96 来訪
夏も盛りとなり、昼前には高い太陽がじりじりと陽炎を上げて地上を焼いている。
垂直に落ちる太陽光は真下に濃い影を落とし、地面に跳ね返る光だけでも窓から注ぐ光は強い。
日陰と言うだけで随分と涼しいお城の中でも、入り込む光と熱で、音まで焼かれてしまったように静かなそこでは、お昼の準備をする微かな食器の音だけがその暑さに抗っている。
そんな中、その声は唐突に訪れた。
「お茶貰うね」
今日はヨウグさんが買い出しでいない為、表厨房で三兄弟と昼の準備をしていた所に、カウンターの向こうから誰かがそうこちらに声を掛けた。
暑さでダラけているキョウ君が、作業をしながら声の元を見ず、「どうぞー」と反射的に言葉を返してからピタリと止まる。
夏も当たり前になった今、誰でも勝手に持って行っていい私の作ったお茶はとても冷たく、そんなお茶を飲んでから、体の熱を逃がすように息を吐いて、空になったグラスを驚いた顔で眺めているその人は、私の全然知らない人だった。
「…何これ。……ねぇ、そこの君。見ない顔だよね。これは誰が作ったの?素材は、何を使っているの?どこで採れた魔素水か、教えてくれない?」
作業をしていた私の腕をカウンター越しに強く掴み、笑顔だけれど全然笑ってないその人は、少し長めの白金のボブヘアをセンターで分けて、薄緑のチュニックを腰のベルトで調節し、白いボトムスと茶色いブーツ。肩から白と水色のグラデーションになったマントを羽織っている細身の男性。
整った顔立ちの中で、赤紫の目が何だか異質だった。
そしてその耳は、長く尖っている。
エルフだ。
ヤバイ。
そう思った瞬間、私を掴んでいた手は離される。
それと同時に、キョウ君が振り下ろしたであろうナイフを構え直して私の前に立ち、慌てた声で応援を呼んだ。
「やべぇ!!料理長いねぇ!!!サン!ダイ!足止め頼む!!」
キョウ君がそう叫ぶと同時に、ダイ君とサン君がカウンターを飛び越えて、その細身のエルフに手に持ったナイフで斬り掛かっているけれど、ニヤニヤ笑っているそのエルフは2人の猛攻を楽しそうに躱している。
「酷いな、マントがボロボロだよ」
「魔法使って来るアンタが悪い!」
「疲れるからマジやめて欲しい!」
そんな声を背に、私は既に走るキョウ君に手を引かれ、3階へ向かって階段を駆け上がっている。
「待って早すぎてこけそう!」
「あああぁあぁどうしよう、でも、あー、ちょっとユリエさん失礼しゃっす!!」
手を引くキョウ君の余りの速さに、前のめりになってこけそうになっていた私に狼狽えた後、焦っているキョウ君は私の返事を待たずに私を抱え上げ、物凄いスピードで階段を駆け上がる。
「ユリエさん!見ました!?」
「何を?!」
「目!あいつの目!!」
「…ぇ……見たかも」
スピードに伴う凄い風圧に、髪を押さえて耐えながらキョウ君の問いに答えるが、まさか…
「あの人、【魅了】持ちのエルフの第二王子?!」
「です!!マジでヤバイ!!魔王様に殺される!!」
それはイヤー!と叫びながらキョウ君は物凄いスピードで階段を上り終え、3階のエントランスに着いたそこには既に魔王様が立ちはだかるようにこちらを見ている。
「魔王様!すいません!!しくじりましたぁぁ!!!」
私を下ろしてすぐさま土下座したキョウ君の後ろから、現れた手が私を掴もうと伸びている事に気付いた時にはその手は消える。
それと同時に、階段横の壁に大きな亀裂が一本入って破片をまき散らした。
その衝撃に思わずそちらを見たけれど、目の前に現れた影に驚いて視線を戻すと、目の前に立っていたのは魔王様。
そしてそんな魔王様が、とても真剣な顔で私の両肩を掴んだ。
デートだとか特別視してる場面でない限り、マントがないと触れては来ないのに、焦っているのかそれ所ではないのか、手袋一枚で私の肩を掴む魔王様のその手は少し震えている。
「ユリエ…見たか…?」
「目、ですよね…」
「見たのか?」
「み、み……見ました………」
私が渋い顔でそう告げると、無表情になって揺れた魔王様の目が尾を引くように光る。
「許さん…」
そう呟いて、私から視線を階段側に向けた魔王様のその顔は、見た事もない程静かな怒りに満ちていて、どうしよう、と思った時にはガラスが割れるような音がエントランスに響いた。
そんな音に視線を向けると、魔王様が見ているその先、階段の亀裂の横で、恐らく魔王様が張っていただろう結界が、大きな亀裂を作って砕けて行く所だった。
「やぁ魔王。元気にしてた?今日はいつもの部屋じゃないんだね?」
砕けて消えて行く結界の向こう、魔王様の怒りに満ちた視線の先に居るその人は、やはりエルフの第二王子。
とても楽しそうに魔王様に笑い掛け、魔王様の表情を確認して、あれ?と意表を突かれたように首を傾げた。
「魔王、何かいつもと違くない?」
「………………潰すッ」
