97 怒り 魔王side
「ねぇ、ちょっと、聞こえてるよね?何で無視するの?」
情けない面持ちのまま、固まっていた奴を魔法を通さんオリハルコンの輪で捕えはしたが、床に胡坐をかいて座り、拘束されながらもニヤニヤと笑みを浮かべて不満を訴えているコイツは、何をしでかすか分からない。
目だけでもどうにかしたいが、ユリエがどうにも許してくれない。
まさかコイツが来ているとはつゆ知らず、この忌々しい魔力を感じるまで、その存在に気付けなかった。
何たる失態。
いつもふらりとこの城の、私の部屋まで侵入して来て、嫌がらせのように絡んでくるコイツは、周りの魔素を【魅了】して、その存在を隠すので厄介で厄介者だ。
いつもはこれ見よがしに私の所へ一番に乗り込んで、楽しそうに木彫りの鳥を投げて来る癖に、何故今回に限ってユリエの元へ行ったのだ!
そんな奴にユリエを接触させてしまったのは本当に大失態だ。
この際しっかりと潰したい…だがやはりユリエが許してくれない。
「駄目ですよ」
「しかし…」
「魔王様!」
「目だけでも…」
「ちょっと!怖い事言わないでよ!!」
私がユリエと話していると言うのに、煩わしい声でユリエの心地よい声がかき消される。
潰したい…が、許されない。
そいつを見ると、まだ【魅了】を仕掛けてきている…。
やはり目を使う【魅了】はユニークスキルと言うだけあって、オリハルコン如きでは止める事が出来ないか…。
しかし、この城に居る者は皆コイツの魔力を感じた時点で魔力を己に強く通している。【魅了】は効かないと言うのに懲りない奴だ。
いや、これは、またユリエに使おうとしているのか?
……。やはり目だけでも潰しておきたい…。
「黙るがよい。お前は毎度碌な事をせん。その上私のユリエに【魅了】を仕掛けたのだ!ユリエさえ許してくれれば今すぐにでもその目を潰してやると言うのに…」
「へぇ、魔王の好きなその娘は“ユリエ”って言うんだ?」
しまった…。こんな奴にユリエの名を呼ばれてしまった…、それを教えたのは私なのだから居た堪れない…。
余りの忌々しさに顔を歪めると、腹の立つ顔でニヤニヤと笑い返してくる。
ぐっ…いつもそうだ!私の嫌がる事を探し出しては絡んでくる!何なのだコイツは!!
私が何も言えずに憎いそいつを睨んでいると、ユリエがマント越しに私の腕にその細い手を添え、心配そうに見上げて来る。
少し、苛々とした気持ちが治まる。かわいい…。
ユリエと婚約してからと言う物、タガが外れたように愛らしく見えてしまう。そう見てもよいのだと認識してしまった為か、動作一つ、触れて来るその感覚一つが愛おしくなる。
隣でニヤニヤと笑っている視線さえなければ、何も言う事はないのに……と、やはり眉の寄ってしまうそんな私に、ユリエが掴まりながらその背を伸ばして私の耳に口を寄せた。
ち、近い…ユリエの息が掛かる距離に心臓が早くなる。
苛々は綺麗さっぱりどこかへ吹き飛んだが、これは違う意味で困る…体が固まったように動かない。そしてとても暑い……。
「普通の人だと思って相手にしたら駄目ですよ。ちょっと拗らせてそうなので」
固まっている私に小さな声でユリエはそう呟いた。
何と的を射た言葉か。
そうだ。相手にするから腹が立つのだ。さっさと何処へでも、出来るだけ遠くへ運ばせてしまおう。
「うむ。キョウ、コイツを出来るだけ遠くへ運ばせよ。【魅了】の効かない者を選ぶのだぞ」
「分かりましたぁ」
「だから待ってって!せっかく来たのに扱い酷くない?!ボク精霊国の第二王子なんだけど!?」
「知っている。だがお前は放浪して碌に国政に関わっていないだろう。少しばかり遠くへ運んだ所で問題にならん」
「いやいやなるから!困るのはこの国でしょ?それとも今すぐ精霊国に救援飛ばそうか?」
「む……」
全く忌々しい。忌々し過ぎて頭が上手く回らん。
運ぼうとしていたキョウは私の意見を待っているし、こんな状況を楽しんでいる第二王子はまたニヤニヤと笑っている。
何故コイツは精霊国の王子なのだ!そんな立場でなければ魔物の領域にでも置き去ってやるのに…!
再び睨むしか出来ない私の隣から、ユリエが一歩奴へと踏み出した。
近寄って欲しくなくてその腕を掴むと、私を振り返ったユリエが、大丈夫ですよ、と優しく笑う。
その笑顔を向けられると不思議と大丈夫だと言う気持ちになる。だがやはり奴にユリエだけが近付くのが嫌なので、ユリエに合わせて足を進めると、そんな私をユリエが笑う。かわいい…。
「あの、お名前をお伺いして宜しいですか?」
私がユリエの笑顔に惚けている間に、ユリエが第二王子に名を訊いた。
とても嫌だ。会話して欲しくない。
だがユリエが必要だと思ったならば邪魔をしてはいけない。ユリエには嫌がられたくはないし、度量の狭い男だとも思われたくない…。だが、とても嫌だ。だが耐えねば……。
どうしても嫌だと言う感情が表に出てしまう為か、私を見ている第二王子はやはり嬉しそうにその目を細める。
何故コイツは私が嫌がると喜ぶのだ…腹が立つ…!
