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犯人を当てた者から死んでいく  作者: 綾見 恋太郎


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第一話 この館では、犯人を当てた者から死んでいく

 最初に嫌だったのは、雪ではなかった。

 招待状だった。

 真壁彰は、山道へ入る直前のコンビニでその封筒をもう一度見た。厚手の紙に、宛名は活字。差出人名はない。だが中に入っていた文面だけは、妙に人を選んでいた。

 ――あなたの推理力を必要としています。

 ――二月十七日、午後三時。白樺峠を越えた先、燈影館までお越しください。

 ――真実を暴ける方だけを招いています。

 助手席の二階堂壮也が、膝の上で同じ文面をひらひらさせた。

「真壁くん、こういうの好きそうな顔してるよね」

「してない」

「してるしてる。『差出人不明。文面が挑発的。場所は山奥の館』。刑事としては満点でしょ」

「満点なのは怪しさだけだ」

「でも来た」

「お前もな」

 二階堂が笑う。軽く笑っているように見えて、その目は窓の外を細かく見ていた。路肩、停車中の車、雪の削れ方、タイヤ痕。こいつはいつもそうだ。冗談を言っている時ほど、別のところで数を取っている。

 空は朝から鈍色だった。山へ入るにつれ、景色から色が抜けていく。ヘッドライトに照らされた道だけが、かろうじて世界の輪郭を保っていた。左右には押し上げられた雪の壁。カーブを曲がるたび、その白い圧が車体すれすれを流れていく。

 二階堂が封筒を雑に折った。

「九条も来ると思う?」

「来てるだろ。ああいう文面、あいつ嫌いなくせに放っとけない」

「好きなんだよ。嫌いって顔して近づくやつ」

「お前もだ」

「僕は好きって顔して近づくよ」

 真壁は返事をしなかった。

 九条雅紀の顔を思い浮かべる。知らない死体の話なら、あいつは淡々としている。だが、自分の好奇心が絡むと少しだけ目の光り方が変わる。あれを真壁は知っていた。あれは危ない時の光り方だ。

 白樺峠を越えて十分ほどしたところで、館が見えた。

 山肌を削って作ったらしい平場の奥に、それは建っていた。石造りの外壁に、急勾配の黒い屋根。古い洋館の骨格を残したまま、窓だけが新しく大きい。歴史を装っているくせに、どこかで現代の目線が入っている。その半端さが、かえって気味悪かった。

 門柱の脇に、燈影館とだけある。

「名前は百点」

 二階堂が言う。

「趣味が悪い」

 門は開いていた。招き入れるようにではなく、最初から閉じる気がないように。

 車を停めて降りると、空気が鋭く肺に入った。雪は止んでいたが、寒さだけが残っている。玄関前にはすでに数台、車が並んでいた。見覚えのあるナンバーはない。

 扉を開けた瞬間、暖気とともに匂いが来た。薪の火、磨かれた木、古い布、わずかな金属。客を迎えるために整えられた匂いだ。

 広いエントランスホールに、すでに十人ほどが集まっていた。年齢も服装もばらばらだ。会社役員風の男、眼鏡の若い女、老紳士、派手なコートの中年女性、大学教授じみた空気の男。共通しているのは、全員が自分以外を値踏みしていることだった。

 その中に、見慣れた顔が一つあった。

 窓際の柱にもたれ、黒い手袋を外しかけていた九条が、真壁たちを見る。

「遅い」

「お前が早いんだよ」

「雪で止まるかと思った」

「止まってくれてたら、今ごろ帰れてたのにね」

 二階堂が横から口を挟むと、九条は少しだけ肩をすくめた。

「それはない。お前も来た時点で帰る気ないだろ」

「失礼だなあ。あるよ。危なくなったら真壁だけ置いて帰るくらいには」

「やってみろ」

 三人のやり取りに、近くの客がちらりと視線を寄越した。緊張が少し緩んだわけではない。ただ、観察対象が増えただけだ。

 フロントには人がいなかった。代わりに、奥の階段脇に大型モニターが埋め込まれている。電源は落ちているが、黒い画面がホール全体を映しているようで落ち着かない。

 九条が小さく言った。

「客の数、招待状の発送数と合ってないかも」

「何でわかる」

「受付台の名札の数。十五ある」

 真壁が目をやると、確かに真鍮の名札が整然と並んでいた。だが今いるのは十三人。自分たち三人を含めて、だ。

「まだ来てないだけだろ」

「だといい」

 九条はそう言いながら、視線だけでホールを一巡させた。床の傷、暖炉の灰、窓の鍵、非常口の位置。その見方を真壁は知っている。九条はもう、ただの招待客としてここに立っていない。

