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リミッター・ハイ  作者: あめたす


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第36話:エースの回答

第36話:エースの回答


 9回裏、聖隷高校の攻撃。

 横浜スタジアムを包む熱狂は、マウンドを降りる一条湊の背中に集まっていた。

 122キロ。

 サミュエルの剛速球を見た後では、あまりに心もとないその数字が、156キロの怪物をねじ伏せた。

 ベンチに戻る湊の前に、一人の男が立ちはだかる。

 エース、豊田零司だ。 


「……一条」


 低く、地鳴りのような声。

 湊が顔を上げると、そこには凍りつくような怒りと、それを上回るほどの「飢え」を湛えたエースの眼があった。

 豊田は無言で湊のグラブを強く叩く。それは労いではなく、宣戦布告だった。


「勘違いするな。お前の『小細工』が通用したのは、俺が150キロで奴らの目を慣らしておいたからだ」


 突き放すような言葉。

 だが、その握りしめられたバットのグリップは、ミシリと音を立てて悲鳴を上げている。

 豊田は湊を追い越して打席へ向かう。

 背番号「1」。

 その背中が、今の聖隷高校においてどれほど巨大な壁であるかを、改めて突きつけるように。


「豊田さん……」


 湊は、仁衣菜に押し付けられた氷嚢の冷たさも感じないまま、その背中を見つめた。

 

(影が……。今までで一番、色濃く見える)

 

 美術的感性が、豊田の周囲に立ち昇る「どす黒いプライド」を可視化する。

 それは、後輩の異能に救われた屈辱を、自らの「武」で上書きしようとする猛獣の執念だった。

 バッターボックス。

 豊田はサミュエルを真っ向から睨みつける。

 マウンド上の怪物は、湊に三振を喫した苛立ちを隠そうともせず、右腕を激しく振り抜いた。


 シュォッ!


 初球。内角高め。

 唸りを上げる155キロ。

 豊田は微動だにせず、その暴力的な球筋を見送った。


「ストライク!」


 球審の声が響く。

 ベンチの1年生たちが息を呑む。だが、豊田の口角はわずかに上がっていた。


(遅い。一条の122キロに比べれば、軌道が単純すぎて欠伸が出る)


 皮肉な逆転現象だった。湊の「2400rpmのバグ」に脳をかき乱された後では、サミュエルの直球は、ただ速いだけの「点」に過ぎない。

 

 「俺が打てば勝てる」。


 その傲慢なまでの自負を支えるのは、誰にも文句を言わせない圧倒的な才能だった。

 湊の狂気が「壁当て」なら、豊田の狂気は「己の肉体を限界まで削り、研ぎ澄ます暴力」だった。

 二球目。

 サミュエルがさらにギアを上げる。放たれた白球は、打者の手元で小さく変化する157キロ。今大会最速。


 ガッ!!


 豊田のバットが動く。最短距離で振り抜かれた一閃。火花が散るような衝撃がスタジアムを支配した。打球は弾丸となって三塁線を襲う。


「ファウル!」


 球審の声。スタンドから悲鳴に近い歓声が上がる。


(捕らえた。次は外だ)


 豊田の観察眼は、湊のような「色彩」ではない。長年の修羅場が培った「殺気」の読みだ。サミュエルの指先が、スライダーの握りに微動だにしたのを、豊田は見逃さない。

 三球目。

 スタジアム中の空気が、マウンドと打席の最短距離に凝縮される。サミュエルの右腕が、鞭のようにしなる。ボールが指を離れた瞬間、豊田の意識は「1秒」を「1分」へと引き伸ばす。

 外角、逃げていくスライダー。

 豊田は踏み込む。左足が土を噛み、腰の回転が凄まじいトルクを生む。


「俺が、聖隷の『エース』だ!!」


 バッゴォォォォンッ!!


 金属バットがひしゃげるような、重苦しい破壊音。打球は横浜の空を、一筋の閃光となって切り裂いた。センターのカルロスが、見上げることさえ諦める。

 バックスクリーン直撃。推定飛距離135メートル。

 サヨナラ・ホームラン。


「…………」


 一瞬の静寂の後、スタジアムは爆発したような歓喜に包まれた。

 だが、ダイヤモンドを一周する豊田の表情に、笑顔は微塵もなかった。ホームベースを踏み、出迎えるチームメイトたちを無言でかき分ける。歓喜に沸くベンチの中で、豊田はただ一人、湊の前に立った。


「見たか、一条」


 その声は冷たく、残酷だった。


「これが、お前が一生逆立ちしても届かない『力』だ。野球は結局、遠くへ飛ばした方が勝ち、速い球を投げた方が強いんだよ。お前のやってることは、ただの『奇術』だ」


 勝利の狂騒の中で、豊田の言葉だけが湊の心に深く、鋭く突き刺さる。チームは勝った。初戦を突破した。しかし、湊の視線の先にいる3年生たちの背中は、これまで以上に遠く、高く、そして拒絶に満ちた「壁」としてそびえ立っていた。

 湊は、震える右腕を抱きしめる。

 聖隷高校、2回戦進出。

 だが、その内側では、伝統という名の「独裁」と、変革という名の「狂気」が、修復不能なまでに軋みを上げていた。

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