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黒き竜は空を舞い  作者: サモト
黒き竜は空を舞い
11/44

10.

 ダルダロスと面会した後、イーズは全権大使の座を大使に明け渡した。アデカ王から下賜された懐剣も大使に渡し、身辺の整理をはじめた。


「これから、どうする? ティルギスにもどるのか?」

「分かりません。もどっていいものか、悩んでいます」

「責任を感じているのか? 気にすることはないといっただろうに。もどりたまえ。ご家族が待っているぞ。アデカ王も君と話したいだろうしな」

「はあ……」


 大使に勧められても、イーズの返事ははかばかしくなかった。


「とりあえず、オーレックが帰ってくるのを待ってからにします。オーレックにお礼をいわないといけませんから」


 オーレックは現在、ニールゲンをあちこち飛び回っているらしい。マギーがレギンを中心として、もう一度、反シグラッド勢力を形成しようと画策しているのを、手伝っているのだ。


 シグラッドは赦免する代わりに、レギンたちに協力しないようにと書状を出している。が、あちこち飛び回っているいるために、天馬級の馬を使ってもオーレックがつかまらない。書状はまだ届けられておらず、オーレックの説得はままならない状態らしい。


「――って聞いているけれど、バルク、本当のところはどうなの?」

「本当のところはって?」

「オーレックが捕まえられなくて、手紙が届かないって本当なの? バルクならオーレックと何か連絡手段、持っているんでしょう? わざと手紙を渡さないで、レギンたちに協力させてるんじゃないの?」


 バルクは空を見上げて、豆菓子をぼりぼりかじる。


「シグとレギンの決着があっさりついたら困るもんね。お互いの勢力図が五分五分になってから、オーレックに帰ってきてもらうつもりなんでしょ」

「いやー、スンマセン。オイラも深いところまではよく分かんないんですヨ。ま、そう目くじら立てないで。これでも食べて気を落ち着けまショ?」


 バルクはイーズに豆菓子の入った袋を押し付けた。憮然としながらも、イーズは菓子をつまむ。素朴な豆菓子の甘味はちょうどよく、ほっとした。


 日が経つにつれて、身体から、心から、気が抜けていくのが分かる。口ではバルクたちの行動を非難しても、本気で止めようという気になれない。なるようになればいいと、投げやりな気持ちになる。以前であれば、こんな場所で菓子をつまむことなどしなかったが、それすら気にならなくなっている。


 イーズは気楽に両足を投げ出したが、苛烈な怒鳴り声にすぐ足を引っこめた。


「私に指図をしないで頂戴、教育係風情が!」


 豆菓子が喉につまりかけた。イーズは胸を叩きながら、植込みのむこうをのぞきこむ。レノーラが腰に手を当て、ダルダロスに怒鳴っていた。


「何の権限があって、私の行動まで制限するというの? 私はアスラインの宗主の娘よ」

「宗主の娘? それがどうした。すべきこともせず、なすべきこともなさず、何がお嬢様だ。権利はふりかざすものではない。それなりの扱いを受けたいのなら、それなりのことをなせ。ブレーデン様にちょっかいを出す時間があるのなら、早く皇帝に顔を売りに行け。前のように取り入れるまで、帰ってくるな」


「偉そうに。自分はどうなのよ。教育係なら、早くブレーデンを独り立ちできるよう教育したらどうなの。あなたにいわれたくないわ」


「その前に、まずはお嬢様を教育させていただくとしよう。いいか、おまえのような、自分の欲と正義を混同したやつが一番たちが悪いのだ。ぬけぬけと恥ずかしげもなく、お国のためといって平気で非道なことをしでかす。自分の利欲のためなら、人を殺すこともなんとも思わない」


「なん――!」


 レノーラは怒りに口をわななかせた。今にも相手を平手打ちしそうな雰囲気だが、ダルダロスは一向に構わない。


「ちがう、私はアスラインのためを思って!」

「何がちがうのだ。本当にアスラインのためを思うのなら、なぜブレーデン様の補佐に甘んじなかった。真実、何かの役に立ちたいと思う人間は、自分の地位になどこだわらない。ただひたすらに尽くすのみだ。

