表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リミッター・ハイ  作者: あめたす


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/43

第41話:毒には毒を

第41話:毒には毒を


「……ボールフォー!」

 審判の無機質な宣告が、炎天下のスタジアムに突き刺さる。

 豊田零司が放った渾身のストレートは、打者の手元でわずかに外れ、キャッチャー黒田のミットを虚しく叩いた。

 押し出し。


 3-2。


 保土ヶ谷球場のボルテージが、異様な熱を帯びて膨れ上がる。

 アウトの取り方を忘れたかのように、マウンド上の王者は立ち尽くしていた。


「タイム!」


 聖隷ベンチから、背番号12の佐伯が飛び出した。監督の鬼塚はベンチの最前列で腕を組み、鋭い眼光をマウンドへ向けている。

 鬼塚は伝令の佐伯に全てを託した。

 マウンドに駆け寄った佐伯は、内野陣の輪を割って豊田の前に立った。


「豊田さん、監督からの伝令です。『交代だ』と」


「待て、佐伯。まだ、投げられる。」


 豊田の声が裏返る。

 エースの意地。150キロの誇り。それが、相模原重工という「静かなる怪物」に喉元まで食らわれ、ボロボロになりながらもマウンドを離れようとしない。

 

 佐伯は、鬼塚から預かった言葉を、一語一句違えずに告げた。


「『勝負事に絶対はない。あるのは最善の準備と、非情な決断だけや』……監督の言葉です。豊田さんは最高だった。でも、今の相模原は豊田さんの『最高』をすでにアルゴリズムに組み込んでいる。このままでは、チームが死ぬと」


 豊田の拳が、ユニフォームの生地を白くなるほど握りしめた。

 視線の先。湊が自分のグラブを見つめて立っている。

 代わるのは、あいつか?

 俺を否定し、理屈という泥を塗りたくったあの一年生が、俺の汚したマウンドを掃除しに来るのか?


「ピッチャー、交代——鳴海」


 場内アナウンスが響く。

 豊田の肩が、わずかに揺れた。


「……鳴海、か」


 ベンチから飛び出してきたのは、湊ではなく、二年生の鳴海聖だった。

 マウンドへ向かう鳴海の表情は、いつもの飄々とした「猛獣」のそれではない。唇を噛み、豊田の屈辱をそのまま自分の胸に転写したような、鋭い眼光を宿していた。


「豊田さん。……グラブ、叩いてもいいっすか」


 鳴海が、豊田の前に立つ。

 豊田は無言で、自らの左手を差し出した。

 

 パンッ!

 乾いた音が響く。それは継承の合図であり、豊田が敗北を認めた残酷な音でもあった。

 

「……鳴海。あいつら、俺のフォークまで読んでる」


「知ってます。一条と結城がノート真っ黒にして騒いでましたから。……でも、大丈夫っすよ。俺、豊田さんみたいに『正しく』ないんで」


 鳴海が不敵に笑う。

 豊田は力なくマウンドを降りた。

 外野へ向かう豊田の背中に、仲間たちの沈痛な沈黙が突き刺さる。

 

「さあ! 行くぞ相模原! 俺を打てるもんなら打ってみろ!」


 マウンド上の鳴海が、野太い声で叫んだ。

 審判に注意されるほどのうるささ。

 その刹那、凍りついていた聖隷ベンチの空気が、わずかに緩んだ。

 蔵敷が、一塁ベースから「うるせえよ鳴海!」と怒鳴り返す。


 一死満塁。打者は九番・斉藤。

 相模原重工の計算機は、鳴海という「予測不能な猛獣」をどう弾き出すのか。


「陽葵さん。データ、出ましたか」


 ベンチで湊が、陽葵のノートを覗き込む。

 陽葵は、相模原重工の映像を頭の中で再生しながら、素早くペンを走らせていた。


「鳴海くんの『スラッター』は、豊田さんのストレートとリリースの瞬間の指の動きが酷似している。でも、回転軸が15度違うわ。……相模原の打者は、豊田さんの『残像』を追えば追うほど、鳴海くんの球を芯で外す」


「……毒には、毒を。ですね」


 湊の瞳に炎が宿る。

 

 鳴海が大きく振りかぶる。

 ダイナミックなフォームから放たれた一球。

 142キロ。

 ストレートと同じ軌道から、打者の手元で「斜め下」に爆発するように変化するスラッター。

 ガキンッ!

 狙い澄ましていたはずの斉藤のバットが、空を斬るような音を立ててボテボテのピッチャーゴロに変わる。

 

「ホーム! ホームだ!」


 鳴海がボールを掴み、叫びながらホームへ送球。

 黒田が捕球し、一塁へ転送。

 

 1-2-3。

 

 最悪の場面を、鳴海は「一球」で断ち切った。

 

「っしゃあああ! 見たか! 」


 鳴海がベンチに向かって吠える。

 ベンチに戻ってくる鳴海を、下級生たちがハイタッチで迎える。

 三年生の黒田も、マスクを外して荒い息をつきながら、鳴海の背中を乱暴に叩いた。

 

 溝が消えたわけではない。

 だが、湊と結城の「知」が、鳴海の「勇」を動かし、豊田の「武」が残した傷跡を塞ぎ始めている。

 

 3-2。

 試合は、誰も予想しなかった「泥仕合」の深淵へと、さらに潜り込んでいく。

 ベンチの奥。

 湊は、自分の前腕を静かにさすった。

 神経が、じりじりと熱を帯びている。

 

(まだだ。……相模原の『学習』は、こんなもんじゃない)

 湊の観察眼は、相手ベンチで淡々とノートを広げる鈴木捕手の、微かな口角の上がりに気づいていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