第十五話 【二階層】試練開始
【side 安倍 蒼真】
「第一試験……だね?」
ふっと息を吐き出して笑った雷華の顔に俺は視線を奪われた。
雷華は、なんだか酷く寂しそうな表情を浮かべていて。
だが、その表情も一瞬のうちに消えてしまった。
「ほら、蒼真ならいけるって! 頑張れ!」
俺の背後に回った雷華が、ぐいぐいと背中を押してくる。その勢いに負け、俺も足を動かした。
背中に触れる手はひんやりとしていて、どこか雷華らしくない。
何か言おうと首だけ回して振り返ると、風華と視線がぶつかった。目が合った風華は、ただ静かに首を横へ振る。
「蒼真、早く巻物取って」
静かな声。いつもの風華と変わらないはずなのに、拭えない違和感だけが胸に残った。
「お……おう」
いつにない二人の態度に釈然としないまま、俺は社の前へと足を進めた。
こじんまりとした社には、紙でできた標縄がかけられていて、その前にちょこんと巻物が置かれている。
しんと静まり返った洞窟には、俺たちの足音だけが反響していた。
「なんか……怖いな」
「早くー!」
努めて明るい声を出しているような気がする雷華に眉を顰めるが、先ほどの風華の様子からして聞いたところで教えてくれない気がした。
ふぅ、と大きく一つ息をつく。
石造りの天井を見上げると、真っ赤な鳥居の上でが何かが揺れた気がした。
目を凝らしてよく見ると、大きな鳥居の上では白夜と白雪の二人がちょこんと座っていた。足をぶらぶらとさせ、俺のカメラとスマホを片手にこちらを見ている。
俺と視線がぶつかると、二人は朗らかに手を振ってきた。
カメラに赤いランプが灯っているところを見ると、どうやら配信中らしい。
神の選定試験。
未発見の妖ダンジョン──
視聴者がつかないはずはない。俺は今、何千人、いや、何十万人もの視聴者に見られているはずだ。白夜たちの配信を通して。
よし、と気持ちを切り替える。
「行くか!」
「頑張るぞー!」
調子よく握り拳を掲げた雷華に笑いを噛み殺しながら、社の前に置かれた巻物へゆっくりと手を伸ばした。
触れた途端、ぞわりと霊力が巻物へと吸い込まれる。淡く発光した巻物がふわりと浮かび上がった。
その様子はとても神聖なものに見えて、俺は思わず目を細めた。
なぜかわからないけれど、父の背中が見えた気がした。
シュルシュルと音を立てて開かれた巻物には、達筆が踊っていた。
【試練:彷徨える霊を百体祓え】
「……説明これだけ?」
首を傾げた瞬間だった。
ざざんと波の音がどこからか聞こえた。波の音に混じり、ベンベンベンベン──と小さく揺れる旋律がかすかに聞こえる。
「え? なに?」
ぐるりと周囲を見渡した瞬間、俺は息を呑んだ。
石造りの洞穴のようなダンジョンは消え失せ、いつの間にか俺たちは海辺の砂浜に立っていた。
「は? ここどこ?」
ベンベンベンベンと絶え間なく響く弦楽器の音が波間を縫う様に聞こえる。
「琵琶……か?」
かつて、「日本の伝統を私たちが慈しまなくてどうする!」と張り切る父親に手を引かれ、家族で聞きに行った和楽器の演奏会が頭によぎった。
そんな温かな回想を掻き消すかのように、琵琶の音は次第に激しさを増していく。
ベンベンベンベン──ッ‼︎
先ほどまでの細やかな音と違い、弦が切れてしまうかと思うほどの激しい音が空気を震わせた。
その音を最後に琵琶の音がぷつりと止む。
代わりに聞こえてきたのはガシャン、ガシャンという鉄と鉄がぶつかり合うような音。
カキン、カキンと金属が触れ合うような音もかすかに混じり合っている。
海の中から浮かび上がってきたのは、大量の落武者だった。
ゆらゆらと歩いてくる落武者たちの顔に生気はない。落ち窪んだ眼窩には飲み込まれるような空洞が広がっていた。乱れた月代からポタポタと海の雫がこぼれ落ちた黒髪から滴っていた。
彼らは目的もなく彷徨っているか、あるいは仕えるべき主人を探し、終わりのない旅路を歩き続けているように見えた。
「見極めよ」
どこからともなく、低い声が聞こえた。
身体の芯を震わせるような威圧が込められた声。
一瞬、俺に向けられた言葉かと思った。
だが次の瞬間、その声に呼応するように、周囲の落武者たちが一斉に刀を抜き、思わず目を見開いた。
──違う。
俺に言ったんじゃない。
キィンという不協和音に思わず顔を顰めた。
「なんだ……?」
俺の声が引き金となったかもしれない。
落武者たちの空洞だった眼窩に光が灯った。ゆらゆらとした赤い燈。
様々な方向に向いていた刀の矛先が、一斉に俺へと向けられる。
時代劇のような非現実的な光景に、俺は完全に魅入られていた。
「蒼真っ!」
落武者たちの様子を呆然と見つめていると、鋭い声が飛んだ。その声に意識が引き戻される。
「何してんの⁉︎ もう試練は始まってるよ⁉︎」
「あ、ごめん……」
「緩みすぎ。来るよ?」
焦ったような雷華と、嗜めるような風華の声が試練から遠のいた意識を目の前へと向けさせた。
こんな光景を前にして思う感想ではないことは分かっている。
だが何故だろう。落武者たちの姿は恐ろしいのに、魅入られたように惹かれてしまっていた。
まるで仲間になれ──
そう語りかけてくるかのようで。
激しく頭を振ると、すっと靄のようなものが去った気がした。
「怨念……か?」
俺の声に応えるかの如く、烏の鳴き声が遠くで聞こえた気がした。