 さあ、もう一度聞くぞ。なぜおまえは宗主になりたいと思った」


 レノーラの唇はふるえるばかりで、声が出ない。完全に、相手に気圧されていた。ダルダロスは、残酷に、容赦なく、耳元でさらに責めたてる。


「その足りない頭に、今のアスラインの状況を教えてやろう。おまえも知っている通り、皇帝陛下は王位継承権を持つブレーデン様のことを恐れている。宗主になって権力を持った今、なおさらだ。アスラインが本国から離反し、裏切ることがあるかもしれないと警戒しているはずだ」


「そ、そんな、そんなこと」


「そんなことはないと陛下に知らせるために、陛下におまえを差し出す必要があるのだ。一時期、陛下のおそばにいたおまえなら、簡単だろう? あの王が何を求め、何を望んでいるか、分かるはずだ。陛下の信頼を買い、皇妃になるのだ。それがアスラインのためにもなる」


 ダルダロスはレノーラの背を押した。木偶の人形のように、レノーラはなされるがまま、本宮の方向へと身体をむける。


「できるな?」

「……え、ええ。もちろん。もちろんよ」

「では、朗報を期待している」


 レノーラはふらふらと、去っていく。おつきの侍女が声をかけても、まるで聞こえていない様子だ。バルクが植込みから出て、ぴゅうと口笛を吹いた。


「さすがのおジョーさんも、ダルダロス様にかかっちゃ一ひねりだねえ。ま、毒殺しようとしたのをダルダロス様に知られてちゃあ、最初から手も足も出ないか」


 隠れていようと思ったイーズだが、ダルダロスはイーズの姿にも気が付いていた。しぶしぶ、植込みから出る。


「でも、やりすぎじゃない? 腑抜けちゃったヨ?」

「問題ない。ああいうタイプは、きっかけがあればすぐ復活する」

「はは、じゃ、そのうちヘーカと組んで、アスラインを取り返しに来るかもしれませんネ」

「邪魔者が二人一気につぶせるな」

「……さっき、おジョーさんが皇妃になるのは、アスラインと本国の友好関係のためとか言ってませんでしたっけ?」

「さあ。そうだったか?」

「本当は単に邪魔者を寄せ集めておこうってハラですカ。ご主人様って、ホント腹黒いっすネ」


 我の強いレノーラすら丸め込んでしまったダルダロスに、イーズはますます及び腰になっていた。視線がうつむく。ダルダロスの黒い革靴の他に、もう一つ、赤茶色の靴に気がついた。ダルダロスの陰に隠れるようにして、金色の仮面をかぶった少年がいる。ブレーデンだ。


「食べる?」


 ブレーデンが菓子の袋を気にしているので、イーズはすすめてみた。が、すぐにダルダロスにさえぎられる。


「他人からのものを、不用意にお口になられませんように」

「大丈夫です。ちゃんと私もさっき食べていましたし」

「お部屋にもどりましょう。勉学のお時間です」


 イーズを無視して、ダルダロスはブレーデンを促す。


「待ってください。少し、ブレーデンと話させてもらえませんか?」

「何を?」

「アスラインの時のこととか、その、色々……」


 イーズは杖頭をいじった。金の仮面の奥にある顔を少しでも見ようと、さりげなく視線の角度を変える。


「アスラインでの生活で、ブレーデン様は他人と話すことをひどく怖がられる性格になってしまわれた。ご遠慮願おう」

「少しだけ。少しだけでいいですから。ブレーデン。私のこと、覚えているよね?」


 イーズは直接ブレーデンに話しかけるが、ダルダロスは頑としてその場をゆずらない。


「ブレーデンには、ずいぶん親切なんですね。ニールゲンのことを嫌っているのに」

「哀れだからな。慕っていた兄にも見捨てられ、アスラインの家では召使たちにすら化け物のように扱われ」


 結局、イーズは一言も話せないまま、ブレーデンの後姿を見送った。バルクが仕事のために去っていくと、イーズは杖頭をひねった。杖の中から、その昔、レギンから預かったものを取り出す。夜来香の調合法を記した紙だ。


