11.
顔見知りの庭師や警備兵に相談すると、タタールとシャムロックの泊まるところは城内に確保できた。庭の片隅の、物置と休憩所が一体になった小屋だったが、二人は雨風がしのげれば十分と満足していた。
居場所が決まると、シャムロックはすぐに夜来香の調合に取りかかってくれた。材料や器具はシャムロックが常備しているもので大半がまかなえ、それ以外は城の薬草園や、タタールが城外から調達してきてそろった。
小屋にはふだん、だれも来ない。人気がないことは、イーズにとってありがたかった。夜来香の存在が他に漏れる心配もない。数日後に、つつがなく夜来香は完成した。
「さあ、できたよお。いちおー、効能を確かめてきてねえ」
顔の下半分を布でおおっているせいか、シャムロックはいつもに増して舌っ足らずだった。イーズは庭をうろついていた緑竜をつかまえると、できたばかりの夜来香を鼻に近づけた。金色の目がとろりと心地よさそうに閉ざされていく。
「ありがとう、成功みたい。すごく助かった」
「どういたしまして。でも、お礼ならタタールにいってあげて。ボクを探して、砂漠で何日も何日も歌ったんだからね」
「歌を? どうして」
「こいつに会った知り合いが、歌を歌っていたら現れたといっていたのを思い出したから」
「ボク、歌が好きなんだよね。踊りとかさ。にぎやかなことが好きなの。タタールの歌はとっても前衛的でおもしろかったよ」
「前衛的?」
「音痴といっているんだ」
タタールはシャムロックの脳天に拳骨をくらわせた。あれはあれでいいと思ってるよお、とシャムロックは弁護するが、タタールは聞いていなかった。剣を取る。
「俺の本分はこっちだから、歌のうまい下手はどうでもいいんだ。さて、小娘。薬ができあがったら、俺に手伝って欲しいことがあるといっていたが、どんなことだ?」
「じつは――あそこに忍び込みたいの」
イーズはおずおずと、西の棟を指差した。ブレーデンがそこに滞在している。
「忍び込むのか?」
「正面からは堂々会いに行けない人がいてね。……いい?」
タタールは二つ返事でうなずいた。余計な詮索もしなかった。イーズに棟の構造と、目的の場所を聞き出すと、侵入するための経路と割り出し、手はずを確認しだす。
「実行は今夜でいいのだな?」
「催し物で、ダルダロスさんは夜、いないみたいだから。ごめん、ありがとう」
「俺はお前に剣を捧げたのだ。つまらんことを気にするな。逆に聞いていいか? シャールや鳥の巣頭でなく、俺でよかったのか?」
「シャールはもう私の部下じゃないし、バルクにも知られたくないことだから」
「本当はもう歩けることも、ティルギスにも知らせていないのだな」
「色々あって、内緒にしてるんだ。シャムロックさんが来てくれてよかったよ。シャムロックさんが来てくれたおかげで、足が治って、歩けるようになったって堂々いえるからね」
実際、イーズは治療のためといって、大使館をはなれてタタールたちと生活していた。後は頃合いを見て、足が治ったと公言するだけだ。
「よくわからんが。厄介な事情を抱え込んでいるようだな」
「もうすぐ終わるよ」
イーズは傾きかけた陽を見つめた。空が藍色に染まり、本宮の広間が明るくなると、二人は立ち上がった。
「タタール、いいの?」
小屋を出る間際、シャムロックがタタールを呼び止めた。褐色の肌は夕闇にとけこみ、きらきらと降り注ぐ星影がシャムロックの姿をかたどっていた。
「いまさらじたばたして何になる。俺は今、俺のすべきことを全力でなすだけだ。それが俺の答えだ」
「じゃあ、いってらっしゃい。皇妃様、気を付けてね」
シャムロックはイーズにだけ、手をふった。会話について、タタールは一切解説する気がないらしかった。イーズの先をすたすた進んでいく。
「ふしぎな人だね、シャムロックさんって。謎めいているっていうか」
「俺にもよく分からん。三ヶ月ほど一緒に旅をしていたが、謎だ。質問しようにも、何を質問していいか分からんというか。昔、空には天馬と竜がよく飛んでいたのにねえ、なんて嘘か本当か分からんことをいっているし」
「て、天馬と竜? いつの時代の話?」
「決まった住処はないのかと聞けば、一応火山の中に、とかいうし」
「火山?」
イーズはますます混乱した。そんなところに住む生物など、ティルギスでは聞いたことがない。
「虚言癖か空想癖でもあるんじゃないのか? 深く考えない方がいいぞ」
「それはそれで不安になるよ」
「俺も不安だが。ニールゲンのどこかの村に泊まったとき、長老とおぼしき人物が、あれにやたら驚いて恐縮して、畏れ多いと跪いていたから、貴重なやつであることは確かだ」
