第36話:それぞれの思惑(美琴side)
封霊機構・本部最奥
重々しい扉が閉じられると、そこには当主・御門錬司と、次期当主候補である朝霧蘭、秋津晶、篠原美琴の姿があった。
長机の前に座る錬司が、静かに口を開く。
「……皆、既に承知のはずだ。先日の戦闘で使徒の力を目の当たりにした。我ら封霊機構の精鋭を以てしても及ばなかった」
その言葉に、場が一層重く沈む。
秋津晶が拳を握りしめ、低く言う。
「事実だ。今の我々では勝てん」
冷ややかな声で朝霧蘭が続ける。
「無駄に人命を投じるべきではありません。戦えば損耗が増えるだけ。徹底した情報収集と、戦力の再編が必要です」
美琴は黙したまま視線を伏せていたが、やがて顔を上げ凛とした声音で口を開いた。
「……ですが、放置すれば被害は広がる一方です。機構の存在意義が問われます。守るためにどう動くか、答えを出さなければ」
御門錬司は机に組んでいた手をゆっくりと解き、重々しい声を響かせた。
「……ただし、ひとつだけ救いがあった。先の戦いで使徒を退けた者が現れた」
その声に、三人の候補が小さく反応する。
彼らは皆、あの戦場に立ち会っていた。
仮面をかぶった謎の男の姿を、目の当たりにしている。
秋津晶が口を開く。
「確かに……俺たちの前に現れた。仮面の男は、素手で炎を受け流し、使徒に打ち勝った。人間業とは思えなかった」
朝霧蘭は目を細め、記憶を思い返すように言葉を継ぐ。
「氣の流れを読み切り、力を制する……。理屈では説明できない動きでした」
錬司が静かに頷く。
「なるほど。やはりお前たちが目撃したのだな。私は報告でしか知らぬが……事実ならば、奴は現状使徒を退けられる唯一の人間だ」
美琴は沈黙を保ったまま、机の下で拳を握りしめていた。
(……知っている。あの仮面の下にいたのは――静馬)
ほんの一瞬交わった視線。見間違えるはずがない。
だが口を開けば、即座に彼は「危険因子」として標的にされるだろう。
蘭は冷徹に利用を唱えるだろうし、晶は仲間に引き入れようとするだろう。
――けれど、どちらにせよ彼の自由は失われる。
錬司の声が再び場を支配する。
「味方となるか、敵となるか……見極めねばならん。いずれにせよ放置はできぬ」
その言葉に、三人の候補は思惑を胸に秘めながらも、それぞれに決意を固める。
ただ一人、美琴だけが密かに彼を守るという別の誓いを抱いていた。
朝霧蘭が静かに言葉を重ねる。
「ならば即刻、所在を突き止めるべきです。味方と断ずるに足る根拠を得るまで、監視と拘束は必須でしょう」
秋津晶は渋い顔で首を振った。
「監視や拘束などすれば逆に敵に回る危険がある。まずは接触し、信を試すことから始めるべきだ」
二人の言葉がぶつかり、場にわずかな火花が散る。
その間で、美琴は沈黙を保ったまま俯いていた。
(……彼を、捕らえさせるわけにはいかない。けれど私が口を挟めば、疑念を招く……)
錬司の低い声が二人を制した。
「よい。方針は私が定める」
白髪の老人の眼光が鋭く光り、全員の背筋が自然と正される。
「仮面の男を探せ。行方を突き止め、正体を明らかにせよ。味方となり得るならば迎え入れる」
会議が解散した直後、蘭は長い廊下を一人歩いていた。
その瞳は冷たく、既に計算を始めている。
(……あの仮面の男。あれほどの力を持ちながら正体を隠す。味方のはずがない。だが――もし機構に取り込めれば、圧倒的な戦力となる)
彼女は小さく息を吐き、口元にかすかな笑みを浮かべた。
「もし従わせられるのなら、迷う必要なんてないわ。彼を味方にできた功績があれば、次期党首への道はほとんど約束されたようなものよ」
蘭にとって仮面の男は脅威であると同時に、冷徹な合理主義者にとっての最高の素材だった。彼女は直ちに情報網を動かし、戦場跡地に残された痕跡や氣の残滓を調べるよう部下に命じた。
一方で晶は、部下の若い隊士たちを前に立ち、静かに告げていた。
「探すのは、敵を捕らえるためではない。……まずは真実を確かめるためだ」
仲間を守る盾として戦ってきた彼にとって、あの仮面の男は希望でもあった。
(あれほどの力を持つ人間が実在するならば……使徒に立ち向かえる未来が見える。もしも味方でいてくれるのなら、それだけで多くの命を救える)
彼の言葉に、部下たちは力強く頷く。
晶は険しい表情のまま、心に誓った。
「……俺はあの男を信じたい」
その両者の動きを横目に、美琴は胸の奥に秘密を抱えながら歩いていた。
机の下で握りしめた拳の感触が、まだ残っている。
彼女の心はただ一つ。静馬を守るために動き始めていた。
たとえ両親に勘当されようとも構わない。
失うものがあっても、後ろ指をさされても、彼に会いに行くと決めたのだ。
美琴の瞳には揺るぎない光が宿り、その決意は誰にも止められなかった。




