4 出会ったもの イケメンside
[イケメンさん視点]
目の前で、崩れそうだった娘が涙を流し、ゆっくりと倒れる。
咄嗟に支えそうになった手を握るように止め、娘が地面に倒れ切る寸前で魔法を使ってそっと寝かせる。
少しだけ近寄って、無事かどうかを確かめると、長い睫毛に残った涙が頬を流れたが、娘の魔力も呼吸も安定していて、緊張に詰まった息を大きく息を吐いた。
「よかった……」
……。
いや、良くはない……。
泣かせてしまったし…そしてまた過ちを犯す所だった……。
過去から何の成長もしていない…。長年学んで来たつもりだったが、私は今まで何を学んで来たのだ……。
そんな思いに顔が歪む。
いや、しかし、大丈夫だ。少し混乱していただけだ。人と話すのが久々過ぎて、少し上手くできなかっただけだ。
大丈夫、次は上手く出来る。
……いや、上手く出来るとは何の事だ。
何を上手くやるつもりになっている…。
思考の纏まらない自分に溜息を吐き、視線を向けた先には寝顔が見える。
何と無防備な…。
女子なのだから、もう少し警戒心と言うものを………いや、これは私のせいだ。私が悪い…。
本当に駄目だ…。
そう再び頭を抱える。
私を混乱させるこの娘。弱く、しかし強い目をした不思議な娘。
最初は、まさかこの死の泉に触れたのが人間だとは思わなかった。むしろ、姿がある事に驚いた。
死の泉に触れたものは、その魔素の濃さに耐えられず分解されるのが当たり前だ。
それは死の泉に足を運ぶようになってから、ずっと変わらず続く当たり前。
この泉をどうにか出来る者は居ない。触れただけでも体が壊れるのだから、利用したくとも触れる事すら出来ないだろう。
だがそれでも、何かしらの方法を用いて悪用されれば被害は甚大な物になってしまう。故に泉の外周には侵入阻止の結界を張り、水面に触れる者が居れば分かるよう備えていた。
そうやって防いではいても、幾度か泉には生物が触れた事がある。
だが、触れたものが生き残っていた事はない。
それでもその度に、私はこの誰も触れる事を許さない静寂に足を運んだ。
そしてこの泉がそう在るものなのだと、その死を確認して来た。
湧いては分解され続ける魔物、泉の凶悪な魔素に溺れ死ぬ精霊。魔力回路を壊され、体をなくし、散り逝く者か散った者の残滓しかここにはない。
何かが生き残り、存在する事などあり得なかった。
今回もただいつも通り足を運んだ、ただそれだけだったと言うのに、そこにはまさか生き物が存在していた。
死の泉を覗いている、人間の形をした者。不思議な娘。
泉に触れたのはこの娘で間違いない。他に何の気配も残滓もなかったからだ。
この泉に触れ、平気な顔をしているこの娘は一体何者だろう。何故触れたんだろう、何故触れて平気なんだろう?
知りたい…。
一番にそう思った。
だから声を掛けた。
誰かに声を掛けたのはいつ振りかは分からない。声の掛け方も忘れてしまっている。
興味はあるが、もしこの娘が何か善からぬ事をしているならば、私はこの娘を消さねばならない。が、その思いの裏には期待があった。
善からぬ事でも、この【死の泉】に触れる方法があるのだろうか…と。
己の立場では許されないそんな期待を胸に、私の発した声に顔を上げた娘は、私を見て、微笑んで見せた。
怖がると思っていた。恐れられると思っていた。
何より力の差があるならば、私がどこの何者かなど分からずとも、その力の差に恐れを感じ、笑顔など向けられよう筈もない。
なのに、その無防備な表情に、優しそうな笑顔に、まっすぐに私を見る…恐れを知らないその娘の存在に、心の奥が揺らされた気がして時が止まったのかと思った。
知らない感覚。少し胸が苦しい気がする。 その感覚で眉が寄った。
精神魔法でも使われたのか?!
とは思ったが、しかし、そんな気配はない。
だが胸がギュッとなったのは確かだと、用心の為に【魔眼】で視た娘の能力は何故かすんなり情報を開示した。
【魔眼】も強い相手には弾かれる。
結界を抜け、私を見ても恐れない。魔力も多く、それなりの力がある者が相手ならば、多少は弾かれると思っていたのに全てがしっかりと視えた事に驚いた。
そしてその内容もとてもじゃないが普通だ。
いや、魔力こそ多いが、以外は物凄く弱かった。こんな弱い生き物がよく今まで生きて来られたなと思う程にこの娘は弱い。
そんな弱い生き物が私に何か出来るとは思えない。だがしかし、死の泉に触れて平気そうにしているのだから、それなりの理由はあるだろう。
とは思うが、分からん。状況が全く理解ができん。
だが、もう少し話したい。それだけは確かだ。
そんな思いに話を聞くと、娘は気付けば森に居たのだと言う。
死の泉には近付けないよう結界を張っている。触れれば弾かれるその結界を通り過ぎ、死の泉に触れる?
こんなに弱いのに?この国に?どうやってたどり着いたのか……捨て置かれた?いや、だが人族がこの国のこのような奥地にまで辿り着く事はない。
なら何故こんな所に?