「仮面をかぶっているってことは、まだ治っていないんだろうし。なんとかこれを調合して、ここを離れる前に渡したいなあ」


 紙片を手に、イーズはため息をついた。ダルダロスに知られず渡すのも大変そうだが、その前に、調合も難しそうだ。毒薬を警戒して薬に詳しくなったイーズでも、分からない薬草の名前や香料の名前が書いてある。調合法も複雑だ。


「それに、私がいきなりこんなことはじめたら、怪しいよね……」


 秘密の薬だ。何を作っているのかと人目を引くのはまずい。バルクの目にでも留まったら、なお厄介だ。


 イーズが頭を悩ませていると、急に服をひっぱられた。緑竜だった。首をふり、イーズに何かを訴えてくる。背に乗ると、緑竜は手綱を操らずとも、ひとりでに歩き出した。城門で、ティルギスの男が門番ともめていた。見覚えのある姿に、イーズは瞠目する。


「タタール!」


 男がこちらをむいた。肌はよく日に焼け、無精ひげも伸びているが、白目の大きな顔はまちがえようもない。しかめ面を明るくして、タタールも気安く片手をあげる。


「小娘、久しぶりだな!」


 二人が親しげにあいさつを交わすと、身元の確認はそれで終わりだった。タタールは無事に城門を通り抜けた。


「四年ぶり? 五年近いかな?」

「そうだな。予想以上にかかった。竜王祭に間に合って幸いだ」


 タタールは誇らしげにいい、背後をふり返った。が、だれもいない。


「シャムロック! どこいった!」

「ここだよお」


 緑竜に熱烈にすり寄せられ、銀髪の子供が難儀していた。丈の合わない服の裾に足を取られそうになりながら、危なげにイーズの方へ歩いてくる。


「アルカ、これがあらゆる病を治すという医者だ。なんとか見つけて連れてきたぞ」

「あらゆるっていわないでよお。全部が全部治せるわけじゃないんだからさあ。死人を生き返らせたなんてデマ、だれがいいだしたのさ。ボクは瀕死状態を助けただけなのに」


 舌ったらずに話す相手を、イーズは驚きと共に見下ろした。予想よりもはるかに若い。まだ十かそこらの子供だ。ぷうと膨らませた頬は愛らしく、緑竜の鼻づらをなでる手は木の葉のように小さい。


「この方が?」

「見かけに騙されるなよ。本人いわく、見かけ以上に生きているらしいからな」

「シャムロックってゆーんだ。よろしくね、皇妃様」


 褐色の手を勢いよく上げ、シャムロックが元気にあいさつしてくる。さっそく診察しようと腰のあたりに手を伸ばしてきたが、イーズは制した。


「タタール。じつは、ごめん、せっかく連れてきてもらったけど、その必要、なくなったんだ」


 イーズは周囲にだれもいないことを確認すると、立ってみせた。そのまま、歩いて見せる。タタールは目を点にした。


「それに皇妃でもなくなったんだ。びっくりすると思うけど、この間、皇帝と離婚したとこ。ティルギスの方針が変わったのもあってさ」


 イーズはぽりぽりと頭をかいた。呆けて言葉もないタタールに代わって、シャムロックが、ありゃあ、と肩を落とす。


「せっかくボクを探しだせたのに、無駄足骨折り損かあ。大ケガだ。ボクでも手のほどこしがないかもしれない」

「ごめん。ホントごめん。つい最近のことだったから、連絡する間もなくて。ごめん。ありがとう」


 タタールは気が抜け、その場にしゃがみ込んだ。かろうじて、いや、いうが、ダメージは相当大きかったようで、あとの言葉がない。立ち直るには時間がかかりそうだ。


「シャムロックさんもごめんなさい。どうも思い込みだったみたいで。歩けない、歩きたくないって思っているうちに、本当に歩けなくなっただけだったんだ。私、自分で自分を縛っていたの」