「いいよ?教えてあげよう。ボクは精霊国第二王子、エスフェアエルレス。エスって呼んでよ」
「では、エスフェア…エルレスさん?ご足労頂きご苦労様でした。余り問題を起こされるようでしたら困りますので、どうぞお引き取り下さい」
「…話、聞いてた?」
「ですから、丁重にお引き取り願っておりますが、何か問題でも?」
何とユリエは正面から帰れと言った。
少し驚いたが確かに問題はない…。
それにエスと呼べと言われたが、呼び難いフルネームだった。どこか胸がすく思いだ。
だが奴はコケにされるのを嫌う。このままで終わる事はないだろう。
「いいよ?帰っても。その代わり手土産としてあのお茶の事教えてよ。ちゃんと、詳しく」
そう厭らしい顔で奴は笑う。
お茶…?ユリエの作ったあの水が入ったお茶か!?
まさか、とキョウを見ると、泣きそうな顔で私を見ている。
飲ませたのか…いや、飲まれたのだな…。
一番知られたくない奴に知られる事になるとは…どうにか口封じを……。やはり……と思っている間に落ち着いた様子のユリエが答えを返している。
「嫌です。何故帰って頂くだけに魔国の情報をお渡ししなければならないんですか?どうしてもと仰るなら、別で手土産をお包みしますので、そちらをお持ち下さい」
「…君、何なの?」
「魔王様の婚約者です」
「へぇ?!魔王の?!触れられもしないのに?君物好きなんだね?それとも魔王の力が目当て?どうなの?魔王にしたみたいに耳元でこっそり教えてよ!」
……いかん。殺意が漏れそうだ…。何故奴はあのように下卑た事をあのように嬉しそうに、そして平気で口にするのだ…それも、ユリエに…。
怒りに目を見開いていると、奴の後ろに立つキョウが青い顔で私を見ている。すまない、少し、殺気が漏れていたかもしれない…。
抑えねば………。
「そうだ!婚約者なら鳥の話はもう聞いたの?魔王が殺した鳥の話!」
そう言って奴は嬉しそうに私を見た。
また、それか…その話を…何度その忌々しい口から聞いた事か…。だが、悔しい、確かに、私はあの小鳥を……
「魔王様」
その思考を遮るようにユリエの声がして、目の前にはユリエが居た。
真っ直ぐに私を見て、マント越しに私の頬をその両手で包んでいる。
安心する…。ユリエが居る。それだけで大丈夫、そう思える。
「……大丈夫。ありがとう、ユリエ」
「でも、顔色が優れません。少し休んだ方がいいかも」
「いや、ユリエが居れば平気だ」
「あれ?平気なの?…何だ、いつから平気になったの?また鳥をプレゼントしてやろうと思ってたのに」
その奴のつまらなさそうな声にユリエが振り返る。
その動作でユリエの髪が揺れ、深い夜にも似た黒い髪と力の籠るその瞳に、ユリエの魔力だろう金色の粒子が波打って光を揺らしている。
ああ、ユリエの魔力が暴走しようとしている。
止めねば……そうは思うが、その姿はとても美しく、思わず見惚れてしまっていると、足早にユリエが奴の目の前まで足を進め、振り上げたその手で奴の頬を思い切りはたいた。
「…………。硬い。悔しい…」
結構いい音が響いて、ユリエはそう言葉を漏らしながら痛そうに手を振っている。
ユリエの力ではエスにその一打が効く事はないだろう。むしろ逆にユリエが痛かっただろうに…。
だが私は驚きの余り動けない。打たれたエスも、それを見ていたキョウも固まっている。
ユリエが何かを害そうとしたのは、初めて見た…。
静まり返ったエントランスの中で、小さくユリエの息を吐く声が響き、厳しい視線をエスに向け直したユリエがはっきりとした声でエスを睨む。
「叩いてすいません。でも、私、とても怒っているので。魔王様を虐めて楽しむのはやめて」
「…虐めてるつもりはないけど?事実しか言ってないし」
「子供って、気に入った相手を虐めて愛情計りますよね。今お幾つですか?」
「……喧嘩売ってるの?」
「売ってますよ!怒ってますから!!」
そう言い放ったユリエに、エスは何も返せずに目を見開いている。
怒っている。ユリエが、私の為に?
よ…喜んではいけないのだが、胸の内が熱くなって、その余りの嬉しさに顔が緩んでしまいそうになる。
だ、だが耐えねば、そう何とか口元を隠してその喜びを耐えているが、喜んでいる場合ではない。ユリエがエスに喧嘩を売ったのだ。
ランクFのユリエが、あのエスに。
何だかんだと嫌な奴ではあるが、エスは強い。ランクはSS。そんな奴にユリエが喧嘩を…。
止めなければと一歩踏み出すが、ユリエの声でその足も止まる。
「さっき、あなたの魔法を見ていて気付いたんです。ユニークスキルって、本当に沢山の可能性があるんだなって」
「それが何か?」
「私、[清掃]のユニークスキルがあるんですよね。清掃って、どこまでが清掃なんでしょうね?」
「……」
「魔王様を虐めるのが腐った精神なら、お掃除、出来そうな気がするんですよね」
ユリエはそう言って、エスの頭をがっしり掴んだ。
え、まさか…ユリエ?
「え、ちょっと、本気?待って?ユニークスキルとか待って?あ、君何気に魔力多いね?や、やめて?むっ無理!魔王!!助けて!!」
キョウにしっかりと押さえられているエスが、ユリエに頭を掴まれたまま青い顔で私に助けを求めている。
まさか奴に助けを乞われる日が来ようとは思ってもみなかったが、ユリエは本気だ。
やや試している節はあるが、奴に魔法を使っているのは確か。
ユリエを怒らせてはいけない…。理解した。気を付けよう。
そう心に決め、私は満面の笑みでそれを見守った。