タタールは十二分にニールゲン語を操れないので、詳しいことは聞けなかったらしいが、その晩はごちそうや歌や踊りで歓迎され、シャムロックともども何かと引き留められたらしい。
「白色、ちがうな、銀色……? の、何かといっていたな。以前はご老人だったのに、今回はいやに若返られてと、皆、訳の分からんことをいっていた。
まあ、いいんじゃないか。医術と占術の心得があって、いつもどこかを放浪している、歌と踊りが大好きな、よくわからん小僧という認識だけでも付き合ってはいける」
タタールが唇に人差し指を当てた。西の棟が見えるところまで来ていた。
「これをもっていろ。何も武器がないのでは、いざというとき危ういからな」
タタールの短剣を受け取り、イーズはふと、急に不安にかられた。月の逆光で、タタールの顔は暗い。それが不吉に感じた。
「こうしてみると、おまえとハルミットは似ていないな」
「どうしたの? 急に」
「似ていなくてよかったと思ってな。似ていたら、こうも心穏やかではいられなかっただろう」
節くれだった、がさがさの荒れた手が、イーズの頬をなでた。
「タタール、やっぱり、私一人で」
「自分のすべきことをなせ。逃げるなよ、アルカ」
イーズの不安をよそにタタールは一歩踏み出し、振り返った。申し訳なさそうに眉根を寄せる。
「すまん。おまえの名を、他に知らないものだから」
「……ううん。いいよ。それで」
イーズは短剣を腰に下げ、足音をひそめて歩き出した。一時生活していた場所だ、迷うことはなかった。夜遅い時間だったため、召使も動き回っていない。タタールの的確な判断と手際の良さもあって、二人はなんなく目的の場所にたどり着いた。
「ブレーデン? ごめん、ちょっと起きて」
夜具を顔の半ばまでかぶり、こちらに背を向けて眠っている人影に、イーズは呼びかけた。人影は微動だにしない。よく眠っているようだ。
イーズは少し悩んで、寝台に歩み寄った。枕元には、金の仮面が置いてある。素顔を見られることを嫌がるだろうと気遣いつつも、そっと近づき、夜具をかるく持ち上げる。
途端、イーズの顔にとまどいが浮かんだ。起こすこともせず、後ずさる。
「どうした」
「……ブレーデンじゃ、ない」
人のけはいに気づき、ブレーデンでないだれかが起きた。目の色も、肌の色も、ブレーデンに似ているが、素顔がまったくブレーデンとはちがう。身体や顔全体に、おそらく火傷だろう、皮膚の引きつれた痕があって、一見するとブレーデンの竜化の痕と似てはいるが、顔だちはごまかしようがなかった。
「あなた、だれ?」
少年はあどけない顔におびえをにじませ、仮面をかぶった。ニールゲン語ではない言語で、何か謝るようにつぶやいている。
「奴隷ではないか? どこかから買われてきたような雰囲気だな」
「ブレーデンは? ブレーデンは、どうしたの?」
少年は毛布を頭からかぶり、おびえるばかりだったが、イーズがやさしく根気にたずねると、ようやく片言のニールゲン語を話した。
「知ら、ない。あの人に、買われて。これをかぶって、生活しろと。正体、知られない。約束」
「この仮面の持ち主は? いたでしょう?」
「し、知らない。お、おれ、ずっと、一人」
イーズは固唾をのんだ。いつの間にか、ブレーデンはだれかと入れ替わっていたのだ。なにせずっと部屋にこもりきりで、だれとも接触しようとしなかったブレーデンだ。中身が変わっていても、仮面をかぶってさえいれば気づかれなかっただろう。
「ダルダロスさんのしわざなんだ。なんでこんなこと……」
今まで自分のことに手いっぱいで、まったく気が回っていなかったが、よく考えてみれば妙だ。ニールゲンを嫌っているはずのダルダロスが、アスラインのブレーデンに近づき、主と呼び、親身に世話を焼いている。下心があるに決まっている。
「とりあえず、出るぞ」
呼び鈴で召使を呼ぶ前に、タタールは少年を昏倒させた。
「待って。あと一つ、寄りたいところがあるんだ」
「長居は危険だぞ」
「分かってるけど。どうしても」
いくつか部屋を開け、イーズは目当ての部屋にたどり着いた。ダルダロスの私室だ。机の上に散乱している書面をめくり、引き出しを開け、見つける。以前、イーズがダルダロスに署名させられた紙を。
「――“アスラインとティルギスの協定”?」
白紙だった紙面には、今は文章がつづられていた。表題にイーズは眉をひそめ、文章をざっと洗う。
「“有事の際、ティルギスはアスラインを最優先とし”……って。有事?」
「有事というと、だいたいは戦争だな」
「戦争? まさか――」
「何をしている」
戸口に、ダルダロスが立っていた。イーズの手にあるものをみて、肩を落とす。
「……気づいて、取り返しに来たか」