軽い調子の第二王子の声に、目の座った魔王様が一言そう呟いて、その手から手袋を取り去った。
え、魔王様?それは?まさか、と思った時には魔王様は私の前から影を残して第二王子に掴み掛かっており、それをギリギリで避けた第二王子はもの凄い焦った表情で、「ちょっと待って!」と叫んでいる。
「待って魔王!!話が違う!!」
「お前に話す事などない!!」
「それ本気じゃん!!洒落にならないやつでしょ!?」
「そうだ!!大人しく潰されるがよい!!」
何かが弾ける音が何度も響く中、魔王様が掴み掛かる手から第二王子は必死に逃げている。
ような残像が見える。
速くてよく分からないし、どう止めていいかも分からない。
止めに出るタイミングを計るように目を凝らしてそんな2人を眺めていると、私の足元に土下座を解いたキョウ君が這うように寄って来て、私の後ろにスクッと立った。
「最強の盾ゲットだぜ」
「いや、弱いから」
「ユリエさん、【魅了】掛かってる?」
「掛かった感じを知らないから分からないけど、とりあえず2人を止めた方が良さそうだし、どうにかできないかな」
「それはこっちが死にますね!」
そう笑っているキョウ君にあれは大丈夫なのかと尋ねると、どうやら魔王様が拘束する為の魔法を何度も使っていて、それを第二王子が【魅了】で消し続けている状態らしい。
「【魅了】掛かったまま掛けた奴が死ぬと、そのまま【魅了】の効果が残るんで、殺しはしないと思うんで大丈夫っすよ」
「なるほど」
「そんな訳で、魔王様は拘束しようとしてるんだと思うんすけど、あいつの【魅了】って魔法にも効くんすよ。なんで、物理か直接触れて、強めに魔力押し込む以外は何も効かないんすよね」
「無敵だね」
「いや、その内魔力切れ起こしますから。持久戦で魔王様には敵わないっすよ」
なるほど。確かに。
それもそうかと私が納得したそれにキョウ君が軽く笑って、「待機ヨロです」と2人で見えないそれを観戦していると、争っているであろう2人の方からは切羽詰まった声がする。
「おい! そこの君! さっき【魅了】掛けたお前!ちょっとしっかりこっち見て!!」
第二王子が魔王様の手を避けながら、必死な感じでそう訴えるけれど、いや…すいません、見てるんですけど見えませんとしか言いようがない。
そんな私の様子に、小さく聞こえた舌打ちと魔王様の声が同時に響く。
「させん!!!」
その魔王様の声と共に視界が不透明な結界に覆われて、一拍置いて第二王子の背中がそんな結界に阻まれる。
目の前には第二王子の背中が結界の向こうに薄っすら見えているが、この微妙に透けてる結界…これ天井掃除してた時のやつなのに…。微妙に、透けておる…だと……?
あ!だから魔王様目を隠してたのか!と明後日な事が頭を過るが、第二王子が実はちょっと向こうが見える結界に触れたのか、ガラスが砕ける音と共に、また結界が破片になって落ちた向こうで、第二王子のその目が私を振り返った。
『ボクを助けろ!』
最後の手段とばかりに迫り来る魔王様を無視し、勢いよく私に視線を合わせたその赤紫の目をしっかりと見たまま、私は首を傾げる。
「? 嫌ですけど」
「「え!??」」
魔王様が第二王子に触れるか触れないかの瀬戸際で、2人がピタリと止まって私を見るので、私はもう一度しっかりと意見を告げる。
「ですから、嫌です!と言いました!」
「え!?何で!?ボクの目見たでしょ??!君、魔力通してなかったよね?!何で効いてないの!??」
「いや、そう言われましても……効いてませんし……」
また私を掴もうと第二王子の手が伸びて来たので、私はキョウ君を盾に隠れると、第二王子と対面したキョウ君が声を出して笑い出した。
「ぶはっ!ぎゃはははは!その顔っ、ちょっ、ウケるんですけど!!王子なのにっ!すげ、酷い顔!!ぶふっあははははぁあっ腹いてぇ!やべぇ!!」
ちゃんと盾にはなりながら、爆笑するキョウ君はお腹を押さえて笑っている。そして、そんなキョウ君越しに笑われている第二王子を見ると、目と口を大きく開けたまま、ポカンとこちらを見て固まっている第二王子が居る。
その姿は、確かに王子様がしてはいけない系の顔。
そんな2人の向こうから、私の横に転移して来た魔王様がマント越しにしっかりと私の手を握り、とても心配そうにこちらを窺う顔は、心配と同時にとても困惑している。
「ゆっユリエ、【魅了】に掛かっては、いない…のか?」
「多分?掛かってないと思いますよ? 言う事聞く気もそんな感じもしないので」
「本当に?…何故…」
「んー…あ、多分[整理]でもされたんじゃないでしょうか。私、基本的にずっと【生活魔法様】掛かってるらしいので」
「あ? あ、あー…」
一瞬止まった魔王様が、一拍置いて納得したように大きく頷く。
そう。オート【生活魔法様】は伊達ではなかったのだ。