「うん。タタールから聞いていた状態から考えれば、完治は本来ありえないから、そうだと思うよ。嘘だって突き通せば本当になっちゃうんだ」


 イーズはどきりとさせられた。シャムロックの瞳は、雲の上の空をそのまま溶かしたように澄んで、はっとするほどうつくしい。見つめていると、こちらの心の在り様が映し出されそうなほど清澄で静かだ。


「それより、身体、大事にした方がいいよ」

「ああ、色々あった後だから、やつれちゃってるでしょ。でも、もう終わったから。今、快復に努めてるところ」

「うん、それはいいことだよ。すごくいいことだ。たくさん食べるんだよ」


 シャムロックはイーズのお腹をなでて、にこりと笑った。その笑顔は、子供の無邪気な笑いというよりも、老人が浮かべるおだやかな微笑に似ていて、イーズはどぎまぎした。人の姿はしているが、同じ人に思えない。


「それはなあに?」


 シャムロックがイーズの手にある紙片をのぞきこんだ。


「何かの薬の作り方みたいだね。だれかに調合してもらうために書いてもらったの?」

「う、うん……そんなところだけど……そ、そうだ。シャムロックさん、調合できる? よかったら、作ってもらえると助かるんだけど」


「いいよお。せっかく来たからには、何か一働きして帰りたいし。でも、これはずいぶん変わった薬だね。まさか皇妃様が使うの?」

「そうじゃないけど……詳しいことはいえない。それでも、いい?」


 イーズの口調はぎこちなくなった。シャムロックのいたずらっぽい表情は、これがもう何かわかっているような様子で、落ち着かなくさせられる。


「皇妃様なら大丈夫だと思うけど、悪いことに使うわけじゃあないよね?」

「それはもちろん。とある子のために、どうしてもいるだけ」


 それなら、とシャムロックは二つ返事で請け負ってくれた。


「タタール、ここに泊まっていくよね? ティルギスの大使館に案内するよ」

「いや、外に宿をとってある。気遣いは無用だ」


 死罪になってもおかしくないほどの罪を犯したタタールだ。ティルギスの面々に会うのは、気が引けるのだろう。挨拶することだけは了承したが、大使館に泊まることは拒んだ。


「どうしても城内でというのなら、城内で野宿する」

「それは悪いから、どこか探すよ。召使さんたちに頼めば、小屋か納屋を貸してもらえると思うから。シャムロックさんは――」

「ボクもタタールと同じでいいよお。雨風さえしのげれば気にしないから」


 タタールに倣って、シャムロックもよいしょと自分の荷物を担ぎ上げた。その拍子に、荷袋の底からひらりと一枚、何かが落ちた。イーズがあわてて拾う。


「底に穴が開いてしまっているみたいですね」

「あ、ほんとだ。タタール、後で縫ってー」

「なぜ俺に頼む」

「だって最近、針に糸を通すのがむずかしくてさあ」

「私がしますよ。占いの札ですか? 見たことある」

「趣味と実益を兼ねて、たまにねえ。皇妃様も、みようか?」

「ありがとうございます。でも、もう、占ってもらうこともないから」


 イーズが苦笑いすると、シャムロックは受け取った札を裏返した。片面に、輪と四匹の動物の絵がある。


「終わりは始まり。物事はつねにこの輪のように巡っている。不調な時があれば、好調な時も必ずやってくる。皇妃様、これから何か大きな変化があるかもしれないね」

「大きな変化といっても、元にもどるだけだけど」


 イーズは苦笑したが、途中で笑いは消えた。シャムロックが例の、見た目にそぐわない、謎めいた微笑を浮かべていた。


「まだ終わりじゃない。まだ、これからだよ」


 夕空にかがやく星々を抱えるように、シャムロックが天にむかって両腕をひろげた。 

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