「いえ。今、気が付きました。あなたがティルギスを味方につけて、ニールゲン本国と戦争をしようとしていることには」
イーズは紙を握りつぶした。憎悪を込めて、ダルダロスをにらみつける。
「何が悪い? ブレーデン様は皇帝に命を狙われている。命を狙ってくる相手についていく道理がどこにある。あちらがやる気なら、こちらもやるだけだ」
「大ウソつき。今いるブレーデンが本物でないことは、もう知ってるんだから。口ではブレーデンのためなんて言っているけれど、真っ赤なウソ。貴方は憎んでいるニールゲンを滅ぼすために、アスラインを使って、ニールゲンと戦争をしようとしているんでしょう?」
「まあ、落ち着け。イーズ」
いきり立つイーズを、わざわざダルダロスは名で呼んだ。
「アスラインと協力するのは、ティルギスにとっても悪い話でないはずだ。
ニールゲン本国と援助しあうのは諸外国の反感を招くが、属国のアスラインとなら摩擦も少ないし、アスラインは親ティルギス派の私の手にある。ティルギスの領土のようなものだ。ティルギスにも、とても利のある話だよ」
「いつティルギスがそんなことを望んだの。自分の欲望を偽って、さもティルギスのためのようにいわないで」
イーズは自分の意思を見せつけるように、ダルダロスをにらんだ。
「ブレーデンも王位継承権を持つ皇子。ブレーデンを王に立てるとあなたが主張したら。今、二つに分かれようとしているニールゲンは、三つに分かれる。
いえ、それどころか四つに五つになるかもしれない。どこにも属さず、ニールゲンから独立しようとする属国が出てもおかしくないもの。ニールゲンを壊す気なの?」
「一つ一つ、赤い竜の羽をもぐように、指を、手足をもぐように。何百年もの間、だれも成し遂げられなかったことだ。ニールゲンの崩壊は」
もうダルダロスは憎悪を隠さなかった。殺気に似たけはいに、タタールが身構える。
「それを持って、先に窓から逃げていろ。いいな」
「だめ、タタールも。この人とは戦わない方がいい」
「だめだ。こいつはおまえの正体を知っている。ここでやっておかねば――」
話の途中で、タタールが身をかがめた。頭上をコインがかすめ、壁にのめりこむ。
「さすが。いい反応だ」
「早く行け!」
タタールはイーズを急き立て、痛苦にうめいた。一弾目はよけられたが、電光石火の速さで放たれた第二弾、三弾はよけることができなかった。足の肉がえぐれる。
「タタール!」
「どけ」
ダルダロスはタタールの首をつかんだ。左腕一本で、大の男の体を宙に吊し上げる。
信じられない光景で、悪夢のような相手だった。イーズは無我夢中で、近くにあった置物をつかんだ。ダルダロスの左側から投げつける。たいした攻撃にはならなかったが、動揺させるには十分だった。力が緩んだすきに、タタールがダルダロスの顔に拳をふるう。
「ち……!」
仮面が遠くに飛んだ。ダルダロスの手がはなれ、タタールの足が床につく。イーズは一緒に逃げるよう促したが、なぜかタタールは動かなかった。青ざめた顔で、呆然としている。
「……行け、アルカ」
「だめ、死んじゃう!」
「いいから行け! ここから去れ! 絶対にふり返るな!」
傷を負った足を引きずり、タタールはイーズをとにかく窓際に追いやる。その間に、ダルダロスは仮面をかぶり、元通りになっていた。
「おまえ……なぜ」
声が動揺にふるえていた。タタールは剣を抜き、斬りつける。しかし、ダルダロスは避けもしなかった。硬い、澄んだ音がして、刃ははじかれた。裂かれた服の下から、黒いきらめきがこぼれた。
するどい刃を防いだものを、タタールは凝視した。イーズも驚きに息をのむ。黒いうろこ。オーレックと同じ。
「黒い……竜?」
「邪魔だ」
今度こそ、タタールはダルダロスに首の骨を折られた。どさりと投げ捨てられたタタールの身体に、イーズは全身がふるえだす。湖でおぼれ死んだはずの、黒竜オーレックの息子。それが目の前にいる。
「い、生きて……だから、ニールゲンに」
「そう、逃げ延びたのだ。竜の生命力というのは、連中が思っている以上に強靭なものでね。歩けなくされていた足は、治った。だが、私は黙っておいて、湖に遊びに行った際、おぼれたふりをして逃げたのだよ。
そして他の国で養父母を得て暮らし、無事に成長し、私の母を一切光の届かぬ地下に幽閉し、私の生を許さなかったこの国にやり返すために帰ってきたというわけだ」
叫ぼうとしたイーズは、口をふさがれた。間近に、ダルダロスの目がある。深く昏い闇色の目が。
「おとなしくこの国を去ればよかったものを。妙な好奇心を出すから」
ダルダロスの闇色の目に侵食されるように、イーズの意識に闇が降りた。




