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乾期は歓喜の季節㊴

 その強烈な「臭い」に反応したのは、アースラズであった。


 視れば頭上より降り注ぐその黒雲、というよりも(もや)に似た黒色の気体をよく知っている。


 死。そのものが内包された汚染地帯。

 穢れ、爛れた魂達が血肉の代替物を獲得し、這いずり回るその世界。瘴気を知っていた。


 あれは、それそのものだ。

 あれは、それとしているものだ。


 グレゴリーは仲間へと叫ぶ。

 悲鳴にも似た叫びを。仲間へと。


 死がやってくる。と。



 ストルムは自身のバランスが崩れていくのを感じていた。無理もない。

 竜そのものが持つ体躯を浮かせていられるにはそれ相応の手品がある。多くの竜がそうするようにストルムもまたその翼膜の下に風を吹かせ、自身の体重を浮遊させるだけの浮力を補助しているのだ。

 それ自体が魔法による産物である以上、瘴気による影響は自らも受けてしまう。

 結果として、自身を支えるだけの浮力を獲得できなくなり、徐々に落下を始めているのだ。


 思い切り翼を広げるストルム。落ちるのはいい。なるべくゆっくりと落ちるには全力で今獲得できるだけの風を掴み、落ちるしかない。


 かつてもそうしたように、ストルムは瘴気を外れるように浮きながら落ちていった。


 母蜘蛛とともに、瘴気へと巻き込まれそうになったヨルを助けたのは、アルハンブラであった。


 即座に瘴気より外れ、安全と思わしき場所へと担ぎこんでいった。

 「アルさん…⁉」


 そういうヨルを制し、瘴気の奥を眺めるアルハンブラ。

 背後で蠢く獣擬きを見たその後、再び瘴気へとその脚を進めていったのだった。



 ―――――――――――――――――――――――――――――――――


 その漆黒の霧の中で、オーレリウスは静かにそれを持っている。

 ドア・ノッカーの起爆装置だ。


 ミュレから提案を受けたその時から、ある程度覚悟はしていた。

 魔法刻印が偏闇マナクリスタルの影響を受けるというのは、アースラズたちの鏃に当たった時に発見している。

 いくら重厚な魔法刻印を施していようとも、そもそも魔法が使えなくなるこの瘴気の中ではあってないようなものである。

 

 そしてそれは同時に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この世界において、技術と魔法は密接につながっているのだ。おそらくドア・ノッカーの内部構造は偏火マナクリスタルを使用した偏風マナ・プールへの接触型による起爆方式であろう。

