにはさっき以上安心する。よかった。

「だ、だけど、今日だとは思ってなかったです」

 ふゆさんはもじもじして、手で自分の髪を梳く。

 隙だらけの姿勢でいたせいか、長い髪はふわふわと毛先の方が奔放に跳ねていた。それを落ち着かせようと必死になって、あたふたしている。

「それに、こたつでだらしなくぬくぬくしてる時だなんて、不意打ちにも程があります。もっとちゃんとしてる時に言ってくれないと、君ばかりしっかり正座してて、ずるいです」

「あんまり畏まると、俺が緊張しちゃうかなって思ったんすよ」


 正装してレストランなんかで、というのは考えなくもなかった。

 だけど慣れないことしてヘマをやるのは格好悪いし、それだったら彼女の一番好きな場所でする方がいい。

 ふゆさんの好きな場所と言えばやはり、ここだ。


「こたつ、好きなんですよね」

 尋ねれば、ふゆさんは頷いた。

「でも、柊くんのことだって大好きですよ」

 ポイントは逃さず言ってくれる。一層ほっとする。

「じゃあ俺と、こたつがあったら、きっと最高ですよね」

「それは……もう、至上のパラダイスです」

 うっとりと言い切った彼女は、だけど後から必死になった様子で付け加えてきた。

「ただ、さすがの私も夏場はいいです。こたつは春の間までにしてください」

「え、いいんすか。こたつ大好きなんじゃないんですか」

「わ、わざと言ってるでしょう。……通年好きなのは、君だけです」

 これじゃバカップルの会話だなーと自覚しつつ、しみじみ幸せを噛み締める。

 よかった、俺、こたつに勝ってた。

「もう……」

 恥ずかしそうに首を竦めたふゆさんが、そこで思い出したように自分のバッグを探る。

「そうだ、いつかこんな日が来ると思ってですね……」

 言いながら、取り出したのは透明なケースに入った小さな冊子――預金通帳だ。

 俺に手渡してきたから、怪訝に思いつつも受け取る。地元銀行のキャラクター絵が入った表側に、彼女の名前も記されている。

「これ、何すか?」

「それは、あれです。いわゆる『給料の三ヶ月分』です」

「――へ?」

 俺は彼女の意図するところがわからない。

 ふゆさんは真っ赤な顔でもじもじしている。

「あの、聞くところによれば世間一般の常識としてそれだけの額が、け、結婚するのに、必要だと言う話、ですよね」

「ああ、まあ……大枠では合ってます」

「だから私、貯めておいたんです。君に内緒で」

 そして目をぎゅっとつむって、まくしたてるような告白が続いた。

「さっき期待してたって言いましたけど、本当に期待してました。私の方が先に就職しましたし、いつプロポーズされてもいいように支度しておこうって……でも柊くんにプレッシャーをかけるような存在ではありたくなかったですし、時が来るまではと黙っていました。あ、ですが、こうして通帳を持ち歩いている時点でかなり重い女のような気がしてきました。気が変わったり、していませんか?」


 いや、変わりはしないですけど。

 ただその、どこから突っ込んでいいのかみたいな気持ちにはなりました。

 給料の三ヶ月分って女の人の方も貯めるんだっけ、とか。

 むしろふゆさんはそのお金の使い道をちゃんと理解してるのかな、とか。

 そりゃたくさんあるに越したことはないけど、とりあえず形から入るって認識は間違ってなかった。


 せっかくなのでこっちも打ち明けておく。

「実は俺も貯めてました、三ヶ月分」

 ふゆさんが、えっと小さく声を上げる。

 彼女がさっきから気にしてる、少しだけ癖のある髪を撫でてみる。指通りはいつも滑らかだ。

「ぶっちゃけると、今がいいのか、それとももっと俺がしっかりしてからがいいのか、タイミング的なものはちっともわかってないんすけど……お互い三ヶ月分貯められたってことは、十分いいタイミングなんじゃないかと思いました」

 お互いにその時を待ってたってことだ。

 期待だってしてたって意味だ。

 周囲の声は案外と正しかったのかもしれない。これ以上待たせたら、俺の資産価値は本当に半減してしまう。

「幸せにします、ふゆさん」

 俺の誓いに、彼女は長い睫毛を伏せ、少し肩を落とす。

「――私、先輩だからって、まだ思ってたのかもしれません」

 ちらっと向けられた視線が、俺の手の中にある預金通帳を示す。

「思えば君は、昔から計画性のある人でしたよね」

「そうでしたっけ」

「そうです。女心には鈍感ですが、それ以外の部分では頼りになる人です」

 さりげなく現在進行形だ。

 そこは『鈍感だった』にしてください。

「高校時代、部長になってからの君は頼もしかったです。恒例のクリスマスパーティの計画だって、私が何も教えないうちから済ませてしまって」


 言われて、いろいろ思い出す。

 あの年のクリスマスの、それはもう痛々しく悔いばかりが残る一連の出来事。あれを指して頼もしいと言われるのは不本意な気もする。

 部長になって張り切る俺に、ふゆさんはアドバイスをしようとしてくれた。

 なのにそれをむげにしたばかりか、その後もっと酷いことをした。

 思い出すだけで胃の辺りが重くなるから、あの時の分まで彼女を幸せにしようと思う。


「パーティの話をダシに、君とお近づきになろうという私の計画は脆くも崩れ去りました」

 彼女が語る思い出もまた、淡々としていて少し寂しげだ。

「あの頃の先輩も、ダシとか考えたりしたんすね」

「もちろんです。女の子に下心がないと思ったら大間違いです」

 真面目な顔でふゆさんが言うから、俺は可愛さに笑い出したいのをぐっと堪えた。

 その節は本当に、鈍感で、駄目な奴ですみませんでした。

「今日、改めて思いました。柊くんは計画性のある、ちゃんと頼れる人です。私はそれを知っていたのに六年経っても君の前で先輩ぶっていたりして……全部君に任せていたってよかったくらいなのに、結局先走っただけで、格好悪いですね」

 そんなことないです。俺は黙ってかぶりを振る。

 彼女が照れ顔で笑った。

「だからもう、『先輩』は卒業します」

 その方がいい。もともと俺たちなんてたったの一年しか違わないんだから。

 これからは対等に、肩を並べて歩く方がいい。

「今後は、よき妻になります。君の後ろを三歩下がってついていくような……」

 また突飛なことをふゆさんが言い出すから、俺は笑って応じた。

「そこは並んで歩きましょうよ。何か寂しいですから」

「……じゃあ、そうします」

 ゆっくりと、大きく顎を引いた彼女が、その後で言った。

「君に遅れずついていけるようでありたいです」

 即座に俺は答える。

「置いてきませんよ。絶対」


 資産価値の半分ってことは、もはや彼女自身が俺の半分ってことだ。

 改めて、俺も彼女がどういう存在か、身に染みてわかった。俺をこんなに想ってくれる人も、肯定してくれる人も、彼女しかいない。

 あとは彼女にとっても、俺が資産価値半分以上のウェイトを占める存在になれるように。


 お互いに何となく黙ったタイミングで、ふゆさんがこたつからもぞもぞ抜け出してきた。

 俺の目の前にちょこんと座り直す。

「あの……今日のところは、こたつはもういいです」

 まだ赤い頬に手を当てて、こっちを悔しげに見る。

「君の言った通りです。何だか暑くなってきちゃったから……」

 だからといってこたつを即、片づけるつもりはない。

 春の間は出しておく約束だから。


 ただ、こたつと違って通年好きと言ってもらったから――俺は暑がってるふゆさんを、遠慮なく抱き締めてしまうことにした。

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