この娘は謎が多すぎる…。
【死の泉】に触れた者、触れて平気な者。
けれどとても弱く、恐れを知らない不思議な娘。
気になる。とても。 物凄く。
触れられる者は存在しないと思っていた存在が目の前に居る。
もっと知りたい。もっと話をしてみたい。
もしかしたら……と心の奥底で燻る淡い期待を抱いた自分を戒める。
私は、そんな期待をしていい存在ではない。
だが、けれど、話すくらいならいいのでは……。少しなら、ここでなら、少しくらい話してもよいのではないだろうか……。
私を怖がらないこの娘なら、少しくらい、許してくれるのでは…許されるのではないだろうか……。
そう試すように向かい合うと、娘は目も逸らさずに話を聞く。
やはり恐れない。何故恐れないのだろうか…このように誰かと向かい合ったのはいつ振りだろう…。分からない。もう忘れてしまった気がする……。
だが一つ思い出した。
これは“嬉しい”と言う感情だ。
久々に感じた“感情”。
その喜びに言葉を続けると、この娘は驚く程何も知らなかった。
死の泉を知らない人間は国外の者ならば確かに居るだろう。
だが、魔素も魔力も知らない人間は居ない。
それはまるで、この世界で生きた事がない。そう言っているように聞こえた。
余りよくは知らないが、過去に異世界から来たと言う者を見た事がある。あれと同じ類なのだろうか。
だからか、その娘は魔素や魔力について教えてやると、驚くほどに表情をころころ変えて興味深く聞いている。魔法を見せると、とても喜んだのが嬉しかった。
そう。話せるのが、話を聞いてくれるのが、喜んでくれるのが嬉しくて、間違えた。
こんな話はするべきではなかった。
【死の泉】について軽く話した時、とても不安そうにしていたから大丈夫だと教えてやりたくて、詳しく説明をしていた途中でそれは起こった。
娘の魔力が大きく揺らいだ。
失念していた。ここは【死の泉】の乱れた魔素に満ちている…。
乱れた魔素は心の不安を魔力回路で体現してしまう…。
平気そうにしていたから気が付いてやれなかった。
結界くらい張ってやればよかった。
この娘は魔法を知らなかった。魔力に不慣れなのだ。魔力の使い方も知らぬ者に情報だけ与えるなど迂闊だったのだ…。
娘の不安が、その魔力回路を揺らがせてしまう程だとは考えてもいなかった……。
己の魔力に魔力回路を乱された娘の存在が不安定になり、大きく歪み、その弱い体から一気に魔力が零れてゆく。それは、魔力回路の崩壊。死を意味する。
また壊してしまう……。
その感覚に体の芯が冷える。
震えるように早鐘を打つ胸を押さえ、留めようと掛けた声で娘は不安定ながらにも縋るようにこちらを見た。
自責に駆られながらもしっかりと目を合わせ、繋ぎ留めなければと言葉を紡ぐと、魔力で歪んでいた娘がゆっくりと形を取り戻して行く。
その姿に、安堵と共に心が痛む。
この娘は、私を信じたのだ。
ただ話したいと願ってしまった私のせいで、こんな思いをさせてしまった私の事を……。
そんないたたまれない気持ちで形を取り戻した娘を見ていると、私を見ていた娘の瞳に涙が浮かび、あ、と思う間にそれは零れ、ぽろぽろと涙を落しながらゆっくりと娘の身体が傾いた。
そして、膝を抱える今に至る……。
「…不甲斐ない……」
空間に結界を張り、横たわる彼女の上に魔法でそっとマントをかける。
確かに得体が知れないと警戒した。それは必要な事だったと今でも思う。
だが、彼女が何者なのか知る方法は、もっとやりようがあったのではないか。
言い方だって、もっといい感じの話し方があったのではないか。
私の言葉を信じたから彼女の形は揺らぎ。私の言葉を信じたから彼女は形を取り戻した。
彼女は己の命で誠実を体現した。きっと最初から誠実だったんだろう。
そんな相手に酷い扱いをしてしまったのではないだろうか……。
駄目だ…。
他者の感情を推し量るなど、何十年振りか分からない…。
どうやって人と話せば良かったのか、私は以前、どうやって話していたのだろう……。
独りの時が長すぎてどうにも上手く思い出せない。
「はぁー…………彼女が起きたら…確か、そうだ、まずは謝らねば」
うむ、そうだ。まずは謝るのが正解の筈だ。
このようにか弱い女子に酷い行いをしたのだから、まずは謝るのが大事な筈だ。
しかし、謝ったら許してくれるだろうか……。
また話してくれるだろうか…。
今度は上手く出来るだろうか……。
そう考えた自分にハッとする。
呆れた自分に苦笑が零れる。
抱いてはいけない淡い希望は消える所か強くなる。
もしも、もしかしたら……。
そんな希望に見上げた空には月が傾く。
こんなに長く誰かと向き合って話したのはいつ振りだったろう…。
漏れる苦笑にすらぎこちなさを感じる程、長く忘れていた感覚に、このように翻弄されるとは思ってもみなかった……。
彼女が起きたら、今度は上手く話そう。
上手く話せるだろうか。
どうやって謝ろうか。
怖がられやしないだろうか。
また私と話してくれるだろうか。
早く起きて欲しいような、まだ起きずにいて欲しいような。
そんな思いで彼女を見ると、そんな彼女は光に見えた。
永い闇の中で見付けた小さな光。
できる事なら、消えないで欲しいと願う事は許されるだろうか……。