 密閉されているドア・ノッカーの内部へは影響はないだろうが、起爆装置から対象へ命令を伝播させる機能は領域魔法を局所化させたものが応用されているはずである。

 そうである場合、瘴気という物質が間に入っているだけで中にいようとも、外からであろうとも、起爆はできない。

 この場合、起爆方法には2つの手段がある。

 ドア・ノッカー内部の凝縮された偏風マナ・プールを火をはじめとした高温の物質に直接触れさせるか。


 ドア・ノッカー自体を殴って無理やりスイッチを入れるかの2択である。



 ならば、やることは一つだ。


 相対する。


 鋼鉄の巨躯を誇る母蜘蛛。

 それを見上げる、赫四眼の髑髏面。


 おもむろに、オーレリウスは左手を確認する。その手背に宿る竜の瞳はきつく瞼を結び、開かれる様子はない。


 なら、仕方がない。

 なら、やるしかない。


 オーレリウスは斧を右手に構えなおし、母蜘蛛へと構える。


 頭が、痛い。

 繰り返す。ただ繰り返す。

 ある男の記憶。ある女の記憶。

 過程(これまで)が、あった。

 家族が、あった。

 仲間が、

 恋人が、

 過去が、

 未来が、

 だが必ず、最後にはそいつがいた。


 鈍い赤色の四つ眼を持つ、髑髏面を備えた男がいた。



 2つしかないオーレリウスの脳の中を、死人の魂(おもいで)が這いずり回る。悲鳴が頭痛として警鐘を打ち鳴らす。


 だがそれでも、殺さなければいけない時がある。

 今回が、その時だった。それだけだ。


 そうして、オーレリウスは前に進む。

 仄かに、体が温かく感じる。


 髑髏面が、改めて母蜘蛛を捉える。

 だがオーレリウスはこの一瞬。まるで時が永遠に引き延ばされたような錯覚を感じていた。


 母蜘蛛の奥から、そいつが現れる。

 炎を纏った、禍つ獣である。


 忘れるわけもない。そいつの全身は、まるでうねる樹木がいくつも絡まり合ったような姿をしている。

 それでいて、上半身は人の形をしている。下半身は獣のように四つ足を持つ。

 体の至ることろから炎が揺らめくその獣が、オーレリウスへと歩み寄る。その枯れ木のような右手が、オーレリウスの右頬を撫でる。


 四つ眼が、オーレリウスをまじまじと見つめていた。


 ―俺が欲しいか?―


 そう、誰かが誰かに問いかけた。


 だがそれは、突如として背後より迫るまばゆい閃光とともに終幕を迎えた。

 オーレリウスが振り返るとそこには、アルハンブラがいた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 轟音とともに、大地へと滑り込むストルム。

 その背よりはじき出されたミュレが大地へと打ち付けられる。

 全身を打ち付けられたためか激痛に悶える彼女は、それでも瘴気のほうへと這いずるように進む。


 それを止めたのは、ストルムとヨルだった。


 『やめておけ。ただの人間が瘴気をその身に浴びればどうなるか、知らぬわけでもあるまい』

 ストルムがそう声をかける。

 瘴気は、マナの活動を収束させる作用を持つ。契約者などの場合は魔法が使えなくなる程度で済むのだが、それは体の内側に膨大なマナを保持しているがゆえに「抗うことができる」だけだ。もしこれが従来の人間であれば瘴気をまともに吸い込んだだけで体内のマナの活動が停止されてしまい、失神で済めばいいほうであり最悪命を奪われる。


 それは、わかっている。

 だが、あの中には


 「オーレリウスはさておき、アルハンブラも契約者とはいえ…あの人、魔法が……」


 そんなミュレの杞憂を、ヨルが鼻で笑う。

 「心配性が過ぎるぜ?嬢ちゃん。あの人はいろいろ特別製なんだよ」


 どうやら、わずかに瘴気を吸い込んでしまったようだ。

 薄れゆく意識の中で、ミュレが問う。


 それは、どういう意味かと。


 そのまま、彼女の意識は闇に落とされてしまった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 オーレリウスの肩を掴んだアルハンブラ。

 その力強さは、瘴気の影響を微塵も感じさせないほどである。



 「お前、アイツに頼ろうとしたな?」

 そう問われたオーレリウスは、静かに返答する。

 「それで、すべて解決するのなら」


 と。


 アルハンブラはそんなオーレリウスを笑う。


 「自己犠牲も大概にしとけよ。普段ならまだしも…俺がいる」


 そういい、前に立つアルハンブラ。

 「アイツの声は聞くな。人でいたいのなら、なおのこと…だ」


 そういい、拳を打ち合わせるアルハンブラ。

 「契約者がいくら人でなしと呼ばれようが、俺たちも原初は人だった。それを忘れちゃいけねぇ。お前がどれだけ()()で、俺がどれだけ()()だと揶揄されようとも、どっちも大本は人だ。世が、帝国が、他人が、何より手前自身が。他の何かよりも力を求めただけだ」


 そういい、母蜘蛛へと迫るアルハンブラ

 「忘れるなよ。オーレリウス。絶対に、それだけは忘れるな」


 

 瞬間、アルハンブラの姿が消えた。


 母蜘蛛の足が揺らぐ。装甲がクレーター状に凹みを見せている。


 

 アルハンブラは、特別である。誰もがそう言った。


 彼も契約者である。だが、オーレリウスをはじめとした飛竜をはじめとした従来の竜種と契約したわけではない。


 寄生種。

 

 それがアルハンブラと契約した竜種である。


 彼らは他の生命体へと寄生することで命を繋ぐ。対価として対象へ力を分け与えるという特性を持つ。おおよそ竜として、生命として半端であるそれらも竜種は同じ竜としてみていた。


 そんな寄生種と契約をしたのがアルハンブラである。

 結果として、彼は体全ての血液が寄生種へと置き換わっている。

 彼の体を流れるすべての赤い液体が、竜そのものなのである。

 結果として得たのが、あの常軌を逸した身体機能と再生能力。魔法が使えない代わりに魔法論理なしに第4階位相当の変異魔法を燐光文字など一切用いることなく即座に発動でき、瘴気などの特殊な環境下においてもそれが運用できるようになっている。


 純粋な殴り合い。

 シンプルなケンカという方式であるのなら


 竜騎王ですら殴り倒せる。とまで言われたほどだ。


  

