第33話:今後の対応
林の奥――黒く煤けた枝葉の間を抜け、静馬はふと足を止めた。
焦げた風はようやく遠のき、代わりに夜の湿り気を帯びた匂いが、冷たい霧とともに漂ってくる。
「……で、これからどうすんの?」
ラウラの声が、頭の奥にくぐもって響く。
「正体を隠したまま別の災厄を追う? それとも、温泉でも行ってのんびりする?」
軽口めいて言いながらも、その声音には探るような棘が潜んでいた。
「悠長にしている暇はないさ。ヴァルスが落ちた今、残りの災厄も必ず動くはずだ」
「だろうね。でも全部一人で追う気? 機構に顔を出せない縛りがあるなら、動きは相当限られるよ?」
静馬は無言で枝葉に手をかけた。
まだぬくもりを残す焦げ跡は、戦いの残滓というより、次なる火種の予兆だった。
「……撒き餌作戦は続くだろうし。なら、俺が動く場所も増える。だけど――」
「だけど?」
ラウラの声が少し低くなる。
「今回みたいに、俺が直接動かないと間に合わない場面も増えるはずだ」
「つまり、またお忍びヒーロー活動ね。……でもさ、美琴ちゃん、いずれ気づくよ?」
足がわずかに止まり、夜風の中で仮面の奥の瞳が細められる。
「……それでも、今は距離を置く。面倒をかけたくない」
ラウラは短く笑った。
「了解。じゃあ、また派手に暴れて私に感謝させる作戦ってことで」
「……そんな作戦は立ててない。機構の奴らに感謝させるんだよ!」
それでも足は迷わず進む。
焦げた戦場の先にも、必ず別の闇が待っていると知っていた。
霧の中、足音だけが響く。
風はやみ、遠くで獣の気配が微かに揺れたが、静馬の歩調は乱れない。
「ねぇ、一つ聞いていい?」
唐突にラウラが切り出す。
「さっき美琴ちゃんに正体を聞かれてたけど……あれ、本気で言わないつもりなの?」
「今はまだ、言うべきじゃない」
「まだってことは、いつかは言うんだ?」
視線を上げ、霧の向こうを見据える。
「機構に十分な恩を売ってからだ」
「恩ねぇ……打算的じゃない?」
「打算じゃない。必要な保険だ」
低く揺らぎのない声。
「正体を明かした瞬間、俺は監視下に置かれ、過去も力も洗いざらい調べられる」
「それで?」
「その時、ただの危険人物として処分されるのと、命を何度も救った恩人として扱われるのとでは、雲泥の差があるはずだ」
ラウラは鼻を鳴らす。
「なるほど。借りを積んで首を刎ねにくくするわけだ」
「俺は誰にとっても不安の種だ。なら、不安より先に必要だと思わせる」
「ふーん。昔はそういう駆け引き下手だったのに、ずいぶん計算高くなったじゃない」
静馬は答えず、霧の奥へと視線を向ける。
低いうなり声――距離はもう近い。
「……で、恩を売るってのは、また災厄を狩ること?」
「そうだ。災厄を倒し、被害を最小限にする。それを繰り返す」
「……ふーん。随分と面倒なことをするのね。美琴ちゃんがいなければどっちも潰して終わりだったのに」
ラウラがあくび混じりに鼻を鳴らす。
「でも、その顔と歩き方……結構くたびれてるよ、あんた」
静馬は少しだけ沈黙し、視線を落とした。
確かに、身体はまだ動くが、全身の筋肉には微かな鈍痛が残っている。
霊氣の流れも、連戦のせいでいつもより重い。
「……ああ。今日は動きすぎた。今の俺に連戦がきついな」
「でしょ? そんな状態で次の災厄に突っ込んだら、恩どころか命まで落とすよ」
ラウラは軽く笑いながらも、口調には現実的な響きがあった。
「わかってる。とりあえず今日は休む。少し……いや、だいぶ疲れた」
夜風が頬を撫で、焦げた匂いがようやく薄れていく。
静馬は枝葉の間から見える夜空を仰ぎ、ひとつ深く息を吐いた。
(……明日はまた動く。今は、少しだけ静かな時間をもらう)
足を止めた静馬は、ふと夜空を見上げた。
雲間からのぞく月が、淡い光で林を照らしている。
(……災厄って、あと何人いるんだろうな)
ヴァルスの消滅で一体減った。
だが、まだ何体も残っているのは間違いない。
正確な数も、居場所も、目的の全貌すら知らされていない。
(全部片が付くまで……俺は何度この仮面をかぶるんだろう)
胸の奥に、わずかな焦りと諦観が交じる。
それでも足は休むための方向へと向いていた。
今は考えても答えは出ない。だからこそ、せめて今夜だけは眠りたい。
遠くで獣の遠吠えが響く。
静馬は仮面の奥で目を細め、その音を背に歩みを進めた。




