春の日に 2
商店街青年部との宴会会場の居酒屋『より道』は、初めて行く店だったが、裏道にある店にしては、大きな赤い提灯が目印となり、すぐに見つけられた。
暖簾をぐぐると、店長らしき人物がカウンター越しに威勢よく「いらっしゃいませ」と迎えてくれた。
「あの、商店街の宴会は?」
「奥ですよ。案内しますね。
きみちゃんお願い」
きみちゃんと呼ばれた女性は、愛想良く返事をすると、こちらですと言って、店の奥の板間の座敷ヘ案内してくれた。
「お連れ様、いらっしゃいました」と、話が盛り上がっている集団に声をかけた。
「お、来た来た」とパン屋のマサさんが出てきてくれた。靴を脱いで上がると、二人はあそこの席ねと、空いた席を教えてくれた。
掘り炬燵式の席だった。なぜか間隔を開けた隣の席には、千夏さん率いる女性グループが座っていた。
「あれ、千夏さん」
「お疲れ」と、すでに半分以上中身が無くなっているビールグラスを掲げた。
そのテーブルには千夏さんの他に、美容室を経営している涼子さんと、そこの美容師の早希ちゃん、そして見たことの無い女の子が座っていた。
千夏さんと、涼子さん、歳の近い二人は仲もいいようだ。早希ちゃんともうひとりの子も、若い者同士楽しげに話をしていた。
「この子、私の兄の子なの。姪っ子の朱里。宜しくね」
いきなり紹介された彼女は、少し恥ずかしそうに挨拶をした。それを受けて、こちらも簡単に「晶です」「アオイです」と返した。
「私達は女子会なの。偶然隣の席になっちゃってね」
それはそれは、と話しをしながら、上着を脱いで用意されていたハンガーへかけると、空いた座布団に腰を下ろした。
「これ、飲み放題のメニュー。二人ともどれにする?」
マサさんが手渡してくれたメニューには、何種類ものアルコールと、ソフトドリンクの名前が表記されていた。
「俺は生にする。アオイは?」
「僕はレモンサワーで」
そう言うと、案内してきてくれた店員さん、きみちゃんに、注文をしてくれた。
先に会費もらっちゃうね、と言うので、鞄から財布を取り出した。その時、カシャリと音がして、見ると宇宙飛行士のキーホルダーの着いた家の鍵が転がり出ていた。
「晶君、鍵、落としたわよ」と、千夏さんが手渡してくれた。
「ありがとうございます」
「可愛いキーホルダーね」
「いいでしょう。これアオイの、田舎へ帰ったときのお土産です。顔の部分がライトになっていて、この胸のところのボタンを押すと光るんです」
実際に押して見せると、暗いところに便利じゃない、私も欲しいわと、まじまじと眺めていた。
程なくして、きみちゃんが飲み物を運んできてくれて、マサさんの音頭で乾杯をした。
「では、皆揃ったところで、電気屋から報告があります。どうぞ」
どこか照れた風で電気屋が席を立った。
「実は……
この度、結婚することが決まりました。明日、入籍してきます」
その場の参加者一同が一斉に「おめでとう」と言った。再び、おめでとう!乾杯!と、それぞれがグラスを掲げた後、拍手が湧き起こった。
賑やかに会が進んでゆく。誰かが席を経てば、そこへ他の誰かが座り、また他の誰かの席が空けば、そこへ誰かが座るといったように、色々と人が入れ替わった。
目の前にいたアオイの席も、彼がトイレで席を立つと、結婚が決まった電気屋がやってきた。
「お疲れッス」
「お疲れ。おめでとう」
と、カチンとグラスを合わせた。
「晶さん、お先ッス」
「お先って何よ」
「だって、年上の独身は晶さんだけッスよ」
「えっ……ああ、そうか。他は年下か、既婚者か」
「です」
「まあね、うん。
それより、やっと籍を入れるんだね。交際長いでしょ。同棲して何年よ」
「付き合いだしたのが、高校卒業した時でしょ。同棲して5年だから、トータル10年か。
ここに来て、やっと責任ある仕事を任してもらえるようになったし、アイツのことも、長いこと待たせちゃってるし、いい加減覚悟決めないと、と思って」
覚悟か……
「お幸せにね」と、千夏さんが横から参加してきた。
「ねえ、晶くんに、まりちゃんの友達、誰が紹介してあげてよ」
まりちゃんとは、電気屋の彼女だ。中学の同級生だったそうだが、付き合いは高校卒業してからだったか。
「どうかな。まりの友達、ほとんど結婚しちゃってるんスよね。独身は……我が道を行く!って海外移住しちゃったコぐらいだな」
なかなかの行動派だな。
「だめか。
晶くん、理想のタイプはどんな子なのよ」
「可愛い子」
「漠然としてるね。
中高生のような、おこちゃまじゃないんだから、具体的にないの?」
少し、呆れ顔で言われてしまった。
「そうですね……そしたら、サモトラケのニケのような笑顔の子がタイプです」
「何スかそれ」
千夏さんは、ジトッと上目遣いで、何言ってるのこの子はとでも言わんばかりに圧力をかけてきた。
すると涼子さんが
「これでしょ」と、姪の朱里ちゃんのスマートフォンの画面を見せてくれた。
そこには、青空に向かって、気持ちよく翼を広げたニケ像が写し出されていた。
すると電気屋が
「これ、頭がないッスね……落ちちゃったんスか?」
「怖い怖い、その発想。