 アルハンブラの両腕は黒く隆起する。

 はちきれんばかりの剛腕が、さらに太く、漆黒に染まる。


 ―竜人化(ドラゴニック・ムーヴ)


 自らを、人と竜の混ざり者として『純化』させる変異魔法第4階位に位置する、オーレリウスにすら使うことのできない高位魔法。


 その姿は、混一化(バーンアウト)を果たしたその契約者の成れの果てを示すともいわれる。だがアルハンブラはためらいなくその魔法を使用する。


 漆黒の、竜人と化したその姿が母蜘蛛へと潜り込む。


 漆黒の闇の中で、さらに黒い閃光が3度、衝撃音を放つ。


 そして迸る爆炎。それはみなを平等に巻き込む。


 瘴気がその位置ついて、霧散したそのあとに残されたのは地に伏した母蜘蛛と、同じく倒れ伏した2人の契約者であった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 僅かに、意識が残るオーレリウスの目の前で彼女たちがいた。


 確か、何と言ったか…。そぅ。


 炉の女。グドレ姉妹たちだ。

 獣擬きのヨルに命じ、何かを取り出していた。


 やめろ。

 それはお前たちの手には余る。

 帝国の産物。かつての魔法工学の一端。

 そんなものが、この世にあっては…ならないだろうが。


 オーレリウスの意識が消えた時…最後に見たのは、そのような景色であった。



 『それで?そんなものをお前らはどうするつもりだ』

 ストルムがグドレ姉妹。特にネ・グドレへと尋ねる。

 

 『俺がそれを仮に許したとして、オーレリウスの奴が許さない。悪いことは言わねぇ。そいつを壊すか、せめてそこに置いたままとっととどこかへと消え失せたほうがいい』


 ストルムはオーレリウスを咥えると、乱暴に背中へと投げ飛ばす。


 既に夜明けは過ぎ、陽光が夜闇を切り裂くように差し込んでいる。

 亡霊たちの時間は、終わりを告げたのだ。



 ネ・グドレは、静かに答える。

 「私たちには、帰る場所が必要なんです。この世界のどこでもいい。でも出来るなら、より良い場所がいい。故郷が、ほしいんです」

 

 その返答に、鼻を鳴らすストルム。

 『耳障りのいい言葉を使ったところで、それは侵略行為の何物でもない。帝国の技術に頼るというのならなおのことだ』


 そういい、ゆっくりと立ち上がる竜はその体に陽光をたっぷりと浴びて、黒い肌が静かに煌めいて見えた。


『だが、まぁ…それこそ俺たちには今のところ関係のない話だ。勝手にしろ。だが、忠告はしたからな』


 ストルムが飛ぶ。

 陽光の刺す方へと。


 黒羊海へとその羽を広げ、飛び去って行った。



 その姿を見送ったグドレ姉妹がこの場を後にしようとした際に、声をかける者がいた。

 アースラズの首魁。グレゴリーである。


 「悪いが、嬢ちゃんたち。あの竜の言う通りだ。碌でもない目に遭ってでも生き残ろうという覚悟がないのなら、置いて行ったほうがいい」


 「…まるで自分たちは、碌でもない目にあってもいい。と言っているように聞こえますが」

 

 「残念ながら、テレズレムに住まう我が同胞のために、すでに半数以上が碌でもない目に遭った」


 ネ・グドレの言葉に笑いながら返答するグレゴリー。

 その後、その顔は再び剛毅(ごうき)なものへと転ずる。


 「嬢ちゃんたちのおままごとに付き合うつもりはない。だが、もしそれがままごとでないというのなら、国を持つという夢を本気で叶えるつもりなら…頼みがある」



 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ヴァルキュリアズとスクールの調査隊がそこに到着した時、まず目に留まったのは高濃度の瘴気の残滓。

 そしてそこに倒れ伏すミュレ・アンダーソンの姿であった。


 医療チームが彼女の無事を確認したその時、海岸線より現れたその男に皆の杖と注意が向く。


 その男は、辺りに転がる死体を掴み、海岸線に運んで行こうとする。


 「グレゴリー…」


 マリエルがその名を告げると、グレゴリーは静かに振り返る。

 「私を捕まえるのならば、少し、待ってはくれないか?せめて同胞を、この地で戦い、死んでいった者たちを弔うだけの時間を…頂けはしないだろうか」


 静かなその顔に、さみしげな顔を浮かべた敗残兵が、そこにはいた。


 誰もが知る間もなく、この地での戦争が意味をなさなくなった。

 そう、思わざるを得なかった。

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