第38話:風の使徒ゼフィール
「三神静馬――お前を殺す」
その声は乾いていて、まるで事務的な作業を告げるようだった。
静馬は身構える。ラウラが前に出て、牙を剥くように言った。
「風の使徒……。 誰の差し金よ。まさか九尾の命令じゃないでしょ?」
ゼフィールは僅かに首を傾げた。
「……関係ない。俺は狩りを命じられた。それだけだ」
次の瞬間、ゼフィールの姿がかき消えた。
風だけが残り、静馬の首筋を掠める。
「ッ!?」
間一髪、ラウラが霊氣の障壁を展開して防ぐ。
だが、ゼフィールの攻撃は止まらない。
風が四方八方から襲いかかり、逃げ場を奪っていく。
「静馬!!こいつ、リュミエールより速いわ!!」
「くそっ……!」
静馬は必死に動くが、ゼフィールの動きは捉えられない。
風に紛れ、気配すら消している。
そして――風刃が、静馬の腕を切り裂いた。
「がっ……!」
血が飛び散る。
ゼフィールが再び姿を現し、無表情のまま告げた。
「……次は致命傷だ」
(また静馬の苦手なスピードタイプが来るなんて)
ラウラの顔には焦りが滲んでいた。だがそれだけではない。
彼女の中で、冷たい恐怖と責任感がせめぎ合っていた。
(静馬は無茶をする……また自分を犠牲にしてでも戦うつもりだ)
唇を噛み、ラウラは拳を握りしめた。
(このままじゃ、本当に――殺される)
炎の使徒ヴァルス――。
静馬の脳裏に、あの灼熱の戦場がよみがえる。
互角以上に渡り合えた。あの怪物を前にしても、倒れなかった。
――俺には、使徒と戦える力がある。
そう自分に言い聞かせるように、静馬は息を整えた。
あの時も、死ぬほど必死だった。けれど、生き延びた。
ならば今回も――必ず。
「ラウラ……俺に力を貸してくれ。全部だ」
ラウラは一瞬、驚いたように目を見開いた。
「静馬……それ、本気? 今のあんたじゃ、体が持たないかもしれないわよ」
「構わない。死ぬよりマシだ」
静馬の瞳には、揺るがない決意が宿っていた。
ラウラは小さく息を吐き、笑った。
「……相変わらず、無茶苦茶ね。いいわよ、付き合ってあげる」
霊氣が爆発的に膨れ上がる。
静馬の全身に、ラウラの力が流れ込んでいく。
その瞬間、ゼフィールの瞳がわずかに揺れた。
「……面白い」
ラウラの氣が流れ込むたび、筋肉の軋みが消え、視界が研ぎ澄まされていく。
「戦いながら……奴のスピードに慣れていく……!」
低く呟く声に、決意の熱が宿る。
瞬間、ゼフィールの姿が霞のように掻き消えた。だが、もう目では追える。
風の流れ、氣の揺らぎ――次の動きが見える。
静馬は一歩踏み込み、迎撃の構えを取った。
「来いゼフィール!」
静馬は息を潜め、氣を一点に集中させた。
ゼフィールの突進が地を裂く。疾風のような踏み込み、残像が幾重にも走る。
だが静馬は一歩も動かない。視線を逸らさず、氣の波を読む。
瞬きの間に、ゼフィールの刃が目前へ迫る。
静馬は腕で受け流し、脚で衝撃を殺した。
重い。だが、見える。確かに見えてきた。
「速い……けど、パターンがある」
霊氣を巡らせながら、静馬は息を吐いた。
防御に徹し、ゼフィールの軌道を一つずつ記憶していく。
風が鳴り、刃が閃くたびに、彼の目がわずかに慣れていく。
(焦るな。受けて、見て、掴め。次の瞬間――)
静馬の瞳が光を宿す。
反撃の機を、確かに捉え始めていた。
ゼフィールの足が止まった。
その紅の瞳が細くなり、静馬を射抜く。
「……なるほどな」
刃先を下げたまま、口の端が吊り上がる。
「貴様――俺の動きに慣れようとしているな」
風が震え、周囲の氣流がざわめいた。
静馬は答えず、ただ静かに呼吸を整える。
その沈黙が、ゼフィールの怒りに油を注いだ。
「なめられたものだ……!」
一瞬、空気が爆ぜた。
次の瞬間、ゼフィールの氣が爆発的に膨張する。
空間そのものが歪み、地面がひび割れた。
「貴様ごときが、俺の速度を見切れると思うなッ!!」
疾風が唸りを上げ、ゼフィールの姿が掻き消える。
衝撃波が走り、静馬の頬をかすめた。
(来る――! 今度は、本気の速さだ!)
静馬の心拍が跳ね上がる。だが、その瞳は恐れよりも光を帯びていた。
荒い息を吐きながら、足元を踏みしめた。
視界の端で、ゼフィールの残光が幾重にも走る。
追いきれない――いや、そもそも反応が追いつかない。
(ラウラの力を借りても……今の俺じゃ、奴の速度に体がついていかない)
骨が軋み、腕が痺れる。受け止めるだけで全身が悲鳴を上げていた。
それでも、退くという選択肢はない。
「……なら、一か八かだ」
静馬の瞳に宿る光が変わる。
氣を全身に巡らせ、呼吸を限界まで整える。
ゼフィールの攻撃――その軌道、その癖、もう見切った。
あとは、タイミングだけ。
(次の突進で来る。右からの斬り上げ――そこだ)
嵐の中でただ一つ、鋭く研ぎ澄まされた感覚だけが生きている。
「当てる……一撃で、仕留める!」