違うの。発見されてないの」と、ニケ像の説明を始めた。
「ニケ像は古代時代の勝利の女神像で、サモトラケ島で発見されたの。見つかったときの状態はバラバラでね。なんとか修復できたのが、パリのルーブル美術館に展示されているんだけど、両腕と頭部は見つからなくて、無いの。
いったい晶くんは、どこでニケの笑顔を見たのかしら」
みんなの視線が痛い……。
「いやね、昔、姉貴が友達から借りてきた漫画に、好きな女の子のタイプを聞かれた男子が、サモトラケのニケのような笑顔の子と、答えた箇所があって……ちょっと真似してみました。
いいじゃないですか。『可愛い子』と言っても、色々あるんです。行動とか、言動とかそういうのひっくるめてね」
ニッと笑顔でごまかした。
「まったくもう。アオイ君の笑顔を真似てもごまかされないわよ。
この先のこと、ちゃんと考えなさいよ。
今の生活が楽しいんでしょうけど、いつまでも続くとは限らないのよ。
それに、アオイ君だってずっと居るとも限らないでしょうに」
「えっ……」
「え、じゃないわよ。
アオイ君のご実家、林檎屋さんでしょ。弟さんがいるにしても、家を継ぐ継がないの話は出てくるでしょ。
そうじゃなくても、彼まだ若いし、別の道に行くことも考えられるでしょ。ピアノとか、ね。
気づいたら、晶くん、独りぼっちになってるかもしれないよ」
独りぼっち……それは別に怖くはない。性癖のせいかもしれないが、昔から、どこか孤独を感じるところはあった。
アオイが居なくなるかもしれない……?
確かに、実家の林檎園を継ぐ話しは、いずれ出てくるだろう。ピアノも、再び始めて楽しそうに練習している。音大に再度挑戦するのもいいだろう。
しかし、彼が居なくなることは、考えたことが無かった。なんだろう、怖い。
「ねぇねぇ涼子さん。あの二人はどういう関係なの?」千夏さんが小声で言った。
「そうなのよね。仲良いのよね。
この前、アオイ君が髪を染めに来たんだけど、その時も二人なんか仲良くて、私奥に引っ込んでたのよ」
そんな会話をする二人の視線の先には、仲良く話をしている、いつ戻ったのか、アオイと、早希ちゃんがいた。
それを眺めた僕の中に、どす黒く、どろどろとしたものがうごめきだした。これは何なのか。喉の奥が痛くなるような、胸がざわつくような、何が落ち着かない。
今日一本目の煙草に手を伸ばした。
口に咥えて、愛用のオイルライターで火を付ける。深く吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出す。普段は一日に二、三本吸うぐらいなのだが、今は、二本、三本、四本と増えていった。
落ち着かない。
周囲の会話に参加はするものの、右から左へ抜けていった。涼子さんがバツイチだということも。アオイと千夏さんのお子さんたちが通うピアノ教室の発表会のことも。この春のお花見のことも。朱里ちゃんの部屋探しのことも。全て。
酒も、飲むペースが早くなっていった。
飲んで
飲んで
飲んで
そして、……………二次会を待たずに、つぶれた。
商店街青年部の宴会はお開きになった。二次会はカラオケで、参加する者は駅前のカラオケ屋へ移動していった。
隣の席の女子会の皆さんも、賑やかなまま、帰路についていった。
居酒屋の店長の好意で、閉店まで席を使って良いことになり、電気屋と、パン屋とアオイと晶は残って、静かに飲んでいた。
「アオイ、二次会行かなくてよかったの?」マサが聞いてきた。
「カラオケ苦手なんで。それに、晶さんを連れて帰らないと」
と、ウーロンハイの入ったグラスをもてあそびながら、隣で寝ている家主兼、同居人を一瞥した。
「晶がこんなに早くつぶれるとは、珍しいな。
後でタクシー呼んでもらえばいいよ」
「はい。そうします」
スマートフォンをいじりながら、電気屋が二人に聞いてきた。
「なんで晶さん、結婚しないんスかね。
もしかして、ゲイとか?」
「こらこら。そういうデリケートなことを、憶測で言うもんじゃない」
「だってマサさん。晶さんて、女っ気ないッスよ。
女性と一緒に歩いてる姿、見たことないモン」
すると、マサはハイボールを飲む手を止めて話し始めた。
「みどりちゃん、晶の姉さんから聞いたんだけど、晶が、はからめで仕事しだしたのは、大学を休学してた頃なんだ。
休学の理由は、人間関係のトラブルらしいんだが、休学に入ってしばらく、色々と荒れていたらしい」
「人間関係って、恋愛ッスか?」
「そこまでは聞いてないな。
まあ……ね。そういうの引きずって、恋愛するの休んでいるかもしれないし。色々慎重になってるんじゃないかな。
こういうのは、本人次第だから。外野は見守るしかないよ」
マサはテーブルの端に置かれたメニューを引き寄せて眺め始めた。
「何か食べるか?」
「お茶漬けありますか?」とアオイが言うと、あるねと言ってメニューを広げて見せてくれた。
「海苔茶漬けにします」
「電気屋は?」
「俺も海苔茶漬け」
「俺、わさび茶漬けにしよ」
他のテーブルの片付けをしていたきみちゃんに声をかけ、マサはお茶漬けを注文した。