 その時、館内のどこかで低い起動音が鳴った。

 全員が反射的に顔を上げる。

 黒かったモニターがゆっくりと明るくなり、白い文字だけが表示された。

 ようこそ、燈影館へ。

 ざわめきが起きる。誰かが「何だこれは」と言った。二階堂が真壁の横で、わずかに姿勢を低くした。いつでも動けるようにする時の癖だ。

 文字が消え、代わりに声が流れた。男女の判別がつかないよう加工された、平坦な声だった。

『ご来館ありがとうございます。皆様には今夜、特別な実演に立ち会っていただきます』

「実演?」

 誰かが苛立ち混じりに繰り返す。

『この館では、これより殺人が起こります』

 一瞬、空気が止まった。

 次の瞬間、何人かが笑った。乾いた、信じていない笑いだった。中年の男が鼻で笑う。

「悪趣味な余興だな」

 だが声は続いた。

『そして、この館では――犯人を当てた者から死んでいきます』

 今度は笑いが続かなかった。

 沈黙が落ちる。誰かの喉が鳴る音まで聞こえた。

「馬鹿馬鹿しい」

 そう言ったのは、派手な赤のコートを着た女だった。四十代半ばほど。強い香水の匂いがここまで届く。彼女は腕を組み、周囲を見回す。

「何? 推理ゲーム? 犯人を言ったら死ぬ? そんなの、最初に誰か適当に犯人って言ってみれば嘘だってわかるじゃない」

『ご自由にお試しください』

 女の眉が跳ねた。挑発だと受け取ったらしい。

「上等じゃない」

 彼女はすぐ近くに立っていた痩せた男を指差した。男は驚いて一歩引く。

「この人、さっきからずっと人の顔色ばっか見てる。いちばん怪しい。あなたが犯人なんじゃない?」

 ホールのあちこちで息を呑む気配がした。

 何も起こらない。

 赤いコートの女が、勝ち誇ったように笑う。

「ほらね。くだらな――」

 そこまでだった。

 女の言葉が途切れた。首に手をやり、目を見開く。何が起きたのかわからないという顔のまま、一歩、二歩と後ろへよろめいた。

 真壁が動いた時には、もう遅かった。

 女の足がもつれ、背後の大理石の角に側頭部を強く打った。鈍い音がホールに響く。体が横向きに崩れ、そのまま動かない。

 悲鳴が上がった。

 真壁は駆け寄って膝をつく。頸動脈。呼吸。反応なし。目は開いたまま、焦点が合っていない。床へ広がる血はまだ少ない。だが打ちどころが悪すぎる。

「救急」

 叫ぶと同時に、二階堂がすでにフロントへ走っていた。固定電話を掴み上げる。だが数秒後、その顔が変わる。

「外線死んでる」

「携帯は」

「圏外!」

 ホールのあちこちで端末を取り出す音が重なる。誰の画面にも、無情な表示しかない。

 九条が真壁の横にしゃがんだ。真壁が止めるより早く、女の瞳孔、首、口元、指先を短く見ていく。速い。だが速いだけではない。見ている箇所に無駄がなかった。

「どうだ」

「転倒死に見える。でも、それだけじゃ変だ」

「何が」

「崩れ方。直前に一回、完全に力が抜けてる」

「失神か」

「それとも」

 九条の声が止まる。

 真壁はその横顔を見た。あの目だ。線が一本、繋がりかけている時の目。

「九条」

「たぶん、これ」

「言うな」

 九条が真壁を見る。ほんのわずか、苛立ちに似た色が混じる。

「でも」

「今は言うな」

 真壁は低く言った。命令というより、押さえつける声になった。

 二階堂が戻ってくる。普段の軽さが、表面から綺麗に消えていた。

「館の扉、閉まった。自動ロック。窓もだいたい固定。あと、さっきの放送、録音じゃないかもしれない。こっち見てる」

 彼が顎で示した先、階段上の角に半球型の黒いカメラがあった。

 見上げると、モニターの表示が切り替わる。

 一名が死亡しました。

 誰かが泣き出した。誰かが「ふざけるな」と怒鳴った。痩せた男は青ざめたまま壁に張りついている。自分が犯人呼ばわりされた、その事実より、目の前で人が死んだことに足がすくんでいた。

『繰り返します』

 あの平坦な声が、何事もなかったように降ってくる。

『この館では、犯人を当てた者から死んでいきます』

『皆様の健闘を、お祈りいたします』

 音が切れた。

 今度こそ、静寂が落ちた。

 真壁は立ち上がり、ホールを見回した。混乱、恐怖、不信。全員の顔にそれが別々の濃さで浮いている。そしてそのどれもが、次の死にそのまま繋がりそうだった。

 二階堂が小さく言う。

「最悪のタイプだね」

「何がだ」

「全員、自分だけは冷静だと思ってる顔してる」

 真壁は答えなかった。

 九条はまだ床の血を見ていた。その目が嫌だった。死を見ているというより、その先にある仕組みの輪郭を読もうとしている目だった。

 真壁はその肩を掴んだ。

「勝手に動くな」

「動いてない」

「考えるな、とは言わない。でも一人で先へ行くな」

 九条は一拍遅れて、わずかに眉を寄せた。

「それ、かなり無茶なこと言ってる」

「知ってる」

 二階堂が二人の間に視線だけ差し込む。

「痴話喧嘩は後にして。もう始まってる」

「何が」

「犯人探し」

 見ると、客たちはもう互いに距離を取り始めていた。誰が何を言ったか、誰が誰を見たか、それだけで関係が変わっていく。死体が一つ転がっただけで、場の秩序がここまで崩れる。

 違う。崩れたんじゃない。

 最初から、こうなるように作られていた。

 その時、九条がごく小さく言った。

「真壁」

「何だ」

「これ、犯人を言ったから死んだんじゃないかもしれない」

 真壁が振り向く。

 同時に、館内放送が鳴った。

 今度は声ではなく、電子音のあとに短い一文だけが流れる。

『ルールの補足は、第二の事件のあとに行います』

 ホール中の人間が凍りついた。

 二階堂が笑った。乾いた、薄い笑いだった。

「補足って言ったよ、今」

 真壁は女の遺体を見下ろしたまま、ゆっくり息を吐いた。

 まだ一つ目だ。

 なのに館は、もう次を前提にしている。



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